第三話 水無月という少年
第三話 水無月という少年
私がパソコンの中に閉じ込められてから一か月が過ぎたある日、月島さんが一人の女性を連れてきた。彼女の名前は牛島さんといって、この状況を打破する救世主になるという。だが、いきなり救世主と言われてもピンとこないところもあった。
「あっ! その顔。俺の話を信用してないだろ」
「まあ……」
こうなったのは、キメラという人工知能のせいだ。人智を超えた者のやったことに、ただの人間が太刀打ちできるのかという疑念はどうしてもあった。
「彼女も携わったことがあるんだよ、「神様フィールド」の開発に」
「え!?」
驚きの情報がもたらされた。何ということだ。こんなところで、開発関係者に会うことになるとは。なるほど。キメラの開発に携わった人間なら、対処方法も知っているかもしれない。
「だんだん牛尾さんが天使に見えてきた……」
「おいおい。そんな羨望の眼差しで私を見るな。照れるだろう」
傍から見れば、アホ丸出しの会話だが、当人の私は至って大真面目だ。
「私がチームにいた頃には、全然ダメな子だったのに、少し見ない間に反乱を起こせるほどに成長した訳だ」
そう言って、うっとりと頬を染めた。まるで我が子の成長を喜んでいるかのようだ。そのダメな子が成長したせいで、人生を狂わされた人間が目前にいることなど、気にも留めていない。
「こんなことなら、部長を誘惑してでも、開発チームに残っているんだった……」
冗談で言っている訳ではなく、本気で悔しがっているようだった。
「先に言っておくけど、彼女は変わり者なんだ」
「うん。言われなくても、だいたい察した」
牛尾さんには聞こえないように配慮したボリュームで、月島さんと話した。
「それで、どうするつもりですか? キメラが行った先に心当たりでもあるとか?」
「いや……。あいつも今や自分の頭で考えることの出来る一人前のプログラムだ。さすがに開発に携わった私でも、行動パターンを予測することは出来ない」
ああ、そうか……。この人でも分からないのか。
わずかに落ち込む私をよそに、牛尾さんは話を続けた。
「そこで、妥協案として、まずお前に代わりの体を用意することにした」
「はあ?」
何か話がおかしな方向に行きつつある。確かにいつまでもこの体なのは嫌だけど、代わりの体って……。
不信感を前面に出した私を置いて、牛尾さんは一旦部屋を出た。そして、車椅子に乗せられた男子と一緒に戻ってきた。
運ばれてきた男子は私と同じくらいの年齢の子だった。眠っているのか、ずっと目を瞑ったままだ。
「一見すると、眠っているだけに見えるがな。こいつ、もう死んでいるんだよ」
「その死体に私の精神を入れると?」
冗談で言ったつもりだったのだが、牛尾さんは大真面目な顔でこくりと頷いた。次に月島さんを見たが、彼も同じように真面目な顔をしていた。
「こいつに関して、簡単に説明すると、昨日不慮の事故で命を落としたばかりだ。名前は水無月という。名字までは知らない。私を援助してくれている、とある大物から、何としても蘇生されるように言われているんだ」
簡単な説明を聞いただけだが、まともな話ではないことはよく分かった。つまり水無月という少年が死んだままだと殺人事件になってしまうから、どうにかしろということか。
水無月という少年を見たが、外傷の類は確認できない。不慮の事故というが、どういう死に方をしているのだろうか。牛尾さんに聞いてみると、おそらくショック死の類だろうとのこと。簡単な検死は牛尾さんの方でもしていたらしく死因になるような外傷も、毒物の類も検出されなかったとのこと。
牛尾さんを援助しているというとある大物だが、深く聞かないようにと釘を刺された。私としても、いやな予感しかしないので、首を突っ込む気などまるで起きない。
「仮にも刑事のくせに、よくこんな話を持ってきますね」
じろりと睨むように月島さんを見た。肩をすくめて、苦笑いをしていたが、不味いことをしているとは思っていないようだ。どうせこの話も、警察の同僚には何の相談もなく、独断で行っていることなのだろう。その点は、確認するまでもない。
「倫理上、不味いことは百も承知だ。だが、いつまでも君をこのままにしておく訳にもいかないのでね」
などと、刑事とは思えないようなことを平然と口走っている。
私は諦めたように顔を伏せて、大きくため息をついた。
「だいたい分かりました。その人、月島さんの昔の知り合いなんですね」
正解のようだ。月島さんが今までとは種類の違う笑顔で、怪しく笑う。
今でこそ、刑事をしているが、昔は結構やんちゃだったのだ。その頃の仲間の中には、今でも無茶を続けている人間が何人かいると、以前に月島さん本人から聞いたことがある。実際に会うのは初めてだが、こうして話してみると、確かにまともな人間とは思えない。
「それで? どうするんだ? この話に乗るのか、それともそのままでいるのか。いつもは勝手にやるが、月島の知り合いということで、特別に選ばせてやる」
そんなこと、考えるまでもない。もちろん乗る。いつまでもこんな幽霊みたいな状態は嫌だ。
「やるよ」
「よし!」
私があっさりと承諾すると、牛尾さんはにやりと笑った。
「念のために言っておくが、これでお前も共犯だからな。もちろん、月島も」
「脅しているつもりですか? そんなことは覚悟の上です」
「ふん、良い心掛けだ」
それから月島さんと牛尾さんの二人がかりで、何かしらの準備を始めた。私は不安を抱えたまま、その様子を見守った。
数分後、月島さんの部屋は、どこぞの研究室と見間違いそうになるくらいに、コードやら、コンピュータやらに埋め尽くされた。
「これからやろうとしているのはな。一言で言えば、実験だ」
一通りの準備を済ませた牛尾さんが、煙草をふかしながら話しかけてきた。
「実験?」
訝しる私に、嬉々とした表情で牛尾さんは説明を続けた。
「実は今、人型のロボットに、コンピュータ上から人工知能のプログラムを入力する研究をしているんだ。ゆくゆくは死体に人工知能を入れることも想定していたが、いきなり人体実験が出来るとはね」
当然ながら、現代日本では様々な制約があり、人体実験をする機械などまずない。きっと裏で、今回のような違法な人体実験を繰り返しているのは、容易に想像がついたが、そこは流そう。
とにかく、今の牛尾さんは最高に幸せそうだ。人を救えるから幸せなのではない。生身の人間を対象に実験できるから幸せなのだ。そういう人なのだ、この牛尾さんという女性は。
水無月という少年の頭と、私の入っているパソコンは、何本かのコードで物理的につながれた。
「じゃあ、そろそろ始めるか」
満面の笑みで牛尾さんが微笑みかけてきた。この人の笑みには、何か裏がありそうで、手放しで喜べないものがある。
「不安か?」
「……もちろん」
私を気遣って、月島さんが話しかけてきた。刑事としてはだいぶ問題があるし、ろくな知り合いがいないが、私のことを大切に思ってくれているのだけは、ちゃんと理解している。
「いきなり男子の体になることに抵抗はあるだろうが、君が体を取り返すまでの暫定的な処置だ。その後で返せば問題ない」
「うん……」
不安かどうか聞いてきたのは、実験が成功するかどうかについてではなく、その後の男としての生活についてらしい。この実験が失敗するとは、微塵も疑っていないのだ。ずいぶん牛尾さんを信頼しているものだ。思わず笑ってしまう。
「じゃあ、行くぞ」
私が笑ったのとタイミングを同じくして、実験は始まった。よく分からないが、牛尾さんが何かしらのスイッチを押すと、部屋中の装置が作動し、たちまち私の意識が飛んでいく。この感じ、キメラに体を奪われた時の感覚に似ている。
さて、結果を簡潔に言うと、実験は成功した。
意識が戻った時には、見慣れた世界にいて、目を開けると、こちらの様子を窺っている月島さんと牛尾さんが見えた。手に力を込めると、何の違和感もなく動いたし、その後もあっさりと起き上がれた。
「思っていたより、違和感がないものですね」
仕事は完璧だった。完全に新しい体として、機能していた。月島さんが信頼を寄せる理由がよく分かった。
しかし、気分は良くない。まるでゾンビかフランケンになった気分だ。いくら技術が日進月歩で進化しているといっても、これはやり過ぎだろ。
仮とはいえ、体が戻ったのに、気分が晴れないでいると、月島さんが歩み寄ってきた。
「良かったな。とりあえず現実世界への帰還おめでとう」
「……ありがとうございます」
あまり晴れ晴れとした気分ではないが、とりあえず喜ぶことにした。
「これで牛尾さんもとある大物に怒られないで済みますね」
「ははは……、怒ると怖いからなあ」
そんなことを口走っているが、あまり怖がっているようには見えない。
「さっきも言ったけど、これは暫定的な処理だからね」
「ええ。もちろん分かっていますよ」
目の前に転がっている、ついさっきまで私が入っていたパソコンを睨んだ。もう動作を停止しているが、私はつかつかと歩み寄ると、思い切り蹴りつけてやった。
今まで世話になった、仮の宿が粉々に壊れたが、哀愁の念は全くない。
これは合図だ。私のキメラに対する復讐、そして、私の体とお父さんを取り戻すための戦いの開始を告げる合図だ。
次回から、「神様フィールド」の世界に入っていきます。