第百六十話 終末の部屋
第百六十話 終末の部屋
キメラから吹き飛ばされた拍子に、ある真っ黒な部屋を見つけた。まだキメラと交戦中だったので、すぐに戻ろうとしたんだけど、どうもキメラの様子がおかしい。不思議に思っていると、早急にこの部屋から離れるように言われてしまった。
そこまで言うってことは、この部屋にはよほどみられると困るものがあるってことよね。キメラの相手は喜熨斗さんに任せて、私は部屋を明るくするために、電気のスイッチを入れた。
その結果、私はとんでもないものを目にすることになってしまったのだった。
「何よ、これ……」
室内には、筆舌に尽くしがたい惨状が広がっていた。
「どうした? その部屋に何があるんだ?」
私の驚嘆の声を聞いて、牛尾さんとイルも、後を追うように部屋に入ってきた。ただ、イルだけは事情を知っているようで、顔色が優れない。
私の様子を心配して声をかけてきてくれているのに、私は口を開けて、呆けていた。とても、返事をする余裕はない。
しかし、牛尾さんも目前の光景を見た途端、顔色を変えた。心臓に毛が生えたような牛尾さんですら言葉を失うくらいだから、相当あり得ないものなのだろう。
目の前に置かれていたのは、百個を超える数の人間大のカプセルだった。均一に並べられているそれらの中には、一人ずつ眠っていた。SF映画で観たことのある光景だわ。それだけなら、今更動じたりはしないんだけどね。
まず、カプセル内で眠っている人間について、ピンとくるものがあった。
「牛尾さん。念のために聞きますけど、元のスタッフって、牛尾さん以外はみんなおじいちゃんやおばあちゃんばかりだったんですか?」
「そんな訳ないだろ。一番歳を取っているやつで、四十代だ」
そうよね。お年寄りだけの開発チームなんて、聞いたことがないわ。
どうしてこんなことを聞いているかですって? それはここを管理しているやつがもうじき話してくれるわ。
「ああ、遂に見られてしまったか……」
後ろの方で、喜熨斗さんの刃を避けながら、キメラが残念そうに呟いている。目前の光景がこいつの仕業であることは間違いないわ。早速、問い詰めることにしましょう。
「キメラ。まさかとは思うけど、ここで寝ているのって、元開発者のみなさん?」
「察しが良いね。その通りだよ」
「全員がお歳を召しているんだけど……」
「ああ。それは能力の副作用なんだ。君も知っているだろ?」
心当たりが一つだけある。さっき実際に使って、私自身、その副作用とやらを経験しているのだから、忘れようもない。使うと、身体能力の増加と引き換えに、寿命が減っていく恐怖の能力、『アップデート』……。
「イルから聞かなかったかい? 君も所持している『アップデート』という能力を完成させるために、後数千人分のデータが必要だって」
「……だからって、勝手に」
スタッフ全員から了承を得たとは考えられない。おそらく眠らせた後で、勝手にモルモットとして使ったのだろう。
「途中でチームを抜けなかったら、私もこうなっていたのか……」
他人事ではない事実に、牛尾さんはガタガタ震えていた。私も、牛尾さんとの初対面がここにならなくてホッとしていますよ。
「これはお父さんの指示でやったことなの?」
「いや。僕が単独で実行したことさ。こうして死ぬ寸前まで歳を取らせておけば、万が一目覚めることがあっても、すぐ死んでくれる。秘密は守られる。その上に、データまで集まる。我ながら名案だろう?」
本心からそう思っているのだろう。罪の意識など、まるで感じられない得意顔で、キメラは言い切った。とにかくお父さんが指示したことでなくて良かった……。
よく考えてみれば、お父さんがこんな指示を出す訳がないわね。あの人の頭の中は、お母さんを生き返らせることでいっぱいで、余計なことは考えたくない筈だからね。
「お父さんは……?」
力なく口から言葉を漏らす。お父さんのことだ。自分だけ別室で寝ているということはないだろう。きっとこの人たちと一緒に寝ているに違いない。自分で探せばいい話だけど、勝手にモルモットにされて、老人の姿に帰られてしまった人の顔を、一人一人覗いでいく気力は私にはない。
「……一番向こうにある一際大きいカプセルに眠っている。マスターは他のやつと同じものに眠らせるように言っていたんだけど、僕の創造主だからね。他と同じ扱いなんて及びもつかない。無断で特別良いのに寝かせている」
キメラがごちゃごちゃ言っているけど、お父さんの扱いなんてどうでもいいわ。とりあえず場所は教えてもらえたので、お礼だけは言っておいてあげる。
キメラの足止めは喜熨斗さんに任せて、私たちはお父さんの眠っているカプセルの元へと歩いていく。
カプセルに近付いてみたら、罠だったということはなく、お父さんが見覚えのある髭面で眠っていた。他の人たちと同じように、老人の姿になっていることも危惧したけど、さすがにそれはなかった。
「どうだい? 久しぶりのマスターの顔は?」
喜熨斗さんと交戦している筈のキメラが横にいた。いつもなら、攻撃して追い払っているところだけど、今はそんな心境になれないわ。
涙が見る見る頬を伝わっていく。さっきのイルより流しているんじゃないかしら。キメラが横にいるということは分かっているのに。周りのスタッフ陣のことを考えれば、歓喜の涙を流すのは不謹慎だと分かっているのに。
でも、どうしても、涙が止まってくれないの!
「マスター。私が逃げた時と変わらない顔で寝ている……」
「相変わらず図々しい面をしているな。丁度寝ていることだし、蹴り入れてやろうかな。ふへへへ……」
牛尾さんだけが良からぬことを企んでいる。彼女から見れば、お父さんは元上司に当たる訳だ。上司は嫌われるものだと思っているけど、家族の前なんだから、もう少し言葉には気を遣ってもらいたいわね。
しばらく泣いた後で、ようやくスッキリした。さっきからこんなことばかりの気がするわ。
「もう流す涙も残っていないわ。でも、目を覚ましたお父さんを見て、泣くよりはマシかな?」
「……起こすつもりなのかい?」
「もちろんよ。そのためにここまで来たのよ」
涙の後を腕でこすりながら、カプセルを開けるスイッチがないか探してみたけど、どこを見ても平らでボタンらしきものは見当たらなかった。
「あくまでマスターの計画を阻止するつもりなのかい? マスターの顔を見て、考えは……」
「全然! むしろ、固まったわ!」
「やれやれ……。こうなると、僕も本気で君を止めることは考えないとな」
「その前に俺と遊ぶのが先だろ?」
私を妨害しようとするキメラの肩を喜熨斗さんが掴んだ。そして、キメラを後方へと投げ飛ばした。
「あいつの相手は俺がするからよ。お前は親父さんを起こすのに専念しな!」
「恩に着ます!」
こういう時にはとことん頼りになるわね。喜熨斗さんにお礼を言うと、早速お父さんを起こしにかかったわ。
これに慌てたのは、キメラね。喜熨斗さんに壁まで吹き飛ばされていたけど、軽やかに立ち上がると、大きくため息をついた。
「……とんだ失態だな。マスターに知られたら、叱責じゃ済まない」
「へっ! お前にも怖いものはあるんだな」
「喜熨斗……。悪いが、余裕がなくなった。君を殺す気でいかせてもらう」
「はっ! 俺は元からそのつもりだ」
キメラと喜熨斗さんの間に、激しい火花が散る。喜熨斗さんが無事なうちに、お父さんを起こして、キメラにやらせていることを中止させないとね。