第三十話 飛び降り
第三十話 飛び降り
萌とのデートで訪れた遊園地で、殺人鬼に目を付けられてしまった。一度は撒いたと思ったのだが、ふとした油断からまた追われることに。
一緒にいた萌だけは異世界に逃がして、私は現実世界を疾走した。だが、難なく追いつかれてしまい、ビルの七階から放り投げられてしまった。
このままでは地面に叩きつけられて死んでしまうと、全身の毛穴から冷や汗が噴き出す中、援軍に現れた月島さんによって、助けられた。
先ほどと同じく足を掴まれて、宙ぶらりんになっている状態なのだが、掴んでいる相手のおかげか、全然恐怖はなかった。
「ははは……、ありがとうございます」
一命を取り留めた私は、無理に笑顔を作って、助けてくれたお礼を言ったが、月島さんは厳しい表情で私を睨んでいる。
「さっさと帰れと伝えた筈だが、どうして殺人鬼に追われているんだい?」
「ごめんなさい……」
いつも飄々とした態度で接している月島さんとは、同じ人物と思えないくらい目が怖かった。言いつけに背いて、危険な目に遭っているのだ。無理もない。
殺気とも取れる迫力に圧倒されて、ろくな言い訳もできないまま、反射的に謝った。
「とりあえず、帰宅してからみっちりと説教をしないとな」
いつも私に冗談を連発している優しいお兄さんの顔ではなかった。殺人鬼に追われている時と違う意味での恐怖を味わいながら、私は地面に下ろされる。
「萌ちゃんは?」
「異世界に避難させています。私も後から追うつもりでした」
「そうか……」とだけ言い、月島さんは、頭上で私たちを愉快そうに眺めている男を睨んだ。
「さて。ここからは俺の仕事だ。真白ちゃんは安全なところまで避難して」
「はい!」
変なことを言うと、拳骨を食らいそうだったので、二つ返事で指示に従った。
これから殴り合いでも始めるつもりなのだろうか。月島さんは両手の関節をパキポキと鳴らした。
「俺に真正面から挑んでくるつもりか……?」
臨戦態勢の月島さんを可笑しそうに見ているが、こいつは月島さんの力を知らないのだろう。いつまで笑っていられるか、見ものだ。
月島さんは上着を脱ぎ捨てると、男に向かって、一歩一歩階段を上り始めた。
「今日、街中で警察官が暴漢に襲われて死亡する事件が発生した。犯人はお前で間違いないな?」
「どうかな? 衝動的に人を殺すようになってから、殺した相手のことはさっさと忘れるようにしているんだ。覚えていても、仕方のないことだからね」
月島さんのこめかみで青筋が一つ激しく波打ったのが見えた。挑発もそれくらいにしておかないと、マジで殺されるよと、殺人犯の男に心の中で語りかけた。
「まあ、いいさ。お前を縛り上げて吐かせれば済むことだ。その頃には、態度もだいぶ従順なものになっているだろうしな」
「殺人鬼である俺が言うのも何だが、あんた、これから人を殺しそうな目をしているな。勢い余って、俺を殺さないように注意しろよ……」
この一言で、月島さんの堪忍袋の緒が切れたらしい。人を小馬鹿にした態度を崩さない男に対して、月島さんがためらうこともなく、発砲した。
男は何件もの殺人を続けているにも関わらず、捕まることなく逃げ続けているだけあって、それなりの反射神経は持ち合わせているらしい。間一髪で、弾を避けた。
「マジかよ……」
弾を避ける際に、頬をかすっていったのだろう。右の頬から血が流れていた。
「威嚇射撃もないんだ……?」
「正当防衛ってやつだ」
月島さんは男の待つ階に到着した。据わった目で、首を横に傾けてコキリと鳴らす。
「俺はまだあんたに攻撃してないぜ? それでも成立するものなのか?」
「俺がお前に攻撃された後で発砲したって報告すれば、みんな信じるさ。反対にお前が何を言ったところで、誰も耳を貸しはしないけどな」
男は目を丸く見開いていたが、やがてため息をつくと、姿を消した。……ではなく、素早い動きで、月島さんの背後に回った。
「最悪な刑事だな、あんた……」
手に握っているアーミーナイフを振りかざそうとしている。柄から飛び出していたのはハサミだった。
「よく言われるよ」
ハサミで刺されたら、もちろん一たまりもないが、中学時代からやんちゃで通していた月島さんにとっては、ある意味で馴染みの深い道具。振り下ろされる経験にもことかかず、躱すのもお手の物だった。
攻撃を躱すと、すぐに強烈な回し蹴りを男に見舞った。攻撃の後をカウンターで狙われたので、避けることは出来ず、仕方なく右腕でガードしていた。だが、それでどうにかなるほど、月島さんの蹴りは柔ではない。ガードに使った男の右腕は本来曲がる筈のない方向へとねじ曲がった。
「ぐううう……」
それまで終始ニヤついていた男の顔も苦悶に歪んだ。
「まだまだいくよ」
月島さんの攻撃は止むどころか、むしろ激しくなっていった。言うまでもないことだが、もうとっくに正当防衛の範囲を超えている。相手が連続殺人犯でなかったら、懲戒解雇ものだろう。
このまま男の左足と、両足の骨も折って、無動きが取れなくなってから、逮捕する気らしい。やり過ぎだろ言う人もいるだろうが、警官を殺すほどの凶暴なやつが相手なら、そこまでしないと、気は抜けないのだろうな。
「ふうぅぅぅ……!」
どうにか反撃をしようと、息を吸うような唸り声を上げて、男は月島さんにナイフを振るう。だが、あっさり避けられてしまった上、ナイフを持つ手にカウンターを見舞われた。
カチャンと固い音を立てて、ナイフは地面に転がった。男はそれを拾おうとするが、間髪入れずにまた始まった嵐のような蹴りの連打の前では容易なことではない。
「た、たまらないな。口惜しいが、ここは退くとしよう……」
あまりに激しい攻撃に、遂に男がギブアップした。もっとも、悪友同士がプロレス技をかけて遊んでいる訳ではないので、ギブアップしたところで、攻撃が止むことはない。
男にも、その程度のことは分かっているらしく、渾身のジャンプで隣のビルの非常階段に撤退したが、月島さんもすぐさま飛び跳ねて追いつく。
「逃がすと思っているのか?」
「ぐ……!」
たちまち、男と月島さんの間で、鬼ごっこが始まった。ただし、場所は空中。高層ビルの非常階段や屋上を足場にしての、夜の大逃走劇だ。
見失うまいと、私も地上から駆け足で追う。
「はあ、はあ……。しつこいな……」
「お前が止まれば、追うのを止めるさ」
もちろん、男が止まる訳がなかった。待てと言われて待つ者がいないのと同じ理屈だ。
追い詰められたのを理解した男は、最後の手段に出た。月島さんが絶対に追跡できない、とっておきの手段に。
「これならどうだい?」
「あっ……!」
月島さんと二人で、思わず声を上げてしまった。あいつ、月島さんから逃げ切れないと分かって……、飛びおりやがった。
しかも、最悪なことに、私の前にグチャリと落ちやがった。
「……」
今日一日だけでも、何人殺したのか分からない殺人鬼は、こうして自らの手で人生に幕を閉じた。……と思った。だが、男の生命力は無駄に溢れていた。
恐る恐る近づこうとした私の前で、潰れた顔を持ち上げたのだ。
「お前の顔……、さっきの刑事の顔……。両方覚えたぜ……」
な……。瀕死のくせに何を言っているの?
「く、くく……。また……、会おうぜ……」
唖然とする私の前で肉塊になりつつある男は、神様ピアスを頭上に掲げた。黄色のピアスだけじゃなく、神様ピアスまで所持しているっていうの!?
「ロ、グイ……」
「ログイン!」と言おうとしていることはすぐに分かった。こいつ、異世界に逃げ込む気だわ。
「真白ちゃん! そこを離れてくれ。止めを刺す!」
上の方で、月島さんの声がした。瀕死の男に向かって、拳銃を構えている。もうどっちが殺人鬼か分からないが、このまま異世界に逃したら、また危険に見舞われることが分かっていたので、素直に後ずさる。
私が離れたのを確認した後、月島さんが発砲した。だが、一歩遅かった。
「ン!」
最後の言葉を言った瞬間、男の姿はきれいに消え去った。それと同時に、男が倒れていたところに、拳銃の弾がヒットする。後には、男が地面に落ちた時に流れ出た大量の血液だけが残された。
「逃がしたか……」
心底悔しそうな顔で、地面に降りてきた月島さんが吐き捨てるように言った。
惨劇はまだ終わりそうにないですね。