第百二十話 不思議な廃墟
第百二十話 不思議な廃墟
イルに連れられて訪れた異世界で、モスク風の建物へと、私たちが移動している、丁度その時、キメラは沈黙していた。
私を追って、同じ異世界に降り立っているかと思ったけど、やつらは拠点へと戻っていた。当然、このことに納得のいかない揚羽は、キメラに噛みついていた。
「どうして戻ってくるのよ。真白の向かった先は分かっているんでしょ? だったら、すぐにでも追いましょうよ!」
揚羽が散々キメラにまくし立てるが、当人は椅子に座ったまま、目を閉じている。
「落ち着きなさい。真白が避難した異世界は、我々にとって、たいへん不利な力を持っているんです。迂闊に、あそこで戦闘に臨めば、敗北する危険も高いでしょう」
哀藤が揚羽をたしなめるが、怒りは収まらない。視線をキメラから、御楽に移すと、また声を荒げて非難を再開した。
「あんたもあんたよ。よくもまあ、負けた状態で、すごすごと戻ってこれたものね。相手は一人だっていうのに、情けない!」
揚羽の非難に、けだるそうに顔を上げると、御楽はぼそりと皮肉を呟いた。
「そう言う揚羽だって、二人がかりで、真白ちゃんを取り逃したじゃないか……」
御楽が話し終えない内に、『スピアレイン』が放たれる。言ってはいけない一言だったらしい。御楽の一言が癪に障った揚羽が使用したのだ。
寸でのところで躱した御楽に、二撃目を放とうとするが、キメラの鋭い一言で強制的に止められた。
「止せ……。仲間内での私闘は厳禁だぞ」
反論は絶対に許さないという、突き刺すような怜悧な一言に、さすがの揚羽も凍り付いて動きを止めた。
勢いを削がれた揚羽に、内心ため息をつきながら、御楽は話を付け加えた。
「そう冷たいことを言うなよ。これでも、俺なりに持てる力をすべて発揮したつもりだぜ。左腕に免じて、努力賞くらいは欲しいものだね」
御楽の左腕は、月島さんとの決戦の末、切り落とされていた。現実世界での負傷だったので、能力によって再生することは出来ない。
おびただしい出血は未だ収まらず、御楽の顔色はかなり悪かった。
「喜熨斗のダチだけあって、あれはマジでやばいって。怒らせてはいけない人間を怒らせてしまったのかもしれないな……」
肩で息をしながら、御楽はしんみりと言った。私が言うのも何だけど、月島さんを本気で怒らせた以上、死ぬのが嫌なら、自首して刑務所に逃げ込むしかないわよ。身内である私から言えるのはそれだけ。
でも、キメラたちに自首する気は皆無。もっとも、自首するとして、どういった罪状で捕まるのかは、私にも分からないけどね。
「それで? 君の片腕を切り落とした、血の気の多い刑事さんは?」
「どっかに行ったよ。ていうか、逃げるのに精いっぱいだったからな。正直、どこに行ったのかまで把握している余裕はなかったよ」
そう言うと、御楽は地面に座り込んでしまった。体力的に相当参っているようね。しばらく戦力にはならないのは明白だわ。
「どちらにせよ、決着は近いだろう。向こうとしても、せっかく掴んだチャンス。手の平からこぼれる前に決めたい筈だ」
キメラの前で三人が真剣な顔で耳を傾けている。そこで、キメラはここにいる筈の、もう一人の存在について、言及した。
「喜熨斗はどうした? 彼好みの展開になっているというのに、姿が見えないようだけど?」
いつも真っ先に血の気の多い話を始める筈なのに、今日は姿も見えない。喜熨斗さんにとっては、あり得ないことだけに、キメラも顔をしかめていた。
「あいつなら、とっくに真白のあとを追って、バグの世界に行きましたよ。危険だと止めたのですが、聞く耳を持ちません」
バグの世界というのは、私が今いる、アラビア風の異世界のことだ。哀藤の報告を聞いて、キメラはしばらく呆けていたけど、徐々に含み笑いを漏らしていく。
「そりゃそうか。戦いのあるところに、彼有りだ。こんな祭りを前に、大人しくしている訳がないか」
むしろこの場にいることより、そっちの方が喜熨斗さんらしいと納得するような素振りにさえ見えた。
「恐らく刑事さんも、真白ちゃんの元に向かっている筈だ。僕も行動を起こそうか。遅れを取る訳にはいかないからね」
立ち上がると、キメラは歩き出した。喜熨斗さんの後を追って、私のいる異世界に繰り出すのだろうと早合点した揚羽が付いていきそうになるが、それは違うとキメラから否定された。
「あの異世界は特殊でね。今のままだと後を追うことが出来ないんだ。下準備がどうしてもいるんだよ」
「下準備?」
「そう……」
意味深なことを言って、歩き去ろうとするキメラの背中に、揚羽は疑問を投げかける。
「じゃあ、喜熨斗はどうなのよ。私たちが行って不味いところなら、あの戦闘狂だって、不味いんじゃないの?」
キメラは歩みを止めず、首だけ振り返って、笑みさえ浮かべながら答えた。
「彼は問題がないんだよ。戦闘狂だからね」
回答になっていない。揚羽もポカンとしたままで、固まっている。だけど、他の二人には、これで十分の様だった。
「確かに、あいつだけはあそこでも暴れられるよな」
「戦闘狂ですからね」
揚羽だけが腑に落ちない顔をする中、キメラの足は、地下へと向いていた。
「あなたの娘さんがちょこまか動いていてね。大人しくさせるために、力を貸してもらうよ、マスター」
マスターと呼んでいるのは、まぎれもなく私の父のことだ。『神様フィールド』において、最高権力者で、キメラ以上の権限を持っているが、今は眠りについている。キメラの話では、絶対に起こすなと言っているらしいけど、助力を求めようとしている。
私が体を乗っ取られて始まったこの物語に、転機が訪れようとしているのを、その場にいる誰もが感じていた。
一方、私はモスク風の建物に向かいながら、情報収集を行っていた。
最初は不愛想にしていたおじさん達も、私が猫撫で声ですり寄ると、鼻の下を伸ばして教えてくれたわ。この異世界でも、私の色気は健在の様ね。
「おじ様たちに聞いた情報によると、あの建物内は無人らしいわね。ずっと前からあるらしいけど、誰も入ってはいけないことになっているらしいわ」
言ってしまえば、街の中に巨大な廃墟がポツンと建っているようなものかしら。これだけ人がいれば、土地だって不足するでしょうに、あんな巨大な無用ともいえる建物が放置されているなんて、不自然だわ。
イルに説明すると、彼女はどうでもよさそうに唸っていた。小さい子には興味が沸かないみたいね。お化けが出るかもしれないと言えば、目を輝かせるかもしれないけど、うるさくなるからいいわ。
そう思っていたら、私に目を向けて、「でも、入るんだよね!」と言ってのけた。興味がないと思っていたのに、いつの間にか、目を輝かせている。
私の考え違いか。やはり小さい子は探索が好きなようね。
「そうね。無人なら、捕まる心配もないし」
建物の周りはこれだけ人でごった返しているのに、中だけ無人という、浮いた存在に私の触角が反応したのだ。神様ピアスはこの中にあるという、確信ともいえるものが私にはあった。
「入ったらいけないって。もし入ったら何が起こるのかな?」
「おじ様たちもみんな、分からないと言っていたわ」
分からなくても従っているなんて、ますますおかしいじゃない。
「まっ、見るだけなら問題ないでしょ」
中に神様ピアスがあるのなら、話は別だけどね。