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私と消失

黄昏の空、夕闇消えて

作者: 杞憂

 私は一人だった。

 縦横無尽に駆け抜ける風は、私の体と共に、心までをも無遠慮に揺さぶりかけてくる。風の音はまるで止まれといっているようにも聞こえるし、逆に進めと私の体を押し出すのだ。

 扉をくぐった瞬間から私を押し戻そうとしていた風は、もはや後押しさえしてくれる。私は、ほんの少しの心地よさを感じていた。私たちを覆っている広大な空が、自分の手で掴めそうな気もした。これで終わりにするのは、惜しかった。

 端に立つと、世界は再び変化を遂げた。目の前いっぱいに広がるのは、私が今まで暮らしてきた町の風景。しかしそれは、今まで私が知らなかった風景だとも言える。眼下に存在する世界は、手を伸ばせば届きそうなのに、だけど絶対に届かないことを確信させる。私はもうあそこに戻りたくはないし、もう戻れないのだから。

 日が沈みかけていき、茜色から藍色に変わる空を見ていると、こんな素晴らしいものが世界にあったことを、もっと早くに知りたかったと、そう感じたのだろうか。もはや自分にも訳の分からない渦を巻く感情が沸き起こり、私は知らぬ間に頬をぬらしていた。

「……どうして、私はこんなところにいるんだろう」

 それは、帰るべき場所を失ったから。

「……どこで、選択を間違ったんだろう」

 その答えは、既に知っているはずだった。だが今の私にとっては、もう遅すぎた。

 月光がほのかに町を照らしている。

 町は暗さに負けじと明かりをともし始め、闇と交じり合いつつ、夜の静寂へと包まれていく。

 終わりにと、月を見上げた。最後にふさわしい、綺麗な満月だった。月の魔力が、私に最後の勇気を与えてくれた。

 私は前のめりに倒れこむ。私を受け止めるものはなく、いつまでも落下は続いていく。不思議な浮遊感に包まれ、永遠に落下し続けるのではないかと錯覚する。私の存在が、落下と共に解けていく。全てが自由になっていくように感じ、「私」が世界と同化していく気がする。視界に広がる景色は、段々と私に近づいてきて、ああとても温かそうな、光に包まれていく…… 

「ねぇ、神様。もしも次があるのなら、私は、今の私のような失敗はもうしたくない。いや、しない。後悔するぐらいなら、例え傷ついたって構わない。私は、ワタシを変えてみせる。絶対に」

 そして、何かが壊れる、音がした。

 

 遠くから何かの音が聞こえてくる。

 これは、時計の秒針が奏でる一定の間隔音、だろうか。機械的なその音が、一瞬凍ったかのように停止した。続いて聞こえてきたのは、学校ではお馴染みの、あの音だった。

「朱里、ねえ、朱里ってばっ!」

「なに……?」

 私の顔を覗き込んでいるのは、小学校からの幼馴染である金井沙智だった。私はまだ寝ぼけているのか、視界がはっきりとしていない。

「もう授業終わって、お昼だよ。ご飯食べよ?」

「あ、うん。購買行こっか」

 さっきの音はチャイムだったのか。授業中完全に眠りこけてしまったらしい。何の授業だったのかすら思い出せない。

 なぜか、ずっと長い夢を見ていた気がする。とても悲しい、報われない夢を。その夢の最後に、私は……

 私と沙智は購買へと続く廊下を歩いていく。お昼休みだからか、廊下は生徒で賑わい騒々しかった。

「どうしたの、なんか暗いよ」

「いや、なんでもないの。ちょっと怖い夢を見て」

 あまり心配をかけるのもよくないと思い、私はとっさに話題を変えた。沙智は何かに気付いたようで、それ以上は追求してこなかった。ただ一言、「悩みがあるなら相談してね」とだけ言ってくれた。

 私は、彼女に感謝している。私が困っているときにはいつも、沙智は私の味方でいてくれた。

 それは、昔の私がずっと望んでいたものだ。小さい頃の私は人見知りで、友達が全然いなかった。あるとき、これではいけないと思い、私は勇気を出して、当時隣の席に座っていた沙智に話しかけた。そして、今の仲に至っている。

 ほんの少しの勇気と努力で、こんなにも世界が一変することを、私はずっと前に教わっていたのだ。

「……沙智、ありがとう」

「ん、何か言った?」

「なんでもない。今日は私がおごってあげる」

 穏やかな時間が流れていく。あの夢の中の私が望んでいた、平凡で、だからこそたどり着くのがとっても難しい、それが今の私のいる世界。きっと誰もが、望んでいる世界。

 放課後を迎え、私たちはそれぞれの家路についた。

 夕日が町を真っ赤に染めていく。その茜色の空に、突然既視感を覚えた。それと同時に、心臓が一際大きく鼓動を放つ。

 誰かが、私を見ている気がする。私は来た道を引き返し、再び校門の前までやってきた。何故戻ってきたのかは自分でもよく分からない。ただ、そこにいるという予感がしていた。

 視線を感じる屋上の方を見上げると、そこにはやはり、一人の少女が立っていた。私と視線が合っても構わずに、こちらを鋭い双眸で見つめている。私は、彼女が何者かすぐに理解した。

「あなたが、私に教えてくれたんだよね。世界の、変え方」

 少女は何も答えない。答えてもらう必要もない。

「私は、あなたに言いたかった事がある。未来は、自分の力で変えられる、よりよくできる。でもそれができたのは、きっとあなたのおかげだから」

 今の私は、絶対に選択を間違えたりしない。

「私はもう大丈夫。今までありがとう」

 風が強く吹き過ぎて、思わず目を閉じる。次に見上げたときには、屋上にいた少女は消え去っていた。

 私は何事もなかったかのようにもう一度家に向かって歩き出す。辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

「ありがとう……もう一人のワタシ」

 誰にともなく呟いて、私はまだ見ぬ未来へ進みだす。



頑張ればもっとよりよい人生を歩めると思うんですよ。頑張りたいんですけどね……

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