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「なんだかなぁ…」


樹沙羅は溜め息混じりに呟いた。


自動販売機横の柱にもたれかけた背中が、白のフリース越しに、鋭い秋の寒さを感じとる。


「……なんだかなぁ……」


今度はさっきより少し疲れたように呟いた。


現在午後4時。


普段真面目な樹沙羅が掃除をサボるというのは、かなり珍しい事象だ。


友人に言ったら、きっと明日は槍が降ると言われるだろう。


それ程までに樹沙羅の心の内は混沌としていた。


 昨日を機に色を変えた日常すなわち、燈理と目が合うことばかり考えてしまう。


燈理を必要以上に意識してしまってはいるのかもしれない…とは思う。


ただ、それはいつものことだ。

気付けば彼を見ている、そんなのは中学の時からずっとだ。


「だとしたら…?」


どういう感情からかはわからないが、燈理が自分を意識してくれている…のかもしれない。


もしそうであるなら、それは嬉しいことだ。


 樹沙羅にとって一番怖いこと、それは、雑踏としてしか映らないこと。


燈理が自分を、『斧導 樹沙羅』という一つの存在として、その目に映してくれているか、燈理の中の『斧導 樹沙羅』は、そのステージに立てるだけの存在なのか。


その価値が無いと判断されたとき、きっと燈理の中の『斧導 樹沙羅』は『雑踏や背景』に成り下がるのだろう。


「中学の時なら、絶対…」


懐かしむ表情は、しかし悲壮に沈む。


中学時代の自分は、中学時代の燈理の瞳に映っていたと、自信を持って言えた。


だが、半年前から昨日までの間の燈理は、自分を見てくれてはいなかった…と思わざるを得ない。


「ほんのちょっと…心を傾けて欲しいだけなのにね」


おどけたように苦笑する彼女は、どこまでもひとりぼっち。


救いの手を求めることなく、強調と妥協を繰り返す。


ただし、そんな彼女も――。


「さら先輩?」


差し伸べられた手を掴むくらいの、自分への妥協はあった。


「っ!?とがめちゃん!?」


 一瞬にして背筋を嫌なものが這いずり回り、思わず体を震わせる。


皮膚を剣山でなぞられたような不快な痛みが、チクチクと身を差した。


「えっと……いつからそこに?」


「?…今通りかかっただけですけど…」


よく見ると、ゴミ捨てに行く途中なのか、ゴミ箱を両手で抱えていた。


こんなに存在感を放っているゴミ箱にさえ気がつかないとは…。


樹沙羅は、不快感がゆっくりと安心感にかわっていくのを感じた。


独り言を聴かれた時の羞恥心は並大抵のものではない。


「そ、そっか」


「考え事ですか?あ…」


ほっとして胸を撫で下ろしたのも束の間、


「高原先輩のことですか?」


「あ、そうそうぐぎゅっ!?」

思わず変な声が飛び出す。


「な、なんで…じゃなくて、何を…」


「わかりますって。文学部にいるとき、ずっと高原先輩のこと話してるじゃないですか」


クスクス笑う小さな後輩に、樹沙羅は口をぱくぱくさせた後、諦めて肩を落とした。


「そっかぁ……高原くんの名前出さないように意識してたのに」


「まあ、文学部のみんなは気付いてないと思いますよ?みんな変わり者人生を独走中ですから」


「確かに。そこは安心できるね」


参加自由な文学部は樹沙羅にとって、主としている剣道部や、学校生活に疲れた時の憩いの場でもあった。


「私、今からゴミ捨て行ってきますけど…高原先輩なら図書館に入っていきましたよ。別棟の。行ってきたらどうですか?」


「え、えぇ!?いや…あの…」


「多分先輩の方から動かないとダメですよ。高原先輩、何かで手一杯みたいですし」


「…そっ…か。確かにそれぐらいしないと、だね。わかった、行ってくる!ありがと、とがめちゃん!」


「はいです」


弾むように駆けていく背に、ふと、とがめは叫んでいた。


「さら先輩!どんなとこが好きなんですか?」


振り向いた樹沙羅は、一瞬呆気にとられたような顔をして、それから赤面しつつ辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、


「中学時代の彼の全部、だよ!」


再び目に映ったその背中は、白いフリース生地のフードが上下に跳ねていて、今までに見たことないほど空に近かった。


「高原燈理先輩、ね…」


とがめは考え込むように呟いて、歩き去る。


彼女の特徴である、サイドテールにされた艶やかな黒髪が、残された空気に鮮やかな弧を描いた。






図書館の入り口に立ちふさがる、重々しいドアの前に立った樹沙羅は、自分の失敗に気付いて思わず頭を抱えたくなった。


掃除直後だったため、鞄を教室に置きっぱなしにしてきてしまったのだ。


そして何より…何を話そうかじっくり考えないうちにここに来てしまった。


機を逃せば、すれ違ってしまう可能性もある。



だが、あまりにも早計だった。


ここからどうすればいいか、思いつかない。


「やっぱり…まだ好きなのかな…」


 燈理は変わった。


中学時代の彼の全てが好き、じゃあ今の彼は?


「何があったのか…教えてよ」


わからない。


燈理が変わったきっかけも、自分の答えも。


それでもやっぱり、根っこのところの気持ちは変わらなかった。


また明るい彼の隣で笑いたい。


「あはは…あたし、今日独り言多すぎ」


苦笑の中に自分の気持ちを確かめ、扉を見据える。


心なしか、重々しさは和らいでいるように感じた。


(行こう)


 思い切って扉を開く。

両開きのドアは樹沙羅の背後で、軋むような音をたてて閉まった。


 中はやや暖かい空気が漂っていた


静かだ。


でも雰囲気が柔らかい。


緊張が和らいでいくのを感じる。


なんとなく、落ち着く。


すぐ左の新刊の棚から一冊手に取ってみた。


文庫本サイズで、焦げ茶の外装がちょうどいい。


いかにも本を借りに来たような、自然な感じを演出するには調度よい。


そんな風に計算を張り巡らせようとする自分を叱りつけ、一歩踏み出した、その時だった。


おすすめ本が書かれたホワイトボードの陰から、会いたくてたまらない、でも会いたくなかった顔が、チラリと覗いた。


高原燈理、見紛うはずもない。

目が釘付けになる。


準備していた言葉やら何やらが全て吹き飛んだ。


不意打ちと曖昧な距離、そして立ち位置に、樹沙羅は立ち尽くした。


この距離は、マズい。


近すぎて遠すぎる。


どうやっても、自然には見えない。


パニックに陥っているうちに、燈理の方も自分の置かれた状況に気がついたようだ。


自分を凝視して立ち尽くす美少女がいれば、気づかない方がおかしいが。


「あ……お…」


「た…たた…」


二人は壊れたロボットのように口をカクカクさせて…


「「たおかのはみらちくん!」」


見事にデコボコした。


ぷっ…と吹き出したのが同時なら、爆笑を押さえ込もうとして体がくの字に曲がったのも同時だった。


 ひとしきり笑い終えると、樹沙羅は満面の笑みを浮かべた。


声を押し殺して笑う、その中に、昔と同じ、明るい燈理を見た気がして、馬鹿みたいに嬉しかった。


「こうやって話すの、久しぶりだね、燈理くん」


「ああ…確かに」


「珍しいね、燈理くんが図書館にいるなんて。そんなに来ないでしょ?」


「うん、まあ…。放課後は基本的に……その…早く帰んなきゃいけないから」


一瞬言葉に詰まったのを、樹沙羅は見逃さなかった。


「部活やめたこと、引け目に感じてるでしょ?」


燈理は驚いて目を大きく見開いた。


だが予想を裏切って、樹沙羅は優しく笑っていた。


「悪いことしたって思ってるよ。…怒ってないのか?」


「怒らないよ。それを決めるのは高原くんだもん。でも…」


まぶたを閉じ、樹沙羅は語りかけるように言葉を紡ぐ。


「理由くらい教えて欲しい、とは思ってるかな。中学の時から一緒にがんばってきたじゃん。何があったの?」


燈理は目を背けた。


話すべきか迷っているのだろう、しばらくの間、そのままの姿勢で停止していた。


しかし、それでも明かせない理由が、燈理にはあるらしかった。


「全部終わったら話す。だから…今は」


「わかった。話したくなったら話して。少しだけでも、力になるよ」


「ぇ…ぁ…ありがとう…」


笑顔で即答した樹沙羅に、燈理は思わず詰まってしまう。


食い下がってくることを覚悟したのに、思わぬ肩透かしをくらったことで、燈理の思考ペースは完全に樹沙羅に掴まれてしまった。


「それはそうと、燈理くんはなんで脳科学の本なんて持ってるの?」


生徒手帳の間から貸し出しカードを取り出しながら、樹沙羅が問う。


「…DDN関係でちょっと。大した理由はないよ。斧導は何を?」


「ん、これだよ」


かつてのように樹沙羅と呼んでくれなかったことに多少の寂しさを感じつつ、手中の本を見せる。


「Traumガイド第12号…?」


 いわゆるゲームの攻略者にあたるユーザーたちが作った、Traumの非公式ガイドブック…だったと記憶している。


「私ね、Traum使い始めたの最近なんだ。今までマイルームばっかり使ってたから」


こじつけの理由を考えつくほどに、今の樹沙羅の心には余裕があった。


 マイルームはDDN最初の、そして最も基本的な機能で、Privateの扉から使用できる。


マイルームと呼ばれる部屋の中では、ユーザーが思い浮かべたことが全て具象化する。


理想的な夢を実現する、一番夢らしい機能だが、燈理は一年近く使っていない。


「そうか…。それなら案内が上手い友人を紹介しようか?」


「燈理くんは案内してくれないの?」


カウンターの図書委員がガイドブックのバーコードを機械でピッと読み込む。


「いや…俺はその…案内とか苦手だから」


「ふうん、そうなんだ……そういえば燈理くんのユーザーネームは?」


「?アマクサ…だけど」


「アマクサ…ね」


図書委員から本を受け取った樹沙羅は、カウンター脇のメモ帳を一枚破り取り、何か書き込みだした。


不思議に思いながら貸し出し手続きを済ませ、図書委員の女子に軽く礼を述べた所で、樹沙羅が四つ折りにしたメモを渡してきた。


「じゃあ燈理くん、また後で」


スキップで出て行く樹沙羅を不審に思いつつメモを開く。


「あー…そういうことか。やられた」


走り書きされていたのは、樹沙羅のユーザーネームと待ち合わせ時刻。


これでは断る術がない。


迷いを捨てるために忘れようとして、彼女のメールアドレスを消したことを、燈理は今更ながらに後悔した。





    Ξ



「いやっふぃ!」


佐野陽のアカウント、『七福』がその場で飛び上がった。


古代ローマの闘技場を思わせるステージ、その中央に立つ少女に、さっきから七福の視線は釘付けだ。


「お前…そんなにぷりしら好きだったか?」


燈理の目的は、樹沙羅との約束の時間までの一時間を有意義に潰すため、ぷりしらを見物すること。


さほど興味も熱意もない。


「わからんかあのふつくしさがっ!」


そんなアマクサとは対照的に、コロッセオ二階の客席で嬉しそうに飛び跳ねる七福。


呆れるアマクサの視線は、眼中にない。


「あの青髪!あの声!何よりあのネコミミ!んむ、たまらん!」

「そーかそーか」

七福の熱弁を冷ややかにかわしつつ、アマクサはコロシアムの中心部で舞い踊るぷりしらを見やった。


灰色を基調とした、いわゆる『魔法少女』の戦闘服に身を包むぷりしら。


絶対領域と両肩の露出はお約束。


手には機械的な白い杖を持ち、長めの青髪からは黒いネコミミがひょっこりとのぞいている。


「なるほど…実用的だな」


そう、ネコミミは実用的。


彼女の装備しているネコミミの正式名称は索敵・検索範囲速度補助アクセサリ『にゃおん−108』。


SWORD内全域での検索範囲や検索速度を上昇させるための補助用アクセサリ・ネコミミシリーズの中でも、トップクラスの索敵能力を誇る型番である。


ただのお洒落アイテムなどではない。


「燈理!見てるか!?ぷりしら余裕綽々だ!!暢気に花火打ち上げて遊んでるぞ!!かっけー!!」


周囲の熱気に負けず劣らずな陽のハイテンションさに感服しつつ、燈理は再び魔法少女に目を凝らす。


 アマクサはそこで初めて、今更ながら彼の友人の高揚が周囲の熱気に引き揚げられたものだということに気がついた。



浮遊状態から地に舞降りるぷりしら。


対峙するのは刀の柄に手をかけた、サムライ姿のアカウントだ。


ご丁寧に髷までついて御座候。


サムライは魔法少女を睨みつけ、ゆっくりと想像力、創造力を錬る。


刀に薄ぼんやりと青白い火が灯り始めた。


そして…


ザッ。


踏み込んだサムライの足元から、砂埃が舞った。


胴体視力を上回る速度で抜かれた刀から、それをさらに上回る速度で放たれた鎌鼬が、両者間の空気を切り裂いて進む。


対してぷりしらの反応は、至極簡単なものだった。


遊びレベルの低火力で花火を打ち上げていた杖を、前に向けて突き出した、それだけ。


杖の先端部分に生まれた小さな火球が間をおかずに飛び出し、空中で鎌鼬に激突して相殺する。


一瞬の腹の探り合いに空気が激震した。


「……!」


アマクサがわずかに目を細める。


彼が驚いた理由は、その速度と威力にある。


『Traum』はあくまで電子世界であり、夢想世界。


電子演算能力や想像力、創造力、心の強さや意思の力など、様々なことが影響する。


その中でも最も大きく力を発するのが想像力。


イメージするものが大きければ大きいほど、強ければ強いほど、イメージを固定するのに想像力や時間を要する。


意思の強さや心の強さが強ければ強いほど、堅く、安定した、強いものが生まれる。


想像力や創造力が高いほど、より速くイメージを生成できる。


ぷりしらはサムライが時間をかけて錬った鎌鼬を、杖を振り下ろす時間だけで生成した火球のみで打ち消した。


威力も速度もずば抜けている。


想像力に、創造力に、心の強さ――ここでの戦いでは、その者の人間性が露見する。


――魔法少女ぷりしらを駆るユーザーは強い人間なのだろうか――?


 燈理は珍しくぼんやりと思案する。



     Ξ



 樹沙羅は内心、頭を抱えていた。


燈理を誘ったことについて、後悔はしていない。


むしろそれを後悔していない自分に対して、頭を抱えていた。


 完璧な人間と言われる樹沙羅にとって、他人が何を考えているのかを感じ取るのはそれほど難しいしいことではない。


それこそが、完璧と言われる所以、気遣いの才能である。


ただし、それは他人のことに限った話だった。


「自分のことが一番よくわかんないや…」

それは良いところでもあり、悪いところでもある。


 浮遊するブランチのシャボン玉に腰掛け、ぼんやりと空を見上げる夢の世界の樹沙羅は、シャボン玉がとある地点の真上にさしかかったところで、流れるように飛び降りた。


物理的法則に則って加速を開始した彼女の身体は、地面に近づくにつれて物理的法則を無視しながら徐々に減速を始める。


緩やかに舞い降り、やがて裸足の足が大地につく。


足はひんやり冷たい真っ白な大地を心地よく感じ取った。


再び空を、虚無に白く、境界のない上空を見上げる。


燈理は嫌がっているだろうか…。


怒ってないだろうか…。


嫌われたりしないだろうか…。


考えても埒のあかないことをくどくどと考え、無駄に緊張してそわそわして。


そんな居心地の悪さを感じ始めて5分くらいたった頃、一人の少年が現れた。


 目に入った瞬間、ユーザーネームを確認することもなく、一目で燈理だとわかった。


理由はない。


直感的に彼の持つ雰囲気を感じ取ったのだ。


樹沙羅は、向こうから歩いてきた夏服の少年に走り寄った。


「高原くん…だよね?」


「……人違いで」


「嘘つき」


「……高原…です」


「よかった、間違ってなくて」


樹沙羅は柔らかく笑いながら、まじまじとアマクサを見やる。


現実より少し幼いイメージを受ける表情は、半袖のYシャツととてもよくマッチしていた。


と、体が急に緊張を思い出したらしく、吐こうとした息が喉に詰まる。


ここには、本という会話の緊急避難所も、放課後の優しく話しやすい空気もない。


なんとかして口を開こうとした樹沙羅は、思い付いた言葉をとりあえず絞り出した。


「なんか…意外と普通だね、外見」 


言ってから一瞬しまったと思ったが、アマクサは特に気にした様子もなく、詰まることもなくさらさらと答える。


「DOSPをわざわざ動物やロボットにする必要性を感じなかったからなぁ。斧導のは…なんで天女の羽衣なんだ?」


その態度に、緊張は一気にほぐれた。

 わかってないなぁ…と言って樹沙羅はクルリと一回転する。


たなびく羽衣とともに振りまかれた石鹸の香りが、燈理の鼻孔をくすぐった。


「夢の中なんだから。服まで現実と似たり寄ったりじゃつまらないでしょ?」


 燈理は、一理ある…と思ったため、特に反論はしなかった。


DDNの感覚傍受エンジンの嗅覚感知の精密さに驚いたことも、黙っていた。


「まあ…な。11時30分ジャスト、ラクーシァ前…約束通りかな。……約束?」


「うん、ごめんね…」


しょんぼりと肩を落とす樹沙羅が可愛らしくて、燈理は怒れなかった。


「まあ…いいよ、久しぶりだし。で、どこから?」


「んと…これから!」


 樹沙羅が指差したのは、SWORD最大の建築物、SWORD中心に位置する、神々の石塔『ラクーシァ』。


目の前にそびえ立つ、という言葉が何よりもよく似合う。


「名前…くらいは知ってるか。待ち合わせに指定したくらいだし。ラクーシァ。あらゆる神、神獸、悪魔、モンスターのデータが詰め込まれた塔だ。何階層まであるのかもわかっていない。この塔は『能力』を与える役割を担う」


二人は並んで歩き、塔に近づいてゆく。


「あの扉が見えるか?」


「うん、あの真ん中のヤツだよね?」


「ああ。この塔の入り口はあの一つだけだ。普通、扉を抜けると何もない広間にでるだけだが、ある線引き以上の強い心を持った者、強い決意を持つ者は、その意志に応じた神の間に通される。そこで契約を結べば、その神の司る『能力』を操ることができるようになる」


樹沙羅はどこまでも続く塔を見上げた。


「『能力』…かぁ。持ってるといいことある?」


「ある。そもそも『能力』というのは、ユーザーが想像したものを具象化する普通の場合と違って、もともとTraumの倉庫に入っている具象化済みのイメージを取り出すことができるんだ」


きょとんと?マークを浮かべる樹沙羅に、燈理は苦笑を零す。


「戦闘エリアがわかりやすい例だけど、一般ユーザーが火の玉を想像して作り上げるのに対し、能力持ちのユーザーは想像することなく既存の火の玉イメージを取り出せる。固定化されたイメージだから、想像するよりも速く、強い」


「なるほど…。じゃあ一般は相当頭使わないと能力持ちに勝てないわけね…。戦闘エリア以外では?」


「一例だが、例えばギリシャ神話の美の神アフロディテの能力を手に入れたとする。そのユーザーは自身の容姿を自在に操ることができるようになる…らしい」


「あ、いいね、それ便利」


「斧導も入ってみる?」


「うん」


樹沙羅は扉に手をかけ、開く。


肺に空気を詰め込み、吐き出す。

そして……扉をくぐった。


 樹沙羅はすぐに出てきた。


「残念、なんにもなかった」


「普通はそうだ。で、次はどうする?」


「じゃあ……『コロッセオ』以外の戦闘エリアに行きたい」


「…ブランチの中…探すか。戦ってみたいのか?」


「うん、少し」


「了解」


二人は広場を出て一番近くのシャボン玉に飛び乗る。


シャボン玉は緩やかにぷるぷると震え、二人が座った所に椅子のような窪みを作った。


浮遊を始めるシャボン玉に向かって一言二言呟くと、アマクサは黙ってTraumの異質な街並みを眺め始めた。


腰掛ける二人の間隔は、年頃の男女のものというよりは、二人の心の距離感に近い。


燈理が部活を辞めた負い目を消せないこと、そのせいで二人の間に隙間があることが寂しくて、もどかしくて、樹沙羅は……


「高原くん?」


「ん……?」


「案内、上手じゃん」


「…そんなこと」


「移動手段にシャボン玉を使うとことか、さ。広場にワープホール開けて飛び込めば一瞬で行けたよね?それくらいは知ってる」


「……」


ゆっくりと宙を平行移動するシャボン玉たちは、二人のやりとりを見て見ぬ振りで、己の責務を全うする。


俯いた燈理は樹沙羅の目を見ることができなかった。


きっと優しく潤んでいるであろう、彼女の瞳を。


今はまだ、向き合うことはできない。


「ありがとう。今更だけど」


「…乗りかかった船だ。途中退場なんて無粋なことはしないさ。降りるぞ」


「うん、お願いします」


二人はお互いの表情を一度も見合わせることなく、下に見える別のシャボン玉に飛び込む。


顔を赤くした二人の姿は、その中に吸い込まれていった。


余韻を残すように、人工の空色がほんの少し、夜明けに近づいた。




    Ξ


 『ブランチ』とは、いわゆるサイトやホームページ、BBSで言えばページやコミュニティーのことだ。


Traum内でユーザーが作成できる自由空間のことである。


常にTraumのどこかを揺り動くシャボン玉、その全てがブランチ。


言うまでもなく、移動手段ではない。


その空間内では、入退室以外の全てが作成者の規定したルールに適応される。


「う~ん……火の…玉っ!」


ポンッ!という腑抜けた音がして、Saraの手のひらに小さな火の玉が生まれた。


ここ『プラクティスフロア』のルールを一言で言うなら"自主練専用"。

無駄にだだっ広い道場の中で、『稽古』を積むことを重点においた、風変わりなブランチだ。


一方的な戦闘は禁止、両者間の同意がある場合のみ戦闘可能。


ダメージ計算や吹っ飛び判定等々、基本戦闘ルールはコロッセオと変わらないため、難しく考える必要もない。


バトル中は入退室禁止だが、それ以外は自由。


その名の通り、練習を目的とする人々のためのブランチだ。


「熱…くないね。暖かい、の方が正しいか。可愛い…」


自分が生み出した火球に見入る樹沙羅。


ただし、手の平の上なので当然…


「ぅあ、ダメージ受けてる!」

慌てて息で吹き消す。


現実的にみれば、あのサイズの火の玉を息だけで吹き消すのは到底不可能だが、樹沙羅の消そうとする意志に危機感が上乗せされて、迅速な消火活動が完了した。


アマクサは仕方ないさ、とでも言うように笑うと、木目調の床に腰を下ろす。


頬を膨らませつつ、Saraも座る。


「実戦経験が一番いいかもな。体が覚えるだろうし」


Saraは青ざめた顔でふるふると首を横に振った。


「今の状態じゃ開始3秒が限度だよ。もう少し練習してからじゃないと、出オチが関の山」


「まあ……否定はしない」


「少しぐらいはしてほしかったな…」


 うなだれるSara。


「というかこれ、どういう仕組みでイメージを具現化してるの?」


もっともな質問にアマクサは難なく答える。


「空気に見える、というか見えないこの大気、実は『Screen(スクリーン)』と呼ばれる具象化システムなんだ。利用者の想像したものを脳波形から三次元的に読み取り、想像力の強さを元に強度とサイズを調整しながら形作っていく。まあ…粘土みたいなものだ」


「…水に溶いた片栗粉みたいな?」


「そう、それ!上手いこと言うな…。普段はさらさらの空気。ただし一定以上の想像力に反応して具現化する粘土。ちなみに市販の武器やら何やらの具象化済みイメージとして売られているアレは…まあ加工済みの紙粘土みたいなもんだ。スクリーンと違って維持のために常に想像し続ける必要は無いが、勝手は効かない」


「なるほど…うん、わかんない」


「だろうな…」


朗らかに言う樹沙羅と苦笑する燈理。


それぞれの抱える焦りを忘れ、二人はこっそりと練習を続ける。


一人は徐々に打ち解け始めた自分を『今ぐらいは』と許しながら、もう一人は徐々に近づく制限時間に追い立てられながら。




     Ξ




 魔法少女ぷりしらにとっては、Traum内の戦闘可能エリア全てが制覇する対象である。


ここ『ワイルド・グラディエイター』も、その中の一つ。


ワイルド・グラディエイターのルールを一言で言えば"乱闘"。


単体で戦おうがチームを組もうがそれを裏切ろうが、すべてが自由。


荒廃した都市をステージとし、巡り会ったアカウント同士が乱闘を繰り広げる。


ダメージ計算や吹っ飛び判定等々、基本戦闘ルールはEtceteraと変わらないため、難しく戦い方をかえる必要もない。


バトル中は入退室禁止だが、それ以外は自由。


作成者の趣味が伺える一品である。


乱闘ステージを制覇…というのもおかしな話だが、ここでは設定された人数以上連続で倒すと報酬がでる。


連続100人切りが最大目標値として設定されていて、それをクリアすれば実質的な制覇となる。


(100人……多いなー。って、やっぱり目立っちゃうか…)


ぷりしらの人気を示すかのように、早くも彼女の周りには多くのアカウントが集まり始めていた。


話し合う彼らのひそひそ声が、神経を逆撫でする。


(こういう空気、嫌い)



一瞬頭によぎった現実の自分をかき消し、大きく息を吸い込む。


肺に入ってくるのは無味無臭の気体もどきだが、大事なのは気分だ。


緊張を静めたぷりしらは、その愛くるしい声を張り上げ、


「みんなぁ、こんにちは〜♪今日はあたしに会いに来てくれたのかな?それとも…」


口端をおもいっきり歪めた


「あたしを楽しませてくれるのかなぁ?」


返事の代わりに衝撃波、火の玉、銃撃…あらゆる攻撃用途が、彼女に向かって一斉に牙を剥いた。


ドゴォォォォッ!


爆風爆音を伴った脅威が――それを上回る見えない狂威によって叩き落とされる。


一つ残らず。


圧倒的に。


「楽しませてね?はぁと」


そして、鬼畜な魔法少女のお掃除が始まった。






    Ξ



「付き合ってくれてありがと」


夜明けまであと二時間。


それは、二人が二時間ぶっ続けで遊んだことを意味する。


「いや、いいよ。悪いな、途中までしか付き合えなくて」



「ううん。私が無理言ってお願いしたんだし、謝らないで」


Saraは両の手をパタパタと振って笑顔を浮かべる。


その笑顔、その仕草、燈理には眩しすぎて見ていられなかった。


図々しく真っ直ぐに見つめることができなくて、つい、場つなぎ程度の言葉が零れ落ちた。


「斧導はすごい…すごい人間だよな…」


「そんなことないよ」


 言い訳しようとした燈理の口が、驚きと、ある種の恐れによって閉じられた。


冷え切った言葉だった。


即答で返ってきたのは、感情を含まない言葉だった。


およそ謙遜とはほど遠い、歪でねじ曲がった何か。


「そんなこと…ないよ!」


一字一句噛みしめるように、俯きながら樹沙羅は言い直す。


「私は…みんなが思ってるような人間じゃない」


今度は微笑んで。


それは、イメージ、理想……夢だというのに、そんなものが一切取っ払われた笑み。


だが、燈理の心、アマクサの胸は、ちくりと痛んだ。


この笑顔を、燈理は知っている。


中学時代に幾度となく見た、そして見なかったことにしてきた表情。


「樹沙羅」


「…私は……え…?あれ、今…」


樹沙羅の声は燈理に聞こえてはいなかった。


彼女の望み通り、あえて目をそらしてきた姿が、そこにあった。


「お前、今…何を押さえ込んだ?」


「え?…何の…」


「その笑顔、知ってる」


樹沙羅の口元があやふやに歪んだ。


この表情も知っている。


焦った時、誤魔化そうとした時の顔だ。


さほど古くもない、しかし懐かしい記憶が、堰を切ったように噴き出してくる。


「別に気にして見てたつもりはなかったんだけどな…。なんか覚えてるんだよ、樹沙羅の表情」


樹沙羅が驚きと照れの入り混じった感情に、顔を赤らめる。


 中学生特有の好奇心からか、できた人間、完璧な人間、そう評価される人間に興味があった。


少し注視してみれば結果はすぐにわかった。


「悔しい時は無表情で、悲しいときは服の裾思いっ切り握り締めて。怒ると深呼吸して焦ると口元が歪む…」


自分に厳しく他人に甘く、理想的な人間であろうと常に努力する……自分が傷つくのはお構いなしに。


斧導樹沙羅はできた人間だ。


完璧でないが故に。


「そして、耐えきれないほどに苦しい時…」


「やめ…て?そんな…話…」


悲痛に呟いた樹沙羅のリミッターは、もう崩れかかっていた。


だから燈理はやめなかった。


「二回繰り返して、無理矢理飲み込んで、優しく笑うんだ。今みたいに」


久しく、空気に青い静寂が訪れる。


 しばらく黙って下を向いていた樹沙羅は、やがて顔を上げた。


「はぁ……苦手…だな、燈理くんのそういうとこ」


諦めたように呟く。


「できた人間を演じてること、燈理くんだけにはいつも見破られてる気がしてた」


本当に気付いてたんだね…そう言う樹沙羅はどこか嬉しそうだ。


「じゃあさ、私が今一番言って欲しい言葉、わかる?」


わかるよ…とは言わなかった。


ただ、真っ直ぐ樹沙羅の悲しげな目を見つめた。


確かに、みんなが思ってるような人間じゃないのかもしれない。


でも…



「お前、がんばりすぎ」



きっと自分が思っているような斧導樹沙羅で合っている…と、燈理は思うのである。


「燈理くんはズルいよ。どうして…どうしてこんな時だけあの頃に戻るの?」


声が震えていた。


顔を見なくても泣いているのがわかった。


手首で涙を拭っているのがわかった。


あの頃がいつのことを指すのかはわからなかったが、今はわからなくてもいい気がした。


「ずっと…押さえつけてきたんだよ!苦しかったんだよ!聞いて…助けて欲しかった…っ!」


でもそれはエゴだと、我が儘だとわかっていた。


だから人に甘えるなんてこと、絶対にできなかった。


強い人になろうとして自分に課せた雁字搦めのルールが、いつも邪魔をしていた。


 小さな呟きはいつからか悲痛な叫びに変わった。


「どうしてそんなに優しくするの!優しくしないでよ!せっかく誤魔化してきたのに!独りなんて全然…寂しくないはずなのに!私…私っ…頼りたくなっちゃうじゃないっ!」


「頼ればいい」


樹沙羅は、水滴を散らして首を横に振る。


未だ自分を苦しめ続けているルールにすがって。


「樹沙羅が自分に科したルールがどんなものなのかはしらない。でもさ、それは誰のためのルールだったんだ?」


強くなりたかったのは他人のためか?いや、違うだろう。


振り返って出発点を探せば、それは自分のためのルールだったはずだ。


「自分のためのルールなら、少しくらい、例外があってもいいんじゃないか?」


一度まっさらになったことがある燈理には、わかる。


強くなりたいだけの弱い人間は、壊れやすくて脆い。


自分で自分を傷付けることに躊躇いがないから。


 アマクサはもう一度言った。


「頼ればいい。例外くらいにはなってやるから」


樹沙羅に、そして自分自身にはっきりと確かめるように。


その場に泣き崩れた樹沙羅は、アマクサが見守る中、いつまでも泣き続けた。


それは、今まで個室に捨ててひたむきに隠してきた涙、初めて人に見せた涙であった。







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