3-6 既知との遭遇
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仮に当てはめるとするなら、彼女は天災級の探知魔法家である。
防衛司令は今日も彼女が客と戦盤に興じるのを眺めていた。
メイヘムの司令部は――つまり、どこにでもある事務机の並んだ大きな部屋は――今は随分と寂しくなっている。首都攻めに際して、本隊へ多くの書記や士官が駆り出されていったために、ほとんどの者が持ち場を留守にしていた。ここのところの仕事といったら、定時連絡を受け取って、こちらは異状なし、と返答することに集約されていた。異状など起こりようがなかった。そんな根性が奴ら――ヒューマンども――にあれば、この戦争はきっともう二百年は前に終わっていただろう。だが、どうやら四百年にまでもつれ込むこともなさそうである。
もちろん、現場レベルでは今日だって兵士は訓練に明け暮れているだろうし、下士官はなんとかして練度を落とさないように愛の鞭を振るい、士官達はそれを見守っていることだろう。しかし、それらは将である防衛司令にとって関係ないとは言えないまでも――自分の受け持ちからは程遠い出来事だった。
俺はこれ以上の昇進は絶対に受け入れん、と強弁していた友のことを愚かだと思っていたが、今になってそれも一理ある意見だと認めざるをえない。確かにこうなってみると、個にとって最大の敵は、ヒューマンよりも手空きの時間だった。とんだ伏兵である。
暇といえば、彼女こそ対手空き戦の専門家とも言うべき歴戦の勇士であり、学ぶべきところは数多くある――が、勤務時間中に遊戯やおしゃべりに興じることは、防衛司令には立場上できない。何もせずどっしり座っていることも、大切な業務のうちなのだ。というより――それこそが防衛司令の受け持つ仕事であり、彼と彼女の差だった。
彼女の場合、本業こそが暇との戦いであって、探知魔法は副業であると言ってもよかった。幸か不幸か、彼女自身は戦いにも統率にも向いていなかったため、最前線へ引っ張られるということはないが、占領、拠点防衛ということになると、途端にその価値は跳ね上がる。民間徴用というよりは、ほとんど軍属であった。
異常な探知範囲。
――しかし、誰もが今はその限界を惜しいと感じている。もしもアディクト川より先までを彼女が見通せていたら、もっと早く首都は落とせていただろう。わざわざ今回のようなまわりくどい手を使わなくたって、さっさと真っ直ぐに進んでしまえばよかったのだ。十三賢者の考えることはよくわからないが、まあ、どうせ勝ち戦だ、多少費用はかかっても、最終的に犠牲が少なく済みそうな作戦を立てるのは悪いことではない。
客は大将の駒を倒した。
「相変わらずお強い」
レギウス・ステラングレ卿とかいう、うさんくさい研究畑のエルフだ。魔法の発動に特殊な素材が必要だとかで、セーラム攻略完了の暁にはフィールドワークの許可が与えられているため、予めここメイヘムまで移動してきたとかなんとか……。問題は、先の竜巻が、この男の召喚したらしいヒューマンによって引き起こされたものだ、ということである。
僅かに生き残った観客の中から多くの証言があり、追跡隊も明らかな風魔法の使用を確認している。何よりも、ステラングレ自身が可能性はそれしかないと認めていた。しかし、当のヒューマンが谷底の川に落ちて流されてしまったとなると、勢い、責任追及の矛先は天災を召喚した者へと向けられた。ステラングレは、それまで94番と呼ばれていたヒューマンは魔法の兆候を全く見せず、そうしようと思うのなら三ヶ月間の苦痛を甘受する前に対応したはずだ、事故の予測は不可能だった、と弁明したが、そういうことではなかった。尊い命が数多く失われ、街の中には未だ復興できていないエリアもある。それに、94番は精霊の化身という名目で召喚されたことが判明すると、試合で魔法家をぶつけたのは軽率に過ぎた、という評価に落ち着いた。そもそも、遺失したはずの召喚魔法を復活させていたのなら、まず何よりもそれを報告しておくべきだったのだ――これについてステラングレは、どう考えてもあれは成功したうちに入らない、的外れな指摘だ、と返した。この他、学術業界の監査にも責任の一端はある、という主張もそこそこ見受けられたが、見込みがなかったはずの研究にまで気を向けられるはずがない、という意見の方が勝った。
そうした簡単な応答と論争の結果、ステラングレは、深刻なれどあくまでも過失、として、収監こそ免れたものの、闘技場の指導を行っていたマイエル・アーデベス卿と共に、謹慎に加え高額の罰金処分が下された。前者は後方地域へ戻るまで付いて回る監視、後者は大部分が財産没収という形で処理され、この街に娯楽を提供していた二者の魔法家は、若くして長い生命のキャリアを閉じた、と誰もが考えた。
「これで百十四戦七十五勝二十六敗十三引き分け……」
ただ、彼女にとってステラングレは、文字通り退屈な日々を吹き飛ばした功労者だったのかもしれない。こうして客として招くようになったのも、彼女にとっては俗世の面倒な理屈などはどうでもよく――若い男が遊戯に付き合ってくれて、再開の見込みもない闘技場の話をしてくれることの方がよほど重要であるからに他ならないだろう。そちらかといえば乗り気ではないようだったが、アーデベスも失意から徐々に回復しようとして、たまにではあるが顔を出すことがあった。
優れた戦士が優れた武器を欲するのは自明の理である。彼女にとって彼らは、暇を効率よく殺すための武器なのである。
「最初に比べたら、随分と手強くなったこと」
そう言って、彼女は一息ついた。
すると、まるでタイミングを図っていたかのように、警備の兵士に連れられて、彼女と全く同じ顔の女が司令室へ入ってきた。
「お姉様、交代の時間ですわ」
「あら、もうそんな時間……」
通常の警戒態勢では、半刻に一度探知波を飛ばすのであるが、それ以前に当然、休息のことを考える必要がある。その点、彼女達は非常に優れた適性を持つと言えた。均一な魔法の能力が発覚して以来、この双子は陰と陽になった。昼に妹がやってきて、夜が深まると姉が戻ってくるのである。防衛司令が紹介された時、彼女達は既にそういう存在だった。交わらない生活。半日椅子に座って探知波を飛ばし、半日休む。丸一日の自由は絶対に得られない。その代わり、探知波を飛ばす以外のことは何も求められない。
そして、ステラングレは引き続き妹も相手にしなければならないのである。しばしば全く同じことを二回話すように要求され、そういう時は、傍で見ていて気の毒に感じることもあった。尤も、それはステラングレに限った話ではなく、彼女達の客となった者は皆経験することなのだが……。
いつも黒い服を着ている方の姉が、防衛司令の方を向いた。
「司令」
防衛司令は、いつもの決まりきった文句を返した。
「……いいよ。引き継ぎを終えたまえ。今日もご苦労」
姉は言った。
「違います。内側に感。……複数です」
静かなその報を聞いた防衛司令は、椅子から立ち上がった。
交代の前には、最後の探知波を飛ばす決まりになっていた。
確かなのか? と言う前に、妹の方が口を開いた。
「本当です」
確認のために自分も探知波を飛ばしたのだ。防衛司令は早口に言った。
「数は」
姉妹は跳ね返ってきた情報を吟味するように少し考え込んでから、
「魔法反応が……二です」
「全体としての数は、ヒューマンが百六十四、馬が同数。騎兵です」
一体何なんだ? と防衛司令は思った。
斥候のつもりか?
「どう動いている? 五秒に一回、計五回探知してくれ」
約二十五秒間の沈黙の後、姉が言った。
「真っ直ぐこちらへ近づいているように思えます」
「ここに、か」
姉はためらいがちに言った。
「おそらく、は」
そして、出し抜けにステラングレが言った。
「――94番だ」
誰もが、まさかな、と考えてはいたことだった。
死体は確認されていない。
そう日数も置かないうちに、かなり広範囲へ渡って捜索が行われたが、とうとう肉の欠片さえ見つけられなかった。
沈んだに決まっている。そのヒューマンは魚とお友達になったのだ。
水の中で風は起こせない。
馬鹿馬鹿しい。
死体がない、は、証拠がない、と同義だ。
「第一次戦闘配備。……ファイアボール中隊を呼べ」
防衛司令は、この場にいない何者かが、冷やかに自分を眺めているような気がした。
~
「来た」
と例のポーズをしながら俺は言った。
「確かなの?」
と隣で姫様が言う。
俺はポーズを解いてから、音のした方向を手で示した。
「間違いない。あの丘の……向こうの向こうの向こうの向こう、くらいだ」
ちょっとびっくりしたんだが、意識してエルフを探そうとしたら前よりも探知範囲が広くなっていた。心なしか魔力の消費も省エネというか、効率的になった気がする。
「徒歩だな。こっちの倍はいそうだぜ」
「十中八九、魔法部隊でしょうね。やはり私達の侵入がわかっているんだわ」
川の向こうは途中からずっと茂みが広がっていて、道が無いわけではないのだが、しばらく縦に長い隊列を強いられるようになっていた。急襲されて真ん中の辺りから分断されたらまずいので、兵達はデニーに任せて、俺と姫様で偵察へ出たのだった。
そうしたら案の定だ。
「じゃ、行ってくるか……」
茂みは途切れていた。ここから先、隠れる場所もなく部隊がぶつかったら、きっとひどいことになる。誰かが行って、掃除をしなければならない。
今回は、俺がその役目を担う。誰が何と言おうが、担わせてもらう。
「待って。やっぱり、私も、」
「早いとこ戻って、デニー達を進ませてください。悪いけど、あんたの出る幕はないよ。それまでにきちんと終わらせる。――あいつら全部、俺の獲物だ」
「……一応言うけれど、無理はしないように」
「キップをよろしく頼みます」
そして、俺は丘を登り始めた。
まずない、と姫様は言っていたが、向こうさんの実力ナンバー1と当たったらまあ負けるだろうし、あんまり数を揃えられたら、全員殺すまでに魔力切れを起こすことは十分ありえる。
それでも、俺はゴキゲンだった。口笛の一つも吹きたくなる。
ワーグナー『ワルキューレの騎行』。定番中のド定番。『地獄の黙示録』は長い映画だったな。だが、もう一度見たい……今となっては、叶わぬ願いだけれども。
駆け下りてしばらく進むと、地平線を支配しているさらに向こうの丘の上で、輝くものがいくつか見えた。槍の穂先だ、と俺は思った。口笛の音量が自然と上がっていく。抑えきれない魔力が自動的に変換されているような感じがする。
やがて、きれいな四角形ではないが、ある程度統率された集団の塊が姿を現した。
遠くからでもわかるくらい耳が長かった。一匹残らず、長かった。
俺はざっと数を頭の中で計算しながら、口笛を吹き続けた。向こうにも聞こえているだろう。耳の数も音量もどんどん増えていく。こちらの倍というのは半分冗談のつもりだったが、あながち的外れというわけでもないらしい。
あれ全部魔法使いか? いいねえ。
接近はゆっくりとしたもので、いきなり襲い掛かってくる気はないようだった。俺も同じ考えだ。向こうはこれが一体どういうことなのか知りたいだろうし、俺も今の整理された状態で、少しエルフと話がしてみたかった。
十分な距離まで近づくと、先頭で率いていた男が手を挙げて隊の行進を止めた。
俺も口笛を吹くのを止めた。
彼は言った。
「他の奴らはどうした」
少し考えて、俺は口を開いた。
「……あんたらには会いたくねえとさ」
さすがにこちらが一人だとは思っていなかったのだろうか。侵入がわかったのなら、わざわざ聞くまでもなく知っていそうなものだが。実際他にいる事実は把握していたわけだし――それともカマかけてんのか?
「一体ここへ何しに来た」
笑いながら答える。
「決まってんだろォ、お前らを殺しに来たんだよ。ついでにメイヘムも返してもらおうかと思ってね」
――そうなるんじゃないかと思っていたが、実際に大勢のエルフからゲラゲラ笑われると、やはり腹が立つ。
まあ、確かに俺はこんな格好だし、かわいそうなヒューマンとして見られるのもやむなしかもしれないが、しかしだ……。
「一人でか?」
「いんや。でもあんたら全員を――」
と言いながら、全体を見渡してみる。すごい数だが、女も相当数混じっていて装備に統一性があまりない。エルフ特有の若々しさで歳の差まではよくわからないが、かき集めた、という雰囲気はある。これで全員だろうか。メイヘム周辺で有効な魔法戦力は全員か、という意味だが。
「相手するのはちっと骨が折れそうだからな。心得のある俺が対処しようってことになったのさ」
「相当自信があるらしいな。……しかし、我々も精鋭の誉れ高い火球中隊だ。少々子供じみている気もするが、そのように侮られて黙って引き下がる謂れはない。全力で屠らせてもらう」
もうちょっと知性のない奴らがやって来るかと思っていたが、存外普通に話せてしまえて、それが余計に神経を逆撫でする。起こっていた笑いもすぐに落ち着いて、今は俺と隊長のやり取りを見守っている。いかんなあ。もっと、煽られたらすぐにキレて、問答無用で剣を振り回してくるようなカンジじゃないと困るよ。テメーらはそんなに頭がよくないし、お高くとまっていいような存在でもないんだ。
「おい、勘違いするなよ。言っておくけどなァ、先に俺をナメたのはそっちだぜ」
「なに?」
「どうせこの会話も、奥の方で誰かが愉しんでいるんだろうさ。せっかくだからこれも聞いときな。――昔、あるアメリカ人がこんな文を書いた。『我々アメリカ人がドイツ人を憎むには学ばなければならないが、ジャップに対しては自然と憎しみが湧いてくる』、とな」
この後、『これはかつて我々アメリカ人がインディアンと戦っていた時と同様に、自然な感情だ』と続く。
「俺も今、同じように、自然な感情を抱いているよ」
当時のLIFE誌の記事だ。なかなかいいじゃないか。取り繕いすぎて原型もわからなくなった何か、を喧伝されるよりはよっぽどいい。
「鼠にも劣る矮小で暗愚なエルフ共、予告してやろう。あんたらは俺一人に手も足も出ず、泣きながら撤退しようとして、ついに一匹も逃れらない。何故なら、そこのかろうじて勇敢で聡明な隊長様が、誰よりも一番先に無様な死に姿を晒し――それを見た部隊が粉々に砕け散るからだ」
隊の何十匹かが、無言で剣を抜いた。乗ってきた乗ってきた……かのように見えたが、しかし、すぐに隊長が手でそれを押し止めてしまう。
「……どうやらそうやって焚きつけるのがお前のやり方らしいな。――だが、いいだろう。敢えてその挑発に乗ってやる。決闘だ!」
悪くない展開。
部下達も乗り気、隊長はもう剣を抜いた。
魔法戦でおそろしいのは、もちろん個人サイズに戦闘装甲車や軍用飛行機の火力を詰め込めることだが、同時に、そのせいで強さが見た目に反映されづらいことも含まれると、個人的には思う。実際、姫様やアデナ先生なら、この隊長程度、余裕で勝てるような気がする。しかしそれはそう思い込まされているのかもしれないし、隊長も俺がただの物狂いだと思い込んでいるかもしれない。
「いくら魔法戦でも、丸腰相手に勝利を収めたなどと報告できん。武器を貸してやろう」
正直、要らねえよ、と言うつもりだった。しかし、冷静な部分が待ったをかける。これ以上はさすがに相手も警戒を始めるのではないか、と。
「――じゃあ、剣を貸してもらおうかな。見ての通りの体格だから、なるべく軽いやつを頼むよ……」
隊長は部下に言って、俺が指定した通りのものをこちらへ投げ寄越した。
なんとかキャッチして、抜いた。鞘はこれ見よがしに放って捨てた。
「へえ、なかなかいいもん使ってるな」
隊長は念を押すように、振り返って自分の部下達へ言い聞かせた。
「わかっているとは思うが、手出し無用だ。俺が劣勢になろうが加勢することは許さん。おとなしく見物していろ。すぐに楽しくなってくる」
気が変わった。それに、これで一工夫となるだろう。
「……やっぱいらね」
剣も放り投げて、構えにならない構えを取る。
「あんたら全員、いや――エルフ全体だろうが、相手すんのは、素手で十分だぜィ」
やっと隊長の額に青筋が浮かんだ。
「死ね」
彼の踏み込みも、ご多分に漏れず速かった。実に。
――だが、まあ、姫様とは比べられないよ、やっぱり。
俺はわざと無造作に手を振った。
局地的に横薙ぎの風が吹いた。
隊長は実に緩やかな放物線を描いて空中へ投げ出されていく。俺は額に手を当てて、彼の部下達と一緒になってそれを見守った。途中で落ちてきた剣が地面へほぼ垂直に突き刺さる。隊長はどんどん小さく細くなっていって、やがて見えなくなって――多分、遠くに並んでいるあの山々のどれかまでは、飛んで行ってしまったと思う。
「んー……あっけねェもんだ。ありゃあ助からんな」
俺は彼の部下達に向き直って言った。
「さ、やろかい」




