第百六十八話 月島水無月の帰還
第百六十八話 月島水無月の帰還
私が『アップデート』の副作用により、老衰が急速に進んで、寿命を使い切ってしまい、命を落とした後の話。
当初は勝利宣言したキメラだったけど、私を殺したことで、創造主であるお父さんに見捨てられる羽目になってしまった。必死になって許しを乞うたけど、当のお父さんは、私を復活させるのと引き換えに、命を使い果たし、死んでいった。
お父さんが死んだことで、完全に絶望したキメラも、後を追うように消滅していった。あの世でも許しを請うつもりなのかしらね。
だだっ広い室内に、一人取り残されたイルは、復活したばかりで、まだ意識の戻っていない私の側に座ると、不安を紛らわせるために語りかけた。
「お姉ちゃん……。みんな死んじゃったよ。マスターも……、キメラも……。お姉ちゃんも一度死んだんだよね。もう生き返ったけど。でも、早く目覚めてね。本当に生き返ったのか、私、不安なんだから」
でも、私は意識を取り戻すことなく、死んだように眠り続けていた。おっと! 本当に死んでいた身なので、この表現は縁起でもないわね。
据わったままじっとしているイルの隣で、カプセルの一つが開いた。中から出てきたのは、牛尾さんだ。キメラが消滅したことで、拘束する力がなくなり、無事に解放されたのだ。モルモットにされる前なので、当然若い体のまま。年老いることなく、無事に生還を果たしたのね。
「何だ? 何が一体どうなっているんだ? カプセルに飲み込まれるまでは覚えているのだが……、私は無事なのか? おい、クソ上司! てめえの仕業か? 聞こえているなら、返事しろ!」
牛尾さんが口汚く、お父さんを罵る。でも、カプセルの中に、お父さんの姿がないのを見ると、急に勢いを無くした。
「あ、あれ!? クソ上司はどこだ?」
辺りを慌てて見回すけど、目に入ってくるのはイルと私だけ。
「おお、イル! このカプセルの中で眠っていた引きこもりがどこに消えたのか知らないか? ていうか、真白のその姿は何だ?」
お父さんが消滅したことなど知る由もない牛尾さんが、イルに次々とまくし立てる。私に起こっている変化にも、すぐに気付いたようね。
「順番に説明していくよ。焦らなくても大丈夫。もう危険はないから……」
さっきまで命のやり取りをしていた室内も、キメラの消滅に伴い、危険は完全に去っていた。私が起きるまでの時間を持て余さずに済むように、イルは牛尾さんに眠っていた間のことを、一から話して聞かせた。
「む!? 言われてみれば確かに、キメラがいないな……」
イルから言われて、ようやくキメラがいないことにも気が回った牛尾さん。まだキメラが生きていたら、確実に後ろを取られていたでしょうね。危機感がなさ過ぎるわよ。
「そして、喜熨斗の姿もいないな。何か、死んだと聞かされても、あいつならもしかして……って、思ってしまうんだよな。昔から、無茶ばかりする男で、よく連絡が取れなくなって死んだと思うことがたびたびあったんだ。でも、時間が経つと、何事もなくひょっこり顔を覗かせるんだが、そうか……。今回は、本当に死んじまったんだな……」
いつの間にか牛尾さんの目から涙が流れていた。カプセルに飲み込まれて、意識を失う直前まで言い争っていた喜熨斗さんの死が相当堪えているのね。見方を変えれば、喧嘩するほど何とやらにも見えた。ちょっと邪推なのかもしれないけど、もしかしたら牛尾さん、喜熨斗さんのことが……。やっぱり邪推ね。あまり深く首を突っ込むのは控えることにしましょう。
イルが言った通り、時間はあるので、牛尾さんを泣きたいだけ泣かせることにした。イルはその間、眠っている私の横に座り、時々私の頭を撫でて、早く目覚めてほしいと願っていた。
牛尾さんがようやく泣き止んだ頃、呼応するかのように、私の意識も戻ってきたのだった。
目が覚めると、私を覗き込んでいるイルと牛尾さんと目が合った。さっき死んだはずだということも忘れて、ぼんやりとしていたけど、異常がないと判断されたのね。イルが涙ぐみながら、再会の挨拶をしてきた。
「おかえり……」
心の底から出されているだろう、安堵の声に、私も徐々に意識を失う前のことを思い出していった。
「あれ? 私、死んだ筈よね……。でも、生きてる……?」
イルたちとの再会を喜ぶより先に、口から出た台詞がそれだった。
そうよ。『アップデート』の体力強化に失敗して、老衰が急速に進んでしまい、短い生涯を閉じた筈なのだ。なのに、まだ死んでいない。いや、それどころか、肉体が若返っている。……ちょっと待って、これって?
「お姉ちゃん……、いや、お兄ちゃん……」
自分の体に起こった変化について、イルからも指摘された。そうなのよ。百木真白から、月島水無月の姿になっていたの。
「若返ったのは嬉しいけど、どうして体が男に戻っているのよ!」
異世界限定で、百木真白の姿に戻れるのが、私の密かな心の拠り所だったのに、どうして異世界でまで月島水無月でなければいけないのよ!
困惑以上に憤慨する私に、イルが事情を説明してくれる。
「マスターが自分の命と引き換えにお姉ちゃんを生き返らせたの……。本当はお母さんを生き返らせるのに使う筈だった力で……。ただお姉ちゃんの元の体の破損が決定的で、仕方なく月島水無月の体で蘇らせることにしたの」
イルが事態の説明をしてくれたけど、私が気に留めたのは、話の前半部分についてだった。
お母さんの代わりに、私が生き返った!? あと、お父さんの命と引き換えにって……。
「お父さんは死んだの……?」
重い表情で、イルは首を縦に振った。私はしばらく呆けていたけど、やがて猛烈な怒りが襲ってきた。
「このクソ親父!!!!」
叫ぶや否や、私はお父さんがいなくなって、もぬけの殻になっているカプセルに殴り掛かった。
「どうして……。どうして、お前は何でもかんでも一人で勝手に決めるんだ! 少しは家族に相談しやがれ!」
お母さんを生き返らせる計画についてもだ。独りよがりな計画ばかり立てて、勝手に実行している。それが最善な方法だと悦にでも入っているのかしら。ハッキリ言うけどね、こっちはそれのせいで、甚大な迷惑を被っているのよ!!
「止めろ。真白! もう意味がない。そいつは……、もう死んでいる!」
自分もさっき殴りかかっていたのを棚に上げた牛尾さんの手により、カプセルから引き剥がされた私は、乱れた息を整えながら、その場にへたり込んだ。
「何よ。今更になって……」
口調とは裏腹に、全身から力が抜けていく。その後、キメラも消滅したことも聞かされたけど、私にとってはどうでもいいことだった。
「キメラを始末するなら、とっととやれよ。そうすれば、私は百木真白のままでいられたんだぞ……」
自分の体とお父さんを取り返すためにここまで来たのに。どちらも失うことになってしまった……。これじゃ、何のために頑張って来たのか分からないじゃない……。
「全部……、全部無駄だったってこと?」
「そんなことはない。クソ上司がキメラを始末したのだって、お前の叫びが届いたからだ。お前がここまで頑張ってきた結果なんだ。決して無駄なんかじゃない」
牛尾さんがうな垂れてむせび泣く私の肩に手を置いて慰めてくれたけど、私には何の慰めにもならなかった。
死なずには済んだけど、私はやはり負けたのだ……。
全身を虚脱感が支配して、力がエンドレスに抜けていく。このまま床に寝そべって、ふて寝でも決め込んでしまおうかとも考えていると、ドアが乱暴に開かれた。
「キメラ、キメラ!」
キメラがいなくなったのを、既に知っているのか、揚羽が半狂乱になって、室内に駆け込んできたのだ。室内にキメラの姿がないことは、とっくに分かっているだろうに、いつまでも諦め悪く、叫び続けている。
そっか……。キメラにもいたんだ。心から慕ってくれる人が……。
戦いが終わったけど、やるせないな。こんなことなら、キメラともっと話し合って、戦いを回避するように努めればよかったかな。あいつも、本心では戦いたがっていないようだったしね。
本当、今更になって、こんなことを考えちゃっているのよね。