第六十八話 トラウマの導火線
今回はいつもよりちょっとだけ長めです。
第六十八話 トラウマの導火線
巷で騒がれているテケテケの動画を撮ろうと、止せばいいのに、廃ビルへと侵入した私たち。向こうに気付かれることなく、ターゲットを動画に収めて、さあ帰ろうとなった時に、萌が地面に転がっていた空き缶を蹴ってしまった。
悲鳴を上げそうになるのを抑えて、萌を見ると、泣きそうな顔をしている。こんな時に何をしているのよ!
まずい。今の音で、気付かれてしまったかもしれない。
冷や汗がどっと噴き出しつつも、グラコスを見ると……。やつは動いていなかった。それどころか、微動だにしていない。
「気付いてない?」
あれだけの音を立てたのに、気付かれてない。にわかには信じられないが、ラッキーだ。
「腰が抜けてしまいました……」
小夜ちゃんが恐怖のあまり、その場にへたれこんでいた。置いていく訳にもいかないので、私がおぶる。背負われる小夜ちゃんを、萌が羨ましそうに見ていたが、さっき空き缶を蹴った罰よ。指を咥えて、悔しさに耐えていなさい!
「気を取り直して、撤退再開や……」
瑠花を先頭に、再度歩き出す。また音のなるものを蹴らないように、今度は足元にも、神経を集中する。
よし。足元に後が出そうなものは落ちていないわね。これなら、慎重に歩けば、大丈夫……。
そう思っていた時、空き缶が私たちの前に放られてきた。
ガシャーン!!
さっき空き缶を蹴ってしまった時とは比べ物にならないレベルの大音量が建物内に鳴り響く。
驚いて、空き缶が飛んできた方を見ると、向こうの物陰から、男女数人がこっちをニヤつきながら見ていた。
「何だ、あいつら?」
「私たちの他にも、テケテケを動画に収めていた連中がいたのね……」
「百万円ですからね。いつライバルが出てくるか、分かりません」
あれだけ騒ぎになっていたのだ。私たち以外にもグラコスを動画に収めて、一儲けを企む輩がいても、おかしくはない。
それよりも気に入らないのは、あいつらの表情だ。人に向かって、空き缶を放り投げたくせに、得意満面といった顔をしている。ていうか、あいつら、また空き缶を投げてくるつもりだ。連中の一人が空き缶を持って、こっちに投げるジェスチャーをしている。
次の瞬間、また私たちの足元に、空き缶が投げ込まれた。さっきと同じように、大音量がこだまする。あいつらが投げてきた空き缶……。大きな音が鳴るように、中に小物を入れているようだわ。
調子に乗って来たのか、こっちに向かって、どんどん放り投げてきた。
「ちょ、ちょっと止めてくださ~い!」
小夜ちゃんが慌てて止めるように懇願するが、向こうは一向に止める気配がない。むしろ面白がって、逆に放るスピードを早めてきた。
あいつら……。まさか……。
「俺たちを当て馬にする気じゃないのか?」
「みたいやな……」
連中の行動を見る限り、間違いない。あいつら、私たちをテケテケに襲わせて、その様子を動画に収めるつもりだ。小細工入りの空き缶を用意している辺り、最初から計画していたと思われる。金のためなら、人の命がどうなっても良いっていうの?
「く……。ふざけた真似を……」
足元に落ちていた空き缶を拾い上げて、連中に向かって投げようとする小桜を、慌てて止めた。
「今は仕返しなんか考えている場合じゃないだろ。そんなことをしていたら、マジでテケテケに気付かれるぞ。今はさっさと逃げることに集中するんだ」
「でも……」
「でもじゃない!」
渋る小桜の首根っこを掴みながら、この場を後にすることにした。幸い、テケテケは最初見たところから、動く気配がない。
これだけ大きな音を立てているにもかかわらず、動かないということに、さすがに不信感を覚えてきていたが、とにかく襲われないのはありがたい。さっさと逃げてしまうことにした。
小桜は納得いってなさそうだったが、心配しなくてもいいわ。私だって、腸が煮えくり返っているんだから。あくまで、この場は退散するというだけよ。このままで済ませるつもりは毛頭ないわ。
場を後にする時に、自分の携帯電話で、私たちをダシにしようとした連中を撮影する。今日は退くけど、後日、探し出して、しっかりとお礼をするつもりだ。
その場から立ち去る時に、連中を思い切り睨みつけてやると、グラコスが動かないのを良いことに、無謀にも接近を始めていた。間近から映像を撮るつもりなのだろう。舐めた真似を……。
いくら動かないといっても、人殺しの化け物であることに変わりはないというのに。万が一、グラコスが動き出そうものなら、私たちの足じゃ対応できない。早急に部屋を離れると、徐々に足を動かす速度を速めていく。
もう空き缶という妨害がないこともあって、撤退は比較的順調に進んだ。
「あいつ、全然動かなかったですね」
逃げながらも、落ち着きを取り戻してきた萌が、疑問を口にした。
「もう死んじゃっているんでしょうか?」
小夜ちゃんもまだ怯えていたが、グラコスの様子がおかしいことに不信感を持ったようだ。確かに不自然だったが、そのおかげで、命拾いしたのも事実だ。どうして反応がなかったのかについては、家に帰ってから、のんびりと考えればいいことだと思う。
「でも、あいつらの方が良い動画を撮るんだろうな……」
小桜が無念そうに呟く。
「そういうことを言うな。命あっての物種じゃないか。なあ、瑠花?」
瑠花にも同意を求めたが、こっちの会話など興味もないというように、真剣な顔のまま、走っていた。
「あいつら、殺されるで……」
「そうだよな。いくら、テケテケが動かないからって、自分たちから近付くことないじゃん。頭でも叩いているところを撮るつもりなのかね?」
「そうやない」
瑠花に合わせた返答をしたつもりだったが、きっぱりと否定された。
「あいつ、ほんまに骨しかなかった。音を立てても、気付かなかったのは、聴覚を司る器官もないから、聞き取れなかっただけやないか?」
なるほど。聴覚がないから、周りの音を聞き取ることが出来ないって言いたいのね。一応、的を得ているようにも聞こえるが、それだと矛盾してくる。
「骨だけだから、耳が聞こえないというのなら、目だって見えない筈じゃないんですか? でも、動画では、人を何人も殺していますよ。目も耳も使えない奴には、不可能です」
萌も、私と同じところが気になったようで、即座に反論していた。瑠花はそれに答えることもなく、黙っていたが、歩けるようになった小夜ちゃんを下ろした時に、そっと耳打ちしてきた。
「グラコスのことを、うちなりに調べたんや。本来なら、プレイヤーに立ち塞がる予定だった魔物だから、その気になれば、情報は山ほど手に入ったわ。何でも、あいつは努力家みたいで、魔王から力を貰った後、力を使いこなせるように鍛錬を怠らなかったそうや」
今はテケテケと呼ばれているが、元はグラコスという名前だった。瑠花はあいつに対して、何かしら知っているようで、話を続けた。
「でもな。なかなか力を使いこなせずに、仲間内ではずいぶん馬鹿にされたみたいでな。ある日、仲間の魔物が悪ふざけで、あいつが体温を上げている時に、度数の高い酒を頭から被せたそうや」
「それって、まさか……」
「そうや。それが元でグラコスは体温が上がり過ぎて、骨だけ残して、体が解けてしまったんや」
何と言うか、想像を絶する昔話だ。魔物も魔物で、苦労しているのね。敵は勇者だけに非ずということかしら。
「でも、それとさっきの連中とどんな関係があるの?」
聞き返す私に、じれったそうな顔で、瑠花が言葉を返してきた。
「連中の頬が赤らんでいたのに、気付かなかったんか? おそらく、ここに来るまでに一杯引っかけとるな。しかも、うちらが去る時に、動かないのを良いことに、グラコスのことを馬鹿にしとった。どれも、あいつが死ぬほど、嫌いことばかりや」
「それで、キレたグラコスに殺されると言いたいの?」
「そうや。あいつは骨だけになってから、五感が全て使い物にならなくなっとる。だがな、限定的に復活する瞬間があるんや」
「まさか……」
だんだんと瑠花の言いたいことが分かってきた。息を飲んで、説明に耳を傾ける。
「条件は二つ。アルコールが近くにある時か、馬鹿にされた時。どれも、あいつが体を失う原因になったトラウマばかりや」
トラウマを刺激されることで、破壊や殺人を開始する化け物。それがグラコスの正体だっていうの!?
「じゃあ、さっきのやつらも……」
その時、建物内に絶叫がこだました。音がしたのは、さっきまで私たちがテケテケの動画を撮影していた場所からだ。
「襲われたみたいね……」
「最悪の展開や。あいつ、一度キレると、手が付けられんらしいからな」
絶叫が止むのと、入れ替わるように、何かが凄い勢いで、こっちに迫ってくる音がした。向こうが私たちを目指しているのは、言うまでもあるまい。
「え!? 何々? どうしたの?」
「ひ、悲鳴が聞こえましたけど。さっきの人たちでしょうか?」
口々に動揺が広がっているが、もたもたしている余裕はない。
「走るぞ……」
どうせすぐに追いつかれるだろうが、とにかく逃げなくては。