第百五十三話 十六歳の私よ、さようなら
第百五十三話 十六歳の私よ、さようなら
相変わらず、糸のせいで自由が効かない。しっかりと巻きついているせいで、指一本動かせそうにない。それを良いことに、獅子の人形が私を執拗にいたぶっている。このままじゃ、私のピアスは砕けてしまい、ゲームからのログアウトを余儀なくされてしまうでしょうね。
一度現実世界に戻されたら、またここに来る機会は二度とないかもしれない。何としても、今回勝負を決めなければいけないのだ。
イルから『アップデート』をもらった時に聞かされたことを回想しながら、私は決断を迫られていた。
確か完成するまでに、あと数千人分のデータが必要だって、イルが話していたわね。つまり、これから『アップデート』を使用しようとしている私も、能力を完成させるためにデータを提供することになる、人柱の一人ということかしら。
お父さんも、まさか実の娘がモルモットになるとは、思っていなかったでしょうね。家族を一人復活させるための研究の末に、別の家族が犠牲になろうとしている。なんて、皮肉な話なのでしょうね。
私が『アップデート』を使うか、悩んでいる間も、蜘蛛は糸を追加で巻きつけてきている。万が一に備えて、強度を上げているということね。人形の分際で、何とも用意周到なことね。
でも、まずいのは事実。これ以上、糸を巻きつけられたら、『アップデート』で身体能力を上げても、拘束を解けなくなるかもしれない。そうなったら、私は歳を取るだけの、割に合わない結果になってしまうわ。
もしかしたら、お婆ちゃんになっちゃうかもしれないのよ。そこまでして発動するのに、失敗なんて、絶対に許されないわ。
悩んでいる暇はないと、深呼吸と共に、『アップデート』の発動を、遂に敢行した。
その瞬間、瑠花や小桜、小夜ちゃんたちの顔が思い浮かんだ。能力を発動したせいで、歳を取っちゃうから、もう学校には、生徒として通うことが出来なくなるかもしれない。みんなとも、クラスメートとして会うことは出来なくなる……。
まだ死ぬ訳じゃないのに、今までの思い出が走馬灯のように、頭をよぎる。
何よ、これ。丸っきり死亡フラグじゃない。この戦いに勝って、未来を掴むために、発動したのに、不吉極まりないわ。
駄目よ、真白。死亡する未来なんて、考えちゃ駄目。私は何としても、お父さんを取り戻して、親子水入らずの平凡な家庭を取り戻すの。それが私にとっての、ベストな未来なの。それを実現することだけ考えていればいいのよ。
決意と共に、両方の拳をグッと握る。
私の決意に呼応するように、全身に力が溢れてくるのを感じる。今まで私を拘束していた糸が、まるで納豆の糸みたいに思えてくるわ。
それまで身動き一つとれなかったのが嘘のように、あっさりと立ち上がれてしまった。糸の拘束が弱まったのではない。私の力が、拘束しようとする力を上回っているのだ。
「あらあら。無駄な足掻きをしちゃって。みっともない、見苦しい。ねえ、ここで、あんたのことを笑って見ていてもいいかな? アハハ!」
私の力が急上昇しているのを知らない揚羽は、最後の力を振り絞って抵抗していると勘違いしているのだろう。場違いな挑発を飛ばしてくる。でも、付き合っている暇はないのよ。
能力が発動している間、私はどんどん歳を取っているのだ。だから、少しでも早く、事態を収拾して、能力の発動を中止する必要があった。
「黙れ……」
自分でもビックリするくらいの、低い声で揚羽を威嚇した。私のただならぬ雰囲気に、揚羽ですら、反論できずに圧されてしまっている。
ブチブチブチブチ……。
全身に力を込めると、糸が音を立ててはじけ飛んでいった。それに驚いたのは、揚羽だ。無理もないわね。絶対にちぎることが出来ないと、自信満々だったんですから。
「ど、どうして!? どうして蜘蛛の糸がちぎれるのよ! 高層ビルを一つ丸ごと引っ張ってもちぎれない筈なのに!」
あらま。この糸って、そんな頑丈なんだ。髪の毛くらいの細さしかないのに、見かけによらないものね。
「何をしたのよ。教えなさいよ」
教えないわよ。そんな暇はないのよ。でも、教えない代わりに、体が自由になったら、真っ先にあんたの顔面をぶん殴って成仏させてあげるわ。
「あれ? あんた、よく見たら、ちょっと大人になっていない?」
揚羽からの指摘に、思わずドキッとしてしまう。ほんの少しだけのつもりが、傍目からも分かるくらいまで代償を払うことになってしまった。
「見間違いじゃない。胸はそのままだけど、さっきより成長しているわ。分かった。詳細は知らないけど、能力を使ったのね」
胸はそのままか。私って、筋金入りのまな板の持ち主だったのね。しかも、傍から見ていても分かるくらいに歳を取っているなんて……。急いだつもりなのに、成長が早いよ。
気が重くなったけど、それでもめげずに糸をちぎっていると、揚羽が声を張り上げた。
「分かった。一時的に大人に成長することで、眠っている潜在能力を引き出す能力ね!」
謎は解けたというしたり顔で、揚羽が得意満面で言い放つ。
一時的という言葉が、私の胸をグサリと突き刺した。一時的か……。能力の発動が終われば、また元通りになれるということよね。本当にそうだったら、どれだけ良かったかな……。
揚羽からは、様々な罵詈雑言でなじられてきたけど、今の一言が一番効いたわ。威力があって、涙ぐみそうよ。
「成長したら、体力は上がるものだけど、私の蜘蛛の糸を引きちぎれるほどに成長するなんて、どこまで体力ゴリラなのよ……」
ゴ、ゴリラ!? この美少女に向かって、ゴリラですって!? 失礼にも程があるわ。……などと、いつもなら怒鳴るところなのに、今は全くそういう気分にならない。
「もうすぐ自由になるから。そしたら、すぐに殺してあげるから」
十六歳の私はもういない。もう戻ってこない。こいつのせいだ。こいつが蜘蛛の糸なんかで、私を拘束するから、こんなことになったんだ。
殺意が。殺意が止められない。収まらない。
憎い。こんな事態に、私を追い込んだ揚羽が憎い。
私は大人になっちゃったのに、どうしてお前だけは女子高生のままなのよ。
私の目が本気なのを見て、揚羽が本気で後ずさっている。でも、逃してあげない。
「し、獅子の人形! そいつをとっとと仕留めろ!」
取り乱した声で、獅子の人形に、私の抹殺を急ぐように下知を飛ばした。
咆哮を上げて、獅子の人形が、私に飛びかかってくる。でも、無駄。『アップデート』の力で、動体視力と瞬発力も上げておいたから。
だから、獅子の動きも目で追えるし、掴むことも可能なのよ。そら、本当に掴んじゃった。
獅子の人形を掴む手に力を入れると、人並み外れた数値にまで上昇した握力で、頭部を粉々に粉砕してやった。
「し、信じられない。さっきまで全く対応できていなかったのに」
冷や汗をだらだら流しながら、揚羽が呻いた。次はあなたの番だから、せめて大人しくしていなさい。
でも、黙って殺される人間なんていない。揚羽だって、例外じゃなかった。
「獅子の人形が瞬殺されて、蜘蛛の糸も風前の灯。こ、このままじゃ本当に、やられちゃうわ」
さすがに揚羽も不味いと思ったのだろう。作戦を変更してきた。
「本当は、ここまでしたくなかったんだけどね。本当よ? だって、一応キメラと同じ顔だしね。ぐちゃぐちゃにしたくなかったのよ。でも、私は死ぬのは嫌だから、攻め方を変えさせてもらうわね」
キメラと同じ顔なのは、私がオリジナルだからよ。むしろ、あっちが真似ている側だから! 大体、やりたくなかったといっても、これから躊躇なく実行してくるんなら、何の慰めにもならないわよ。
「力が倍増したせいで、あなたを縛る糸はもう切れかけているけど、まだ終わりじゃない。外が駄目なら、中から攻めればいいのよ」
「何ですって!?」
私が反論する間もなく、糸の一部が私の口に向かって飛んできた。
まさか、私の口から、体内に侵入する気か!
揚羽の糸を察した私は、素早く糸を掴んで、体内への侵入を阻止した。でも、これで終わりではない。むしろ、ここからが本番。
「口からの侵入は阻止されちゃったか。でも、いいわ。体内に通じる穴は一つだけじゃないからね」
蜘蛛の口から、さらに糸が吐き出された。狙いは、私の体内に侵入すること。おそらく、心臓や内臓を鷲掴みにする気ね。