第三十四話 反撃の狼煙
第三十四話 反撃の狼煙
一度は月島さんが撃退した連続殺人鬼アーミー。瀕死の体で異世界に逃げ込んだので、もう死んだ可能性すらあった。生きていても、当分は活動を自粛するだろうと踏んでいた。
だが、やつは諦めなかった。老婆の姿になってまで、私たちを狙い続けていたのだ。
一瞬の油断を突かれて、私は脇腹を刺されてしまった。力なく路上に倒れこみ、一見すると終わりに思える時代だ。
「意外にあっけなかったな……」
手に持っているナイフを持ちかえながら、アーミーは感想を漏らした。もっと手ごたえがないとつまらないと言っているようで、ひたすら不快だった。
「いや、本番はこれからか。この子が相手にならないことは想定済みだ。これで変に浮かれて、あの刑事に返り討ちにされたら、元も子もない」
月島さんのことを言っているのだろう。私の死体を使って、挑発するつもりらしい。何か、私ってば、すっかり足手まといになっているわね。ていうか、私が相手にならないことは想定内ですって!? 失礼しちゃうわ。
幸い、アーミーは私がもう死んでいると思い込んで、このまま立ち去るつもりらしい。悔しいけど、不幸中の幸いね。もし、もう一度刺されていたら危なかったわ。
敵に後ろを見せるとは何事かと、背後から襲いかかってやりたいところだけど、今日は見逃してあげるわ。
逸る気持ちを抑えて、自分が見舞われている危機が去ってくれることを、本気で望んだ。
……そのまま立ち去ってちょうだい。それが私の願いだった。
実を言うと、私の意識はまだはっきりしていた。確かに脇腹を刺されたものの、深くはなかったのだ。刺される寸前にポケットに手を入れていたので、咄嗟に同じく中に入れていた財布で攻撃をガードしたのだ。買い物をするためにお金を下ろしていたばかりなので、財布が結構厚くなっていたのが幸いした。おかげで、完全に脇腹に刺さるのを防ぐことは出来なかったものの、致命傷は避けることが出来た。
私を殺したと思い込んでいるアーミーは後ろ姿を見せた。もう立ち去る気なのだろう。ようし、いいわよ。そのまま歩き出して、どっかに行っちゃいなさい。そしたら、すぐに警察に通報してあげるから。
「監視カメラにもわざと映るようにしたし、この子が死んだことはすぐに、あの刑事の知るところになるだろう。今まで以上に血眼になって俺を追う筈だ。そこを、隙を見つけて、背後から襲って殺す。ああ、その瞬間が待ち遠しい……」
前回、あれだけボコボコにされたのに、闘争本能を失わないなんて、どこまで学習能力がないのかしら。
でも、おかげで助かったわ。お望み通り、月島さんを呼んであげるわよ。アーミーの後姿を眺めながら、携帯電話を取り出そうとする。
……あれ? アーミーの姿がない。さっきまでそこを歩いていたのに。
あんなに早く立ち去れと願っておきながらも、こんなに早くいなくなると、それはそれで不安に思ってしまうのだ。だが、その不安は的を得ていた。
「……このまま見過ごすと思ったか?」
私の上部から声がした。何てことはない。向こうは私が死んでいないことに、とっくに気付いていたのだ。それで、私が死んだふりを止めるのを、笑いを堪えながら待っていた訳だ。それにまんまと騙されたことになる。
「俺が今まで何人の人間の命を奪ってきたと思っているんだ? どこを刺せば、どれくらいの出血があるとか、熟知しているんだよ」
人殺しなんて、何の自慢にもならないことを楽しそうに語っている。やはりこいつは真正の殺人鬼だ。
「脇腹を刺したのに、これしか出血しないなんておかしいよな……」
得意そうに、さっき刺したばかりの私の脇腹を蹴った。ちょっと! 致命傷に放っていないとはいえ、痛いんだから、あまり蹴らないでよ。
痛みに耐えながら、アーミーを睨むと、私を見ていなかった。やつが見ていたのは、路上に転がっている私の携帯電話だった。いきなりアーミーに話しかけられて、驚いた時に、うっかり転がしてしまったらしい。こんな時にやらかすなんて。私って、本当に馬鹿……。
「俺がいなくなったら、通報する気だったのか。悪い子だ……」
そんなことはさせないと、地面に転がっている私の携帯電話を粉々に踏み潰してしまった。
「生憎と、この前の刑事以外のやつには興味がなくてね……」
携帯電話を踏みながら、説明するように呟いていた。
「これでもう警察を呼ぶことは出来ない……」
まずい。このままじゃ本当に殺される。もうさっきのように、殺し損ねるような真似はしないだろう。確実に息の根を止めに来る筈だ。
私は渾身の力を込めて、左腕を振り上げた。そして、思い切り地面に叩きつける。
「無駄なあがきを……」
ナイフを手に私に近付いてくるアーミー。おそらく、私が最後の悪あがきでもがいていると踏んだのだろう。でも、それは間違いだ。
突如警戒音が辺りにこだまする。
「アラームか……」
余裕を見せているから、足元をすくわれるのよ。今度は私が得意そうに左腕を掲げてみせた。
左腕に付けている腕時計を破壊すると、アラームが作動するようになっているのだ。発信機にもなっていて、月島さんに危機を知らせる仕組みだ。
「どうする? このままここに残って月島さんとまた対戦する?」
正面から挑むのは分が悪いと判断したのだろう。忌々しそうに舌打ちをすると、アーミーは、異世界に行くためのログイン用カードを懐から取り出した。この場から立ち去るつもりなのだ。
警察を撒いたところで異世界に避難して、ほとぼりがさめるのを待つつもりだろう。そして、また私たちを狙う……。
そんなことはさせない。さっきまで危機を脱することばかり考えていたが、その考えが間違いなことにようやく気付いた。逃げるばかりじゃ、いつまで経っても危機は去らない。こいつをここで逃してはいけない。しっかりと仕留めなければ!
「待て!」
次の瞬間には、立ち去ろうとするアーミーに、大声で叫んでいた。
「俺も連れて行けよ。あんたが神様をしている異世界に! そこで決着を付けようじゃないか!」
私の口から、こんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。アーミーは目を見開いて驚いていた。
いつもいつも先手を取られてたまるか。今回はこちらから先に仕掛けさせてもらう。黄色のピアスをポケットから取り出すと、アーミーに見せつけた。
「それは黄色のピアス。そうか……。お前もキーパーだったのか」
私を見直したような声を出して、驚きを表現していた。こいつに認められても、全然嬉しくないけどね。
「しかし、だからといって、俺に挑みかかるとはね。追い詰められて正気を失ったのか? 異世界なら俺に勝てるとでも?」
獲物からの、あからさまな挑発にアーミーは気分を害したように顔を歪めた。その顔は見様によっては、屈辱に震えているようにも見えた。
「ああ、そうか……。異世界なら物理ダメージがなくなるから、痛い思いをすることなく、逃げ回って、時間を稼げると思ったのか。狩られるだけの小動物にしては、よく考えたものだ……」
言葉だけの賞賛をした後、落ち着きを取り戻したのか、いつもの不快な笑みを見せた。
「だが、君は一つ大事なことを忘れているぞ。それをこれから嫌というほど思い知ることになる……」
何やら意味深なことを言っているが、もう後には引き下がれない。このまま現実世界でもがいても、為す術なく殺されるだけなのだ。それなら、特殊能力や補正のつく異世界で立ち向かうしかない。
「俺の世界は、終始夜の明けることのない世界だ。おまけに生物がほとんどいない、死の世界だ。自分でいうのも何だが、かなりユニークなところだ。だから、異世界を選択する時に、すぐに分かるだろう。……嫌なら逃げても良いぞ?」
そんなことをしたって、追いかけてくる気でしょ。甘い言葉で、かく乱しようとしても、無駄よ!
「ログイン!」
全てに決着をつけるため、私は高らかに宣言して、異世界にログインした。
「くくく……。強気なことだ。だが、すぐに後悔する。君に異世界ならではの苦痛を味あわせてやろう……」
不敵な笑みを漏らして、私の後を追うように、アーミーもログインした。
本日は勤労感謝の日ですね。私はこの日になるたびに、「今日はけんろう感謝の日だなw」と言っていじられたので、あまり好きではないです。「労働者感謝の日」に改名してもらえないものかと、密かに思っています。