and…
純白と淡い山吹色だけで、飾られもしない病室。
ベッドの上に安らかな表情で横たわる摩耶は、答えを返すわけもなく、ただ沈黙と動悸だけを繰り返す。
鞄を床に下ろし、円イスに腰掛けると、彼女の手にそっと触れた。
彼女の身体に灯る熱だけが、摩耶が摩耶でいることの形ある証明。
恐怖、安堵、悲壮、歓喜……手のぬくもりを感じるその瞬間、その度に燈理の頭は矛盾した感情で埋め尽くされる。
何度やっても、慣れるものではない。
「帰ろうな」
微笑。
その笑顔に涙はない。
摩耶が意識を閉ざしたその日から、燈理は涙を流していない。
「絶対に、助けるから」
ハッピーエンドしか待たない行く先に、悲壮の涙など――。
彼女の耳にかかったイヤホン、現と夢との吊り橋を愛おしそうに見つめた後、燈理は再び席を立った。
病室を出ると、そこにはメガネをかけた優男が、温厚な笑顔で立っていた。
「少し…話さないか?燈理くん」
「…はい」
聡巳 汰一、聡巳は摩耶の現在の姓である。
「こんなところまでわざわざありがとう。摩耶もきっと喜んでいるよ。あいつは君のことが大好きだったからなぁ…」
汰一の絶やさない笑みの中に、積もる疲労の影が見え隠れする。
「いえ…。もっと来たいくらいなんですけど、すみません。時間がなくて」
「燈理くんも、もう高校生だもんなぁ」
「摩耶…さんも…」
「ああ。せっかく、君のそばに行けるはずだったのになぁ…」
「!?」
摩耶の話では、どこの学校かは言っていないはずだった。
汰一は、燈理の驚きに気がつくと、弱々しく笑った。
「私もね、あの子に嫌われてることはわかっている。肩身の狭い思いをさせてきたのも。だから、もっとあの子の好きなようにできる、楽しい高校生活を送らせてあげたかったんだ」
「…知ってたんですか」
「これでも一応父親を名乗らせて貰っているからね。私なりに、彼女への罪滅ぼしのつもりだったんだが…それも叶わないのか…」
汰一は、全体的に細い身体を震わせ、唇を噛み締める。
(やっぱり…俺の記憶通りだ、この人。根っからの善人で…)
燈理は、摩耶が父親を嫌っているのをよく知っていたが、摩耶も、燈理が汰一を嫌いじゃないことを知っていたし、心のどこかでは理解していたのかもしれない。
「私の力では…いつまで彼女をこの世界に繋ぎ止めてあげられるか…」
『生かす』にもお金がいる。
残酷な話をすれば、汰一の財力がいつまで保つか…。
「それでも、私の身が果てるまでは、摩耶を死なせるつもりはない」
汰一の眼には揺るがぬ覚悟が灯っていた。
重苦しい沈黙が流れる。
「あ…すみません、電車の時間があるので…」燈理は病院の時計を見ながら立ち上がる。
ここから逃げ出したい気持ちもなくはなかったが、謙虚に接してくれた汰一に失礼な態度をとらたくない気持ちの方が強かった。
汰一も、疲れた笑顔で立ち上がる。
「引き止めてすまなかったね。こんな話を聞いてくれてありがとう」
「いえ、また何かあったら電話してください。僕もできる限りのことはお手伝いさせていただきます」
二人は深々と頭を下げ合う。
(わずかな可能性でも、望みがあるなら…)
医者が提示した冗談まじりの話、Traum療法。
それは試行実例も成功例も一切存在しない蜘蛛の糸。
それでもGame over以外の終着点を臨み、高原燈理はその身を夢物語(Day Dream)へと踊らせる。