第三十七話 窮鼠猫を噛む 前編
第三十七話 窮鼠猫を噛む 前編
骨折や、内臓の破裂など、体感したこともない痛みを味わうという能力のせいで、頭がクラクラした。
体は無傷のままなのに、さっき幻覚とはいえ、激痛に苛まれていたので、脂汗が止まらない。奴隷が奮闘していなかったら、正直危なかった。
どうみても顔色が悪い私を見て、アーミーはひたすら愉しそうにしていた。
「どうする? もうギブアップするかい?」
「冗談じゃないわ。続行よ!」
ここでのギブアップは、黙って殺されることを許容することなのよ。どんなにつらくても、ギブアップする訳にはいかないじゃない。
「さっきの変なシャボン玉はもう効果切れ。二度とやられることはないわ。次は私が責める番よ」
気持ちこそ強がっていたが、本当は話すのもつらいくらいに息が乱れていた。もちろん、その程度のことはアーミーにも分かっていた筈だ。
「バトル続行か。まあ、誰でも死にたくないものだからな。勝機がなくても、足掻くしかあるまい。だがね、君は一つ重大な事実を見逃している……」
「?」
アーミーは両方の耳に付けられているピアスを爪でパチンと弾いた。
「今、俺の耳には二つのピアスが付けられているが、どちらも異世界での物理ダメージを無効にしてくれるという共通点がある……」
「そんなことは言われるまでもなく、知っているわよ」
私は開発者の娘なのよ。世間に公表されるよりも早く、その事実を知らされていたわ。あんたに説明されるまでもないわ。
「そんなことを今更言うなという顔だね。じゃあ、質問だ。ピアスの力で、異世界では物理ダメージを受けることのない俺は、どうやって外科手術を受けるのだ?」
「え? そんなこと……」
そこまで言われてハッと気づいた。外科手術だって、体にメスを入れるということは、れっきとした物理ダメージではないか。本来なら、ピアスが勝手に力を発揮してしまい、手術は不可能の筈だ。
じゃあ、現実世界で手術を行えばいいかというと、それも無理だ。さっきの女医さんは明らかにこいつの創造物で、現実世界に連れて行くことは出来ない。
つまり、こいつが今までしてきた手術の類は、本当なら不可能なのだ。
しかし、こいつはそれを為しとげ、何度も行っている。
「黄色のピアスの力……?」
何気なく口にしたが、正解だったらしい。アーミーが手を叩いて、私を祝福した。
「君は神様ピアスと黄色のピアスを両方付けている姿を見て、本気を出してきたと思っているようだが、それは間違いだ」
アーミーは両手を上げて、私に近付いてくる。何かの予兆を感じ取った私は、反射的に身構えた。
「黄色のピアスの能力で物理ダメージを受けられるようにして、神様ピアスで手術に必要な器具や環境を整理する。俺にとって、この組み合わせはベストなんだよ……」
「物理ダメージを食らうようにする能力ですって!?」
普通に考えたら、無意味な能力だ。せっかく免除されているのに、わざわざまた食らうようにするなど、狂気の沙汰だ。
「その能力の名は、『特権解除』……」
『特権解除』! これが、アーミーが手術をする時に使用しているという能力。異世界での物理ダメージ免除を解除して、現実世界と同じように痛みを感じたり、手足の切断をしたりすることを可能にするという、こいつくらいしか使わない能力を発動した。
「百聞は一見にしかずだ。ぐだぐだ説明するより、実際に体験してみる方が手っ取り早いだろ」
突如アーミーが、私に向かって、回し蹴りを見舞ってきた。ガードを試みたが、私程度ではどうしようもなく、もろに食らってしまった。
「いたたた……」
さっきの痛みに比べると、かなりマシだが、それでもぶつかったところがジンジンと痛んだ。
「どうだ? なかなか刺激的だろ……」
痛む私を見下すというよりは、痛みに対する喜びに対して同意を求めるように聞こえた。
「さっきみたいなまやかしの痛みじゃない。これから味わうのは本当の痛みだ。さあ、リアルなバトルを楽しもうじゃないか。なあ……?」
アーミーは奴隷にも突き立てた巨大アーミーナイフを手に取った。突き出ているのは、紙やすりだった。
「これで少しずつ、その綺麗な顔を削っていってやろう……」
「こ、この可愛い顔を台無しにする気なの!? 何てやつ……」
私が話し終わらない内に、ナイフが振り上げられた。顔だけは傷つけられたいくないので、全神経を使って迎え撃つ。
その結果、攻撃は警棒でどうにかガードした。しばらく金属と金属が重なり合う乾いた音が響く。
「気を付けろよ。ここで傷ついた体は現実世界に戻っても、治癒されないから……」
つまり、ここで追った傷はそのままということなの!? ますます傷つく訳にいかなくなったわ。
必死で顔を守るようにしたが、それは逆を言えば、他のところのガードが甘くなるということだ。
私の場合、腹を狙われた。紙やすりという、あまり鋭利とは言えない刃が縦横無尽にえぐっていく。
「!!!?」
腹部の服が削がれ、腹が露わになる。
「よ、嫁入り前の体に何て事をするのよ」
「嫁入り? これから死ぬ人間の割に面白いことを言うなあ……」
次の瞬間、私のお腹から鮮血が飛び散った。いつもならピアスが肩代わりしてくれるダメージをもろに感じてしまう。
「ぐうぅぅぅ……」
い、痛い。痛い。痛い……! 痛くて、涙がポロポロとこぼれそうになる。
「ほら、止めを行くよ……」
私の動きが止まったのをチャンスと睨んだのか、ご丁寧に、もう一つの能力を使って、勝負をかけてきた。
「『能力再生……』」
『能力再生』……。これは知っている。確かログイン後に使った能力をもう一度使用できるという能力だ。
「使う能力はもちろんこれだ……」
私の周りにさっき消えたばかりのシャボン玉が浮かんだ。しかも、私を取り囲むようにしている。これじゃ、迂闊に動けないわ。
「これでもう逃げ回れないね」
アーミーが通るところだけシャボン玉が道を空けるように、避けていくではないか。舌なめずりしながら、私との距離を詰めてくる。痛いし、怖いし、もう嫌になっちゃうわ。
痛みで頭がぼやけてくるが、自分が追い詰められていることは分かった。こうなれば、こっちも残りの能力を二つとも使って、一気に勝負をかけてやる。
覚悟を決めた私は頭上に向かって、警棒から残りの玉を発砲した。周りから見たら、恐怖でおかしくなったように見えたことだろう。
「何をしているんだ。……と言いたいところだが、他に狙いがあるんだろ?」
やはりばれていたか。でも、ここまできたら、もう後戻りは出来ない。攻撃あるのみだ!
「食らえ!」
私が叫ぶと同時に、頭上に発砲した弾がアーミーに向かって落下した。
「重力を操る力か……」
この程度では俺を攻撃できないと、余裕の動きで落下してくる弾を躱していく。全て躱すと、次はどうするという顔をしてきた。……馬鹿め。重力に見せかけた目くらましよ。本当の攻撃はこれから。
地面に落下した弾がまたアーミー目がけて襲い掛かる。今度はある程度不意を突けたようで、あと一息というところまでいった。結局かすっただけだけど。でも、それで十分。
「む……!?」
かすったところが溶けていることに気付き、表情を歪める。
「これは硫酸か……」
「そう! 対象に硫酸を仕込む能力。『硫酸付加』」
アーミーは硫酸が自分を溶かしている様子を興味深げに眺めていたが、すぐに飽きて私に向き直った。
「だが、これだけでは私は倒せない……!?」
そんなことは知っているわよ。それはあなたを倒すためじゃない。隙を作るために使用した能力よ。あんたの注意を、私から一瞬でも反らせれば大成功。本命はこっち!!
「女の子を苛めて楽しんでいるんじゃないわよ!!」
怒声を上げて、最後の能力で発生させた剣を、アーミーに向かって振り下ろした。
次回、決着です。まあ、予告するまでもなく、誰でも予想できることですけどね。