第百五十八話 イルの生まれた理由
第百五十八話 イルの生まれた理由
長い戦いの末、ようやくキメラの元に舞い戻ってくることが出来た。しかも、側には、離れ離れにされていたイルも一緒にいるというおまけ付き。
思わずキメラのことを忘れて、イルの元に駆け寄ったわ。不幸中の幸いというのか、外傷もないみたいで、心底ホッとしたわ。
でも、イルは目に見えて元気がない様子。私はすぐに、キメラの仕業だと判断して、やつを睨みつけて問い詰めたわ。
そうしたら、やつは悪びれる素振りもなく、自分の仕事をするように説得したとか抜かす訳よ。
「イルに任されている仕事って何なのよ! どうせくだらない仕事でしょ!」
「下らない仕事なんてとんでもない! マスターの望みを叶える、最後のピースを担うというたいへん名誉な仕事さ。なのに、イルったら、嫌がって脱走しちゃったんだ。マスターの失望ったら、なかったな」
お父さんに失望されたということを聞いて、イルがあからさまに怯えた。きっとお父さんに見捨てられるのが怖いのね。でも、イルは仕事を放棄して逃げた。よほど嫌な仕事とみたわ。
「その顔から察するに、信じてないね。でも、イルに任された仕事が重要というのは本当さ。何といっても、君のお母さんの復活に関わるものなんだからね」
「お母さんの!?」
思わず食いついてしまった。私が反応したのを満足そうに見つめながら、キメラは話し続けた。
「君のお母さんを生き返らせるといっても、いきなり完全に蘇生してくれるとは限らないからね。中途半端に復活する事態を避けるために、別の人格を埋め込んだ状態で蘇生して、微調整していく方法が取られたんだよ」
「まさか……」
「そう。そこで生み出されたのがイルさ」
思わずイルの頬を撫でた。イルが生まれたのは、お母さんの意識が入る器を完成させるため。そして、この体は、計画が成就された暁には、お母さんの物になる。
「でも、お母さんはこんな幼くはないわよ」
「マスターがお母さんと同じ年恰好で体を形成しろと言ったのに、イルが無視して、幼年期の状態で具現化したんだ。家のアルバムで、お母さんの幼いころの写真を見てみると良い。イルと瓜二つだから」
イルが私のお母さんの入れ物になるために、この世に生を受けていた? にわかには信じがたい話だけど、お父さんならやりかねないと、今の私は感じる。
「ふむ……。言われてみると、おばさんの面影がなくもないな」
「牛尾さんはイルのことは聞いていたんですか?」
聞いてみたけど、返事は予想通り、全く知らなかったというお約束の文言だったわ。この分だと、他の開発スタッフも知らされていなかったかもしれないわね。
「イルの存在はトップシークレットだからね。お母さんを復活させる計画自体が秘密なんだ。それのカギを握るイルのことを公に出来る訳もないだろ?」
確かに、そうなると、幼い子だけが研究所に、ポッと姿を現すというかなり不自然な光景になってしまうわ。
「一時期は不穏分子として始末することも、本気で考えたんだけど、こうして戻ってきてくれて本当に嬉しいよ。僕だって、兄妹をこの手にかけたくないからね」
キメラの話を聞く限り、イルは自分の意志で戻って来たみたいに言われているけど、とてもそんな風には見えないのよね。
「念のために聞いておくけど、お母さんが復活したら、イルはどうなるの?」
「? 妙なことを聞くね。仕事はもう済んだんだから、用済みったやつさ。無に帰るだけ……。あっ、天に召されるって言った方がロマンチックかな」
ひどい回答だった。完全にイルを使い捨てることしか考えていない。
そりゃあ、逃げるわ。イルでなくたって、目的のために死ねなんて言われたら、逃げるしかないわよ。他に生きる手段がないもの。
「それじゃあ……」
やるせない……。
「それじゃあ、何のためにイルに自我を持たせたのよ。復活した母さんの体にする予定なら、イルに自我を作る必要なんてなかったわよね! 最初からお母さんそっくりの肉塊を用意して、微調整をしていけば良かったんじゃないの!」
「そう上手く事は運んでくれないんだよね。やはりただの肉塊より、意識があった方がスムーズにいくんだ」
「何がスムーズよ。全然捗っていないじゃない」
「やれやれ。いちいち噛みついてくるね。何をそんなに怒っているんだい? 所詮イルなんて、実体を持ってはいるけど、プログラムに過ぎないんだよ? 作るも消すも、作成者の意図のままさ。感情移入する価値なんてないんだよ」
キメラ……。どこまでイルを虚仮にすれば気が済むのかしら。本人が目の前にいるのよ。少しは配慮したらどうなの?
「真白。君なら分かるだろ? 懐かしい家族とまた暮らせるんだ。そのために、君からもイルにお願いしてくれ。イルは君に懐いているみたいだから、素直に聞き入れてくれるだろう」
イルを見ると、今にも泣きそうな顔で震えている。
何をそんなに怯えているのかしらね。私が「お母さんのために、死んでちょうだい」と、お願いすると思っているのかしら。
「真白。分かっていると思うが……」
「心配しないで、牛尾さん。私にだって、良識くらいはあります」
その言葉に驚いたのはキメラだった。私がお母さん復活のために、協力すると思っていたらしい。私にすれば、その考えにビックリよ。
「気は確かか? せっかくのチャンスなんだぞ? それとも、お母さんのことが嫌いなのか?」
「いいえ、大好きよ。でもね、あなたたちのしようとしていることは間違いよ」
自然の摂理に逆らっているとか、賢しらぶったことを言うつもりはないわ。でも、やっちゃいけない反則よ。きっとろくなことにならないわ。それにね……。
チラリと、イルの顔を見る。
この子を見捨てるなんて、出来る訳がないでしょ。約束したんだもの。この戦いが終わったら、一緒に暮らそうって。
「でも、私……。マスターに嫌われて……」
イルが不安そうに聞いてくる。これじゃ、お父さんの役に立ちたいから協力したというより、恐いから従ったようにしか見えないわね。お父さんはイルに、どんな接し方をしていたのかしら。
「私に任せなさい。家庭内での立場は、私の方が上なんだから」
さらに言うなら、最上位はお姉ちゃん。女系家族に置いて、ただ一人の男であるお父さんのポジションはかなり危ういものなのよ。
「絶対に、反対なんかさせない。お母さんを蘇生させようとしていたことをばらすと脅してでも、首を縦に振らせてあげる」
「お姉ちゃん……」
大粒の涙を流しているイルを、ぎゅっと抱きしめてあげる。キメラが理解できないという顔でこちらを見ているけど、あなたこそ理解してもらいたいわね。これが私の答えであり、望んでいることなのよ。
ひとしきり泣くと、イルはいつもの笑顔を見せてくれた。もう大丈夫みたいね。
「あくまでも、マスターの邪魔をするんだね」
「ええ。私の考えが曲がることはないわ。だから、そこをどきなさい。立ちはだかるのなら、容赦はしないわ。メインプログラムだろうと、関係ない!」
「ふん! 勝手に決めやがって……」
「だが、全面的に支持するぜ。さすがは月島の義妹だな」
勝手に宣戦布告する私に、牛尾さんと喜熨斗さんが突っ込むけど、二人共異論はないみたいね。
イルを牛尾さんに任せて、私と喜熨斗さんが前に出る。対峙する形になったキメラは不思議そうな顔をしている。今の説明で、私が納得すると思っていたと見えるわ。
「理解できないな。実の母より、ただのプログラムを取るなんて……」
キメラったら、まだ言っているわ。それにしても、イルのことを悪く言うのは見逃せないわね。
「さっきからイルのことをずいぶんボロクソに言っているけど、あなたはどうなの? 自分も使い捨てにされたらとか考えないの?」
ましてや、イルはあなたと兄妹なのよ。肉親の情とか、少し兼ね備えていないものかしらね。
「全然。僕はマスターの右腕だからね。最初から使い捨て目的で、生を受けたイルとは違うんだよ。だから、そんなことはあり得ないし、考える必要もない」
考えたこともないか。そんなことだろうと思ったけど、ここまでハッキリと言われると、もう呆れることも出来ないわ。
「……あなたとは意見が合いそうにないわ。いくら話し合っても、平行線ばかり辿っているし」
「そうなると、結論を出す方法は一つだけど、どうしても戦う気かい?」
「当たり前でしょ。そのためにここまで来たのよ。それに加えて、今の話を聞いて、意地でもぶっ飛ばさなきゃいけなくなったわ」
どんな事情があるにせよ、女の子を泣かせるのはいただけないわね、お父さん!
「分かった……。気は乗らないけど、それしか道がないのなら、相手をしよう。せめて、明るい未来が待っていることを願って……」
キメラの赤い瞳が怪しく光る。いよいよね。




