第一話 無人のオフィス
第一話 無人のオフィス
どっぷりと陽が落ちて、辺りが真っ暗になった午後十一時ごろ、私はぶつくさ文句を言いながら、お遣いのために外を歩いていた。
私の名前は百木真白。今年で高校二年になる。名前で判断できると思うが、女子だ。そう、俗に言う女子高生というやつだ。
本来なら、か弱い女子高生がこんな時間にお遣いを任されるようなことはないのだが、私の家族は普通の神経の持ち主ではなく、笑って送り出されてしまった。しかも、その内容は泊まり込みで働いている父のために、着替えや差し入れを持っていくというものだった。
「全く……! 何で私がお父さんのために、会社まで着替えや差し入れのおかずを持ってこなくちゃならないのよ。これでも思春期の乙女なんだぞ」
ぶつくさ文句を言いながら、お父さんの会社への道を急いだ。こんな時間でなくても、父親の会社など、あまり行きたい場所ではない。
これまではお姉ちゃんが届けていたのだが、どうしても外せない用事が出来たとかで、急きょ私が来ることになってしまったのだ。
さて、文句を吐きながらでも、足を動かしている以上、目的地にはいつかは到達するものだ。
早速、入口の受付で手続きをして入ろうとしたが、いつもいる筈の警備員さんの姿が見えない。
不審に思って、窓ガラスを何回か叩いてみたが、誰も顔を見せない。二十四時間、常に誰かが詰めている筈なのに、おかしいな。不審なことは他にもあった。会社全体が真っ暗で、どこにも明かりがついていないのだ。
父の会社は研究熱心な変人が多いので、いつも何人か残っているのだが、今夜に限っては誰もいなかった。いや、お父さんがいるから、無人ということはないだろう。
「誰もいない訳はないわよね」
年頃の娘に、夜中に一人で職場まで荷物を持ってこさせておいて、実は帰宅していましたなんて展開は認めない。
とりあえず受付に誰もいないのなら、仕方がない。堂々と素通りしてしまうことにした。受付に懐中電灯があったので、勝手に拝借してしまおう。帰る時に返せば問題ないや。
中に入ってみたが、廊下も真っ暗。トイレにすら電気がともっていない。ここまできて、やっと呑気な私も何かがおかしいと不安になってきた。
お父さんの携帯電話にかけてみるが、呼び出し音が続くばかりで全然つながらない。
「何が起こっているのよ……」
まさか強盗が入ったの? いきなり襲われる展開も想定できたので、トイレのロッカーからモップを拝借して武器代わりに使わせてもらうことにした。
お父さんのオフィスに到着したが、やはり真っ暗。電気を付けようとするが、スイッチを押しても、明かりがつかない。
入口のところから、室内をまんべんなく照らして確認したが、誰もいない。本気で無人のようだ。
本気でやばいことになっているみたいだ。そうなると、私だけで行動するのは非常に危険だったので、応援を頼むことにした。
「もしもし、私?」
「こんな時間にどうしたの、真白ちゃん?」
電話をかけたのは、月島さんという知り合いの刑事。ちょっとした縁があって、互いの電話番号を交換しているのだ。
「今、お遣いでお父さんの会社に来ているんだけどさ……」
私はここまでの経緯を簡単に説明して、ここに来てくれるように頼んだ。110番通報してもいいが、やはり知り合いの方が頼りになった。月島さんは快く私の申し出に応じてくれて、すぐに行くから、ここから動くなと言って、電話を切った。
私は壁に寄りかかって、息を潜めて、物音を立てないように注意を払った。現在位置が不審者にばれても怖いので、懐中電灯の明かりも念のために消した。
しばらくは暗闇で何も見えなかったが、すぐに目が慣れてくれた。
月島さんの到着を待ちながら、何となく室内を見回していると、無人のオフィスの壁に貼られている、現在開発中の最新ゲームのポスターが目に入った。
確か「神様フィールド」という名前のオンラインゲームだった筈だ。
オンラインゲームと聞くと、ネットにつないだパソコンやゲーム機で遊ぶものというイメージがあるが、これはそれの進化系ともいうべきものだ。
どういう設定なのかは知らないが、実際にプレイヤーがゲームの世界に入ることが出来るのだ。これは意識だけゲームの世界に行くというものではなく、現実の肉体ごとゲームの世界に移動するというものだ。お父さんの話では某国の軍部とも連携して開発されたシステムらしく、国も積極的に関わっていることが、連日のように様々なメディアに取り上げられて、世間の関心を否がおうにも集めていた。
その気になれば、ゲーム世界で一生暮らすことも可能らしく、これはファンタジーの世界で暮らしたいと思っている人や、現実の生活に行き詰った人を歓喜させた。
国によると、現実世界で負ったストレスを解消する場になればいいということらしいが、一度味を占めたプレイヤーがわざわざストレス社会に戻ってくる訳がない。一見すると、夢の世界のように聞こえるが、実際のところは、増えすぎた人口の整理と、ニートや引きこもりの処理が目的だ。
こんな感じなので、良からぬことに悪用しようと目論む輩も多く、ゲームの開発会社であるこの場所は厳重なセキュリティーで守られている筈だった。何せ、マスコミにすら、この場所は知らされていないのだ。私は家族で、お遣いに来るということで、たまたま場所を知らされたに過ぎない。
「でも、妙だな。襲撃されたにしては、室内が散らかっていない……」
まるでさっきまで仕事をしていたかのような整理整頓ぶりだ。
一体何が起こったのか、頭を捻っていると、付きっ放しになっているデスクトップパソコンが一台だけあることに気が付いた。
月島さんからは、俺が行くまで動くなと言われていたが、これくらいなら問題ないだろうと近付いた。
パソコンのディスプレイには、人の顔のような形の靄が映っていた。何だこれはと、手を伸ばそうとすると、そいつは私に話しかけてきた。
「こんにちは」
私がビックリして飛びのいてしまった。人型の靄は驚かせてしまったことを微笑みながら、謝ってきた。遠隔操作でこのパソコンとつながっている誰かが話しているのかと疑ったが、靄は即座に遠隔操作の類ではなく、このパソコンに組み込まれた人工知能を持ったプログラムだと言った。まるで私の心を読んでいるかのようなスピードだ。
「お父さんを探しているの?」
これも正解。どうしてこいつは私がお父さんを探しに来たことを知っているのだろうか。あまりにも正確な読みに、私の不信感は急速に募っていく。警戒を強めて、わずかに後ずさる私の様子を見て、人工知能はクスリと笑った。
「そんなに警戒しなくても良いよ。僕は友好的なプログラムだからね」
胡散臭い。もぬけの殻になっているオフィスに、いるのはこいつだけ。どう考えても怪しい。
「あなた、確か「神様フィールド」のメインプログラムよね。名前はキメラだっけ?」
「よく知っているね」
キメラは臆した様子もなく、にっこりほほ笑んだ表情のままで頷いた。
以前、父親に開発中のこいつを見せてもらった時がある。その時は、こちらが指定したプログラム通りにしか行動できない稚拙なプログラムだったが、少し見ない内にずいぶん人間らしくなったものだ。……人工知能のくせに。
「お父さんたちなら、「神様フィールド」の世界に行って、最終テストをしているから、ここにはいないよ」
簡単に現状を説明してくれたが、はっきりいって答えになっていない。最終テストは必要だが、会社の人間が全員で行う必要は皆無。こっちでテストの様子をチェックする人間だっているだろうし、警備の人まで行う必要はない。
「この建物がもぬけの殻になっていたけど、あんたがやったの?」
挑発になるのは百も承知で、核心を問いかけた。とりあえずこの異常事態に無関係でないことは明らかだ。
「そんなに疑ってかからないでよ」
予想通りというか、キメラは話を明らかにはぐらかしてきた。
「そんなに信じられないなら、君も「神様フィールド」の世界に入って、自分の目で確かめればいいじゃないか。専用のパスカードを頭上に掲げて、「ログイン!」と叫ぶだけでいいんだ。メディアでも紹介されていたよね。その専用カードの一枚が、このパソコンの前にあるから使うといい」
確かに、パソコンの前に、専用のパスカードと思われるカードが一枚置かれていた。でも、その手には乗らない。
「結構よ。私はこれをお父さんに渡せれば、もう帰るから。異世界にいるんなら、私が来ていることを伝えてくれる?」
「駄目だよ。最終テストの間は話しかけるなと言われている」
メインプログラムのこいつに、お父さんがそんな指示を出す訳ないだろ。とことん嘘が下手なやつだわ。
「じゃあ、戻ってきたら、私がここに来たことを伝えて。私はこれを置いて帰るから」
そう言って、着替えや差し入れのぎっしり詰まった紙袋を乱雑に投げつけた。もちろん、帰るというのは嘘。月島さんと合流してすぐに、多数の警察官と戻ってくるつもりだ。こいつを破壊するためにね。
だが、乱暴にやり過ぎたらしい。こいつに備わった防衛本能というやつだろうか。私をこのまま返すのは危険と判断したようで、それまで友好的だったこいつの表情が変わった。
「そうか……。「神様フィールド」にログインしようと近付いてきた時に仕留めるつもりだったけど、君は案外頭が良いな」
そう言うと同時に、私のすぐ後ろのパソコンが起動した。スリープモードだったらしく、すぐに画面が表示される。
不意を突かれた私が振り返ろうとするより先に、キメラは行動してきた。
「不意打ちする形になるけど、ごめんね。君の体をもらうよ……」
「は!?」
いきなりの宣告に心臓がドクンと高鳴る。このままだとまずいことを本能的に察して、逃げようとするが、もう遅い。
「何、死ぬ訳じゃない。コンピュータ内の仮想現実の世界で楽しく余生を生きることになるだけさ」
くっくっと癪に障る笑いを漏らしながら、キメラの意識が私の中に入り込んでくるのを感じた。
「ちょっと……、何をする気……」
「すぐに分かるよ」
キメラの笑い声を聞きながら、私はゆっくりと気を失っていった。
昨日まで別の作品を連載していましたが、そちらがどうにか最終回を迎えましたので、本日から新連載を始めさせていただきます。通学・通勤や、勉強・仕事の合間にでも読んでいただければ嬉しいです。