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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第2章 旋風色の道化師
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2-9 修業パートは必要だろう

 そう、一ヶ月。それがアデナ・グラフィスと交わされた約束だった。多忙な姫様の代わりに、俺に武の何たるかを伝授してくれるということらしい。

 とはいっても、付け焼刃なのは避けようもないため、科目は絞って行われる。即ち、剣術、乗馬、魔法、この三つである。

 多すぎるって? まあな。

 しかし、俺としちゃ、本音を言えば三日くらいでなんとかして欲しいところなんだ。


 姫様に拾われてからどれだけの時間が経ったと思ってる? いくら俺が救いようのない馬鹿でも、この世界の回り方がゆっくりでも、あのエルフ達がそろそろ不始末の責任を取りにやってくるんじゃないかってことを、考えずにはいられない。

 俺はこの国で長く暮らしていないから実感はないが、向こうの方が圧倒的に力を持っていることは確かなわけで、奴隷が逃げたなんてくだらないイベントが理由でも、前線付近での出来事なら、それにかこつけて攻めの気運が高まるということもあるだろう。いつまでも平穏に過ごせるような状況じゃない。やられる前に、やりたいところだ。


 まあ、贅沢ばかりも言っていられまい。本当なら百回()()()()したって不可能なはずだったことだ。伸びしろがあると思ってくれるだけ有情だと思わにゃあな……。




 彼女の略歴について話そう。


 戦場に()()した当初、彼女は俺と同じく、()()()アデナだった。彼女はどこの組織にも所属していない、個人事業的傭兵だった(()()()()()()()というのが彼女の言い草だが、忠実に引用する必要を感じない)。もちろん、実際には様々な方面との提携があり、彼女はその中で結果を出していった。詳細は面倒なので端折(はしょ)る。それが()()()結果だった、ということだけわかっていればいいわけだからな、俺もあんたも。エルフをたくさん殺したという点だけ見習っておけばいい。

 アデナは出張先で出会った道楽的雑貨商と結婚したが、それはあまり重要じゃないかな。ただのアデナがアデナ・グラフィスになっただけのことだ。大恋愛だったかどうかなんざ聞いてないっつーのに……最初はお互いに嫌い合っていたということも。

 ああ、そういえば彼女が右腕を失ったのはこの頃である。エルフの層の厚さがついにそのような事態を招いたのだ。腕の喪失自体は自身の念動力を義手へ利用することによってある程度の解決をみたが、戦闘能力の低下を免れることまではできず、幸せの絶頂ということもあって、彼女は自分の仕事に対するモチベーションを失った。

 そんなわけで家庭に入ったアデナは、依然として強い需要があったにも関わらず、前線から完全に退いた。ただ、セーラムの、しかも首都近郊に住んでいたのは変わらなかったため、国からの要請は苛烈を極めた。このままでは新婚生活もままならんと考えた彼女は、渋々、魔法の素質を持った者を主な対象とした小規模な育成施設を作った。通称、アデナ学校である。入校者の選定から活動の方針まで、ほとんどが彼女のワンマン経営であったが、それでもこれ以上は望めまいと思われるような優良な人材を多数輩出したために、誰も文句を挟むことはできなかったという。

 以降、彼女は時代が推移してルミノア家の男子を育て終えるまで、人材の育成に努めた。その頃には衰えも無視できぬものとなり、彼女は今度こそ引退した。慢性的な不平不満を垂れ流しながらもそこまで続いたのは、彼女に子がいなかったからかもしれない。夫には流行り病で先立たれていた。彼女の余生は――それまでもそうではあったが――最愛の人が残したガラクタと、身の丈にあった家を保存することに費やされた。


 最後の生徒、ゼニア・ルミノアがその門を叩くまでは。




 こう聞けば、ごく個人的なレクチャーが非常に高価なものであると理解できる。

 できるのだが……。


「その刺青、結構かわいいわね」

「はあ、どうも……」

「もっと喜びなさいよ。褒め甲斐のない子ね」


 城には練兵場が併設されていて、そこまで大規模なものではないが立派に機能していた。近衛兵や士官候補の一部を育成するのに使われているらしい。外の一画を借りて、俺はアデナ女史と向かい合っていた。


「まず、ワタシのことは必ず先生をつけて呼ぶこと。いいわね?」


 アデナ先生と向かい合っていた。


「はい、アデナ先生」


 既にむくつけき男達の一団が教官に率いられ、俺が彼女を待っていた(待たされていた)間も延々と運動場を周回していた。アデナ先生はそちらの方を一瞥し、


「ま、確かに彼らと一緒くたにはできないでしょうけどね……あの子も過保護なものだわ。それだけワタシの気も重くなるし……」

「お世話になります」


 運動は苦手だ。

 とかく、子供の頃から苦手だった。

 単に優れた身体能力を持たなかったから、あるいは育てられなかった育てる気がなかったからということもあるが、運動に()()()()()というやつが、絶望的なまでに肌に合わなかったのだ。誤解を承知でこういう言い方をするが、せめてあの国で体育に関わる人間の過半数が健全であれば、もう少しでも俺のような奴は減らせただろう。だが、()()()()はアレルギー性だということを、彼らは理解できまい。


 そんなことはどうでもいい。

 一ヶ月でせめてエルフの下っ端とでも戦える武力が練成できるのかどうか、そこが重要なわけだが、正直なところ、いくら目の前の婆さんが有能だとしても俺を仕上げることができるかどうかは(はなは)だ疑問だった。だからやる意味がないとかトライする意欲がわかないということではなく、単に……どうすればそんなことができるのか、俺は自分でじっくりと考えてみて、答えが出なかったのだ。


 アデナ先生は訓練兵達を指差して言った。


「じゃあ、まずはあれと同じことをしてもらおうかしら」


 俺は頷いた。基礎体力は必要だろう。PT、PT、Physical Trainingだ。それをやっている時間が本当にあればの話だが。


「何周ですか?」

「何周、ですって? ワタシがいいと言うまで続けてもらうに決まっているでしょう?」


 相変わらずの穏やかな言い方だった。

 それがどれくらいの長さなのかを、俺は彼女の評判と自分が受けた洗礼から計算してみようとしたが、上手くいかなかった。


「それとも、五百周と言って欲しい?」


 少なくともそこまではやらされないということに、安心するべきだろうか?


「あなたが実際どのくらい動けるのかわからないことには、こちらもメニューを組めないの。今日は測定だけよ。今日で測定を()()終えなければならないのよ、()()()譲ってね。ワタシがどれだけ頭を絞ってこの妥協点を見つけたか、あなたに説明しても理解してもらえそうにないのが残念だわ。やって」


 俺は走った。走ったし、言われたことはなんでもやった。彼女は非情ではなかった。演技ではなく足が動かないとわかればすぐにもういいと言ったし、再び動けるようになるまで休憩も挟んでくれた。それで腕立て、腹筋、スクワット、その他諸々、一通りを、やれるところまでやることになった。といっても、俺は運動らしい運動は中学生の頃にやめてしまっていた。憶えているのは三年の初めにバドミントン部を去り、雑誌に載っていた筋トレとストレッチを試してみたことだけだ。それからはもうずっと何も……いや、警察の二次試験対策にやはり一ヶ月ほどあれこれとやったこともあったが、試験の内容自体が体力測定というよりは単に健康体であるかどうかを調べるためだけのものだったから、多分やらなくても結果は同じことだっただろう。

 そんな感じだ。つまり、ヘボってことさ。


 次は剣だった。一応、奴隷だった頃に触ったことがあるわけだが、我流を開発する余裕もないうちにそこを去ってしまったから、未経験と大して変わらない。それでもアデナ先生は「とりあえず振ってみて」と言った。俺は戸惑ったが、とにかく先生はそれが見たいらしかった。俺の()()は姫様から聞き及んでいるようで、元いた世界のでも何でもいいから、剣術の片鱗を確認したいとのことだった。しかし俺は自分が住んでいた国の剣術にすら明るくなかった(体育では痛くなさそうという理由で柔道を選択した)。西洋のものとなれば尚更である。実際、この真っ直ぐな道具の正しい持ち方さえもよくわからないのだった。様々に角度を変えながら振ってみるのだが、どれも同じような気がした。

 無益と思われる十数分が続き、これでは埒が明かないということで、ひたすら先生に斬りかかり続ける形式へと変わった。とりあえず魔法なしで。

 アデナ先生はヨボヨボじゃない。腰は曲がっていないし背筋もしゃんとしている。だが老人は老人だ。しかも片腕がない。()()()()でというのはそういう意味だ。俺は重りを付けた片腕の婆さんに手も足も出なかった。驚きはしない。彼女はずっとプロだったのだ。耄碌(もうろく)していたとしても俺に後れをとるということはないだろう。ただ、この人にも全盛期というものがあって、腕が奪われたのはその当時であるという事実に、越えなければならない壁の高さを感じずにはいられなかった。しかも、高いということしかわからないくらいの高さだ。


 馬にも乗った。

 嘘だ。乗ろうとした。

 簡単じゃないということはわかっていたつもりだったが、ここまで難しいとも思っていなかった。特に馬術については最初の失敗に加えて絶対必要になるとわかったこともあって、書物による予習もしてはいた。だが、大抵の場合そうなのだが、実際にやってみなければわからないことが多すぎる。それはほとんどが感覚によるもので、そして、俺の感覚だけでなく馬の感覚もあるというのが厄介だった。自動車とはワケが違う。危うく怪我をするところだった! それでも姫様に戻してもらえるという前提があるから多少は冷静でいられたが、そうじゃなければパニックでひどいことになっていたかもしれないと思うと、つくづく自分が幸運の上に成り立っていると感じる。大体、怪我というのはすぐに治ろうが嫌なものだ。ほんとに。


 恐ろしいのは、何が起ころうとも表面上は穏やかであろうと思われたアデナ先生から、徐々に笑みが消え失せていくことだった。

 彼女は二日目からは、遅れずにやってくるようになった。――初日より早い時間であったにもかかわらず。




 省略。一週間が経とうとしていた。


「調子はどう?」


 俺はわざとらしく姫様を恨めしそうに見てから、言った。


「……あのばーさんには参るよ」

「でしょうね」


 しかし一番参るのは、自分自身の情けなさだった。これでもう四分の一を消化したわけだが、進歩らしい進歩は一向に見られない。強いて言えば馬を歩かせることができるようになったくらいか。しかも、魔法は測定すらしていないまま手つかずだ。朝から晩までみっちり活動しているはずなのにこの体たらくだった。

 他のことを考える余裕などほとんど残らない。残らないのに、俺は週の中日にもう一度大勢の前で芸を披露しなければならなかった。客はこの城から去っていなかった。そして、噂によるとどうもその多くはしばらく滞在を続ける予定で、さらに、増えるらしかった。

 いよいよキナ臭くなってきたというわけだ。タイムリミットは近い。どちらから仕掛けるにせよ……。

 果たして本当に間に合わせられるのか? ここのところ、そればかりを考えている。


「でも、必要なことだわ」

「ええ、承知しておりますとも」


 姫様が部屋に来たのは、明日は俺の訓練も休みであることを知っているからだろう。まあ、俺のためではなく、アデナ先生のための休みなのだが。こちらとしては焦りが増すばかりだ。頭でも身体でも休息が必要なことはわかりきっている。気持ちだけが先行してはいるのだが、実際には書物を読む気力も残らず、戻ってくればパタリと眠り込むばかりの毎日だった。今考えれば、よくそんな状態でのこのこと衆人環境に出ていったもんだ。結果として道化師としてろくに()()()()()()もないとは! ジャグリングを失敗しなかったのは奇跡と言えよう。


「……私は、本当に貴女様のお役に立てるのでしょうか。ほんの、少しでも」

「そうならなければ、私は大損ね。あなた、もう少し悩みを減らした方がいいと思うわ」

「あと三週間です。私が案じているのは、それまでに自分を間に合わせられるかどうかよりも、それまでに()()()()しまうかどうかなのです」

「……何を根拠にそう言えるの」

「来週も私に出番がある。それが根拠です」

「それだけ?」

「このお城は賑やかになっていて、それが続いているということです。まさか本当に親睦を深めるためだけに彼らが集まってきているわけではないでしょう? ここにきて私はまたとないチャンスを手にしている。私と、貴女様は。その場にいなくたって、私には()()が何の話をしているのかわかりますよ。この国が今抱えている問題といったら、一つっきゃないわけなんですから――」


 姫様はそっけなく言った。


「心配しなくても、まだ始まりはしないわ。少なくとも私達が求めるような戦いは」

「――本当に? 本当にそうなのですか?」

「確かに、()()()()()()()はもうとっくに始まっているけれど、それは然るべき人員に任せておくべきね。まだ、私達の出る幕じゃない」

「そうですか……」


 それでいくらか気を収めようとしたが、どうにも上手くいかない。


「しかし私は、戦争はそもそも計算できる類のものではないと考えています」

「そんなことはないはずよ。ある程度の部分までは計算できる。だから勝算と言うのではないかしら」

「では、残りの部分は?」

「もちろん計算などできないわ。いくら企んでもね」

「それじゃあ……!」


 姫様は俺に人差し指を立てて見せた。黙らざるをえなかった。


「論じても仕方のないことでしょう、フブキ。あなたはもっと自分の課題に集中するべきよ。自分の話に説得力を持たせたければ、まだ出来ることがあるはず」


 もちろん、今回も姫様の言い分に理があった。

 脅威が俺の感知できないルートで今も追ってきているというのは、ただの妄想に過ぎない。そして多分、妄想のままに終わるだろう。わかっているのだが、俺が感じているこの圧力は、どこに逃がすべきなのか?

 姫様がこうして大した用事がなくても定期的に訪問してくれるのは、俺のガス抜きを兼ねているからじゃないのか、と時々思う。彼女を見ていると、俺は何かを話さなければいけないような気になる。あんたにもそんなことあるだろう? 自分がひたすら話している時の方が、楽チンで、楽しく感じる。そんなことが。


「――前にいた世界でも、戦争はたくさんあったよ。俺の生きているうちにも何度か起こった。俺の国が戦場になることはなかったが、飼い主みてえな国や近場の国は戦争をやりたがった。びっくりするような理由でな。みんなこう思ったもんさ、戦争は地震みたいなもんだ、ってな」


 俺は話を蒸し返そうとしていた。しかし、姫様は付き合う気があるようだった。

 彼女は語る俺に疑問を(てい)した。


「急に起こるものだから?」

「……いや、地震みたいな、一種の皺寄せが戦争の原因なんじゃないかって考え方さ」

「――ちょっと待って、よくわからないわ。どうして地震が皺寄せなの?」

「いや、だから、こう、プレートとプレートのズレが起こるまでを皺に見立ててだな、」

「プレート?」


 俺は姫様に表情があることに気付いた。

 まずいことを言ってしまったと思っても、それは後の祭りだった。

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