第八十六話 逃げられない
第八十六話 逃げられない
異世界の洞窟にて、キメラと会話した直後、二人組の男に絡まれてしまった。キメラからは、仲間の一人が私を潰そうとしていると忠告を受けたばかりだったので、そいつの差し金かとも思った。
しかも、その二人組。自分たちから絡んで来たくせに、私をそっちのけにして、会話に浸ることが多いのよね。
放っておいて、逃げることも考えたが、こっちは萌を抱いている状態なのだ。どうせすぐに追いつかれると思って止めた。こいつらが話し終えるのを待っていたら、いつになるか分からないので、強引に会話に割り込むことにした。
「……ねえ、さっきからごちゃごちゃ気分を害することを話しているけど、あんたたち、水無月くんを殺したの?」
楽しげに話していた二人組の表情が一変した。
「ありゃりゃ……。いきなり核心をついてきたよ」
「馬鹿。お前が水無月を殺したなんて、うっかり漏らすからだろ。見ろよ、すっかり警戒しているじゃないか。今更冗談ですって言ったところで、もう信じてもらえないぞ」
「まあ、本当の話なんだけどな」
表情が変わってからも、相変わらず二人だけで会話している。私と話す気がないのかしら。ただ、こいつらが水無月くんを殺した犯人だということは、はっきりしたわ。
「どうして、水無月くんを殺したの? 彼に何か恨みでもあったの?」
どうせたいした理由はないのだろうと思いつつ、念のために聞いてみた。
「恨みなんて、ないよ。殺せって言われたから、殺した。ただそれだけ」
予想通り、大した理由はなかった。というか、依頼があったから、殺したって、こいつは殺し屋なのかしら。
「それで? 今度は私を殺そうとしている訳? 私に個人的な恨みはないけど、殺せと指示を受けたから」
何の迷いもなく、二人組は首を縦に振った。双子かと思うくらい、タイミングがあっていたことに、イラッとしてしまった。
「私を殺すように指示したのは誰かしら。冥土の土産に教えてもらえる?」
もちろん、素直に冥土に送られる気など毛頭ないが、質問する。二人組は、口答えすることもなく、そいつの名前を吐いてくれた。どっちが絡んでいるのか分からないくらいのスムーズさだ。
「誰の命令って、そんなの揚羽に決まっているだろ」
「所属するチームのリーダーに好かれたいって言っていたしな。リーダーの名前はキメラだっけ?」
揚羽の名前が出てきて、驚いたのなんのって。これまでの話を整理すると、揚羽がキメラに好かれるために、私を潰そうとしている。しかも、揚羽は、キメラの仲間。
キメラは、私が気付いていないというだけで、自分の仲間とは、もう全員と会っていると言っていた。
でも、揚羽がキメラの仲間で、私に殺意を抱いていたなんて。そんな素振りは微塵も感じられなかったが、人間薄皮一つ向くと、何を考えているのか分からないというしなあ。
だからといって、あっさり受け入れることも出来ない。加住くんからも、散々忠告を受けたが、彼女が悪いやつだとは、どうしても思えないのだ。本人に会って、直接問いただしたかった。
「ねえ、あなたたちに私を潰すように指示した揚羽は今どこにいるの? 連絡が取れるのなら、ここに来るように言ってもらえるかしら」
「おいおい、揚羽を呼べってさ」
「そんなことして、どうするんだろうな。もう終わりなのに」
二人組は、私を憐れむように見ながら、近寄ってきた。どうやら、私の要求に応える気はないらしい。そして、これから私に危害を加える気だということも分かったわ。会話の時間は終わり、ここからは狩りの時間という訳ね。
二人組が距離を詰めてくるのに合わせて、後ずさりしながら、どう対応するか考えた。幸い、頭は冷静だった。
私も腕には自信があるけど、萌を抱きかかえている状態で無理は出来ない。ムカつくけど、ここは逃げることにするわ。
覚悟を決めて、一気に走り出す。幸いなことに、萌を抱きかかえている状態とはいえ、私の方が速かった。というか、あいつら、走っていないわ。私を追いかけているのは確かだけど、歩いている。追う気があるのかしら。
でも、こっちにしてみれば好都合だわ。きっと揚羽に無理やりやらされたから、やる気がないのね。そういうことなら、さっさと撒いてあげましょう。
それからしばらくの間、一心不乱に走り続けたわ。速度は相変わらず、私の方が断然速い。なのに、二人組を撒くことが出来ない。こっちが全速力で、向こうは歩いているだけなのに、距離が一稿に離れない。その割に、少しでも立ち止まると、距離が徐々に狭まってくる。ちょっと……、こんなんじゃ、いつか追いつかれるじゃないの。
「ねえ、萌ちゃん。ちょっと起きてくれるかな。緊急事態なんだ」
眠っている萌を起こせば、少しは楽に走れると思ったのに、萌はうんともすんとも言わない。いつもここまで寝起きが悪くないのに、どうして起きないのよ。いい加減にしないと、怒るわよ!
「お姫様は起きないねえ」
「地面に投げ捨てて、自分だけで逃げれば? 今より楽になると思うよ?」
息一つ乱していない二人組が縁起でもないことを言ってくる。萌を置いて、自分だけ逃げろですって、そんなことできるものですか!
「あれ? お姫様を捨てないの?」
「強気だね。でも、いつまでもつかな」
萌を抱えたまま走る私に対して、相変わらずの挑発。でも、一つだけ違うことがあった。私に向けて、何かを飛ばしてきたのだ。
すんでのところで躱して確認すると、それは手錠だった。
「それで拘束して、好きにやらせてもらうよ」
「楽しみだ」
思わずゾクリとしてしまった。いきなり攻撃してこないところに、慣れているものを感じる。こんなやつらに捕まったら、何をされるか分かったものじゃないわ。
私の悪寒をよそに、二人組はどこにそんな隠し持っているのかというほどの手錠を両手に溢れさせた。ざっと数えただけでも、合計五十個はあるかしら。
「鬼ごっこも飽きたし」
「もう捕まえちゃうね」
言い終わるより先に、私に向かって、俊敏な動きで、一気に差を詰めてくる。一目見ただけで、向こうの方が速く、逃げ切れないのが分かった。
必死で対抗するが、あっという間に、右手に手錠を一つはめられてしまった。調子に乗ったもう一方が、左足にも手錠を取りつける。どんどん自由がなくなっていく。急加速でやばい事態だわ。
焦りの色が濃くなる私を見ながら、二人組は心底楽しそうだ。
「どんどん追い詰められていくね」
「もう俺たちに王手がかかっているんじゃない?」
「ふざけるな。まだまだいける!!」
勝手に勝った気でいるな。これでも、土壇場で力を発揮するタイプなんだから。
「あれれ? そろそろ大人しくなると思ったら、全然闘気を失っていないじゃないか」
「しぶといな。いっそ体を手錠尽くしにしてやろうか」
「それもいいけど、アレを見せない? きっと驚愕するよ」
「ああ、アレか。うん、いいね」
またごちゃごちゃと……。いちいち話すのを止めなさいよ。耳障りで仕方がないのよ。私が苛立っていると、二人組が左の耳元を露出した。髪で隠れていた部分があらわになる。
「じゃじゃ~ん! これ、何だ?」
アレは……、黄色のピアス!? 二人ともつけているということは、どちらもキーパー。特殊能力の使用が可能ということ?
「あ、驚いているよ」
「そりゃそうだ。ことの重大さに気づいたようだな」
「実を言うと、能力を一つ、さっきから解放しているんだよ」
成る程。いつまで経っても、引き離せないのは、特殊能力のせいなのね。そう結論付けようとすると、二人組の腰の辺りに、うねうねと動くものが見えた。
二人組の一方が自慢げに見せている。あっちが特殊能力? もう! どっちが特殊能力なのよ。意味が分からないわ。あ、一つだけ浸かっていると言っておきながら、実は二つ使用しているとか?
いろいろ考えるが、結論はなかなか出ない。というか、どんどんこんがらがってきた。
とりあえず、混乱した頭で、やることは一つよ。
悔しいけど、異世界から避難しなきゃ。分が悪すぎるわ。まず、萌の耳からライフピアスを外して、次に自分の耳からも外して、異世界からログアウトした。
「あらら。こいつ、逃げる気だよ」
「無駄なのにね。ログアウトくらいで、俺たちから逃げられるとでも思っているのかな?」
二人組が物騒なことを言っているけど、構うものですか。逃げるが勝ちよ。
周りの景色が瞬時に、現実世界のログインした場所へと変わる。当然、二人組の姿も消えていった。絡まれたのが異世界で良かったわ。
二人組が妙なことを言っていたのも、気にしない、気にしない。近くのベンチに、呑気に眠っている萌を寝かしつけると、隣に私も座る。散々走ったせいか、息が上がっているのだ。
ようやく安心できたと思っていると、手首のところに変な感触が。気になって確認すると、手錠がはめられていた。異世界で二人組からはめられたのと、同じ場所だった。ただし、手錠から先は、鎖が途中まであるだけだった。これは何?
逃げられると思っているのかという、別れ際の二人組の台詞が、否応なしに脳内再生された。