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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第2章 旋風色の道化師
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2-6 夜風の口笛吹き

 さすがに拍手は起こらなかった。ちとやりすぎたかもしれん、と思いながら、俺は魔法で拡声を始めた――わざと音量を上げまくって。


「あー! あー! 聞こえやすくするのを忘れておりました! 奥の皆様まできちんと聞こえておりますか!」


 奥の年配のご婦人が耳を押さえたのを確認してから、ちょうどよかろうという程度にまで下げる。


「よろしいようですね」


 闘技場で司会がやっていたアレはいいヒントになった――というより、模倣す(パク)るに値する例だった。実際にやってみると、こいつは便利でいい。特に俺みたいなにわか仕込みには、そこまで無理をしなくても声量だけは確保してくれるという点で大変有利に働いてくれる。


 それにしても、と思う。全然魔法じゃない。

 これはサイキックだ。

 まあ、単なる呼び方の違いだから、この世界ではこれが魔法で何も間違っちゃいないんだが、ちょっとしっくりこない部分はある。それとも、もっと複雑な応用が必要な段階になってくると、呪文くらい唱えた方がいいのだろうか?

 今のところ、風と念動力でそう大きな違いがあるとは思えない。


「只今ゼニア姫様よりご紹介預かりました、名前はフブキ、姓はなし、ただのフブキ、ただのフブキです。この度姫様のお慈悲、気まぐれ、打算によって、野良犬から飼い犬へとその身分を変えていただきました。皆々々(みなみなみな)様、どうぞどうぞどうぞどーうーぞお見知りおきを。さてさて、いくら私が道化師だからと申しましても、ずっと今みたいなことばかり続けていると、さすがにやかましすぎますね。お次は、少ししっとりとした芸もお見せ――いや、お聴かせいたしましょう」


 俺は大仰に窓の外へ目を向けた。大多数がそれにつられ始めていた。


「今宵は月が出ております。模様がわかるほどのくっきりとした満月! 私はものを知りませんが、あの光が私にも降り注ぐことは知っている――これは、それにちなんだ曲でございます。その名もズバリ、『月の光』」


 そして、俺は魔法で音量を上げた口笛を吹き始めた。

 あんたも聴いたことがあるかもしれないな、ドビュッシーの『ベルガマスク組曲』第三番、『月の光』だ。今回は、ただのマイクとは違う風の性質と、多少心得があった口笛との合わせ技。もちろん、最初に披露すると決めてから相応の練習は必要だったが――道具を持たないなりのやり方ってのは、あるもんだ。広間の隅々にまで響き渡るような(うそぶ)きっていうのは、なかなかないぜ。


 俺がいた世界でもこの国でも、クラシックの雰囲気というものにそう変わりはないことは事前に確かめていた。まあ、()いる場所は()()だから、クラシックなんて分け方じゃあないんだろうが――わかりづらいかな?

 なんにせよ、まったく下地のない状態にポピュラー音楽を持ち込んでも仕方がないことは確かだろう。だから手始めに、俺でも知っているこの曲というわけだ。


 観客の反応は、全体的に見ると判断するのが難しかった。呆気に取られたように聴いている奴もいれば、さっきまでと比べて明らかにつまらなそうに聴いている奴もいる。しかし、たまげた話だが目を閉じて真剣に聴き入っている奴もいた。嬉しく思う反面、そこまで気合入れなくていいんだぜ、とも思う。どうせトーシロの持ち込んだコピー演奏だ、俺が作曲をしたわけでも、楽器を操るために幼少の頃から稽古を重ねてきたわけでもない。もっと気楽に頼むよ……ってね。


 たっぷり五分ほどの演奏を終え、俺は再びお辞儀をした。

 静寂。

 俺はそれをとても長く感じた。同じ空間に他の誰かがいる時の静寂は、いつだって俺にそう思わせる。数が多いのにそうなら尚更だ。そして、すぐにも自分は失敗したのではないかという考えが浮かび上がる。


 しかし、おずおずながら、一人分の拍手があった。

 そして、ぱらぱらと降り始める雨のように、いくつかの拍手がそれに続いた。満月がはっきり見えるほどの夜の晴天だというのに、雨足は急激にその強さを増し、勢いは止まるところを知らぬように思えた。Gotcha(やった)!――一瞬、そう思ったが、俺はすぐにその喜びを一時的にでも捨て去らなければならなくなった。


 拍手は、大きくなりすぎていた。

 もちろん、九段下の武道館や新宿・渋谷のコンサートホールに比べれば、その規模は非常に小さなものだ。だが、俺は今まで一度もこの規模に達した拍手を向けられたことはなかった。

 この拍手に値する程の芸を見せられたのかどうか、わからなかった。

 (おのれ)に向けられているものは過大評価ではないのか、という考えに至った時、歓喜は容易に恐怖へと変わった。

 再び、重圧が精神の中へ忍び込み始めた。顔を上げることができなかった。息が苦しくなり、俺は逃げられる場所がないか耳を使って探した。

 拍手は既に俺を包囲していた。隙間など無いように思えた。

 俺は懸命に、魔法まで使って()()()()()()()ができる、というのは、もちろん音を消すことの逆として音を大きくすることもできるという意味だが、そうして大音量や()()を聞かせる()として、自分の耳がより広く細かなところまで空気の振動を読み取れるという意味も持つ。

 拍手は鳴り止まない。いつまでも続いているような気がした。が、おそらく実際には俺が感じているほどには時間は経っていないのだろう。

 次に、次に進まなくてはならない。だがこのままだとその前に俺は潰れてしまう。拍手で――俺を評価した結果のはずの拍手で。


 その中にノイズが混じった。

 フブキ、と、俺を呼ぶ声だった。

 聞き間違いではないか、と思った。だが、聞き間違いにはしたくなかった。

 俺は必死に拍手の中からそのノイズを選り分けた。

 姫様の声だった。繰り返し、口の中で転がすように俺の名前を呼んでいた。


 俺は顔を上げた。姫様と目が合った。王様も、ミキア姫も手を叩いていた。姫様の口の動きは、この距離からではわからなかった。だが、続いて聞こえた姫様の声は、こう言っていた。


「やっぱり、いい曲ね。また聞きたいわ」


 俺じゃなくてあくまで曲を評価していることが、無性に――安心させるのだった。

 息苦しさが急速に引いていった。姫様が水面まで引き上げたのだ。

 俺は顔を上げ、右と左にもお辞儀をして見せた。そして、もう一度正面に。

 次に移らなければならなかった。拍手が自然に引くのを待った。それはすぐに済んだ。

 

「……いやはや、これほどまでに喜んでいただけるとは、道化冥利に尽きるというものです。しかしながら、いきなり登場したこの身がいつまでも皆様のお時間を拝借するというのも考えもの、ちょっとした小話をもちまして、今宵は退散させていただくとしましょう。皆様の中には馴染みがなかろう方も多いとは思いますが、この機会に庶民の生活の一端を覗いてみるのもいかがでしょうか。このお話の名前は、」


 古典落語、『時そば』である。




 ペンギンの小話はダメなのに『時そば』かよ……って思うかい?

 まあ、確かに、アレは聞き手も江戸時代当時の文化をある程度は知っておかないと完全には成立しない。夜遅くまでやっている蕎麦の屋台が江戸中にあり、時法が午前零時を暁九つ、午後十時を夜四つとし、そうなれば蕎麦の値段も九文よりは上じゃなければならない。『ペンギン』で笑わせるよりよほどハードルが高いじゃないかと、あんたは考えているかもしれないな。


 だが、そもそも完全にする必要なんてない――と、俺は考え方を変えたわけだ。

 もちろん、話すにあたって異世界ナイズした。もっと正確に言うならセーラムナイズといったところだが……。だから、『時そば』というそのままの名前は使わなかったし、蕎麦じゃない食べ物を用いて、時刻はこの国の数え方に倣い、勘定もまた同様にした。それらは、偉大なるアルフレッド・ヒッチコックに言わせてみれば、結局はマクガフィンなのだ。そうした、説得力を持たせるためのテクスチャをいくら貼り替えたところで、『時そば』という話の妙それ自体はいくらも損なわれることはないだろうと俺は判断した。伝統的な部分を大事にし続けている向こうの人々には申し訳なく思うが、あくまで一番大切なのはなんとかして勘定をごまかそうとする男の滑稽な姿である、という考えの方を俺は支持したい。


「小遣いをせびられた時はどうしようかと思ったけれど、あげて正解だったかしら」

「そうでしょうそうでしょう」


 部屋と河原を往復する日々の中で、時折見かける屋台とそれに付いて回る匂いがきっかけだった。なんと、そこでは饅頭を売っていた。さらに、いわゆる外食屋の存在、そして繁盛にも俺は気付き始めた……いけるんじゃないか、と思ったわけだ。

 そこで、姫様に取材と称してそれぞれ一食分の経費を請求し、実際に両方を食べに行ってみた。人種が離れていることによる入店拒否の不安はあったが、言葉は通じるためかすごく変な目で見られる程度に収まった。饅頭屋台のおすすめは肉饅頭で、ふらりと入った食事処では隣の客と同じものを頼んだ。それは雑炊のような料理だった。その時食べても美味(うま)かったが、夜食にしたら一晩ぐっすり眠れるか、夜明けまでの活力になるだろう、と俺は思った。『時そば』は『時ぞうすい』になった。語呂(ゴロ)は悪いが、まあ勘弁してくれ。


「本職ほど上手くはやれませんでしたがね」

「でも、みんな最後まで聞いたわ」

「ま、ツカミとしてはそう悪くなかったと……思いたいですな」


 退場して部屋に戻った後、なんだかとんでもないことをしでかしてしまったような気がして、しばらく放心状態に陥った。一応、総合的に見て、成功と言っても許されるんじゃねえかな、と自分を納得させた頃、随分腹が減っていることに気付いた。待機の直前に軽食を入れさせてもらっていたが、すっかり消化されてしまったようだった。

 駄目元でキッチンまで出かけると、運がいいことに丁度食べ残しを下げているところだった。会合はもうお開きになっていたのだ。コック達から少し分けてもらって、部屋で一人、打ち上げを始めたところに、着替え終わった姫様が訪ねてきた。


 姫様は酒と、杯を二つ携えていた。会合でも振る舞われただろうに、まだ()るのか、と俺は思った。当然のことながら、姫様は俺にもそれを勧めてくれた。迷ったが、一杯だけいただくことにした。正直、酒はあまり得意じゃ――いや、かなり得意じゃない。二十歳(はたち)の誕生日の記憶は、二杯目を注がれたところまでしか残っていなかった。決して嫌いではないが――俺にとってはアルコールは危険すぎた。


 そして、打ち上げは反省会となりつつあった。


「あれだけの拍手を……素直に受け取るべきなんでしょうね、多分」


 と俺は言った。姫様は頷いた。この人は酔いさえも顔に出ないらしい。


「そうだと思うわ。私がいる手前……という心理もあったでしょうけれど、それでも、あれだけ喜ばれたのだから――わざわざ何人かに()()()しておく必要もなかったかしらね」


 杯に残った四分の一ほどを一気に飲み干そうと持ち上げて、やめた。

 今、何か、さらりととんでもないことを、


「――、偽客(サクラ)かよ!」


 魔法も使ってないのにすごい大声が出た。


「ええええ、えええー……」


 俺は姫様を指差した。

 彼女は、何をそんなに驚いているのかわからない、とでも言いたげに俺を見つめた。

 今すぐにこの女を糾弾しなければならない、という使命感に一瞬駆られたが、一体どう言えばいいのか、そもそも本当に糾弾すべきことなのかどうかがすぐにわからなくなって、やり場のなくなった人差し指を下ろした。


 冷静に考えてみりゃ当たり前だ。お披露目の本当の目的は俺を売り込むことであって、観客を真に全員笑わせることじゃない。芸とその結果は手段であって……目的じゃない。そうとも。どんな手を使ってでも成功させなきゃならなかったんだ、失敗は許されないと一番わかってたはずの俺じゃねえか、どうかしてる……ちょっと協力者を混ぜるくらいがなんだってんだ。そんなことで腹を立てるなんて筋違いだ。

 ……でもさー、黙ってやることないじゃない?


 目に見えるほど俺のテンションが下がってしまったのか、姫様は少し早口で言った。


「でも、はっきりとそう言って回ったわけではないわ。ただ、今日は私の道化師を見せるから、面白いと思ったら笑ったり、拍手をしたりしてくれるように、こっそりと――そう、こっそりと、人を選んで教えただけ」


 笑えって言ってるようなもんじゃねえか。


「そうだったのですか……。はあ、まあ、いや、少し、びっくりしただけです。大丈夫です」

「そう……?」

「ええ」

「そう……」


 沈黙。

 姫様が先に破った。


「ところで」

「はい」

「頭巾を脱いだのは、あれはどういう意図があったのかしら。予行の時にはやらなかったし、特に説明もなかったけれど」


 きたか。


「ああ、あれは……」

「あれは? ……目を逸らさないで」

「その、何と言いますか、本番で突然思いついたのです。ここでこれを脱いだら説得力が増すのではないか……と」


 見抜かれているだろうな、と思いながらも、俺はそう言った。


「私は、最初のうちはきちんと()()()()ように言ったはずだけど」


 まあ、最初から叱られるのは覚悟の上だ。チッチッチ甘いなわざと脱いでおくのも着こなしのうちだぜえ、などと言えるはずもなく、俺は膝に手をついて深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。私の個人的な好みによる独断でございます。処罰は甘んじてお受けいたします――でもな、実際のとこ、俺とあんた以外で、誰か一人でもそんなことを気にしていたようには思えないぜ」


 顔を上げて、今度は姫様の顔をまっすぐ見る。


「客はそんなとこまで見ちゃいないんだよ。そして、悲しいことだけど、それに文句を言うことはできない。だからだな、いっそのこと、俺達が相手にする奴らがどうでもいいと思っていることは、俺達にとってもどうでもいいことにするべきなんじゃないのか」

「じゃあ、頭巾は被ったままでもいいはずね。どうでもいいことなら」


 うん、そう言われると痛い。


「……同じように、脱いだままでもいいはずだ」


 姫様は長く息を吐き出した。彼女流の()()()()だった。


「……そう言って欲しいのだろうから言うけれど、あなたの言うことには一理あるわ。でも、話を逸らさないで。確かにあなたが頭巾を被っているかどうかはどうでもいいことだけれど、私が問題にしたいのはそこではないの。私がどこまで寛容か試すような真似をこれからも続けるのなら、私も相応の手段を出ざるをえなくなる、ということを言っているのよ」


 俺は何度か頷いた。


「今回のことはもう過ぎ去ろうとしているし、あなたももう改めようという気はないでしょう? ただ――飼い主には(しつ)ける義務というものがあるの。確かにあなたが頭巾や、その刺青のような、見る人からすればどうでもいい部分で聞きわけがなくなるのは、私にとってもどうでもいいものと譲歩はできる。けれど、そうではない部分でごねられたら――私は嫌になるほど飼い主として振る舞わなければならなくなる。それは、お互いに望むところではないわね?」


 そして、もう一度頷いた。


「わかってる。あんたの方が正しいよ、俺は意地張ってるだけだ……悪かった。自分で言うのもなんだけど、ちょいと拗ねてたのかもしれないな」

「……拗ねていた、とは?」

「なんつーのかな……あんたの考えていることを俺は全て理解することができないだろうし、それでいいと思ってる。だから秘密を全部話してくれとは言えないし、秘密のままにしておいた方がいいこともたくさんあると思う。でも――今日のことは、俺も知っておくべきだったんじゃねえのかな、なんて、」


 そこまで話して、自分が大変に恥ずかしいことを口走っているのに気が付いた。


「――あー、いや、やっぱ今のナシ! 馬鹿なことを言った。忘れてください。よく考えたら、事前に偽客(サクラ)がいるなんて知ってたら私という奴は取り組み方を変えていたに違いないんだ……だから、やっぱりこれでよかったんですよ、うん。やはり貴女様の方が深くお考えでいらっしゃる。流石です。うん」


 慌てて否定し、窓の外へ目を逸らす。


「言いたいことはそれだけ?」

「……はい」


 姫様は少し間を置いて、


「私は、今まで一度もペットを飼おうと思ったことはなかったわ。必要がないと思っていたし、何より面倒だろうから。やっぱりその通り。あなた、随分面倒ね」


 その通りだった。元の世界でどこも拾ってくれなかったわけだ。俺は言った。


「申し訳も」


 姫様は再び長く息を吐き、


「……善処しましょう」


 俺は驚いて姫様を見た。姫様は先に窓の外を見ていた。

 沈黙。

 今度破ったのは俺。


「しかし、さすがに、今日はちと疲れました」

「そうね、お疲れ様……と言いたいところだけど、もう一働きしてもらうわよ」

「……何ですって?」


 大して働いてもいない身でこう言うのもなんだが、今日は結構なハードワークだったぜ。これからさらに残業なんて、一体何をやらされちまうんだ?


「あの曲をやって頂戴」


 と、姫様は言った。


「あなたは私の道化師でしょう? やって」


 やらないわけにはいかなかった。

 俺は酒を飲み干した。

 そして、風が唇の隙間から溢れ出す。

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