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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第3章 国土回復へ向けてまず
21/212

3-1 ともあれ、このままだと滅びる

                   ~


 ゼニアは一つの確信を得た。

 フブキなら大抵のエルフは処理してしまえる、という確信である。

 しかし同時に一つの懸念も得た。

 それ以外のことはまるっきり駄目かもしれない、という懸念である。


 いや、さすがにまるっきりというのは語弊があるだろうか。

 今でさえ演芸と勉強会に精を出してもらっているのだ。少し前までは訓練も合わせて行っていた。それまで働いたことがないというフブキの(げん)を信じるならば、よくやっている方だと思うくらいだが……しかし、それと()()()は別の話だ。


 例えば第三勢力が現れたとして、その相手が人間なら、フブキはエルフに向けるのと同じような怒りを抱くことができるだろうか? ドワーフだったら?

 ゼニアにはわからなかった。

 あまりに未知数な部分が残っていて、なおかつ不安定なのだ。

 もしもフブキがエルフにしか対処できなかった場合、それ以外の障害を排除するのにまた別の人員が必要となってくる。もちろんしばらくのうちはある程度ゼニアがやるしかないが、いつか首が回らなくなるだろう。今は手元のカードが全てなのは仕方がないし、それで勝負もできる。だが、いつかは手札を増やす必要がある。


 フブキは今、一枚の紙を手にしている。――比喩ではなく、実際にゼニアの見ている前で手にしている。しかし他の観客も多く、距離が近いとまでは言えない。観客の中には父と姉も含まれている。


 それは原料から名前を取ってシアマブゼ紙と呼ばれている。


 シアマブゼについて、フブキは彼のいた国では()()と呼ばれる植物に非常に、かなり、ほとんど同一な気がするほど近い、と評した。試しにサンプルを取り寄せてみると、フブキはひどく微妙な顔をしてから一言、


「……違いますね」


 シアマブゼ紙の主な産地は西方二大国の一つ、ディーン皇国である。一応セーラムでもシアマブゼ紙はごく小規模に生産しているが、高品質なディーン製とは比べ物にならない。一方で、麻紙(まし)はそれなりの量を自国で確保することができている。やはりディーン製シアマブゼ紙と比べれば見劣りするものの、快適な事務作業や製本に支障はない。


 (あさ)はフブキのいた国にも存在したらしい。こちらに関する反応も少し妙で、彼は首都郊外における自生を知るなり、出来上がるものを全て教えてくれ、と言ってきた。


「いいですか、全部ですよ。全部ったら全部です」


 そこまで念を押されなくても答えるのに、とゼニアは思ったが、いつものように表面上は(いぶか)しむような素振りも見せず、つらつらと並べていった。それを聞き終わると、フブキはやはり微妙な顔をしてから、


「……そうですか」


 とだけ残した。ゼニアは詮索するかどうか迷ったが、今回はしないことに決めた。勘が嫌な方を当てるような気がした。


 フブキはいかにももったいぶったように紙の両端を()まんで、ひらひらと振ってみせる。それほどまでに薄い紙である。強度を保ちながらのこの柔軟性はディーン産シアマブゼ紙の中でも一握りの優良品に限られる。ディーンにおける貴族階級の邸宅では、細い木の枠を張り巡らせた引き戸のほぼ一面にこれを貼りつけるのがひとつのステイタスとなっており、採光性に優れる。


 そんなものをフブキは稽古の段階で十枚も犠牲にした。


 魔法で音量の上がった口笛は、何やら妖しげな雰囲気の曲を奏でている。リハーサルの際に聞いたところでは『オリーブの首飾り』と呼ばれる、フブキの国では奇術を披露する時に用いる定番の曲であるらしい。尤も、あまりに使い古されて今ではこの曲自体がジョークになってしまった、と彼は嘆いていたが。


 全員にわかるようひとしきり弄んだ後、フブキは紙を棒状に絞り始めた。それから先端を少し出した状態にして左手で握り、残りも右手でくるくると丸めて左拳に押し込んでしまった。それから、出ている部分をちぎって、服のポケットに入れた。軽く右手を振って、後には何も残ってないことを示してみせる。そのまま空いた人差し指を使って、魔法をかけるかのように――実際魔力も放出だけはしてみせて――左拳を注意深く()()()()何度も撫でた。

 いざ開かれてみると、そこには何もない。


 全員が納得できるような角度で見せるために、フブキは元よりも長くしたらしい曲を丁度終えるまで、もう二回続けてやってみせた。


 最後に、フブキはこう言った。


「さて――私は魔法など使っておりません。ふふふ、だってそうじゃないですか。風でどうしろっていうんです? では、この手妻(てづま)のタネがわかった方、いらっしゃいませんか。もし見事当てることができましたら、これを差し上げましょう」


 そして、先程までちぎった紙を仕舞い込んでいたポケットから、景品を取り出した。

 外で買ってきたという、今どき田舎の娘でも喜ばないのではないかと思わせるほどの実に安っぽい指輪だった。


「早い者勝ちですよ?」


 ゼニアはもう何度か見せてもらったから、どういうからくりなのかは知っている。順を追ってじっくり考えれば(おの)ずと確信も持てるようなことではあるが、すぐにとなると答えられる人間は限られるかもしれない。だが、この場合、早い者勝ちかどうかというよりは――誰も欲しがらない景品なのが問題だった。自信満々に取り出したフブキの姿は、意図された通り滑稽そのものである。


 そう、この出題()()()()が自信満々に演じられているのだ。だから、


 ようやく、一人のでっぷり太った商人風の男がためらいがちに手を挙げた。フブキは手で解答を促した。

 男は言った。


「その……指輪? は別にいらないが――丸めた段階でちぎったんじゃないのかね?」


 だから、いかにも自信満々で言ったように見えるからこそ、看破された時、より滑稽に映るのだ。フブキは不敵な笑みを崩し、けしかけた側が心配になるほどわざとらしく大袈裟に驚いてから、目に見えて狼狽し始めた。手を口に当て、見事正解した男から後ずさるようにして、


「ご、ご名答……!」


 と絞り出すように言った。方々で苦笑が起こる。

 最早、一部の層ではフブキが何をやっても面白おかしく見えるようであった。


「――いいでしょう。約束の品は差し上げます」

「いや、だから私は別に――」

「しかァし! こうも簡単に言い当てられては、私もすぐに引き下がれませぬ。無礼を承知で! もう一問だけ出題させていただきます!」


 この往生際の悪さが、一層愉快さを引き立てるのである。そうは思わない者でも、巻き込まれた男の戸惑いを見れば苦笑いが浮かぼうというものだ。


 フブキはぴんと立てた右手の人差し指に指輪をはめた。

 ただし、先端――第一関節の手前――へひっかけるように。


「正解すれば今度こそ! この指輪を差し上げましょお! いきますよ!」


 困惑する男を押し切るようにして、フブキは演じ始めた。彼はまず指輪をはめた右手の甲を見せつけるように前へ出した。人差し指は立てたままである。次に、左手で指輪を引き抜いてみせる――が、その左手を広げてみれば、何もない。


「ああっ! お渡しするはずの指輪が消えてしまいましたァ! これは困りました」

 

 それからフブキは左腕を水平に伸ばした。やはり人差し指を立てたままの右手がその後ろへと隠され――次に出てきた時には、元通り指にリングがひっかかっている。


 彼の後ろから笑い声が起こった。この手品のタネは後ろから見るとどういうことかよくわかるのである。

 フブキは()()()わざとらしく、驚いたように飛び上がった。慌てて振り向き、伸びたままの人差し指を口元まで持っていって、シー……と仕草で黙っているように伝える。


「さあ、どうです!?」


 男は少し考えてから、こう答えた。


「……袖に隠したのかとも思ったが――違うな。左手で引き抜いたんじゃなく、左手で壁を作っただけだ。その間に君は指を丸めて右手だけで指輪を引き抜き、握り込んだ。後はその逆をやればいいだけだ」


 フブキは本日二回目の大ショックを披露した。


                   ~


 それにしても憂鬱なのは、結局は何もかもが盗作である、ということだった。


「扉には赤い字で、『お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください』と書いてありました」


 この世界では誰も(とが)めないだろう。が――それと気が咎めるかどうかは別のことだ。

 尤も、こう考えられるのは心に余裕が出てきた証拠でもあるだろうから、気分としては実に複雑なものがある。


 今はもう会えぬ様々な人々の栄誉を守るべく、いちいち原典やその作者についての情報を説明するとしても、俺にはそれができるほどの時間は与えられていないし、どれだけ詳しく伝えたとしても、おそらく無駄骨に終わるのではないだろうか? 俺の客はそんなことを必要としていなければ、望んでもいないのだ――もしも薀蓄(うんちく)が実現したとして、それを忌避(きひ)される可能性まであるとは思わないか? それも、かなり高い可能性だ。


 俺は思い直して、『河童』は話さないことにしていた。冷静に検討してみると、あれは日本の現代文学という背景があるからこそ面白いのだ。河童達の政治的文化的哲学的な生活は、いかな貴族階級でもすんなり飲み込めるようなものではない。あまりに説明が多く必要だった。それで気が遠くなり、やめたのだ。


「『()()をここに置いてください。』」


 それで、代わりに『注文の多い料理店』である。

 これは特に憶えている文章の一つだった。というのも、俺はこれを母さんに読み聞かせてもらうのが好きだった――別にこれだけというわけではなく、他にもいろいろだ。だが、当時の俺にとって宮沢賢治は別格だったと思う。寝る前にねだる習慣があったから、おそらく五百回は読んでもらっているはずだ。幼少期の刷り込みと反復の精神はおそろしいもんだ。旅行先で騒がないように買い与えられた漫画の単行本を、見てる方がうんざりするくらい何度も読み返したりな。


「『壺の中のクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。』」


 勉強会にしたって同じだ。近頃、一部の学者は俺のことを、在野に隠れていた賢者の卵であるかの如く扱おうとしているが、俺のやっていることは、中学生が小学生相手に学校で習った内容を自慢して悦に入ることと同じだ。


 もし、今の俺をこの世界の()から見ることができる何者かがいたとすれば(特に日本人がいたとすれば)――一体、どのくらい深く俺のことを見下げ果てた奴だと考えるだろうか? 生き伸びるため、恩を返すためとはいえ――。どうか俺の方からそれを感知する術が無いことを願う。


 え? あんたかい? ……あんたは、その、なんていうか――違うじゃないか。


「『いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。』」


 しかし、差し当たって今、それよりもさらに憂鬱なのは――と考えながら、俺はちらりとガルデ・ルミノア王陛下を眺めやった。


「『いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあ中にお入りください。』」


 俺は気付いていた。

 あのおっさんは最初から拍手もしていたが、今まで一度も笑ってみせたことがない。




「それにしても、器用なものね」


 いつもの夜中の訪問だった。姫様は俺が丸めてしまった紙を手に取って伸ばしていた。


「いやあ、多分、姫様ならちょっと練習すればどれもすぐに身につきますよ」


 大学へ入る直前、交友関係の助けあるいは対策になるかもしれないと思い、ああいった手品をいくつか習得しておいたのだ。結局はほとんど役に立たなかった(一発芸を強要されるようなコミュニティに当たらなかった)が――今回、こういう形で日の目を見たのだから、わからないものだ。


「一部は予行ができないから危ういかとも思ったけど、上手くいってよかったわ」

「まあ、典型的な客いじりでしたからね。彼には悪いことをいたしました。あまり気にしていなければよいのですが」


 ああいう時こそ偽客(サクラ)の使いどころではないかという気もしたが、考えてみれば姫様がやった時は()()()()()ではなかった。それにやはり、関わる人数を増やして複雑になりすぎることを、俺も姫様もおそれていた。


「感謝するべきね、あの指輪をもらってくれたのだから。それで――あなたに予定が入ったのだけど」

「はい」


 俺は姿勢を正した。勘がそうしろと告げていた。姫様はそれを見届けてから、言った。


「父上が、あなたに褒美を与える、と。……三日後、謁見することになったわ」


 間を置いてから、俺は溜息をついた。


「まずは、理由をお聞かせください」

「それは、あなたが評価に値する色々なことを見せてくれたからよ」


 ほう、そうかい?


「――気が進まねえな。陛下は明らかに私を歓迎しておりませんが」

「そうね。私もそう思うわ」


 俺はベッドから立ち上がって、大きく伸びをしてから言った。


「……じゃあなんであの王様が俺に褒美なんて言い出すんだ? 何か妙なことを考えたに決まって、」

「私がそう言ったからよ」


 俺はベッドに座った。


「私が、そう、言ったからよ」


 なるほどね。姫様が、そう、言ったからか。王の娘の姫様が。


「納得いたしました。――次の段階、ですね」

「そうなるわね」


 安穏(あんのん)とした日々には、一旦別れを告げねばならないだろう。

 いよいよ、俺はそういう予感を得た。


「もちろん、この機会を利用するわ。そして、次があるとは思わないで頂戴」

「承知しております」


 仮にあったとしても、それはさらに高いハードルを越えた後のことだ。一体どれだけの時間がかかるやら――。大体、これから何をやるにしたって、次の機会なんてものが与えられるとは思えなかった。


「しかし、具体的にどうするのですか?」

「それをこれから相談するのよ」


 俺は欠伸(あくび)をひとつ噛み殺した。長い夜になりそうだった。


                   ~


 この頃、ゼニアの下へ霞衆(かすみしゅう)から一つの報告が届いていた。


 霞衆は非公式の(事実上の)諜報組織で――ゼニアが心の中で勝手にそう呼んでいる、実態の掴めない集団であった。しかし、彼らのもたらす情報によってゼニアは一度ならず暗殺者を撃退してきたし、よからぬ陰謀を潰す片棒も担いできた。彼らをアテにしたことはなかったが、彼らがどういうわけか他の有力者よりもゼニアを後押ししようとしているのは明らかだった。

 今回も、動いたのは無視できぬ情報が彼らによってもたらされたからであった。いずれこの情報は様々な経路で国中に知れ渡るところとなるだろう。しかし、おそらく一番に(おろ)されたのはゼニアであった。この時間差を利用しろ、と彼らは暗に言っているわけだ。


「では、やはり姫様は隠密と繋がりがあったのですか? ()通りに……」


 どこからその()を仕入れてきたのか、フブキはそう言った。ゼニアはこう答えた。


「三割当たり、というところかしらね」

「三割――」

「確かに私は隠密との繋がりがあるわ。それは事実。でも、ほとんど一方的なものなの。彼らがリークしたい情報だけが私のところへ漏れてくる。私自身は、何でもないわ」


 工作員でも、収集員でも、連絡員でも、何でもない。彼らがヒントを与え、ゼニアがそれに答える。後日、それが実ったか腐ったか、何かの折に初めてわかる――。


 正体を突き止めようと、考えなかったわけではない。しかし、当たり前のことだが素人であるゼニアが調べ上げられるような構造ではなかった。使われる連絡員は、女中、通りすがり、侵入者――等々、自分でも気づかずに情報を運び込んだか、あるいは情報を運ぶということ以外には何も知らされていない者だけである。それも、直接口頭で伝えるのではなく、暗号じみた書簡の運搬に限定されていた。もちろん、目を通したらすぐに燃やしてしまう旨が例外なく末尾に記されていたし、またそれは記されるまでもないことだった。初回だけ自動焼却のための魔法が施されていたことを、よく憶えている。


 それに、突き止めたところで自分にメリットがあるのか確信できない部分もあった。

 彼らがゼニアを利用しているからこそ良好な関係が保たれている、という可能性は大いにあった。


「それで、一体彼らは何を知らせてきたのです?」

「エルフが前線部隊を動かすわ。狙いは首都――対応の必要がある」


 確かなのは、彼らがエルフを利する気はさらさらないということだけだ。

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