第百六十九話 あなたがいる場所へ……
第百六十九話 あなたがいる場所へ……
『アップデート』のせいで、命を失いかけたけど、お父さんのおかげで、どうにかこの世に生を留めることが出来た。でも、喜んでばかりもいられない。私を生き返らせるのと引き換えに、お父さんが命を落とすことになってしまったのだ。加えて、百木真白の体も永遠に失うことになってしまったのだ。
「これからはずっと男の姿なのか……」
まだ恋もしていなかったのに……。いや、恋ならこの姿でも出来るんだろうけど、成就することはないんでしょうね。
「何だ? 落ち込んでいるのか? 命が助かっただけでも、儲け物だろうが」
「そんな簡単には、割り切れませんよ」
自分だって私と同じように男の姿で永遠に暮らしていけと言われたら、絶対に発狂しているくせに、他人事としてあっさり言ってくれるものね。
「回りくどいな。男として生きていくことになったと言えばいいだろ」
「言っていることは間違いないですけどね……」
同じ女性なんだから、少しは察して欲しいわ。そりゃ……、私はもう女性じゃありませんけど。
いつも通りのドライな態度に、若干黄昏ていると、ポンと肩に手を置かれた。視線をずらすと、イルが妙に温かい眼差しで、私を見つめている。
「大丈夫だよ。性別が変わっても、私は気にしないから」
「……ありがとうね」
イルも励ましてくれたけど、ごめんね。全然嬉しくないわ。
そんな感じで、素直に生き残ったことを喜べないでいるところに、揚羽が髪を振り乱してやって来た。
悲しみに打ちひしがれながらも、危機が去ったと思っていただけに、全身がまた固まってしまう。
前回対戦した時に、おちょくったのを思い出す。その時のお礼と、キメラを倒したことへの復讐を同時にされることが、頭をよぎった。牛尾さんも同じことを考えているのだろう。前回使用した新開発のボールを、揚羽から見えないようにスタンバイしている。
でも、違った。
荒い息を整えようともせずに、私に近付いてくると、質問する時間すら惜しむように早口で尋ねてきた。
「キメラは? キメラはどこで死んだの……?」
これまでの揚羽のヒステリックな態度を思えば、ゾッとしてしまうくらいに、落ち着いた口調だったわ。別の人格が出てきたんじゃないかってくらいに。あと、すがるような眼差しをしていたわ。犬猿の仲の私に、こんな目を見せたことに、最も動揺させられちゃったのは確かね。
「あっち……」
揚羽にすっかり調子を崩された私は、素直に教えてしまった。いつもの揚羽にだったら、そんなことは絶対にしないのにね。
「……ありがとう」
たいへん信じられないことに、揚羽からお礼を言われた。当たり前のことなんだけど、揚羽からされると、あまりのあり得なさに、自分の耳がおかしくなっているということで片づけてしまいそうになったわ。
私が呆けていると、揚羽はキメラが消滅したところにうずくまってしくしく泣き出した。ずっと泣き続けた。
いつまで経っても、揚羽は泣き止まなかった。私や牛尾さんも、割とすぐに焼き止んだというのに。
揚羽とは敵対関係にあったんだから、放っておけばいいんだけど、ずっと泣き止まない揚羽を見ていると、どうも同情してきてしまう。それで、つい声をかけようと思ってしまったのだ。
「も、もう止しなさいよ……。キメラはもう死んだのよ」
言ってから後悔した。揚羽の性格を考えれば、そんなことを言われれば、スイッチが入ったかのように取り乱して襲いかかってくることくらい分かりそうなものなのに。妙に大人しいから気が緩んでいたのかもしれないわね。
顔を上げて私を見てくる。この後は、憎しみの全てをぶつけるように、私に掴みかかってくるのかしら。少なくとも私の知っている揚羽ならそうしているわね。ちょうど私も機嫌が悪いところだし、喧嘩を売ってきたら、遠慮なく買うつもりよ。
でも、今の揚羽は違った。私の顔をしばらく見ていたかと思うと、プイとそっぽを向いてしまった。
また泣きだすのかと思っていたら、すっと生気のない顔で立ち上がった。そして、どこかへ立ち去ろうとする。その動作はまるで幽霊のようにも見えたわ。
「どこに行くの?」
キメラが消滅したことに対する動揺は、正視に絶えなかった。こいつの性格が歪んでいることは知っているけど、キメラへの想いだけは真っ直ぐだったのね。
「どこにもいかないわよ。ただ消滅するだけ。これを砕いてね」
手にはひびの入った黄色のピアスが握られていた。揚羽の左耳に付けられていたのを外したのね。一度命を失った揚羽にすれば、キメラからもらった新しい命そのもの。それを砕くということは、自ら死を選ぶということを意味していた。
「それでいいの? あの世でキメラに会ったところで、あいつは喜んだりはしないわよ?」
どうして自分のために死んだと怒ったりもしないでしょうね。だって、あいつは揚羽のことなんて、駒の一つとしか考えていないんだから。「ああ、君も来たんだ」くらいの反応しかないでしょうね。それだけ。それ以上の言葉もないでしょう。わざわざ死んでまで追いかける必要なんてないわ。
「いいのよ、私が勝手にキメラの横に陣取っているだけなんだから。キメラにとって、空気と変わらない存在でも構わない」
何だ、あんたにもそのくらいの理解はあったのね。そうか。相手にされなくても良いと。……その想いを、あんたの姉に対して、ほんの少しでも抱いていれば、もっと幸福な人生を送れたのにね。
「あ、そうだ」
何かを思い出したように、揚羽がバックから黒くて丸っこいものを取り出した。それが何なのかは分からないけど、爆弾のように危害を加えるようなものではないものは確かね。
「ひょっとして、それも人形なの……?」
「そうよ。一番初めの人形。可愛いでしょ?」
どうしよう。可愛いとは思えない。敵意むき出しの時なら、「全然可愛くねえよ。美的感覚がおかしいんじゃないの?」と、挑発するところだけど、催眠術にでもかかったように首が前に倒れてしまった。
「中に入っているのは、あなたと一番最初に会った揚羽よ。私が死んだら、この体は、この子にあげるわ。覚えているでしょ?」
もちろん覚えているわ。すぐに仲良くなって、家にまで遊びに行ったんですもの。あの中に、人懐っこい方の揚羽の意識が詰められているのね。
私が興味深そうに見つめていると、力なく笑って、こんなことを教えてくれた。
「こいつね、あんたのことが好きみたいよ。もちろん、水無月の方をだけど。もう私は完全に消えて、二度と表面化することはないから、よろしくやったら?」
よろしくやれって言われてもな。体は男だけど、中身は女だし、女の子相手に性的な興味なんて沸かないのよね。
でも、揚羽には、そんなことどうでもいいのよね。もう私になんか目もくれないで、自身の命の化身ともいえるピアスを宙に放り投げた。それに、最期の『スピアレイン』を放つ。
乾いた音と共に、ピアスが真っ二つになった。揚羽を見ると、寂しそうな笑顔ととみに消えていくところだった。
「……何も自分から死ななくてもいいのに」
「他に道がなかったんだろ」
キメラと同じ場所で、揚羽は消滅した。……偶然ではないんでしょうね。あの世で、あんたの方こそよろしくやるのよ。
こうしてまた一人、あの世へと召されて行ったのでした。