第百六十六話 命運潰える
第百六十六話 命運潰える
牛尾さんと喜熨斗さんに続いて、イルまでも、キメラの手に堕ちてしまった。残されたのは私一人だけど、繰り出す攻撃は全く効果がない。
追い詰められた私は、最後の手段である『アップデート』を使うことを決めたのだった。でも、これを使うと、代償により大幅に歳を取る危険がある。それを怖がってしまっている情けない自分も、同時にいた。
私の怯えを、敏感に察知したキメラがすぐに揺さぶりをかけてくる。
「止めときなよ。君は一度『アップデート』を使って、既に何歳か歳を取っている。連発して、加齢を重ねていったら、取り返しのつかないことになるよ」
「あんたに黙ってやられるくらいなら使ってやるわ」
そう言いつつも、ボロボロと涙を流す私の顔は、きっとひどいものだったでしょうね。もういっぱいいっぱいで、見栄えとか意識している余裕なんて、もう残っていなかったのよ。
「じゃあ、僕は黙って使われるのを待たずに、君を葬ることにしよう」
例の瞬間移動で私との距離を一気に詰めると、そのまま回し蹴りを放った。相変わらず避けることの出来ない私は、またも綺麗に食らってしまう。しかも、今回のは強烈で蹴られた瞬間に、ピアスにひびが入るのが分かった。加えて、吹き飛ばされる間に、反転までしてしまったのだ。
「や、やっぱり、元々の運動能力が違う。『アップデート』を使わないと、キメラからの攻撃をガードすることも出来ない」
でも、使うと、老化してしまう。
またも、弱気になっていると、ふとカプセルの中で眠っている人たちの顔が目に入った。みんな一様に老人の顔だ。
そうだ。私のお父さんの身勝手な願いのために、この人たちも老化させられてしまったんだわ。『神様フィールド』を悪用しようと、お父さんに持ちかけていたそうだけど、それは一部の人間に過ぎない。計画のことなど知る由もないまま、一方的にカプセルに閉じ込められて、老人にさせられた人だって少なくない筈よ。ここでキメラを倒さないと、彼らみたいな人がまた増えていくことになる。
次に、イルと牛尾さんが目に入ってきた。二人共、まだ老化はしていないけど、ここで私が負けたら、他の人と同じ運命をたどることになってしまうわ。
足元も覚束ない飛ばされながらの状態で、私の決意は固まった。直後、壁に叩きつけられるも、すぐに起き上がる。
「む……!」
キメラも、私の変化にすぐに気付く。
「どうした? 蹴られる前と、目つきがまるで違うな」
「蹴られた場所が良かったんじゃない? おかげで目が覚めたわ」
こいつをこれ以上野放しにしておけない。今度こそ覚悟を決めた私は、深呼吸するまでもなく、奥の手を発動する。
これが最後だから……。この戦いに勝ったら、もう二度と使わないから……。今回だけは、私に力を貸して……。
一縷の望みと共に、私はもろ刃の剣ともいうべき、最後の切り札の名を叫ぶ!
「『アップデート』おおぉぉ!!」
「遂に使ったか……」
呆れながらも、キメラの表情は硬い。もし、身体能力が大幅にアップしたら、自分に匹敵することになるかもしれないのだ。当然、うかうかしてなど、いられる筈もないのよ。
これで身体能力をアップしたら、今までのお礼を込めて、すぐに瞬殺してあげるわ。
気合と共に、『アップデート』で、全ての能力の大幅アップを図る。しかし……。
ち、力が漲……らない!? いつまで経っても、変化がないのだ。前回使った時の、体の芯から燃え上がるような感覚にならない。
どうして? 『アップデート』を発動したのに、身体能力が上がっていない!?
まさか不発!?
信じられず、自分の手を見てみた私は、恐怖のため、腹の底から悲鳴を上げた。
「な、な、なななな……。何、な、な……。手、私の手、手が、手がああああぁぁぁああ!!!!」
私の手が老婆のようにしわしわになっている。もうしわの数を気にしているレベルではない。この分だと、きっと顔も……。
「こ、これは……」
「あらら、言わんこっちゃない」
キメラがそれ見たことかと、ため息をついている。
「『アップデート』はやはり未完成の能力だったというだけのことさ。君も聞いたことがあるだろ。とあるモルモットの男子高校生の話を。能力を発動してみたは良いものの、身体能力は全く上がらず、そのくせ多大な代償だけは支払う羽目になった少年の話を」
覚えているわよ。当面の生活費が欲しくて実験に参加したけど、死ぬ羽目になっちゃた子の話よね。
「百人を超えるモルモットがいたけど、身体能力が上がらないのに、寿命を一気に失う羽目になったのは、君を入れて二人だけだ。何の慰めにもならないけど、レアな失敗例だよ、それ」
そ、そんな……。ここが正念場なのに……。よりによって、ここで外れを引くなんて、ひど過ぎるわ。しかも、一番ひどいやつ……。
普通、ああいう流れだったら、間違いなく今までで最高の効果がもたらされる筈じゃない。漫画の主人公みたいに、使うと必ず死ぬ薬を飲んでも、ちゃっかり生き延びたりとか、そんな都合の良い展開を期待している訳じゃないけど、だからって、これはないわ。
「ああ……!」
老衰のせいで、もはや立っていることさえ覚束ない。これじゃ、使わないで戦っていた方が何倍もマシじゃない。仮に勝利しても、まともな日常生活なんて、もう送れない。キメラを倒すどころの騒ぎじゃないわ。
「正直に言うとね。『アップデート』を使われた時は、ヒヤッとしたんだけどさ。自滅してくれるとは思ってなかったよ」
キメラが何か話しかけてくるけど、返答する気力は、私にはもう残っていない。
「これからどうなるかは分かるよね。大往生だよ。寿命を使い切ってね。まだ成人もしていないのに!」
いつもの私なら、戯言を言うなと怒るところだけど、何かもうどうでも良くなってしまった。
「死んじゃう……。私、死んじゃう……」
抜け殻のように、自らの死ばかりを口にする。キメラはまだ何か言いたそうだったけど、反応がないので、中断することにしたみたい。
「心配しなくても、イルも、牛尾って女性も、すぐに同じところに送ってあげるよ。死因は君と同じさ。だから、寂しくはないよ」
キメラが一歩一歩離れていくけど、私には関係のないこと……。
呆けている間に、残りの寿命も使い切り、ついには消滅することになった。何か言おうにも、聞いてくれる人も周りにはいない。遺言も満足に残せないのね。そんな中、今までの人生が走馬灯にように流れていく。でも、短い人生だったから、あっという間に終わってしまう。
それで終わりかと思っていたら、次は他人の人生の走馬灯も脳裏に浮かんできたわ。きっとモルモットにされて死んでいった人たちのものね。
目の前に見覚えのない男子高生が立っている。この人とは初対面だけど、誰なのか知っている。『アップデート』のモルモットにさせられて、発動と同時に寿命を使い切ってしまい、死んだという子だ。それが今、私の前に立っている。思っていたより、端正な顔立ちをしている。それが一瞬で老人の姿へと変貌する。
結構格好いいのに、あっという間に老人になっちゃった。本人も、辛かったんだろうな……。
男の子は怒るでもない、悲しむでもない、無表情の顔で私の顔をじっと見つめていた。私のことを恨んでいるのか、同じ穴のムジナとして同情しているのかも、分かったものじゃないわ。
何か恨み言の一つでも言ってくれても構わないのに、男の子は無言のまま、私の前から消えていった。
男の子が消えると、真っ黒い闇が目の前に広がっていく。ああ、これが死ぬということなのね。不思議だわ。あんなに苦しかったのが、闇に包まれていくとともに、どうでも良くなっていく。意識がぼやけていくの。
薄れゆく意識の中で、誰かと目が合った。カプセルの中で、半覚せいの状態で、こちらを見ているその人は、私のお父さんだった。
そうか。お父さん、目が覚めたんだ。
でも、遅すぎるよ。
ほんの少し早く目覚めてくれば、満面の笑みで抱きついてあげたのに、今の姿じゃ、もう再会を喜ぶことも出来ないよ。
しわのせいで、涙が垂直に伝ってくれないや。ははは……。
…………………。
最後の最後で、お父さんと再会を果たし、百木真白という存在はきれいに消えてなくなった。
私は負けたのだ。
主人公が老衰で死んでしまいましたが、まだ終わりではありません。私なりのエンドを考えていますので、あと数話だけお付き合いください。




