第三十一話 劣化手術
第三十一話 劣化手術
殺人鬼に襲われるという、あまり有り難くない経験をすることになった私だが、月島さんのおかげで、危うく難を逃れることが出来た。
当の殺人犯は異世界に避難してしまい、もうここにはいない。
「真白ちゃん、大丈夫かい?」
月島さんが心配そうに私のところへ駆け寄ってきた。それに対し、私は笑顔を作って、無事をアピールした。
捕まえることは出来なかったが、殺人犯の脅威からは、ひとまずは解放された。別れ際に顔を覚えたと言っていたので、また襲撃される心配は大いにあったが。
とりあえず異世界に避難させている萌を呼び戻すことにした。危機は去ったのだから、いつまでも非難させておくのも気が引けた。
萌を避難させたのは、テーマパークの世界だったので、月島さんから神様ピアスを借りて迎えに行った。黄色のピアスではないので、姿は月島水無月のまま。
「良かった! 本当に良かった!」
萌は私の姿を見るや、嬉し涙で顔をぐしゃぐしゃにして、渾身の力で抱きついてきた。周りで他のお客さんが見ているというのに、全く恥ずかしい。
しかも、その後離してくれないから、抱きつかれた姿勢のままで現実世界に戻る羽目になり、月島さんにまで見られることになった。ああ、恥ずかしい。
「まあ、二人とも怪我がないみたいで何よりだよ」
「えへへへ! 月島さんのおかげです。やっぱり強い男の人って、素敵です❤」
「おだてても無駄だよ。みっちりお説教をするから」
「……はい」
お得意の色仕掛けも月島さんには通用しない。厳しい顔で、お説教という単語を聞かされて、さすがの萌も意気消沈した。
だが、萌のテンションはさらに下がることになる。いよいよお説教開始かと思われたその時に、玄関のチャイムが鳴らされたのだ。
「あっ! お客さんが来たみたいですよ!」
お説教を受けなくて済むと思ったのだろう。沈んでいた萌の顔が見る見る晴れ渡っていった。だが、それがぬか喜びに過ぎないことは、すぐに判明した。
月島さんの家を訪れたのは、驚いたことに私たち二人の姉だった。
「お姉ちゃん……」
応対に出た月島さんより先に、リビングに入ってきたお姉ちゃんの顔を確認すると、萌の顔が蒼白になった。
対照的に私は、姉との久しぶりの再会に、歓喜のあまり、涙が出そうだった。
「ど、どうしてここに!?」
「和人から聞いたのよ。あなたの身に今日起こったこともね」
和人というのは月島さんの、下の名前だ。二人は婚約者同士なので、名前で呼び合っているのだ。
お姉ちゃんは、ずかずかと萌に歩みを進めると、手をガッと掴んで無理やり立たせた。
「痛い! 乱暴は止めてよ、お姉ちゃん!」
「大声を出さないの。これくらいで怪我をする訳がないでしょ。殺人鬼に襲われてもピンピンしているじゃないの」
「そ、それはとても頼りになる彼氏のおかげで……!」
抵抗しながら、私を指差す萌。
ちょっと! 変な紹介をしないでよ。堅物のお姉ちゃんに何を言われるか、分かったものじゃないわ。
「萌の彼氏……。あなたが?」
「い、いや、私……じゃなくって、俺は!」
「もう交際を始めて結構経ちますよね、水無月さん!」
しどろもどろになりながらも、誤解を解こうと奮闘しているのに、萌がさらに根も葉もないことを言って拍車をかけようとしてくる。頼むから、黙っていてくれないかな。
「また馬鹿なことを言って。見なさい。水無月くんが困っているじゃないの」
てっきり「私の妹に手を出すんじゃないわよ!」と激高されると身構えていたが、萌の嘘を瞬時に見抜いて一刀両断した。さすが萌の姉にして、百木家の台所を預かる者。家の人間のことをよく理解している。
「ちょうどいい機会だわ。これ以上和人に迷惑をかけられないし、帰るわよ」
「え? やだ!」
必死に抵抗しようとした萌だったが、お姉ちゃんに顔をグイと近づけて、もう一度「帰るわよ」と言われたら、抵抗の勢いが急速に弱まった。
「うう……、水無月さん……」
私を見ながら、涙ぐんでいる。まるで愛し合っている人から、理不尽な理由で引き離されようとしている、悲劇のヒロインの様な振る舞いだ。引き留めてくれと哀願しているのは分かったが、私もいい加減家出を解消するときだと思っていたので、笑顔で見送ることにした。
「今までありがとうね」
暴れるように抵抗する萌をこともなげに引きずりながら、月島さんに今までのことで、お礼を述べた。
「君の可愛い妹だ。当然だろ!」
そう言って、婚約者らしく、お姉ちゃんを抱きしめようとするが、素っ気なく躱されてしまった。
「でも、すぐに帰してくれれば、もっと良かったわ」
「ははは……」
きつい一言に、さすがの月島さんも苦笑いだ。
「あと、水無月くんだっけ?」
お姉ちゃんは、次に今度は私に顔を向けて、話しかけてきた。
「あなたのことは、和人に聞いているわ。萌のことを世話してくれているみたいね、ありがとう。難しいと思うけど、これからも萌と仲良くしてやってね」
「え……」
どうしよう。何か言わなきゃいけないのに、言葉が上手く出てこない。久しぶりのお姉ちゃんとの会話に、頭が混乱して落ち着かないや。
結局、私がまごついている間に、萌を連れて、お姉ちゃんはそのまま帰っていった。
「ははは、つれないな、ハニーは」
せめて夕食くらいは共にしたかったのだろう。月島さんも心底残念そうに呟いていた。
一方の私はというと、お姉ちゃんの姿が見えなくなった途端、堪えていたものが一気に溢れ出た。
「さてと……。こっちもお説教を始めようか。……と言いたいところだけど、ハニーとお話しできたからかな。怒りがすっ飛んだよ。今日はもういいから、お休み」
私の心情を察してくれた月島さんが、涙が止まらない私を茶化すこともなく、一人にしてくれた。こういう気遣いが、お姉ちゃんも気に入っているんだろうな。
私が元気な姉の姿を見て、胸がいっぱいになっている時、異世界の一つで緊急手術が行われていた。
「気を付けろと言った筈だがね……」
執刀している女性医師は、ずっと愚痴を吐き続けていた。
メスを入れているのは、私たちと死闘を演じた連続殺人犯、アーミーだった。
「危ないところだった。異世界にログインして、すぐに君が駆けつけてくれなかったら、今頃私は死んでいただろう……」
「ふん! ビルの七階から飛び降りるやつの台詞じゃないな。あのまま死んでいたら、君は末代まで笑い者になっていただろうね」
刑事との戦闘で、瀕死の重傷を負ったアーミーは、パーフェクトドクターの手術により、命の危機を脱しつつあった。
アーミーは、その際に、ついでとばかりに、再度外見を変える手術も頼んでいた。その際に提示されたリクエストに、ドクターはこれ以上ないほど、機嫌を悪くしていた。
「自分に命が溢れてくるのを感じるよ。さっきまで側にいた死神の姿がもうおぼろげにしか見えない。いつもながら見事な腕だ……」
「それは冗談のつもりで言っているのか? だとしたら、あんたにはギャグのセンスが著しく欠けていることになるが」
ドクターの表情は相変わらず冴えない。
「何か気に食わないことでもあるのか……?」
不機嫌の理由が分かっているくせに、敢えて質問するという意地の悪いことをアーミーはした。それがドクターの機嫌をさらに悪くさせた。
「人間の歴史が後どれくらい残っているか分からないけどね。君と同じ要求をするお馬鹿さんは、小説や漫画の世界を入れても、十人にも満たないだろうね。普通はな、やられて戻ってきた場合は、さらに強化するものなんだよ。筋肉を増強したり、体を大きくしたりな。そんな馬鹿なリクエストをするのは、お前くらいのものだ」
確かに。ドクターの言う通りだ。前回より強くなることこそ、リベンジの成功率を上げるもっとも最適で確実な手段なのだ。
それなのに、アーミーはそれとは真逆のことをリクエストしたのだ。
「これからしばらくは、自分のことはわしと呼ぶことにしようかな……?」
「痴ほう症の練習もしておいた方が良いんじゃないのか、クソばばあさん!」
ついさっきまで体格の良い男だったアーミーは、七十代を思わせるよぼよぼの女性に姿を変えていた。
ハッキリ言って、この姿で襲われても殺される気はしない。何を考えているのかと言いたいところだが、こいつなりに考えがあるらしい。
性悪という言葉がピタリと当てはまりそうな醜悪な笑みを浮かべる姿は、もうすっかり意地悪婆さんだった。
新キャラの主人公のお姉ちゃんは、性格がきついけど、家族思いな母親タイプの人をイメージして執筆しています。