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エルフヘイムをぶっつぶせ!  作者: 寄笠仁葉
第8章 偉大なるゴブリニア及び南部オークランド連邦
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8-13 真夜中の客

 村民の手を借りても遅々として進まなかった発掘作業だが、老ゴブリンとオーク青年の計らいがある日から効果を現し始め、今では辺境の村は収容限度を越えてしまうほどの賑わいを見せている。

 出稼ぎにやってきた作業員の寝床が村の家々だけでは確保できなくなったので、まずテントの管理業者がビジネスチャンスを嗅ぎつけ、それを皮切りに流れの商い屋が押しかけてくると、隣にもう一つ村が出来たような格好となった。開発の進んでいない地域なので、用地に困ることはなかった。


 とはいえこの国に暮らす彼ら蛮族のことなので、商売っ気は慎ましく、肉体労働を生業とする男達の集まりにしては諍いも少ない。単純な労働力が充実するにつれて、兵達の仕事は現場の監督と一帯の警備へとスライドしていったが、拍子抜けするほど暇だというのがデニー・シュートの言である。


「楽になったのはいいけどよ、逆にここまで仕事がないとなあ……。誰かが賭場くらい開いてもよさそうなもんだが、あいつら基本的に寝るの早いしな。村の連中とも上手くやってるし、そもそも余所モンのおれ達が口出しできる部分もあまりないしな……あっちに任せちまった方が上手く回るんだよ。強いて言えば、本職も混じってる割には、ちょっと作業が遅いよな。どんくさいってほどじゃねえが……」

「それでも、私達だけでやるよりは何倍もマシかと」

「それは違いねえ」


 俺もわざわざ汗水垂らして動くようなことがなくなり、余裕が出てきた。

 最近は専ら、レギウスに付いて回って書物の内容と遺跡の実際を照合している。あまり成果は上がっていないが――少なくとも、そこがハズレだということはハッキリする。


「ところでおまえ……アレだ、一緒にいるところを見かけなくなった気がするけど」


 余裕が出てくると、余計なことを考えるようになる。


 俺がジュランさんをフッたような感じになってしまったあの後も、一応、彼女は接触のタイミングを計っていたようだった。だが俺はもう、意識してこれを避けるようになった。仕事をする上で完全に無視するというわけにはもちろんいかないが、気まずさを抱えたままだったし、そこを上手く解消して関係を改善できるような器用さも持ち合わせていない。


 それでようやく、向こうが諦めの兆しを見せてきたところだった。


 余計なことというのは、これで本当によかったのか、と繰り返し問いかけてくる自らの後悔だ。排水溝のヌメりのように、脳裏にベッタリと貼りついたままで、放っておくと鳩尾の辺りまでズルズル下がってくる、厄介な感覚だった。


 何度前言を撤回しようと思ったか知れない。どうすれば姫様を説得できるか、暇になった時間を使って考え続けもした。


 だが、成立しない理想を前提としていると、答えは見つからなかった。


 そうなってみて初めて理解したのだが、誰かに好意を寄せることと、その誰かと上手くやって行けるかどうかは――まったく別の、切り離された要素だ。俺とジュランさんの場合、男女として付き合っていくには互いの立場が邪魔をすることは容易に想像できた。切ないすれ違いがどうのこうの、というやつだ。


 ここで、立場を捨ててどこかへ逃げる、という選択肢が出てくる。しかしそれは本当にただ出てきただけのもので、実際にそれを選択することは、俺の視点から見ても、ジュランさんの視点から見てもありえない。


 そう――そもそも、俺も彼女も、それぞれが所属する国の力に首までどっぷり浸かっている。これが旅芸人と町娘の取り合わせだったら、一緒になることは大いにありえた。立ちはだかる障害は国籍の違いだけ。多少の苦労もあろうが、乗り越えられないことはない。


 だが、だが――やはり、俺は道化師だ。

 全て、そこから始まった。一度終わったはずの生涯に、再びエンジンがかかった。

 俺は、ゼニア・ルミノアの飼っている道化師なのだ。

 これは俺がこの世界にいる理由――いていい理由そのものと言ってもよかった。


 失うことはできない。


 一方で、ジュランさんもやはり、大多数のヒューマンに比べれば国を代表するポストに就いている。女性だからと侮られる部分もあるだろうが、だからこそ学者の端くれであることは、彼女の存在理由に深く関わってくることだと俺は思う。簡単に捨てることはできないだろうし、むしろ、それが俺との距離を縮めてきた強みだったはずだ。もし俺達が互いに全然違う仕事をやっていたら、きっと出会うことすらなかった。


 仮に、俺と彼女が一緒になったとしたら、周囲は何と言うだろう? 祝福してもらえるとは思えない。道化師は肩書きであると同時に、立派な下げ札(レッテル)でもある。

 はっきり言って、俺は姫様のペットだ。常識ある人間なら、知人が誰かのペットとお付き合いする事態は止める。俺もジュランさんも、当事者同士がよければよい、という世界には住んでいない。下手をすれば正気を疑われるし、こっちはこっちで、弱みができるからやめろ、と姫様に言われてもおかしくない。俺もその弱点をケアする自信はない。


 それを思うと、互いに今の立場を守ったまま、周りに認めてもらった上で、尚且(なおか)つエルフとの闘争においても充実した活躍ぶりを保てるような状態は、現実的でない。


 前線で肩を並べてくれとは言わない。正面からエルフを解体できる姫様とジュンの方がおかしいのだから。問題は、全ての元凶は、覆すことのできない真理は――俺達の思い描く作戦にとって、ジュランさんがどうしても、重要人物になりえないことだ。

 魔法が使えないというのは、そういうことらしい。

 ヒューイックさんのように通信魔法が使えれば、なんとか理屈を付けて姫様の()()()として付き添わせることができるかもしれない。運搬魔法が使えれば、補給に人員輸送に重宝してくれるだろう。四大元素の魔法でもいい、何らなら水魔法でジュンと被っていてもいい、何か、何かあれば、姫様にだって嫌とは言わせないのに――魔法を持たないということ、そのどうしようもなさ……無慈悲さを、俺達は解決可能な問題として処理することができない。


 就職活動に精神を削られていた時、俺はアピールできるものを何一つとして持っていなかった。だが、努力の方法さえ間違わなければ、それは手に入れられるものでもあった。――彼女は、決して手に入らないものを、要求された。


 かといって、妥協に妥協を重ねた末の、なんとも味気ない役割に甘んじて、果たしてそれで彼女は俺と共にある感覚を掴むことができるだろうか? 戦線は移ろいゆく。この先、勝ちを重ねていけば――重ねていくしかない――俺はどんどん遠くへ、物理的に遠くへ行かなければならなくなる。それを、アデナ学校で延々座学をやりながら待つことに、耐えられるのか――そして俺も、そんな彼女を大切にするだろうか?


 そこが、わからなかった。


 考えれば考えるほど、幸福な未来が待っているとは思えなかった。


 ――と、一応の結論を出しているのに、未だ本能が引き止めようとしてくるのだ。

 あんな上玉がお前に言い寄って来ることなんてこの先二度とねえ!

 そうとも。俺の言っていることは正しい。冴えない自分にとって、あれがどれほどのイベントであったのかをよーくわかっている。まさに千載一遇のチャンスだ。


 ――ただ、万に一つという夢を、既に見せられているだけなのだ。

 ジュランさんと仲良くし過ぎるということが、そこへ干渉するなら全ては無意味だ。


 だから俺は彼女を抱きしめなかった。唇も近づけなかった。あの美しく黒い髪を……嗚呼、嗚呼。心の底から悲しいが、そういうことなのだ……。


 仕方ない。


 何もかもが仕方なかった。ここですっぱり割り切れるような性格だったら、首を(くく)りもしなかったろうし、今こうして、寝室のベッドで悶々としていることもない。


 それに、俺よりも、ジュランさんの方がより苦しんでいるに違いなかった。

 それでいて、彼女を憐れむ権利は俺にはなかった。


 部屋のドアがノックされた。


 贅沢にも、俺は個室を与えられている。デニーやヒューイックさんですら相部屋で我慢しているというのに、ある家の離れを使っていいことになったのだ。広さもセーラムの自室と同じ程度で、なかなか居心地がいい。ちなみに、姫様とジュンはもちろん村長宅で手厚い歓迎を受けている。


「……は、い……?」


 幻聴かと思った。随分遅くに訪ねてくる人がいたものだ。既に皆寝静まって、若干不眠症気味の俺だけが何度目かわからない寝返りを打っていると思い込んでいた。


 起き上がり、扉の前に立ったが、覗き窓はついていない。


「どなたでしょう」

「あたくしです……ルブナ・ジュランです」


 驚き、同時に納得もあった。


 彼女は諦めてなどいなかったのだ。

 直接乗り込んでくるとは――。


「……入っても、よろしくて?」


 十秒ほど迷いに迷ったが、俺は扉を開けた。


「ああ、よかった――もう返事もしていただけないかと」

「いや、さすがにそんなつもりじゃ……とりあえず、椅子にでも」


 ジュランさんはちょこんとそれに座り、俺もベッドに腰かけた。


 ――何をどう話し始めていいものかわからない。

 あ、いや、そうだ、


「それで、何か……?」


 いくつか思いつかないこともないが、一体わざわざ何をしにきたのか――これをまず聞かないことには。


「あたくし、あれから色々考えました」


 そうでしょうとも。俺も色々考えました。


「それで、一つの結論に達しました」


 俺も結論は出しました。それを完全に受け入れたわけではないけれど……。


「フブキ()()――」


 彼女は立ち上がった。


 そして、俺の肩に手を置き、信じられないほどの力を入れて押した。

 少し抵抗してはみたが、結局、倒れ込むしかなかった。


「どうしても、思うようにはならないのでしょう」


 覆い被さられている。


「願いが叶わぬなら、せめて、思い出を刻みます――よろしいですか?」


 そうか。

 想定していた中で、一番ヤバいやつか。


 しばらく、俺達は見つめ合っていた。


「……それで、貴女の気が済むのなら」


 折れるしかなかった。


 それほどの覚悟があるならば、一晩、受け入れることぐらいは、しよう。


 よく見れば彼女の格好はおそろしく気合が入っていた。フリルの付いた寝間着しか着ていないのだ。しかも生地が透けている。化粧もいつもより気持ち濃い目にしてあるようだし――ちょっと待て、受け入れたはいいがこの世界はゴムがないぞ。まずいぞ。


「えーっと、あーっと……」


 どう説明したらいいだろう。


 ジュランさんが道化服の上をめくって、胸を撫でてきた。

 ――いいか、別に。アレがあろうがなかろうが。


「……明かりは、消しますか?」


 思ったより恥ずかしい。見えてない方が男の俺としてもありがたい感じだ。


「――いいえ。どうか、そのままで」

「そう、ですか……」


 まあ、耐え難い恥ずかしさじゃない。


 ジュランさんは完全に馬乗りとなって、何かを確かめるように俺の身体に触れていく。それはどこか初々しく、少しくすぐったかった。


「――ジュランさん」


 名前を呼ぶと、彼女は今にもまた泣き出しそうな顔になって、


「一度で、せめて一度でいいですから――ルブナ、と。お願いです……」

「――ルブナ、さん……」


 彼女は目を細め、身体を深く沈み込ませて、顔を近づけてきた。

 もうすぐ、重なり合う。


 何かが光を反射した。蝋燭の火の光を。


「――かッ、」


 気付いた時には、もう刃物が喉に刺さっている。

 ナイフ? どこから出したんだ、いつ? 髪の中――ありえる。いや、そうじゃない、何故? 何故だ? 何故こんなことをする? 触ると指にべっとり血が付いた。明るいおかげで赤いのがわかる。どうして――どうして心臓にも短剣を突き立てるのか。


「こお、ォお、」


 駄目だ声がまともに出せない。

 いつから? いつからだ。そんなにショックだったのか? これが結論なのか?


「ごめんなさい。でも、命令ですから」


 違うようだ。誰に言われてこんなことを、いや助けを、助けを呼べないならここから出ないと、彼女、こんなに重かったっけ? 俺も男だ、暴れりゃあ婦女子の一人や二人振り落とすのはわけない話だが、既にこれだけ血を失った状態で、両腕を掴まれてしまうと、困る。――腹にも? 線を引くように刃を引くのは、やめてくれ。


「それにあなた、下手そうですもの」


 確かに、経験はないが、ないが、そうだ魔法、俺にあって彼女にはないもの、風向きを変えてやれば、いいぞ、魔力の輝き、なんて弱々しいんだ。この程度のそよ風は、窓の外でも吹いている。


 ――罰だな。


 当然の報いだ。どこかで間違えていたんだ――どこかで、既に。

 こうなると姫様に申し訳ない。つまらない死に方、道化失格だ。

 心残りなこともたくさんある。この際だから盛大に偉そうなことを言わせてもらうが、俺抜きでどうやって隣界隊を存続させるんだ? 一個も引継ぎしてないし、来た順で任せるにしたってジュンじゃまとまらないぞ、絶対。常識ないんだから。面接もどうすんだ、この世界の人間にゃ理解できないことが、客人(まれびと)の中にはいっぱい詰まってるんだぞ、ろくでもないんだぞ、誰が危険物取扱すんだよ、なあ、あんたもそう思うだろ――。


 ベッドがぐしょ濡れだ。これ全部俺の血か。


 意識、意識を保つのが最優先だ。最優先になるとこまできちまった。あとどれぐらいだけなら、生きていたことにできる? 三分? 一分? 三十秒――それもあやしい。


 さっき、ちゃんと閉めたはずの扉が、半開きになっているのに気付く。

 誰かと目が合った。


 誰だよ。夜遅くに人の部屋訪ねちゃいけねえって母親から教わんなかったのか?

 普通は寝てるんだからよ……。


 誰か、来たのか?


 扉が勢いよく開け放たれ、這うように何者かが部屋の中へと潜り込む。


 さすがに気付かれた。女は後ろを向いたが、断然、乱入者の方が素早い。しっかりと頭部を両手で掴むと、ぐるりと一回転させた。ほとんど、縦に。


 ――姫様。

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