3-5 力の力学
「なんとか流れの緩やかな箇所を探し出して渡河できないものでしょうか?」
とデニー・シュートは言った。姫様は首を振って答える。
「難しいでしょうね。あの川は馬で渡るにも深すぎる」
それは俺も身をもって知っていた。
「荷が流されても痛いし、安全に渡れる地点まで下っていったら、その分だけメイヘムが遠ざかる」
練度にも不安がある。全員が馬に乗れるといっても、水の中を危なげなく進めるほど熟達しているとまでは思えなかった。俺もできない。
「なるほど……」
そんな二人のやり取りを眺めながら、振る舞われたタマネギのスープを啜る。
食事の時間と合わせて会議も行ってしまう魂胆だ。俺は門外漢だから、ほとんど話を聞いているだけ。
周りで兵士達も貴重な時間を逃すまいと真剣に栄養補給している。この真剣さは召喚されてから知ったものだ。なんだかんだで日本にいた時は身の危険が食欲へ直結していたことはなかった。一日ぶっ通しでテレビゲームをやって嗚呼腹が減ったと思うことはあっても、腹が減っているのは危険だ、とまで思うことはない。朝食を抜いて生活しても大した問題は発生しなかったし、その気になりさえすれば(つまり金を出しさえすれば)好きな時に好きなものを食べることができた。だが、そうもいかなくなったのだ。こうやって外で肉を齧っていると、今しかねえんだ! という感じがすごくする。
集落の村長はあっさり騙されて我々を迎え入れ、補給にも手を貸してくれた。勿論相応の対価は払ったが、すんなり事が運ぶだけで今の俺達にとっては有難い。
普通じゃないルートを使ったのはこういう理由もあった。通信可能な拠点及びそこからのアクセスが容易な範囲までは、俺達を捕まえるか協力しないように通達が行っている可能性は大なわけで、それを回避しようとすると、自然、こうなってしまう。相場よりかなり高く買ったらしいから、特需ということで勘弁してくれるといいのだが。
とりあえずは僥倖。まだ実際に用意された品を確かめていないからなんとも言えないが、うまくすればこういう補給はあと一回だけ、いや、切り詰めていけばこれを最後にできるかもしれん。俺が首都に連れて行ってもらった時はゆっくりのんびりで一週間かけたが、今回は超特急だ。その半分くらいで川を越せれば、おそらくエルフ圏で一回はまた補給の機会があるだろうからな。そこを過ぎればメイヘムは目と鼻の先――だと地図を見ればそう思うのだが、どんなもんなのかね? 距離感がしっくりこない。せめて東京・大阪間とか東京・札幌間とか、まさかそこまで遠いということもないだろうが、何か俺にもわかる尺度があれば……秋葉原・船橋間とかさ。
「では、やはり橋を渡ることになりますな。今はまだわかりませんが、我々が到着する頃にはもう押さえられているでしょう。何か策はおありですか、殿下」
「残念だけど、それらしいものは……でも、通してもらえる見込みがないわけではないわね」
「それは、今話していただいても?」
「構わないけれど、聞いたからどうというほどのことでもないわ。それに、案外通してもらえるか、通れるようになっているかもしれないし――どちらにせよ、決めるのは状況を見てからにできないかしら」
俺はこの少尉が、それでは遅すぎる、と言い出すのではないかと思った。あんまりモメるようなら自分が割って入る必要がある、とも。しかし、デニー・シュートはこう述べただけだった。
「じゃあ、その時になって驚かされるのも一興かもしれませんな」
くく、と笑って、その話はそこで打ち切りとなった。
手早く食事を済ませた姫様がマウジー殿の様子を見に行き、それを待っていた俺はデニー・シュートへ話しかけた。
「おい、よかったのかよ」
「何が」
「前から言おうと思ってたんだが、あんた部下に何て説明してんだ? どうやって一人残らず納得させてる? 川の越え方がわからないままじゃ、この先不安で仕方ないと思うんだが」
俺はもう慣れたが、誰もが姫様の秘密主義についていけるわけじゃないだろう。
「あの方は言いたくなさそうに見えた。だからあれ以上聞かなかった。それだけだ。あいつらには訊ねられれば答えるし、訊ねられないならこちらから言うこともない。あいつらは説明なんかしなくてもおれが言った通り動くようになってるし、俺はあいつらが動ける範囲のことを言う。それで納得してる」
「姫様はちょっと口出されたぐらいでヘソ曲げるような方じゃないよ。こりゃやべえと思ったら意見するのも仕事のうちだろう?」
「なんだよ、あそこで問い詰めて欲しかったのか? でも、その時に言わなきゃな」
「……よくそれで百八人もついてくるもんだ」
「だから言ったろ……そういうものなんだ、って」
「ただでさえ非正規の人員を抱えてるんだ、」
と自分で言って、その単語に胸を突き刺されるような思いがした。
非正規、か。上から偉そうに言った俺は何なんだ?
「メイヘムへ着く前にバラバラにしてもらっちゃ困る。兵の管理が士官の仕事じゃないのか? 少尉」
「そうだよ。おれがいちいち口を出さなくたって、軍曹達が小隊の調子を合わせてくれるのさ。チューニングが済んだ弦楽器のようにな」
デニーは軽くジェスチャーをした。ギター――リュート、だろうか。
「それを受け取って、軽く弾いてやるんだよ。士官の仕事ってのはそれくらいしかない。わかるか? のんびりするのが仕事なんだ」
だが、俺は一方でデニー・シュートが隊員を一人残らずファイリングしていることも知っていた。仕事ぶりを眺めていればそれはよくわかった――確かに彼はのんびりしているが、少しでも兵がはみ出たり、道に迷ったりすればすぐ元に戻したし(比喩だよ、もちろん)、どいつが模範的で不調な奴を任せられるか、階級が同じ奴らの中でどういう力関係が存在するか、仲の良し悪し、やる気のあるなし等を頭へ入れていた。そして、働きかける時はあくまで間接的を好む。実際に命じたりケツを叩いたりどやしたりペナルティを与えたりといった仕事は、ほとんど軍曹達に任せてしまうのだ。デニー自身が部下に何か言って授ける時は、やんわりとしたものだ。それでも兵は縮み上がる。どうやって出発する前に賭博でいくら負けたかまで知り得るのだろう、と不思議がるのだ。
管理職なんだなあ、と俺は思った。端的に言って、気が回るのだ。だからこそ百八人はデニー・シュートへついてきているのだということが、俺にはもうわかっていた。貴族だからというだけでなく――そうしたいと思わせる何かが、彼にはあるのだろう。だからこんな旅にも同行するのだ。俺はもう姫様へ忠誠を誓った身だし、第一印象が良いとは言えなかったから、彼に惚れ込むということはないが、出会い方が変わっていればかなり感じ方が違っていたかもしれない。
ただ、同時に、俺は軍隊のこわい側面を見ているような気がした。彼らの信頼関係はうらやましくもあったが、狂信であることには違いないのだ……。もちろん、仕事だから、それは強いられている。だが最後の最後という時、例えば、十中八九死ぬだろうというポジションに兵をあてがったり、隊全体で犠牲となって味方の大部分を逃がす役目が回ってきた時――その成否を決めるのは、きっとその信頼関係なのだ。
そして、その影響力は今や真に選ばれし十八人まで及ぼうとしていた。
あの眼帯の女が事実上の分隊長となっている。決して軍曹達と同列ではないが、そのように扱われている節がある。
俺はなにも批判しようとしてデニー・シュートへ話しかけたわけじゃない。
……負い目を感じていたのかもしれない。
健全なやり方とは言い難い。
「おまえが言ったように、お姫さんがボスなんだぜ。頭っていうからには頭使ってもらわにゃあな。おれは彼女の参謀でもなんでもない。おまえらの持ってきた話に乗っかって、ちょいと手伝うだけなんだからな。むしろおまえさんが副官として意見していくべきなんじゃないかと、おれは思うがね」
もっともな野郎だった。
「ま、そう悲観的にならんでくださいよ、道化師殿。しっかりやらせてもらうさ」
デニーは丸まった俺の背中をぱんぱん、と叩くと立ち上がり、行ってしまった。
出発前に部下達の様子を探りに行くのだろう。
結局、補給所はもう一度見つける必要があった。
こちらは交渉が難航した――我々は貧しい、という彼らの主張はもっともで、わざわざ言われなくともそれは見ただけで明らかだった。一つ前の村と比べると明らかに一段
か二段落ちる。加えて強めに出られるとこちらとしても武力をちらつかせるような真似はもちろんできないので……馬の世話だけなんとかさせてもらうという妥協案が生まれた。それでも、かなり譲歩してもらったことに変わりはない。姫様の話術が為せる業だ。
人間より馬が優先されるというのもアレだが、まあここは仕方ないだろう。人間は命じればある程度まで切り詰めたりして対応できるが、お馬様はそういうわけにはいかん。従って、キップの食事を横目で見ているだけ、となる。癪だが、仕方ないのだ。
相変わらず追手の気配はなかった。俺達が首都を出ていった後すぐに、必死で追跡を開始したはずだと思うのだが、まだ風が運んでくる音の端にも引っかからない。
だからといって、順調だとは限らない。
まず、結構、耳に風を入れるのは疲れる。広い範囲を感知しようと思ったら、それだけ魔力も減る。考えなしにバンバン使える方法じゃない。大抵は大休止の際にピンを打つだけだから、大部分のわからない間に接近している可能性は残る。
こわいのは泳がされていた場合だ。早々に追いつくのも捜索するのも諦めて、最短距離で雪だるま式に兵数を増やしてから、待ち構えてかもしれない。向こうにも探知のできる人員がいて――俺より性能が良かった場合など、ありそうな話だ。
こうなると、突破力の問題が出てくる。俺達は全員騎兵だが、しかしながら、全員が軽装でもある。戦闘力だけを考えるとある種の槍が最も標準的な装備であるだろうが、武器は携行性に優れる剣、鎧は動きの阻害が少ない革製に統一されていた。兵隊同士の戦闘を想定されていないからだ。今回の場合は機動力の方が何倍も大事だ。
ばっさり切り捨てている。だから、衝突すれば、まず負ける。
また、魔法戦となった場合も同様に厳しい。
今回の作戦は、俺がエルフにだけは負けないという前提で成り立っている。それはイコール、エルフとの魔法戦も保証するものであり、裏を返せば、エルフ以外との魔法戦は保証できないということでもある。こちらの魔法戦力は二人。俺は論外で、姫様はメチャ強いが魔法が戦闘力に直結しているとは言い難く、アデナ先生の口ぶりから察するに、この国にもまだ格上がいるだろう。その気があれば確実にそいつをぶつけてくるだろうし(生け捕りともなれば尚更)、格下でもそこまで実力の離れていない相手なら二桁も揃えればお釣りがくる。やがて俺達二人が無力化された後にデニー隊の出番となるわけだが、訓練された魔法使いとそうでない者とでは戦いにならない。殺しの効率が段違いだ。殺人級からしてもう別格、倒壊級ともなれば、個人が戦闘装甲車や軍用飛行機のようなものだ。そんな相手に全員野球を考えるよりは、俺だけで時間を稼いでその間に姫様と逃げてもらった方がよっぽどいい。
エルフ圏へ入るまで、戦いは選択できない。
よって、威圧の効かない状態に向こうがなっていたらアウト。
第一、俺達は面倒を起こす気は満々でいるが、味方を傷つける気は毛頭ない。
大事なのは途中で捕まらないことであって、追いつかれないことではないしな。
さらにもう一度の補給をもって(普通だったので省略)、最後とした。
引き払われて廃墟と化した拠点の一つで一夜を明かしてから、当初の予定通り、俺が姫様に拾われた場所からさらに上流へ遡って問題の橋へと辿り着――く前に、やはり、騎兵の一団と遭遇した。
ゲームオーバー! 五十四騎×五小隊×二中隊=五百四十騎、サンドイッチする気満々の布陣。だめだこりゃ。
率いていた先頭の巨大な一騎が、少しばかり前へ進み出て声を張り上げる。
「お待ちしておりましたぞ、殿下!」
老いてなお壮健。その士官を表現するとしたらそんなところだろうか。縮むことを忘れたかのような凄まじいシルエットの体躯、堂々たる白髪と、これまた堂々と顔を覆う色の抜けた髭。おそらくもう少し前までは、このように小さな局面へ出張ってくることもないような、将帥と呼ばれるような人物だったのではないか、と俺は思った。
「出迎えご苦労。卿とまた会えて嬉しいわ」
勤め上げて重すぎるポストからは退いた結果、偶然にもこのような場に――いや、むしろ今回のように小さくても重要な局面が発生したからこそ、こうして前へ出てきたのか? どちらかはわからないが、とにかくデカいのが現れたことは確かだ。
「小官の申し上げたいことはわかりますな!」
おおう、いかにもお転婆娘を叱りに来た家来って感じだ。すげえ迫力。
「――押し通る! ……と言ったら?」
姫様も堂々としたもんだ。見た目は細いが、芯の図太さじゃ負けないぜ――なんて言ったら、怒られるか。
「その意気やよし! 今でも女にしておくのが惜しゅうございますな!」
あっ、差別的発言。しかも不敬な。
「しかしながら、果たしてそれだけの手勢で我が隊を突破できましょうや!? 小官は王陛下よりこの場にて殿下の身柄を確保するよう命じられております。万が一お怪我でもさせようものなら首が飛ぶことは必定! 悪戯に兵を失うのも性に合いませぬ! もしもまだそれができますならば、一戦交えるその前に、どうか、どうかお気を鎮め下され! 小官としてもそれが最善であると、信じて疑いありませぬ! それとも噂の道化師が、この壁を打ち壊すべく奇術でも披露して下さるか!」
「……それも面白いけれど、戯れはまた日を改めてもらうわ」
そう、ここからは遊戯じゃねえのさ。
既に、追跡ごっこは終わっているはずだ。
「卿でも嘘を言うのね。危うく騙されるところだったわ。私が気を鎮めることなどありえない。さりとて兵を失いたくないのはどちらも同じ――さて、父上が卿に下した命はそれだけではないはずよ。それもここで終わり。本作戦の副司令官として新しく命じます。速やかに本隊と合流し、」
~
ああ、いけない! 忘れるところでした。伝言を預かっていたのですわ。ええ、殿下が。窓から飛び出される前に。大事なことだから、と。ええと――何だったかしら。申し訳ありません、昔から物忘れが激しいものですから……でも頑張って思い出します。うーんうーんうーんうー、はい、思い出しました。大丈夫です。
マーレタリア軍四万が首都方面へ進軍を開始、但し経路は蛮族領通過の山脈越え、首都に集った三万を分けて挟撃すべし。メイヘム攻めの増員は一切不要。それが唯一つ残された橋――でしたっけ?
~
「マーレタリア軍を殲滅せよ。進軍経路の防衛、よく務めてくれました」
将軍は真顔になった。
そして次の瞬間にはもう――大声で豪快に笑い始めていた。
メイヘム奪還の準備はほとんど整っていたのだ。実行するには不安が残る最終出力、という点を除けば。ここで再び戦端を開くべきか否か。ヒューマン同盟の中で意見は真っ二つに分かれ、平行線を辿っていた。
あの時姫様が川の周辺をうろうろしていたのも、何度目になるかもわからない下見を行っていたからだ。そして、欠けていたパズルのピースを見つけた。俺だ。
その後のことは、もしかしたらあんたの方が詳しいかもしれない。
俺が必死こいてネタを考え出したり、躍起になって風をいじくり回していた間、ずっと会議は踊り続けていたのだ。姫様はその時間を最大限に使って、なんとか俺を使い物にしようと奮闘していたのだ。霞衆がタイムリミットを知らせるまで、ずっと。
自分と同じ慎重派だったはずの姫様に突如裏切られる形となった王様が驚くのも無理からぬ話だ……。だがこうして今、姫様の思い通りに事が運んでいる。
それでも、賭けには違いなかっただろう。
俺の信用を勝ち取ることから始めて、モチベーションの維持、宣伝、訓練、そして各方面への根回し、霞衆からの情報、父親に俺を引き合わせ、説得、囚われの身から解放されるに至るまで、決して偶然性が薄かったとは言えない。
姫様は俺の前でまったく表情を変えなかったわけではないが、しかし、最後まで――計画の全貌を俺に知らせるまで、薄氷の上を渡っていたことは悟らせなかった。
あなたの幸運がこれを可能にしたのよ、と姫様は言った。
そうとも、俺は幸運な男だ。しかしだな……。
ひとしきり笑った後、いくらか落ち着いた声になって老人は話し始めた。
「正解でございます、殿下。小官への勅令は上書きされておりました。一応、この橋を守っておけ、と。こうして精鋭の使い手を揃え、魔法戦にも備えはしましたが、まあ、何も起こりませなんだ。それと、最終確認もしてくるようにと――殿下の気が、本当に確かかどうか。確かならば、何もかもが真実となる、と陛下はおっしゃっておりました。本隊もじきにここへ到着するでしょう。小官はありのままをお伝えし、陛下と共にこの橋を渡る所存。どうぞ、殿下――安心して、お先へ。必ずやメイヘムを!」
将軍が後ろへ腕を向けると、二つの中隊は門のように開いていき、俺達が通るための空間を形作った。近くに寄ってみると、なるほど、こりゃあ勝負は御免被る。彼ら全員が魔法を使えるというのなら、どうか山の向こうで存分に役立ててくれ。今さら言うまでもないが、その方がきっと上手くいく。
こっちは俺と姫様で何とかするから。
すれ違いざま、姫様は将軍に言った。
「武運を」
「互いに」
そうして、俺達はエルフヘイムへ侵入した。




