第九話 ドアノブのない部屋と黄色いピアス
第九話 ドアノブのない部屋と黄色いピアス
不良グループに襲われた萌を助けたが、その際に萌が制服を汚してしまった。こんな汚れた服では登校出来ないということで、家まで取りに戻ることになった。
そして、帰ってきました。私の生まれ育った家!!
思わず感慨にふけってしまう。この家を離れてから、もう一か月以上の時間が流れたのか……。前に来た時には、父一人に、姉妹三人の四人暮らしだったのに、今ではお姉ちゃんと萌の……、いや萌は家出中だから、実質的にはお姉ちゃん一人か。寂しくなっちゃったな。
思い出の場所だが、こんな姿になって戻ってきてしまった。なので、大きな声で「ただ今」と言うことも出来ない。
「あの……、水無月さん?」
感慨にふけり過ぎてしまった。萌が私のことを不思議な目で見ている。
「ああ、何でもない。お姉ちゃんに代わりに謝るんだったね」
家出中の萌だと頭ごなしに叱られてしまうので、代わりに私から事情を説明することになっているのだ。そうしたらそうしたで、さらに怒られそうな気もするけどね。
久しぶりの姉との再会に、胸をちょっとだけときめかせながら、玄関でチャイムを鳴らした。
だが、お姉ちゃんは出てこない。いつもならすぐに出てきてくれるのに。もう一度鳴らすが、やはり結果は同じ。
「留守みたいだね」
「な~んだ。びくびくして損しちゃった」
怒られると思って身構えていた萌は胸を撫で下ろしていたが、お姉ちゃんと会いたかった私はちょっとだけブルーになった。
「せっかくだから上がってください。お茶を作りますから」
萌に誘われるがままに、家に上がり、リビングで待たされた。その間に、何気なくテレビのニュースを見ていると、衝撃の情報が入ってきた。
神様ピアスのことがニュースに取り上げられていたのだ。しかも、昨日私たちが調べたことがそっくりそのまま、もうニュースになっている。
衝撃のニュースは止まらない。未開の異世界に入って、神様ピアスを入手した者には、その異世界で神になる権利を認めるということだった。
「神様になれるなんて、すごい世の中になりましたねえ」
いつの間にか横にいた萌がため息交じりに話している。
「水無月さんは神様になったら、何をします? 私は……、キャッ❤」
萌が何を考えているのかを知る気はない。どうせろくでもないことだろう。さっきの一件で私は惚れられてしまったらしいから、私との桃色な未来でも想像しているのかもしれない。
しかし、とんでもないことになってしまった。元々、「神様フィールド」はライフピアスのみをプレイヤーに提供して、管理は開発側が行うことになっていたのに、だいぶ最初の意図から遠ざかってしまっている。後で、牛尾さんに確認したところ、こっちの方が異世界の探索が効率的に勧められると判断しての報道らしいが、どうなることやら。
「水無月さん。顔色が悪いですよ」
私が真剣な顔で見入っていたので、萌に心配されてしまった。何でもないと言ったが、こんなニュースを見ているから顔色が悪くなるんだと主張する萌にテレビを消されてしまった。
「そうだ。私の部屋で飲みましょうよ」
「え? ここで飲めばいいじゃない。俺も長居するつもりもないし」
「こんなテレビしかない部屋より楽しいですよ。だから行きましょう!」
ほぼ初対面の私を自分の部屋に上げるという。いくら姉の婚約者の弟とはいっても、警戒心がなさすぎないか? 私の知る萌はここまで危険に疎いやつじゃなかった筈なのに。
結局、萌に押し切られる形で、私は萌の部屋に連れて行かれることになってしまった。元の姿の時には、入ろうとしただけで喧嘩になったというのに。外見が男に代わっただけで、ずいぶんな変わり様だ。
萌の部屋に行く途中に他の部屋も横切ったが、その内の一つに、お父さんの部屋も入っていた。お父さんの部屋だけ、他の部屋と雰囲気が違うから、どうも好きになれないのよね。
「あ、この部屋に気付いたのね。さすが水無月くん。お目が高い。ここはお父さんの部屋よ」
もう知っていることを、頼んでもいないのに、ぺらぺらと話してくれた。
「でも、お父さんが出張中なので、今は鍵がかかったままになっているんです。一種の開かずの間になっていますね」
やけに明るく話すと思っていたら、萌はお父さんの失踪を知らなかったのか。ニュース番組や新聞も読まないから、世の中の動きもちゃんと把握しているか怪しいし、知らないのも無理はないか。
それにしても、開かずの間ねえ。自分の家にそんな呼ばれ方をする部屋が出来ていたなんて。ちなみに私の部屋はどうなっているのかしら。
ん? お父さんの部屋のドアを見ていると、ドアノブが取り外されていることに気が付いた。
「あ、あれ? 壊れている!?」
これには萌も驚いていた。家に強盗が入ったのだろうか。
「け、警察に連絡……。そうだ。月島さんに電話しなくちゃ……」
お姉ちゃんが月島さんと婚約して以来、異常事態が発生した場合にかけるのは、110番ではなく、月島さんの携帯番号なのだ。
萌が慌てた様子で電話している中、私はお父さんの部屋に入ってみた。
ドアノブがあんなに乱暴に取り払われていたのだ。室内はとてもひどいことになっているだろう。そう思っていたが、予想に反して、室内はきれいに整頓されていた。まるで、たった今掃除を終えたばかりのようだ。一見すると、何も取られた形跡はない。
じゃあ、何で犯人はドアノブを壊したのだ? お姉ちゃんも萌も、そんなことをする訳がないし、何者かが家に侵入したのは事実だ。
お父さんは「神様フィールド」の開発に携わっていたので、それに関する機密情報を狙っていたに違いない。そいつは室内を物色した後に、侵入したのがばれないように、後片付けをして帰っていった。でも、間抜けなやつだったから、ドアノブを元に戻すのを忘れてしまった。やや強引な推理だが、そう考えた。
わずかなほころびも見逃さないように、もう一度室内を見回すと、机の引き出しの一つからメモ紙がはみ出ていた。それを引き抜いて見てみると、「もしもの時のために」と書かれていた。
「もしもの時のために?」
不思議に思って、紙が挟まれていた引き出しを開けてみると、中には黄色いピアスが入っていた。
「何、これ……?」
手に取ってみたが、重さも形もライフピアスと同じだった。色以外はどこもライフピアスとそっくりだった。
でも、こっちは黄色。それにライフピアスも、神様ピアスも、現実世界では専用のパスカードに姿を変えている筈だ。どうしてこれはピアスの形のままなのだろうか。
私は何気なく、ライフピアスと同じように、黄色のピアスを左の耳に付けてみた。そして、そっと「ログイン」と口ずさんでみる。
気が付くと、私は真っ暗闇の世界にいた。ここはどこだと考える前に、頭の中に無数の世界の映像が入り込んできた。公式に設定された十の異世界。この前、月島さんと行った異世界。そして、まだ見ぬキメラの作った異世界。
誰かに教えられた訳でもないのに、その内の一つを選ばなきゃいけないことが分かった。
整理されていない頭で、適当に一つを選ぶ。そうすると、次は様々な絵が描かれた複数の立方体が体の周りを回り始めた。絵は立方体ごとに違っている。やはり教えられたわけでもないのに、この中からどれかを選ばなきゃいけないことが分かっていた。
何? 私に一体何が起こっているの? この黄色のピアスのせいなの?
頭の中に一方的に入ってくる情報に、私はひたすら混乱した。そして、それが過ぎた時、私は人っ子一人いない山中に立っていた。
周りを見渡して確信する。これは私がさっき選んだ異世界だ。
そっと左耳のピアスを触ってみる。これがあれば、好きな異世界にいつでも行けるのだろうか。そうなると、異世界選択の次に浮かんだ、あの絵柄付きの立方体は一体……?
一か月後、世間では「神様フィールド」が爆発的にヒットしていた。思い思いに異世界を楽しむ一般プレイヤーに交じって、未開の異世界を探索して、神様ピアスを発見して高額で売り払う「ハンター」と呼ばれるプレイヤーも出てきた。神様ピアスは五百万円という高値で、ネット上で売買された。それに伴い、何人もの急造の神様が異世界を好きなように形成していた。
中には、異世界の豊富な土地に豪邸を何軒も立てて、現実世界の住人に住まわせている者もいた。こっちで狭いアパート暮らしに飽きていた者は、我先にと異世界へと移住した。
ファンタジー世界に憧れて、異世界に旅立っていく者も大勢いた。その気になれば、向こうで永住することも出来るのだ。現実世界に未練のない者にとっては、願ってもない話だっただろう。
当然、日本の人口は急激に減少していき、一年もすれば、元の半分になるのではないだろうかという勢いだ。
そう言う私も、異世界に入り浸る人間の一人だ。他のやつと違うのは、遊びや移住が目的ではないかということか。
その日も、異世界探索を終えて、暗くなってから、月島さんの家に帰宅した。
「また異世界に行ってきたのかい?」
「うん」
先に帰っていた月島さんがキッチンから顔を出した。私は冷蔵庫から牛乳を出すと、一気飲みに近い勢いで、喉に流し込んだ。
最近、暇さえあれば、異世界に入り浸っている私に、月島さんもさすがに心配になって来たのか、しきりに声をかけてくるようになった。
「異世界は相当楽しいようだね」
「全然」
それなら、どうして異世界に行くんだという顔で、月島さんが私を見ている。いくらなんでも、今の説明じゃそうなるなと反省し、言葉を付け足した。
「だって、ナンパばかりされるんですよ。これだから男は……」
「? 男の姿をしている君を? ナンパ?」
しまった。つい余計なことを言ってしまった。月島さんがさらに怪訝な顔をしているではないか。
「え~と、近いうちに詳しいことを話しますよ。だから、心配しないで。他のやつみたいに異世界廃人になっている訳じゃありませんから」
それだけ言うと、私は自室へと退散した。
息を吐いて、ベッドに倒れこむと、ポケットから黄色いピアスを取りだして、ニヤつきながら独り言を言った。
「月島さん。私、面白いことになっているよ」
真白(水無月)の体に起こった変化については、ストーリーの進行に伴い、明らかにしていきます。