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息が詰まって、思わずあたりを見回す。城野姫子が、こちらを見ているのではないか、と思ったが、見渡す限り本で、こちらを見ている人物はいない。けれど隠れているだけかもしれない。油断ならない。
「どしたの、そんな変な顔して」気が付くと紙袋を左手にぶら下げた工藤が立っていた。もう、買ったのか。早いな。
工藤はつかつかと歩み寄り、携帯を覗きこんだ。しろのひめこ、とぼそぼそと言う。「城野姫子」と、はっきり言った。
「誰? この人。君の知り合い?」工藤が僕の顔を覗きこむ。
「知り合い、というかなんというか」知り合いには違いないが、何と説明すればいいのかわからなかった。「同じ中学だったんだ」
「ふうん。同じ中学、ねぇ」工藤は興味なさげに言った。「かけなおさなくていいの?」
「あとで、かけなおすよ」家に帰ってから、と付け足す。
「ふうん」工藤は買った本の入った袋をぶらぶらさせて、歩き出した。「何、買ったんだ?」工藤の持つ紙袋は大きかった。
「いろいろ」工藤が笑う。
「そういえば」僕は九条のメールを思い出す。「九条が、おすすめの本がなにかないか、と言っていた」その後、メールで、と付け足す。
「おすすめ?」工藤が声をあげる。「冊子でも作るの?」と言う。工藤は鋭かった。「その通りだ」と答える。
それだったら、と工藤は頭を掻いた。冊子にしても問題ない内容であるかとか、読みやすいかどうか、というのを考えているに違いなかった。「時宮凛子、とか」
「ときのみや、なに?」聞いたことが無い名前だった。「小説家?」
「ときのみやりんこ、だよ。それか、グリム童話とかどうかな」
「グリム?」思わず工藤の方を見る。「グリム童話、ってあれか? シンデレラとかか?」
「そうそう」工藤が人差し指を立てる。「ただし、初版」
「初版?」
「そう。グリム童話は初版に限るよ。あれぐらいグロテスクじゃないと、高校生は読もうと思わないね」工藤はそう言い、「あ、グロテスクな解釈がなされてるやつならなんでもいいけど」
「グロテスクなのか」子供に読んできかせる為の話が、グロテスクでいいのだろうかと思った。「どんな風にグロいんだ?」
「すさまじいよ?」と工藤は語り出した。「ガラスの靴のサイズに合わないからって踵とかつま先を切り落としたり、白雪姫を助けた王子様は死体愛好家だったり、ね」
「それは」と僕はなんとも言えない気分になった。「それはなんというか、夢も希望もないな」
「でしょ? けど、こういうのを皆読みたがるんだよ」
確かに、僕もその本が読みたくなった。「今度、九条に頼んで図書の先生に言ってもらうか」
その後、駅の構内のカフェで時間を潰し、紅茶を飲み、電車に乗り込む。電車は時間の割にはがらんとしていた。二人で、隣り合って座る。
別の高校の女子の集団が、車両の端の方に座っていた。携帯を覗きこみ、声をあげている。黙ったかと思えば、笑いだしたりする。工藤は不快に思うかもな、と思った。
二人して黙って女子高生集団を眺めていると、「そういえば」と工藤が沈黙を破った。「呪いの毒リンゴの話、知ってる?」
いきなり話が飛躍して、僕は一瞬ぽかんとしてしまう。それから、呪い、毒、リンゴと繰り返した。「工藤の好きな、りんごか」工藤はそうそう、と笑う。「私の好きな、りんごだ」
で、と工藤が話を続ける。「最近なんか流行ってるみたいでね。うちの学校の生徒も被害にあってる」
「都市伝説か何かか?」
「そうなんだけど、どうにも悪質でね」
工藤が説明するには、数か月前から、「呪いの毒リンゴ」というアイテムが出回っているらしい。何か痛い目や辛い目に遭わせたい人物を呪いにかけるアイテムらしく、特別な手順を踏んでそのリンゴ食べると、その人物に不幸が降りかかるらしい。呪いの対象に食べさせるんじゃなくて、自分が食べるところが面白いね、と工藤は言う。
「特別な手順、というのはずいぶん曖昧だな」
「それにはいろいろあるらしくってね。三日以上凍らせたものを自然解凍して食べる、とか呪いの対象の血を刷り込む、とか。まぁ私としては、呪いの毒リンゴを手に入れる、って時点で特別な手順だとは思うけれど」
「そうか」僕は真っ赤なリンゴが浮いているのを想像した。それを紫色のぐつぐつと沸騰した鍋の中に放り込む。毒リンゴの完成だ。「なんというか、白雪姫みたいだな」
「そうそう!」工藤が手をたたく。「実は呪いにかけられた相手を助ける方法もあってね。それはなんと相手にキスすることらしいんだよ!」と工藤は嬉しそうだった。
「なんだそれは」僕は言わずにはいられない。「なんて効果の無さそうな呪い」
「もし私が呪いにかけられたら」そう言って工藤は僕の顔を覗きこむ。
「君は助けてくれるのかな?」と、悪戯っぽく笑った。当たり前じゃないか、と僕は真剣に言う。
一日ぶりです。
後悔はしていない




