第百三十五話 水中世界へ
第百三十五話 水中世界へ
『アトランティス』のせいで、辺りは次々と浸水していき、高層ビルの屋上へと追い込まれた私たち。屋上にさえ逃げれば大丈夫という私の目論見は、イルによって、無残にも打ち崩されてしまった。信じられないことだけど、この能力、どこまででも浸水してくるらしいのよ。
このままじゃやばいのは明白だから、攻略法を知っているイルに、詳しい話を聞いてしまいましょう。
「教えて。この能力の攻略法」
この能力をどうにかしないと不味いのは、イルも同じだから、今回は見返りは求めないで、すんなり教えてくれるでしょう。
「……哀藤は、この能力の発動中、水棲生物に化けている筈よ。そうしないと、狙い撃ちにされちゃうからね」
「だから、それを探し出して、始末すればいいってことね」
私の問いかけに、イルは首を縦に振った。
「でも、注意して。水の中にいるのは、哀藤が化けたやつばかりじゃないから。今や水中は、『アトランティス』の力によって、海中と変わらないくらい生物が繁殖しているわ」
「へえ……。水族館とか開いたら、儲けられそうね」
軽い冗談を言ってみたものの、内心は不安で仕方がなかった。だって、海中に潜って、どこにいるか分からない哀藤を探す自信がなかったんですもの。水は相変わらず増えているし、息がもつとは思えないわ。
そんな私の心配を見て取ったイルが、説明を補足してくれた。
「大丈夫だよ。水中には、数は多くないけど、酸素を補給できる酸素クラゲっていうのがいて、そいつに首を突っ込めば、呼吸が出来るの」
「へえ……」
便利そうだけど、数が多くないというのが引っかかるわね。
「心配なのは分かるけど、決断はお早めに、もうすぐそこまで浸水しているから」
イルの言う通り、九十九階まで、既に浸水してしまっていた。やれやれ、考えている時間はないってことね。いいわ。挑んでやろうじゃない。
深呼吸と共に、水中へ飛び込もうと、フェンスに近付いていく。このまま飛び込んでやろうと思っていると、イルに呼び止められた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「うん?」
「水中で戦う訳だから、服を着たままは不味いと思うよ?」
「……」
くっ! やっぱり駄目なのか。ゲーム世界だからもしやと思ったけど、駄目なのか。
「あ、あのねえ、イル。私も女なのよ。人前で裸になるのには、抵抗があるのよ」
「?」
恥じらいながら話す私の全身を、イルが心底不思議そうに見まわした。何に対して抵抗を感じているのか分からないという顔だった。沸々と湧き上がってくる怒りを、懸命に押し殺す。お、凹凸がなくたってねえ。人並みの羞恥心くらい持っていても、いいじゃないの!!
とは思いつつも、ただイルの話が本当なら、服が水を吸って、重くなってしまうので、仕方なく服を脱ぐことにした。
重い気持ちで一枚一枚脱いでいく私の横で、イルは恥ずかしくないのか、軽快に服を脱ぎ捨てていった。良いわよねえ、お子様は。こういう時、大胆になれて。
このまま全部脱ぐかと思っていたら、下着はちゃんと残していた。
「どうしたの? 意外そうな顔をして。まさか全部脱ぐと思っていた訳じゃないよね」
「う……」
この子、勘が冴えているわね。私もとぼければいいのに、うっかり表情に出してしまったわ。
「お、思っていないわ。大体、私が男の人に見られるかもしれない環境下で、そんあ破廉恥を許す訳がないじゃない」
否定はしたものの、イルは信じてなさそうな顔をしている。
「ま、いいけど。どっちにせよ、早く脱いで。ここも直に浸水しちゃうから。無意味な羞恥心は忘れて」
「む、無意味って何よ~!!」
などと、馬鹿なやり取りをしつつも、服を脱ぎ終えた。
あああ……、嫁入り前の体を外で晒してしまった。こんなところ、月島さんにだって、見せられないわよ。お願いだから、また服を着るまでは来ないで、月島さん。
あれ? そう言えば、外からこの世界にログインしてきたら、どうなるのかしら。
「ね、ねえ。ついでに聞いておきたいことがあるんだけど」
一度疑問に思うと、とことん気になってしまい、たまらずイルに聞いてみることにしたわ。
「それはないよ。能力の発動中は、誰もこの世界に入ってこられないから。キメラにすら不可能よ」
「へえ」
「だから、月島のお兄ちゃんに裸を見られる心配はしなくていいんだよ!」
「ぐっ……」
私の懸念を呼んでいたイルがズバリと言うと、赤面する私に抱きついてきた。
「お姉ちゃんと離れ離れにならないように、しっかりとくっついているから、安心して戦ってね!」
完全に私を当てにしているわね、このお子様は……。
図々しい態度に、怒鳴ってやろうかとも思ったけど、今はそんなことで体力を使っている場合じゃないわ。
見ると、この階にまで水が入り込んできていた。もう選択の余地はないようね。
泳ぎは得意な方だけど、いつまで持つかしら。不安で仕方ないけど、もうどうにでもなれよ。
覚悟を決めた私は水中へと飛び込んでいった。
一方、こちらは月島さん。私から助っ人を遠慮されていることなど知らずに、ロシアンルーレットを続けていた。
「また外れか……」
残念そうに拳銃を見つめる喜熨斗さんに、月島さんは苦笑いする。
「何をガッカリしているんだよ。外れを喜ぶところだろう、そこは」
「ふん! 俺は血を見ないと、興奮しねえんだよ」
自分の血でも良いのかというツッコミは流して、喜熨斗さんは拳銃を放った。
「残り三発か。だんだん当たりを引く確率が増えてきたなあ」
和やかだった月島さんの顔も、徐々に厳しくなっていく。もしかしたら、次で死んでしまうかもしれないので、無理もない。
でも、そんな状況下でも、月島さんは余裕を失わない。拳銃を眺めながら、こんなことを言いだした。
「あの時を思い出すな」
あの頃というのは、二人がやんちゃだったころの話だろう。月島さんは時々酔った勢いで話そうとするのだけど、お姉ちゃんが無理やり中断させるので、詳しい話は私も知らない。
「さすがに実弾を使ってのロシアンルーレットは、これが初めてだけど、それに類似するものでは結構やったよな」
お姉ちゃんがいたら、止められている話も、男二人なら、思う存分することが出来る。殺し合いをしているというのに、昔話に花が咲く。
「覚えているぜ。毒入りのまんじゅうが混じった中から、一つずつ選んで食っていくアレだろ?」
「毒まんじゅうルーレットだ。あれはスリル満点だったなあ」
「最初はからしやワサビ入りのもので満足していたのが、いつの間にかエスカレートしてしたんだよな。好奇心は怖いぜ」
呆れたことに、この二人は以前から、何度か同じようなことをしていたらしい。そりゃ落ち着いている筈だわ。今、生きていることが不思議なくらいよ。
「でも、いつの間にかやらなくなったんだよな。確か一人死んだからだっけ?」
喜熨斗さんが昔の記憶を探りながら唸っているが、月島さんが助け船を出す。
「病院送りになっただけだ。死んではいない」
「腹を抱えながら、死ぬと連呼していたけどな。あれは傑作だったぜ!」
当時のことをようやく思い出した喜熨斗さんが爆笑する。
「それで? どうして今頃こんな話をしたんだ?」
笑うのを止めて、喜熨斗さんが問いただす。それに対し、「理由はないよ。ただ思い出しただけ」と、素っ気なく答えると、月島さんは引き金を引いた。運の良いことに、またも外れだった。