第百六十二話 『初期化』の本質
第百六十二話 『初期化』の本質
キメラとの決戦は、私たちに有利に進んでいた。キメラがあまり乗り気でなかったというのも大きいけど、ペースとしては悪くない。
しかし、そんなキメラも、私がお父さんの眠っているカプセルに、手をかけたところで、眼の色を変えた。キメラにとって、お父さんの眠りを妨げられる訳にはいかないのだ。すぐに私のところに来ようとするけど、喜熨斗さんが上手い具合に足止めしてくれている。
次第に追い詰められていくキメラが、状況を打破すべく、遂に本気を出す……!
「これは……」
空気が……、変わった?
「くっくっく……。今までの人を見下したような感じが消えた。なかなか良い表情だぜ、キメラ」
真剣勝負が大好きな喜熨斗さんには悪いけど、正直、油断してくれている内に決めたかったのよね。そっちの方が楽だから。
でも、キメラはもう本気を出すつもりだ。このゲームのメインプログラムが本気を出したら、どうなるか予想もつかないけど、状況が悪化するのだけは明らか。こうなったら、私も気合を入れて、お父さんを起こさないと。
懸命にカプセルにドリルを向ける牛尾さんに加わって、私もカプセル破壊を再開しようとした時だった。キメラが一言だけ呟いた。
「『初期化』……」
く……、やはりきたか。キメラの本気は、『初期化』を使いまくって、周りの障害を消しまくるということで、決まりの様ね。
そう思って構えていたけど、何も消滅していかない。てっきりこの部屋ごと消去していくくらいの勢いでくると思っていただけに肩透かしを食らった気分だわ。
「ふう……。いきなり『初期化』なんて口ずさむから、どうなるかと思っていたら、肩透かしとは趣味が悪いわね」
「? もう使っているよ。自分自身に対してね」
は!? 自分自身に? そんなことしたら、あんたが消滅しちゃうじゃない。自殺したいの?
「おいおい! 『初期化』ってのは、対象を消滅させる能力だろ。それを使ったくせに、お前は五体満足のままじゃねえか。冗談にもなってねえぞ、おい!」
テンションの上がっていた喜熨斗さんは露骨に不満そうな声を出す。それを黙って聞いていたキメラがぼそりと反論した。
「それが知りたいのなら、立ち向かって確かめるのが一番早い。もっとも、来なくても、僕の方から出向くがね」
「はっ! なるほど。確かに……」
喜熨斗さんが話し終えない内に、キメラが動いた。
「不意打ちは好きじゃないけど、僕も余裕がないんだ。だから、文句を言わないでくれよ」
「がっ……!?」
喜熨斗さんの体が宙に舞う。キメラの動きが速過ぎて、どんな攻撃をしたのか見えなかった。喜熨斗さんも訳の分からない内に、舞っていたみたいで、そのまま天井に叩きつけられる。あまりの早業に、私と牛尾さんは口を開けて呆然としていた。
「う……、あ……」
キメラが次に見据えているのは、喜熨斗さんに『アップデート』を授けようと接近していたイルだ。
「やれやれ……。マスターーの意志に反したことばかりするね、君も。いい加減お仕置きをしなくては」
「イル!」
まずいわ。このままじゃ、イルが消されちゃう! でも、ここから駆けつけていたら、間に合わないので、こいつでいくわ!
「『スピアレイン』!」
「無数の光の槍か。でも、今の僕には通用しない」
驚いたことに、自分目がけて降り注ぐ『スピアレイン』を、次々と素手で弾いてしまったのだ。そんな……。『魔王シリーズ』の能力に素手で触れたりなんかしたら、体が持たない筈じゃないの?
「それが持つんだよ。今の僕は特別頑丈だからね」
そう宣言するキメラの体には傷一つついていない。強がりの類ではなさそう。
「だったら、直接締め上げてやるよ。体が頑丈でも、息が出来なくなれば、ノックアウトだ」
天井に叩きつけられた恨みを晴らすとでも言いだしそうな迫力で、キメラの背後から、喜熨斗さんが締め上げる。相当強い力で締め上げられている筈なのに、キメラの表情は少しも歪まない。
「駄目駄目。そんな柔な力じゃ、僕を落とすことなんて、夢のまた夢だよ」
あっさりと喜熨斗さんの渾身のホールドを外し、逆に喜熨斗さんに向かって、締め返すという反撃に出た。
「成る程。確かに体が頑丈な君でも、こうすると苦しいみたいだね」
「ぐ……、が……」
呼吸できていないのか、喜熨斗さんの顔があからさまに苦痛に歪む。首を締め上げる手を外そうともがいているけど、キメラの力が強く、全然外れない。
「何よ、これ……」
外見は変わっていないのに、パワー、スピード、身のこなし。全てがさっきまでとは別物じゃない。
「なるほど。『初期化』を使うと見せかけて、他の能力で身体能力を上げた訳か。なかなか面白いことをするじゃねえか」
「違うよ」
喜熨斗さんの言葉を否定して、キメラは話し出した。
「『初期化』の力で、僕自身を生まれたばかりの頃に戻したんだ。言っただろ? 『初期化』は消去専門じゃないって」
また訳の分からない話を始めたわね。それと今のあなたがどういう関係だっていうのよ!
「分かってくれていないね。そんなに難しい話じゃない。『初期化』の力で、生まれたばかりの頃まで戻っただけだよ」
え? 生まれたばかりの頃に?
「そんな……。生まれてから、ずっと新しい機能とか付けられて、強力になったんじゃないの? 普通は生まれたばかりの頃が一番弱いものよ!」
「僕は普通じゃなかったというだけの話さ」
自分が普通じゃないことを、ここまであっさりと言ってのけるなんて。でも、キメラはそのことをむしろ誇りに思っているような素振りすら見られるわ。
「僕はね、とにかくマスターの持てる力の全てを注ぎ込んで作られたんだ。そして、期待に応える形で僕が生まれた」
自分のことをべた褒めしているのが気に食わないわ。あんたは自分大好き人間か!
「でも、一つだけ欠点があった。強すぎたんだ、何もかも」
だから、自分で言うかって。
「そこで苦肉の策として、手に負えるレベルまで力を抑え込んだんだ」
「それを『初期化』を使って、元の状態に戻した訳ね」
「そういうことさ」
説明は以上で一区切りらしいわね。まだ喜熨斗さんを締め上げている手の力を緩めると、腹に強烈な一撃を加えた。喜熨斗さんはわずかに嗚咽するとともに、耳に付けているピアスにひびが入ったのが見えた。
「君たちがいけないんだよ。せっかく話し合いで解決してあげようとしていたのに、僕をここまで追い詰めるから。この姿になった以上、もうお終いだ。君たちを全員消滅させるまで、僕は止まらない」
キメラの瞳からは、冷酷な光ばかり放たれる。私たち全員を始末するという言葉に偽りはないようね。
「はっ! 良いねえ! ラスボスの真の姿って感じで燃えてくるぜ」
呼吸を整えた喜熨斗さんが呟く。キメラを倒すのがより困難になったのに、喜熨斗さんはまだ嬉しそうにしている。むしろ、倒しづらくなるほどにテンションが上がっているようにも見えるわ。
嬉々としてキメラに飛びかかるけど、逆に距離を詰めたキメラによって、喜熨斗さんは壁に叩きつけられてしまった。
「どうだい? 君の目は、僕の姿を捉えているかい? おっと、捉えていたら、ここまで一方的な戦いにならないか」
いつの間にかキメラが私の背後に回りこんでいた。……悔しいけど、全然見えなかった。
「真白。君はどうだい? 僕が接近するのを感じることが出来たかい?」
……出来なかったわよ、畜生。
「見えていなかったとしたら、ご愁傷様……」
キメラは、私の反応を待たずに、渾身の蹴りを見舞った。為すすべなく、私は喜熨斗さんと同じように壁に叩きつけられてしまった。しかも、私の場合は壁が破損するというおまけ付き。
「う、嘘でしょ……」
人が寿命を削ってまで強化した力なのに、まるで及ばない。
「ショックかい? でも、これが現実なんだよ。これが僕と君たちとの間の、埋めようもない差だ」
うな垂れる私を諭すように、キメラが話す。イルと牛尾さんが、私を呼ぶ声も聞こえる。
「改めて名乗ろう。僕の名はキメラ。このゲームのメインプログラム。理不尽な存在だ……」