9-17 敵を知るために
「伊達じゃあないんだろ? そんなことをするからには……。君がそっくりそのまま増えたんだと受け取らせてもらう」
「今なら……」
もう一人の方も、寸分違わぬ魔力の放出を示している。
こいつは気をつけないと、見分けがつかなくなって困りそうだ。
「今なら、まだ……あなたの魔法を消すだけで止められる。ここから先は命の保証ができない。全力を出す」
いちいち癇に障る野郎だ、と思う。
手加減してくれていたとは! 慈悲に涙が出そうだ。俺一人必死だったってか?
ここは減らず口でも叩いておくか。
「言わなくていいことを言うのは、気持ちの裏返しだよ。覚悟が決まらなかったんだろう。こわいもんかねえ……殺すのは。俺みたいな奴でも」
何の効果もない見え透いた負け惜しみのつもりだったが――奴は、これで少し機嫌を損ねたらしかった。
「……オレが誰かを殺したことがないなんて思うな……」
「――意外だね。戦の世にあってそれに加担しながらも、何故か不殺論を唱えるような御仁だとばかり」
「怒らせようっていうんなら無駄だ」
「そうかなあ? よく見たら君はからかい甲斐のありそうな顔をしていることだし、努力する価値はありそうな気がするな」
分身の方が踏み出した。
「あなたは怒りでここまでやってきた。怒りで災害になった。誰よりも怒りに詳しいくせに、他人を怒らせるのは何とも思わないのか?」
「君よく頭悪いって言われない? 怒らせる相手くらい、選ぶに決まってんだろう。君は怒らせてもいいんだよ。悪い子だからな。そう、自分は善玉だと信じ込んでいるとんでもねえ奴――いや、君んとこで飼ってる、他の召喚された人達も含めて、とんでもねえ奴ら。そういう奴らが怒り狂ったり、自分達の思い通りにならなくて取り乱すのを見ると、気分がいいよ。普段はお高くとまっているから尚更な。そしてそういう時、声を大にして言うのさ。ざまァみやがれ!」
少年は俺を見つめていた。高らかに笑い声を上げる俺を。そこには、まさに褒美とも言えるような嫌悪があった。こんな汚いものは知りたくない、と――こんな人格があってはいけないと、先程まで信じていた融和の可能性が潰え、ヒステリックな排除に駆り立てられようとする、まだ幼い精神の揺らぎ。
「――オレ達が正義じゃないとしても、そちらの客人が悪じゃないとしても、これだけは言える。あんたはクズだ。オレはあんたを軽蔑する!」
「ケッ、ムカつくのはお互い様だろうが!」
俺も前へ出た。
歩きながら、また――無駄とはわかっていながら、それでも――手を銃の形にする。
今度は奴も同じことをした。奴の分身が。そして、俺が撃ったのに合わせるような撃ち方をした。そうすることで、俺の撃った弾を全て打ち消した。撃った弾を曲げても同じことだった。荒野のガンマンの真似事をしている間、本体の方は、再び地面を触っている。また増やすのかと思ったが、流れていた血はもう止まって、止めているように見える。別の魔法だ。
武器だ。剣というよりは板。二等辺三角形。これもかなり笑えるサイズだ。ああいうのはどこに出しても恥ずかしくない偉丈夫が振るうべきで、ちょっと前まで男子高校生だったような奴が担いでいい代物じゃない。釣り合ってない。だが奴はあれを古くから慣れ親しんだ道具として扱うだろう。魔法は無粋だ。それを実現してしまう。技術でさえ、奴は誰かから読み取った記憶を再現することで補えるはずだ。
ありがたみも何もなく、奴はオモチャのようにそれを放り出すと、二本目の製造に取りかかった。俺にはわからない方法で、アイスクリームのように土を半球に抉ると、その塊を細く細く引き延ばしていく。
その姿は隙だらけなのだが――狙おうとすれば、分身がカバーに入る。
まあいい。それぐらい作らせてやる。
「鎧はいいのか? 俺が羨ましがるやつを作れよ!」
奴は両端に刃の付いた戟を完成させた。そして、ひとっ跳びに俺を刺しに来た。こちらもまた跳び上がって、間合いから逃れる。分身の方はもう大剣を拾っている。
空に逃げることは簡単だ。
だが、奴は俺がもうそれをしないことを知っている。だから得物を作った。無駄にならないものを作った。奴は俺のことを馬鹿だと思うだろうか。心を読まれる状態での近接戦闘、しかも対手は二人分。圧倒的に不利なはずのこの状況を、俺は受け入れようとしている。どうせ遠距離からの塩戦法じゃ埒が明かないし――こいつは意地だ。
本当に不利かどうか、今から証明してやる。
「じゃあ、俺の方は遠慮なく鎧を着るぜ……」
今までも近いことをしていたが、今度は密度の高い風で絶え間なく全身を包み込む。着るというより、風の中に自分から入る感じだ。ここからシンが本気を出すというのなら、俺も魔力に糸目を付けちゃいられない。ペース配分や浪費を防止するための細かい調整もかなぐり捨てて、全開垂れ流しでいく。
「……あんたの魔力は、針のようだ……」
「刺してやるよ!」
腕に纏っている風を強くする。動くのは俺からだ。
奴の読みも万能じゃない。俺の考えていることがわかっても、俺がそれをどのくらいの水準でやってくるかは、まともに予測を立てなければならない。初見というものの困難さも同じ――それが証拠に、距離を詰める過程で八回の軌道変化を加えると、奴は俺を迎え撃たなかった。カーブなんて描かない。稲妻のように、大袈裟なほどの折れ目で揺さぶる。
奴と俺との間で、土壁が瞬時に立ち上がった。いや、土壁と思えたのは第一印象だけで、魔法で加工されたそれは鋼鉄の壁と見ていいものだった。
だが、俺は構わずそれを殴った。
勢いがそこで止まってしまった代わりに、前衛的なオブジェが出来上がる。風の形そのままに穿たれた、歪な螺旋を思い起こさせる物体だ。
自分でも、これが空気の移動だけで成し得るものなのかと首をひねるが、ともかくそうなったのだから仕方ない。魔法様様だ。
空けた穴の向こうに奴の姿はなかった。二つとも。
焦りはない。死角を突いてくることはわかってる――ということを奴はわかっているので、どのみち対処しづらいか、後々まで利く方法を取ってくる。
挟撃……。
セオリーで言うなら、まず相手の手数を確実に減らすため分身を壊すところから始めるべきだろうが、奴を驚かせるためだけに本体を狙ってやる。剣を持っている方の、本体を。
奴と目が合う。見開かれた目。動きも止まっている。俺も首をそちらへ向けるだけに止めた。どうせもう心の内は読まれている。やってみてもそこは普通に対応されて終わりだろう。
「この一瞬でよく気付けたって思ってんな? 間抜けが、ミエミエなんだよ! ハムスターだってもう少しマシな知恵付けてるぜ」
視界に入らないところで武器を交換すれば、お手軽に入れ替わり成功って寸法だったらしいが――なんだかな。
壁の穴を越えて向こう側へ抜ける。本来なら穴なんて開くはずのないこれを作ったということは、次の挟み撃ちで俺が後退するところまで予定に入っていたはず。そのシナリオに付き合ってやる義理はない。別の道を行かせてもらう。
が、足元は光った。乾き切った地面のひび割れだと思っていたものは、意図的に傷つけられた――魔法陣!
「間抜けはどっちかな?」
「ま――」
流石、一度は俺の精神を引っ掻き回しただけのことはある――と、ここは素直に賞賛しておくか。
反応した魔法陣から、無数の影のような何かが這い出てくる。それは手のような形をしていて、陣の中に引き込まれるのかと思ったが、ただベタベタと俺を触りまくるだけでそれ以上のことはしてこない。だが風をものともせずにピタリとくっついているのでマズいことだけは確かだった。幸いにも移動して振り払うことは簡単で、俺はすぐにその場を離れる。何本かだけは影がひっついてきてしまったが、剥がそうと思っても触れないし吹き飛ばせない。
効果はすぐに現れた。今は戟に持ち替えた分身の一突きを避けようと思った時、それが特に強く感じられた。――重い。吐き捨てられたガムを踏んだ直後に似ていた。それが全身に回っている。正確には、影の貼り付いている部分が。どうにか凌いだものの、次にまた動こうとした時には、既に影の重さは増していた。ホバリング移動へ切り替えても、体感は変わらない。風で触れないくせに、風で持ち上げようとすると途端に重さを感じるというのか。
「だぁクソ!」
駄目だ! 前言撤回! こんなもんくっつけたままじゃ戦いにならん。不利にも限度ってものがある。まずはこの状態を改善するのが先だ。離れたい――が、そうか、この思考も読み取られている。奴とその分身は、露骨に俺を元いた魔法陣まで追い込むような立ち回りを始めた。
「オレには、あんたの妄執が理解できない……」
大剣による大振りの攻撃も、本調子なら脅威ではないが、重りの付いた今は風のアシストを目一杯振り絞ってようやく七割ほどの動きを再現するような有様だ。そして、辛うじて難を逃れても、今度は戟の繊細とも言える突きが待ち構えている。
「記憶を見てもそう言うのか。俺の記憶を」
「何故って、あくまでもあんたの、個人的な問題だからだ! ちっぽけな私情じゃないか!」
この突きに誘導される。外へ外へ抜けようとしても、一連の攻撃をやり過ごしているうちに、元の場所へ戻されてしまう。腹立たしいのは、結局、この少年が回りくどいやり方を続けているということだ。あの影を俺に付けたのも、動き回らせてスナミナ切れをより確かにするための手であって、動きの鈍ったところを仕留めようとするために使っていない。
そう思うと、さらに腹が立ってきた。
俺も俺で情けねえ。嵌められたのもそうだが、この程度のことでヘロヘロになりそうなのがいかん。要は、もっと出力があればいいんだ。こんな重り抱えても簡単に振り切れるような風を吹かせればいい。
だが、俺がそうしようとするより先に、シンは追撃の手を止めた。
不思議と、驚きが少ない。戸惑いはある。またいつでも対応できるよう、分身と本体の両方に注意を向けながら、俺は言った。
「……なんなんだ、本当――どうして一思いにやろうとしない。まさか、まだ話し足りないとか言い出すんじゃないだろうな。それとも、マジで俺を殺すのがこわくなったってのか?」
俺がこいつだったらとっくに片が付いているような気もするが、今はこの甘さに甘んじるしかあるまい。
「じゃあ話の続きするか? 質問だ。君は誰かの記憶を辿る時、自分が体験したかのようには感じないのか? いいか話が早く終わるようにこの質問の意図を説明してやるとだな、俺と同じ目に遭えるなら、俺と同じ気分にはならなかったのか知りたい」
俺の問いに、少年はこう答えた。
「……何度かあんたの記憶を繰り返し見た」




