2-3 旋風の色、落涙の傷
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「あー、ちょっと苦しいですね」
「そうですか。ではこれなら?」
「あ、これは大丈夫です」
初老の仕立て屋がフブキの胴に巻尺を通している。注文する道化服の採寸のためである。
自分と同じランクの服を着せるのは無理だが、どうせなら質のいいものをと、普段のゼニアなら縁のないような庶民的腕利きを探し当てたところ、店主は「申し訳ございません。仕事は来た順、が信条なものでして」などと使いの者に言い含めた。
速さだけを考えるのなら、素材のグレードだけを落として王宮御用達のそれに頼めばいい。しかし、そうなるといくらか今回の作戦には無用な手続きが発生するし、そういう過程を通して息のかかっていない者が多く関われば、それだけ早くフブキの存在が上の方にまで知れ渡ってしまう可能性が高くなる。
それはあまりよろしくない。
ゼニアとしては、フブキのことはじんわりと浸透してもらいたい。
そういうわけで、店主の信条にも敬意を表し、ここまで後回しにしていた次第である。
「……そのー、私は存じ上げないのですが、注文する服は大体どれくらいで仕上がるものなのでしょうか?」
「そうですねえ、ちょっと特殊なものですから勝手が違うので……一週間は頂く計算になりますかねえ」
「一週間……」
「まあ、追加で料金を頂けるというのであれば、急がないこともないですが、それも良し悪しですしねえ」
フブキはお預けをされた犬のような目でこちらを見る。
その間にも仕立て屋はフブキの身体測定を続ける。
「払うわ。少し急いで頂戴」
「かしこまりました」
フブキが内心焦っていることは、ゼニアにもよくわかっていた。
そういうことになってから二週間が経った頃、彼は「いつ決行するのか?」という話をするようになった。その都度ゼニアは「まだよ」という返事をしてきた。
そもそも彼は少しせっかちなきらいがある。そのことを指摘すると、彼は前の世界の影響だと説明した。尤も、最近はその説明へ逃げ込むと楽なことに気付いたのか、フブキは何かにつけてその言い訳を適用しようとしているようにも思えるが。
だが、焦る必要は全くないと、ゼニアは考えている。
焦るのは、ゼニアの思う水準を満たしていないとフブキが自身で気付いた時にそうしてもらえればいいのであって、今のところ、ゼニアはフブキに不満はないのだ。
はっきり言って、フブキは当初考えていたよりもずっと賢き者として、ゼニアの目に映った。
彼は自分のことを元の世界では平民の出だと説明した。だが、平民は戦争を論じたりなどしないものだ。そのための頭脳がないから、大抵の場合は、したくてもできない。
このことから、フブキのいた国では、ある程度の水準の教育が平民にまで行き渡っていることがわかる。あくまで彼の言を信ずれば、だが。そんなことが可能だとは、ゼニアには思えなかった。
読み書きにしてもそうだ。召喚の段階でこの世界の言語を翻訳して識ることができるようにされたのだろうと彼は考察していたが、そもそも元から読み書きができる方が珍しいのだ。だが、彼のいた国では、読み書きのできない者の方が珍しいという。
一体どのようにすれば、遍く民草にそんな恩恵を与えることができるのか?
しかも、魔法なしで、だ。
彼は、なんという世界からやってきたのだろうか。
きっと、ゼニアの想像もつかないような繁栄を謳歌する、何もかもを溺れるほど生産できるような、そんな、夢のような世界であることだろう。
だが、それと彼のせっかちさは、どうも繋がらないように思えた。
そんな繁栄の中にあって、どうしてそこまで急ぐ必要があるのか?
何より、彼はそれで自分のことをのんびり屋だと評した!
「そういえば、私はどういう仕上がりの服になるのか把握しておりませんが、もしかしてもうその辺りは姫様とご相談なされたのですか?」
「ええ、そうですが」
「あの、何か図のようなものは……」
「持ち合わせておりますよ。ご覧になりますか」
「姫様、よろしいでしょうか?」
首肯。
怠惰と愚かさが自らを殺した、とフブキは言う。だが、それにしてはフブキは出来過ぎている。実務に就かせたわけではないからまだ未知数な部分はあるが、しかし、少なくとも奴隷にしておくにはひどくもったいない存在であることだけは確かだ。
つくづく、その時エルフ達の目はひどく曇っていたのだろうと感じる。
フブキは仕立て屋の広げた完成予想図を覗き込んだ。
「…………」
「いかがでしょう?」
フブキは意に沿わぬ餌を盛られた猫のような目でこちらを見る。
「……姫様」
「なあに?」
「その、あの、もう少し、こう、何というか、カッコよさというか、」
「不服かしら?」
「決してそのようなことは――いえ、申し訳ありません、これは些か、」
ゼニアは長く息を吐き出す。仕立て屋が恐縮しながら口を開く。
「あのー……これから手直しとなりますと、いくらご料金を追加されましても、」
「わかっているわ。――フブキ、大切なのは着こなしよ。道化師には道化師の服装規定というものがあるの。いくらか顔が売れれば意識して外していくのも結構だと思うけれど、それは最初からやるようなことではないわ」
「……仰る通りで」
「それに、何もかも私が決めてしまうのも悪いと思ってね――見本は持ってきてくれたかしら?」
仕立て屋にそう声をかけると、彼は頷き、
「はい、用意してございますよ」
「広げて頂戴」
フブキはわけがわからないといった様子で、始まった準備を見つめている。
やがて、ベッドには色とりどりの生地が並べられた。
「色くらいは決めなさいね。あなたの色なのだから」
「色……」
風に色などない。
が――一般的な通念として、緑や、水色、少し変わったところで黄色などが連想されることは多い。
しかし、フブキは迷わずにまず黒を取った。
続いて、灰色を取った。さすがに止めるべきか、とゼニアは迷った。道化の服にしてはあまりに地味な二色だ。しかし、迷っているうちに、フブキは焦げ茶を取り、痛ましく擦れた赤を取り、思い出したように黄土色を取り……まるで意地を張っているかのように、透き通るような色を選ぼうとはしなかった。
「てっきり風の色を取るものかと思っていたけれど」
そう言ったゼニアに対して、しかしフブキはこう返した。
「風の色ですよ、姫様。私の色なのですから」
わかりやすく疑問を口にするべきだろうか、とゼニアは思った。フブキはそんなゼニアの疑問符を読み取るのが最近とみに上手くなったようで、すぐにその意図を説明した。
「土埃、枯れた枝、割れた煉瓦、巻き上がる血、砂塵」
フブキはいい顔をするようになった。
醜く、含みのある、自然な笑みをこぼすようになった。
「旋風の色ですよ」
そのように、基本的には従順なフブキだったが、時としてゼニアには理解できないこだわりと、そこから離れようとしない頑固さを見せることがあった。服のデザインに関する異議申し立てなどはまだかわいい方で、すぐに引き下がる姿勢も見せるのだが、
「――何度も言うけれど、これは必須事項ではないのよ。あなたが言い出して、あなたが決めたこと」
「承知しております」
この刺青の件は、フブキが押し切った形となった。
別に反対する理由があるわけではないし、実際ゼニアも明確にその意思を見せたわけではないのだが、決して推奨したわけでもなかった。
――というより、何故そんなことをする必要があるのか? という戸惑いの方が未だ勝っている。
目の下に涙の刺青など……。
道化師らしさを求めるのはいいが、少し勘違いしているのではないかと思う。
「構わないけれど、本来なら化粧で誤魔化すようなことをあなたは身体に刻み付けようとしている。一生残るものをね。いい? 構わないのだけれど、後から泣き言を聞かされるようでは困るの」
招かれた若い彫り師は、客の仲違いに当惑しているようだった。
フブキはその彼に念を押すように声をかける。
「いいのです、やってください。前から決めていたことです」
彫り師はしかし、ゼニアの方を見る。
「いやー、あのー……ホントにやっちゃっていいんすか?」
そして、ゼニアはフブキを見る。
フブキは、調子がいいときの彼らしく、滔々と語り始めた。
「……よろしいですか、姫様。まだご理解いただいていないのかもしれませんが、これは私が道化師となるために、どうしても必要なことなのです。私という奴は、身体に刻み付けてでもおかなければ、いつか自分の立場を忘れます。私はそういうものなのです。だからこそ、その部分は意識して御さなければなりません。わかりますか? 姫様もご存知の通り、私は逃げてきました。ですが、今度はそうするわけにはいかないのです。何か形に残しておかなければ、いつか私は自分を保てず、崩れて逃げ去るでしょう。これはそうならないための処置なのです。わかりますか――これは必要なことなのです。むしろ、後から泣き言を言わないために、これは必要なことなのです。おわかりいただけますね」
同意を得るという形を借りた断定口調であった。
もちろんその意気込みは買うが、強いて形にするまでもないのでは、というのがゼニアの考えだった。言いたいことはよくわかる。が、だからこそ――そこまでわかっているのだからこそ、形になどしなくてもいいのではないか、と思ってしまう。
どうしてそんなにこだわるのか。
理解できないのは刺青を入れるという行為よりもそこだった。
他にかけておくべき言葉は残っていなかっただろうかと思案する。すると、
「いや、わかるよ。そういうことってあるよな」
彫り師は何度も頷きながらそう言うのだった。
思わぬ援護だった。
「こんなとこに呼ばれるから、なーんかマズい仕事受けたかなって思ってたけど、安心したわ。おれもよお、家が半端に金持ってたから、しばらくブラブラしてたのさ。そしたらこれやるしかなくなってなあ……。だから、初めての仕事やる前に、入れたんだよな」
と、彫り師は自分の腕にびっしりと入っている、炎をモチーフにした刺青を見せた。
「いいよ。やってやる」
「お願いします」
それで二人は意気投合してしまった感があった。ゼニアが割り込める隙間は全て潰されたように思われた。そして、これ以上粘ったところで、この意地っ張りを説得する労力に見合う対価が得られるとも思えなかった。
まあいい、と心の中で呟くが、いいのか? という呟きも同時に響く。
殴って止めようと思うほどのことではない――ないのだが、何か、ゼニアの中には釈然としないものが残るのだった。
~
初対面の相手に「道化師見習いのフブキと申します」と名乗ると、ああ噂の、といった反応も出てくるようになった。涙の刺青が入っていよいよその説得力も増し、パフォーマンスこそまだ何も見せてはいないものの、俺は名実共に道化師となりつつあった。
刺青の件に関しては姫様はあまり乗り気ではないようだったが、なんだかんだ言いながらきっちり彫り師を呼んでくれるあたり、よくわかってくれている……と思う。多分。
服の注文も、まあデザインのことはもうこの際を目を瞑るとしてバッチリだし、この世界のことも少しはわかってきた。ネタも、まあぼちぼち揃ってきたと思う。あとは仕上げだ。時間は俺の希望に反して持て余せるほどあり、俺が焦ったところで姫様は絶対に焦らない。それならば両方を仕上げてしまおう、と俺は考えた。
が、その前に、まだ少し調べ物が必要だった。それは書物にはあまり書かれていない。
姫様のことだ。
彼女のことを信じていないわけではないが、だからこそ彼女のことはよく知っておきたい。俺を拾ってくれたことに関しては本当にいくら感謝してもし足りないくらいだが、これはまた別の話だ。俺が彼女のことをよく把握していないせいで何かまずいことをしでかしてはいけないと思うし、いくら道化師といっても無知のせいで口を滑らせればアウトなのは変わるまい。むしろ、意図して滑らせるようにならなければ。
だから、俺がやったのは決してストーキング行為などではない、という予防線をここで張らせていただこう。いいね?
まあ、とはいっても姫様は有名人だから、誰かに訊ねれば欲しい情報はほとんど得ることができた。俺が知りたいのは、他の人から見て姫様はどうなのか? ということだった。
自惚れではなく、客観的に見て、俺と姫様の関係は少々特殊なものであることは明白だ。その上で、俺は姫様はああいうもんだと思うわけだが、それが一般的な評判と比べてどうなのかくらいは把握しておく必要があるだろう。
大したもんだぜ、という感想は大勢を占めた。この世界でも女だてらに何かを為すとある種の、特別な、人によっては大いに気にするであろう評価を得ることはできるらしい。しかも立場が立場だ。俺の場合はフィクションの世界が近かったから、姫君がそういう働きをしていることに対して驚きはあっても抵抗はあまりない。だが、慣れていない人々にとって、本来様々な理由から守られるべき立場の人物が直接的暴力の支配する世界におり、しかも現場で指揮をとっているというのは、どうにもやりきれない現実であるに違いない。
やっぱりというかなんというか、姫様は騎士としての実力も折り紙付きだそうで、トーナメントを総舐め、とまではいかないが、若い頃から高名な相手を幾人も下して、実力を認めさせるタイプではあったそうな。尤も、武の世界に登場した時、姫様は既に十七歳だった……これは祖国滅亡の危機に対して、ついに高貴なる姫君までもが剣を取った苦々しくも麗しいエピソードというのが一般の見解らしいが、かといって能力のわりに重要な仕事を任されてはいないのが現状らしい。
では武から離れた視点で見て、王族として政治的に影響力があったりするのかというとやはりそうでもなく、この国における内政はほとんど行政官の領分で、外交にしても外へ出ること自体は少なくないが、顔としての役割は王や姉の方が大きいとのことである。
強いて挙げるとすれば、地頭がよかったせいか学の世界ではそこそこ有名なようで、この戦乱の時代において保護と発展に努めたのは代表的な功績と捉えて間違いない――親父に金を回すよう言っただけだ、という揶揄に目を瞑れば。その他、細々と手を回そうとしちゃいるそうだが、目立つようなことはしていないようだ。
しかし、つくづく天とは無慈悲なもんだ。武力と頭脳と美貌! これらを一つの器に全てぶち込もうとするのだから。これでは世の大多数の女性たちは立つ瀬があるまい。女どころか、男だって。特に男根優位な野郎にとっちゃ、これほど不愉快なこともそうないだろう。
だがそれも、別の部分でバランスを取っているからこそ、と言えなくもない。結局のところ、姫様は姫なわけで、全体から見てそういう働きを任すのには抵抗があって――つまり、期待されていない、というのが実際的な問題なのだろう。
その現状を何とか打開しようとしているのが今、か。
やる気はあるだろうがそれに見合った仕事がない、もしくは実力とは別の部分で任せられない理由がある、というのは姫様にとっては不満に違いないだろうな……と皆は思っているようだ。俺も宝の持ち腐れだと思う。腐らせてる場合じゃねえだろ、とも思う。
そんなわけで、姫様が有能であること自体は、誰にとっても疑いようがないらしい。
一方で、愛想があまりない、という意見も同じくらいついて回った。
確かに姫様は、笑顔を振りまく、というような雰囲気は纏わない。もし公務においてその方が望ましいとされる場合でも、きっと、そうはしないだろう。変え難い性格なのか、何か考えがあってのことなのか、それはわからない。が、王宮はハイソの極致、実態はどうあれ華々しき世界だ。そこに似つかわしくないほど姫にしちゃ暗い、とそういうことらしい。サービスがないのだ。
それどころか、どうも冷血な人間と思われているような向きさえある。機嫌を損ねれば必ずや災いが訪れるであろう――と。
全く根拠のない話だ。……少し前まではそう思っていたが、偶然端女の他愛ない噂話を立ち聞きする機会があって、それによると――彼女達にしては最大限ボカシたつもりだったのだろうが――どうも諜報機関に一枚噛んでいるのではないかと疑われているらしいのだ。下手な触れ方をすると裏に引き摺り込まれるのではないか、と。しかも、それはいくらか繰り返された話題であるらしい。
馬鹿馬鹿しい! 既に疑われている間諜に何の脅威があろうか? ――というのは本職同士の理屈だから、一般人にとって脅威なのはその通りだとして、ナンセンスながら全てを笑って片づけられない、という気持ちも、少しはわかるような気がした。
どうも姫様は秘密主義なところがある。良く言えばミステリアスで魅力的ということになるのだろうが、それは悪く言えば何を考えているのかわからなくて不気味、ということでもある。ひょっとしたら、と思わせてしまうその雰囲気が――見えない障壁として存在しているのだろう。
そのせいかはわからないが、姫様には浮いた話一つない。生臭い話をしてしまえば、一国の姫君を取り巻く話題など縁談に終始するものだろうに、誰もがそれを避けているような節がある。人質に出されるようなタマじゃないことはわかっているが、だからといって、「かつて某国へ嫁に出されるのではないかという噂があったんだよ」程度の話も聞けないというのは、これは些か妙、というか、何か作為的なものを背後に幻視せざるをえない。
あるコックなどは、俺が姫様の旦那はどういう人物なのかと(もちろんカマをかけるつもりで)問うたところ、慌てもせず強引に別の話を始めた。そして……次の日からは俺のメシの量が増えていた。




