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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第12章 引き裂かれる魂
175/212

12-13 崩壊する戦線

                    ~


 隊に戻ったゼニアは再び騎馬の移動速度を手に入れたが、空を行くナルミ・シンに到底追いつけるものではなかった。

 それどころか、息を吹き返したかのように統率を取り戻した敵集団の足止めをすら食らっている有様であった。


 陣形を乱して押し潰されるばかりだったはずのエルフ達は、もう包囲を突破するために固まろうなどとはしない。むしろヒューマン同盟軍を鏖殺(おうさつ)する内側の蓋となるべく、逆に包囲へ合わせた輪になるべく広がりを見せていた。


 それでいて隣界隊に回すだけの魔法戦力を捻出しているのだから、これはもう外側からの伏兵の存在は、伝えるまでもなく味方の知るところとなっているのは明らかであった。同盟軍の勢いが弱まっていなければ、このような抵抗が許されるはずはない。


 無視できぬ被害を出すほどに手間取り、突破して本隊への合流が叶った頃には、ヒューマンの軍団は完全に身動きを封じられていた。


 外側から押し付けられた蓋は、内側のそれよりも遥かに多くの戦力で構築されているらしかった。それはどちらも薄い板のようだったが、隙間を徹底的に詰められており、攻め手の背後を突かれたということもあって、味方の軍は未だ満足な方向転換すら実現できていなかった。いや――仮にそれが成ったとしても、首尾よくこの挟み撃ちを脱出することが可能なのかどうか……。


 もし自由に俯瞰できる視界を持っていたとしたら、ゼニアは自分でその目を潰すかもしれないと考えた。どれほど悲惨な戦況になっているか、想像するだけで神経に異常をきたしそうだった。ゼニアは本能的に父との再会を望んだが、狼狽した味方が行く手を阻んでいて、どれだけ急いだとしても王が致死的な危険に曝されるのは避けられそうにない。


 悪夢だった。

 目の当たりにすると実感が湧いてきた。

 ただでさえ詰まっている道が、瞬きする(あいだ)に狭くなっていく。

 軍団同士の繋がりが途切れるのも時間の問題だ。


 何故、これほど無様なことになってしまったのか。

 どうしようもないので無理に道を切り拓きながら、ゼニアはぼんやりと考えた。


 マーレタリアが勝ち取った土地を全て手放し続けたのも、元あった森への侵攻を許したのも、全てここに繋げるためだったからか。その執念――知略というよりは、それほどの出血を強いてなお機能する、国あるいは民族の忍耐強さ。衰えたはずの軍を掌握し、弛めることなく完璧に兵を伏せさせたディーダの強権。


 無意識にヒューマンは、あれほど辛酸を舐めさせられたエルフを侮っていたのだろうか? 久しく忘れていた勝利の味わいが続き、舌が痺れてしまっていたのか? あと一歩のところで、足元を見忘れた?


 こうもあっさりと策略へ乗せられるとは――いや、敵にしてみれば、そうでもないのか。ここまでに周到な用意があって、こちらは対策を怠ったのだ。


 防げたのか? 気をつけたとして? 隠蔽されたこの作戦を暴けた?

 第一、伏兵の存在がわかっていたとして、エルフはゼニア達を逃がしたろうか――?


 フブキはどこにいるのか。

 敵の召喚魔法使いを処理できたのか?


 今となっては、それは余計な一手だったのかもしれなかった。例え成功していたとしても。この状況へ間髪入れず対応できなくなったのは痛すぎる。結果的に寄り道だ。いや寄り道なのはわかっていたが、()()になってしまっている。ゼニアがジェリー・ディーダを狙って動いたのも同じだ。そこに時間を使うべきではなかった。


 ジュンは? ――考えてみれば、ゼニアの方から働きかけて、分けた隊を一つにまとめ直すべきだったのか? 運良く父のいるところに辿り着けたとしても、ゼニア側の兵力では数が――いや数が多くなるとさらに身動きが取れないのか?


 どうすべきだったのか?

 ゼニア達は、戦いのためになることをしていたのではなかったのか?

 いたずらに時間を浪費しただけだったのか?


 街の大通り――遠くにようやく、父王の存在を示す旗印が見えた。

 空から攻撃を加えられている。石の雨だ。親衛隊でも凌ぎ切れるかわからない豪雨。

 降らせているのは、やはりシン。食い止めようとするこちらの航空戦力を片手間で対処している。唐突に虚空へ水の幕を出現させ、勢い余って突っ込んだ対象を凍らせている。落下先も計算して、同盟軍に被害の及ぶ角度をつけられていた。


 ゼニアは味方の兵をさらにかきわけるようにして、愛馬マウジーを急がせる。

 だが、それより先に、同盟軍の守りが破綻した。堤防決壊の如く、前方視界に入っていた友軍が瞬く間にエルフの波へ飲み込まれた。足の踏み場もないはずであるのに、地面が赤く染まったのがよくわかった。


 これが局地的なことであるのか、戦場全体のことであるのかも、もう確かめている暇がない。後ろから隊の者がきちんとついてきているのかも判然としない。

 王は混沌の先にいて、ゼニアは自らそこへ入って行かねばならなかった。

 最早、それしか立て直すための道はないように思えた。この窮地から父を救い出し、共に包囲を突破、軍を再編する以外に戦闘継続の手続きはありえない。それができない場合、戦いは成立しなくなる。同盟軍はこの地で大敗する。


 石の雨が止んだ。

 ナルミ・シンはその体躯に似合わない大剣を魔法で生成し、担いだ。範囲で攻撃しても耐える相手を、最後に一人ずつ倒していくつもりだろう。一気に急降下し――躊躇いもなく、地上の誰かに衝突する。対応した断末魔がはっきりと聞こえた。着地せず上昇で離脱している。滴る血が尾を引き、それを振り払うようにしてからふと――視線がこちらに向けられる。ゼニアは、はっきりと見られたのを感じた。


 巨大な切先(きっさき)で指し示されてから一拍の猶予があり、ゼニアの左足首から下と、マウジーの左前脚の付け根に深い切れ込みが入った。


 激痛より先に、ぐらつきが訪れる。前のめりになる形でマウジーは体勢を崩し、その衝撃が前脚部と胴体とを完全に千切って切り離した。ゼニアが咄嗟に魔法で馬の手当てをしようとした時には、最早、大きく空中へ放り出された後だった。


 辛うじて、着地は無傷の右足から行ったものの、左足の裂傷を庇ったために接地点を増やして横転せざるをえなくなる。反射的に傷は()()、立ち上がったが――ゼニアは愛馬の傷も同じく元通りにして引き起こす時間を、今は惜しく思った。まさに父は襲撃を受けている最中で一瞬一瞬が争われるし、ここまで距離を詰めたら、後はもう自分の足で走っても大差ない。


 天秤が必要だった。今この時ばかりは、マウジーには泣いてもらう。

 心の中で素早い帰還を誓い、振り返らずに前進を始める。


 落馬したことで視点は低くなった。

 何十匹、いや何百匹かもしれないエルフを斬り伏せながら、ゼニアは駆ける。

 石畳ごと掘り返された土が、血液に着色されて舞い上がっているのが奥に見える。

 得体の知れない閃光がそれをさらに塗り潰す。


 どう隕鉄の剣を動かしたかなど、気に留めていられなくなる。吼える。


「じゃ、邪魔だ、どけッ――!」


 自分のではない、重い剣戟の響きが父王の抵抗を物語る。

 魔法の才には恵まれなかったが、身体操術と剣の腕は未だ錆びついていないことをゼニアは知っている。例え槍を降らされても身は守れるはずだ。


 しかし、しかし――相手は、尋常の使い手ではない……。


 壁になったような肉の塊が急に途切れ、視界が開ける。


 その周囲だけ、誰も寄りつくことができなかったのだろうと思われた。

 父王も既に馬は失っていた。片腕が張り裂けていたが、それでも残った腕一本で長剣をしっかりと握り、異界からの襲撃者を睨みつけていた。


 ナルミ・シンが刀身に炎を纏わせ、扇のように前方を薙ぎ払う。父王は這うようにしてそれを掻い潜ると、背中を目一杯反らして、渾身の一撃を振り下ろした。シンはそれを受ける。受けるが、父王の長剣は対手の分厚い刀身に半分以上もめり込んでおり、融合したような格好になった。互いに得物を捨てた。


 ゼニアが、もう少しで、間合いに、シンを、入れられる――ところで、


 決着がついた。

 父王はその場で拳の突きを放った。到底届くような距離ではなかったが、勢いに押され、巻き込まれた空気が――ナルミ・シンの左胸を穿ち、貫通した。

 同時に、シンは傍らに異常成長させた薔薇の花から数本を抜き取って投擲していた。そしてそれは、父王の右目と腹部に刺突する形で命中していた。


 ようやく届いたゼニアの剣の先端は、弧を描いてシンの額に斜めの傷を描こうとしたが、狙いよりも遥かに上、(うえ)(うえ)、何もないところを切り裂いた。足元の地面が丁寧にも真四角に成形された状態で垂直に隆起し、塔のように伸びていた。

 不意に空へ運ばれたゼニアはもちろんすぐにその足場から飛び降りたが、その途中、父王に刺さった薔薇が爆ぜたのを目撃した。


 冗談のような威力だった。


 迷った。

 父の頭蓋は半分以上が破損し、おそらく脳塊と思われるものが四散しており、胴体も二つに分かれた状態で、はらわたが千切れ飛んでいた。――即死に見えた。


 ゼニアは死者を現世に戻すことはできない。

 多分、この世で唯一、引き裂かれた魂だけは、どうあっても不可逆の存在だからだとゼニアは考えている。経験から――それは消滅し、魔法の効力のとっかかりを残さないとわかっている。


 であるから、父に駆け寄って魔法を行使することは、最早有効な時間の使い方とは言えず、従って、それよりも、するべきは……引き続きの交戦。


 ただ、父の身体の破損はまだ、即死級に見えたというだけで、ほんの瞬間の出来事であるので――もしかすると、奇跡的に、死が()()していない可能性は残されている。

 そういう状態であるならば、ゼニアは父を戻せる。


 一方で、現在、とても神経が鋭敏になっており、肉体も衝動に満ち溢れている。

 父やフブキがおそらくその境地に至っているように、心を読むというナルミ・シンの魔法に対して、対処させないような水準の攻撃を仕掛けることができるなら、全てを後回しにして、まずは仇をとり終えるのが合理的だろう。


 どちらか。

 どちらが先か?

 既に間違えてしまった後だ――ここでも間違えたくはない。


 ゼニアの思考は、父は既に絶命した、という判断を下した。

 そこでシンを殺すべく動き出したが、次に気が付いた時、剣を鞘に収めて、まったく反対方向に駆けている自分を発見した。


 驚きは大きくなかった――情けなくて涙が出た。


「ちち、う――お父、様ッ……!」


 万に一つもないが、十万に一つ、百万に一つの可能性ならどうか?


 馬鹿げている。


 それに縋らざるをえない自分が馬鹿げているのだ。


 近付けば近付くほど、父が死んでいることがわかる。

 光を失った虚ろな瞳が、こちらを見るために動いたのではないかという錯覚がある。


 ありったけの魔力を込めて、父を包み込む。

 魔法の作用はあった。父の肉体は元に戻された。――肉体だけが。


「お父様! 起きて、起きて下さい! 私を置いていかないでお父様までェ……!」


 どれだけ揺すっても、もう目を覚ますことはない。それはわかっているのだが。


「私とお姉様だけ残ってどうするの……?」


 嗚咽が溢れ出て押さえることができず、ゼニアは戦の最中であるにも関わらず、悲しみに暮れた。


 またこれが長く続くかと思われたが――不思議と、早くに治まった。


 父の死が他の家族と比べて重みに欠けたのではない。

 これまでと違うのは、既にゼニアは戦士だということだ。一度、ここで無理にでも切り離しておかなければ――生き残ることができない。


 代わりに、この隙に付け込もうとしない、あの異界人は何なのかという疑問が、ふつふつと湧き上がってきた。周りのエルフだって、皆他の相手と戦っている。


 ゆっくりと――振り返って、ゼニアはシンを見た。

 その男は先回りしてゼニアの疑問に答えた。


「傷を治す時間が欲しかった。オレはマイエルさんやギルダのように上手くない」


 胸に空いていたはずの穴はほぼ塞がっていた。口腔に逆流してきた血を吐き出すと、うずくまっていたシンは立ち上がるまでに回復していた。


「それに、あなたの隙を突いても、相当の実力者じゃないとやりかえされるよ。無駄な犠牲を出すくらいなら――まあ、少し誘導してあげただけだよ。全員に効くほど強力にはやってないけど……ここはオレとあなたで戦う雰囲気にはなってるしね」

「殺す」

「そういうわけにはい」


 頬を深々と切り裂いたために、シンの台詞は遮られた。

 すぐに治癒されるが構わない。


 ゼニアのステップに遅れて、地面から杭が発生する。速度は出せているようだ。

 どのような魔法が使えようが、こちらを捉えられなければ意味はない。


 いつもとは違い、あまり考えないようにもしていた。直感的な戦いの方が効果が出るのだろうし、読み合いながらやる気分でもなかった。なんとなく放ったナイフがシンの離陸を阻止する結果となる。飛ばれると手が限られすぎるので、地上に縛り付けたい。


 ゼニアは魔力を引き伸ばした。シンに被せるよう動かす。


「ここまで広げられるのか……!」


 だが動かす先自体は悟られてしまうためか、逃げられないにしろ、捕まえることもできない。この都市全てが私の魔力に沈めばいいのに、とゼニアは思った。現実はせいぜいが一区画を呑み込める程度だろう。


「これは……余計なタスクは捨てないと駄目か……」


 再び、ゼニアを狙っている外野の気配が増えた。構っていられない。

 シンを追いながら、魔力のヴェールを両手で広げ続ける。


 後ろから、おそらく三匹が仕掛けてくるが、目はシンを追うので精一杯である。

 ヴェールを片手に任せて、空いた方の手で後ろに魔力を放出する。ゼニアはそれを見ることはなかったが、魔法を浴びせられた対象は少年時代に戻され、胎児を経て、さらにその前の段階に至った後、消えた。


「……そ、んなバカなこと、あるのか……」


 シンが捕まらない。ゼニアに恐怖を抱いている様子だが、それが却って――逃げの手に力を与えているような気配がある。


 あまりに考えなしに使ったので、魔力がもう、底をつきようとしていた。

 それでも緩める選択肢はなかった。理性があまり仕事をしておらず、出し切れという命令が通っている状態だった。


 尽きた。


「結構危なかったけど……さすがにもたないよな……」


 ゼニアの魔力から逃れたシンが、上空へと舞い上がる。


 そこに、口笛の短いフレーズが、増幅されて響き渡った。

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