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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第12章 引き裂かれる魂
179/212

12-17 行かない

                   ~


 これを実行するかどうか、マイエルは強く決心していたわけではなかった。

 だが、空に多数上がった道化師の偽者を見て、色々なことがどうでもよくなり、却って気持ちが固まった。


「――よし、準備はいいな? 行くぞ」


 外套に付いている頭巾を目深にかぶる。


 今、マイエルはボロフの市街地を離れていた。

 メリー・メランドの運搬魔法で、大軍同士のぶつかり合いを飛び越え、ヒューマン側の野営地付近に降り立ったのだ。メリーは黙って、音を消しながら慎重に進むマイエルの後に付いてくる。


 これは破壊工作の任務でも何でもなく、ただ単にマイエルの(そしてギルダの)わがままから出た行動だった。


 今日までに長く続いた小競り合いで、マーレタリア軍もヒューマンの捕虜を得ており、そこから引き出された情報はレギウスの存在を示唆するものだった。

 マイエル達は特に驚かずそれを受け入れた。これ以前の戦いでも、94番がレギウスを同行させているとの情報を幾度か掴んでいた。

 おそらく、自分がいかにエルフを殺したか間近で見せつけ、あるいは知らせて……精神的にレギウスを苛むのが94番の望みなのだろうと思われた。それか単に、厳しい戦いを前にして、鬱屈した感情の捌け口を手元に用意しているとも考えられた。


 どちらにせよ、そのような様子を想像する度、マイエルとギルダの胸は痛んだ。

 状況を掴んでいながらレギウスを救い出せない無力感にも打ちひしがれた。


 だが、それも今日で終わる。……はずである。


 ここでの戦いが決戦になるであろうことは、末端の兵士ですら概ね共通の認識を持っている。誰もが――エルフもヒューマンも、目の前の戦いに集中しており、他を気にする余裕などない。邪魔になるからと後方に置いてきた捕虜のことなど、戦っている間はきれいに忘れ去っているだろう。仮に警備の兵力が残されていたとしても、相当に手薄なことが予想された。


 その隙を突き、マイエルは速やかにレギウスを救出して帰還するつもりだ。


 メリーをこの私事に付き合わせるのは若干心苦しく、また戦力の面から見ても長い時間の拘束は望ましくない上、危険だ。しかし例えレギウスを見つけられても、マイエルだけで連れ出すのには困難が伴うだろう。侵入と脱出に際して面倒なことを無視できる彼女の協力は必須だった。

 考えたくないことだが、レギウスが歩けるかどうかすら、マイエルにはわからないのだ。今どうなっているのか、どうしているのか――。


 目的以外のことは忘れろ。

 マイエルはそう自分に言い聞かせる。


 そもそも、捕まったレギウスを取り戻すところからマイエルの戦いは始まったのだ。その目的を達せられる機会をみすみす逃したのでは、何のためにやってきたのかわからなくなる。極論、マイエルは戦争に勝つために行動してきたわけではないのだ。


 ここで本来の目的を優先できないのなら、どこでレギウスを助け出せるのか。


 どうせシンが94番を討てなければ全てはご破算であり、それを前提に動くしかないのだ。隣界隊だってギルダに任せられるならその方がよかった。


 マイエルは未だにヒューマンと何かやり取りするのが苦手だった。上手くいかないという意味ではなく、ただただ、気分が悪い。生理的なものだ。いくら言うことを聞くといっても、根本的にヒューマンと行動を共にすることに抵抗がある。


 隊をギルダが引き受けてくれるなら――押し付けられるなら――手の空いたマイエルが別の仕事をするのはごく自然なことだ。(いくさ)の展開に気を揉む必要もない。


 しばらく、ヒューマンの野営地を裏手へ回り込むようにして観察したが、踏んでいた通りに、留守番はごくわずかにしか用意されていなかった。


「これなら、見つからずにいけるかも」


 と、抑えた声でメリーが言う。


「ああ、それに手荒な真似もする必要がなさそうだ」

「どのみちそうなったら終わりでしょ」

「その通りだ。しかし外には隠れられそうな場所が少ないな……十分注意しないと、辿り着けそうにない」

「大体、本当にここにいるのかどうか……」

「いる」

「いたとしても、これ全部探すとなると……」


 さすがに数万という大軍の宿泊所となると、天幕の数も相応に膨れ上がる。

 これら全てを調べていては、時間がいくらあっても足りない。


「ある程度だが、野営地に何をどう配置するかは決まっているものだろう?」

「それはそうですけど……」


 毎度、行き当たりばったりで設営するわけもないし、かといって複数のパターンを全体に覚え込ませるのは難しい。エルフですらそうだ。同じことを繰り返させる方が圧倒的に楽である。決まった布陣、決まった撤収。長く行軍するなら尚更そうだ。


「レギウスがいつもどの位置に囚われているかは捕虜が吐いている。それにこんな状況下でも一応見張りはつけておくだろうから……それを探す」

「大丈夫かな……」

「行くぞ」


 レギウスはある意味94番のお気に入りであり、したがって他の捕虜と別に扱われているという想像はできた。()()()()で――待遇も、むしろ、一般的な捕虜よりいいかもしれない。隔離されている、という意味でだが。


 マイエル達は小走りに野営地へと侵入した。

 巡回の兵士が一人いたが、あまり勤勉な態度とは言えなかった。戦いに参加させてもらえないことへの不満ではなく、殺し合いを回避できたことへの安堵、気の緩みが見て取れた。それに、忍び込んで来るエルフなどありえないと思っているようだった。全て表情でわかった。


 通り過ぎるのを待ち、奥深くへと進む。

 外円部を抜けると、ヒューマンの気配はさらに減った。いても、暢気(のんき)に座って談笑しているような有様だ。


「他に誰もいねえから言うがよ……おれら運良かったよなあ」

「んだな」

「生きて帰れるべ」


 そういう場所は迂回し、やりすごすことができた。危険はなかった。


 途中、メリーが喜んだように、


「拍子抜けかも……」


 と言ったが、しかしその時、


「――静かに! 後ろから足音がしないか?」

「ええ……?」

「曲がってくる。隠れるぞ」

「どこに?」

「物陰に」

「無い!」

「じゃあ……中だ」


 一番近い天幕の中にメリーを引っ張り込む。息を殺す。


 マイエルの耳は正しく、二人分の足音が過ぎ去っていく。胸を撫で下ろす。


 安心し、ふと振り返ると――剣を持った片腕の兵士が、


「ぐっ!」


 振り下ろされた腕を押さえ、マイエルは腰の短剣を抜き放つ。切先は真っ直ぐに男の喉首へと伸び、深々と刺さる。返り血が顔にかかる。


 相手の身体から力が抜けるのがわかる。短剣から手を離し、地面へ兵士を倒す。悲鳴を上げられないように口を手で覆う。そのまま押さえ込む。押さえ込み続ける。首から噴き出た血が地面に染みていく。


 ――動かなくなったのを確認する。


「この方法は、思うほど安全ではないな」


 男に両腕が揃っていたら、力負けしていたかもしれない。


「怪我で待機していたのか……」

「同じようなのが近くにもいるなら、血の臭いで呼び寄せてしまうかも」

「君の言う通りだ、メリー。ここを離れよう。そして急ごう」


 どこかで自分達の立てる物音を聞かれているかもしれないと思うと、より一層行動は慎重になった。また何度か遠回りは強いられたが、情報のあった位置まで接近する。


「あれだろうか」


 見ればすぐにわかった。混乱を避けるため、天幕には記号の描かれた札が下がっていることが多いが、ここまで見慣れていたものとは別の柄で、しかも妙に多かった。


 確かに、見張りもついている。


「どうするの? 裏から近付いて殺す?」

「いや、もっと楽な方法がある」


 マイエルが取り出したものを見て、メリーが、


「それ何……?」

「吹き矢だ」


 携帯性に優れる。


「弾に痺れ薬と眠り薬が塗ってある」

「遠回りなんかしないでそれ使って進めばよかったのに」

「この種類の薬は貴重なものだ、手に入れるのに苦労したし、無駄撃ちできるような数じゃない」


 言い終えて、マイエルは矢を命中させた。

 いくつも数えないうちに見張りは昏倒する。


「強力……」

「さあ、手早く済ませるぞ」


 中にも見張りがいた時のことを考え、短剣を抜いてから踏み込む。


「――あれ?」

「……外れだ。これは備蓄庫だ」


 木箱と樽、袋が積まれているばかり。

 見張りは横領を防ぐためのものだったのだろう。


 レギウスを見つけたのは、その次の見張り付き天幕だった。


 最初、マイエルはその光景が信じられなかった。

 正直、踏み込んだ直後の一瞬は、また外したと思っていた。だが、じわじわと現実を受け入れるにつけ、ようやく、納得できないながらも、状況がわかった。


 まず、レギウスは五体満足のまま生かされていた。常にその状態だったとは思えないが、少なくとも今は、最後に別れた時のままだった。身綺麗ですらあった。


 それに、拘束を何も受けていなかった。手枷足枷はなく、檻に入れられているわけでもなく、柵に囲まれてもいない。ではこの天幕自体が劣悪な環境であるかというとそうでもなく、それこそ途中で入ったあの天幕と同じような内装で、つまり、普通だった。


 レギウスはおそらく、見張りがついている以外は、普通にここで寝起きして、ほとんど不自由なく過ごしているらしかった。今も、ベッドに寝転んで書を読んでいたところに踏み込んだのだ。


 予想より遥かに――ましな状態だった。

 あまりにまともすぎて、漠然と抱いていた悪い印象との齟齬に、マイエルは苦しみを感じた。覚悟が無駄になったとさえ思えた。どんなひどい状態で、どんな目を背けたくなる事実を突きつけられるのかと、身構えていたのが――間違いだったというのは、どうも、受け入れ難い屈辱のような味があった。


 レギウスは闖入者に少し驚くと、のっそり起き上がって、そして困惑しながら何度もマイエルとメリーを見比べた。それからやっと、


「何かと、思えば……懐かしい、顔だ……。そちらのお嬢さんは、どちら様か存じ上げないが……」


 どちらかと言えばマイエルの方が戸惑っているような気もしたが、レギウスの声を聞くと、さすがに感極まって涙が溢れた。


「そうだ、そうだよ……レギウス――この名を呼ぶのも久しぶりだ――私がわかるか、この私が、わかるか……?」

「マイエル、どうしてここに」

「そうだマイエルだよ、私だ、マイエルだ! 助けに来たんだ、レギウス、お前を!」

「そういうことか……。いや、そりゃそうか……」


 気が抜けたように、レギウスはベッドに座り込んだ。


「やっと、やっとだ――。話したいことが沢山あるが、ぐずぐずしてはいられない。全てはここを脱出してからだ。さあ、行くぞレギウス!」


 レギウスは短く溜め息をつき、


「ちょっと待ってくれ、驚いてるんだ俺は。落ち着かせてくれ」

「そうか……? いや、まあ、確かにこうして会えた以上、そこまで急ぐこともないか……? 紹介が遅れたが、彼女はメリー・メランド。運搬魔法家だ。だからすぐにでもここを離れられる」

「なるほどな」


 感心したようにレギウスは頷く。


「わかったら、もう行こう。実はここへ来るまでに一回殺している。誰かが気付かないとも限らない。彼女は腕がいいから、持って行きたいものがあれば悩むこともない――早く帰ろう。ギルダも待ってる」

「ああ、知ってるよ」


 それが全く気のないふうに聞こえたのは、錯覚ではないらしかった。


 何かがおかしい、とマイエルは思った。


 レギウスは、慌てていいはずだ。

 向こうから、すぐに連れ出してくれと言ってくるくらいで丁度いいはずではないか?


 どうしてこのように動かないのか。

 何故、落ち着かせてくれという割には、既に落ち着き払っているのか。


 何かが――。


「レギウス、行こう。――行こう……!」


 レギウスは、マイエルの目をしっかりと見て言った。


「俺は行かない」


 メリーがマイエルの方を見たのがわかった。だがマイエルは身動きできなかった。


「俺は行かない」


 レギウスは確実に、はっきりと――間違いなく、もう一度そう言った。

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