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序章 出会い

 この物語は、十三歳(中学生)の橘スズちゃんが、パイロットとしての存在を自問しながら、平和維持組織のノヴァ日本支部の室長の青年や、パイロットたちと協力する話です。





 ビル群が人々の頭上に並び、せみの鳴き声が聞こえる、長野県諏訪長野県諏訪(     すわ )市。



 この近くの駅に、一台の車が止まった。

 黒色の自動車は、うつむいた顔の少女を助手席に乗せたまま、ここまでやって来たのだ。

 遠縁の親戚に車で送迎をしてもらった少女は、車外に出た。


(ここが……諏訪市?)


 しかし、少女は、リュックサックやボストンバッグなどの手荷物も何も持ってはいなかった。

 だが、少女は、せ気味な顔ではあった。彼女の紺色のスカートが揺れる。それは、彼女が、以前通学していた中学校の指定制服だ。

 だいだい色のネクタイをめたスーツ姿の男性は、頬をふっと緩ませて微笑ほほえんだ。



「何かあれば、携帯でこっちに連絡を入れてほしい。君の荷物は、昨日届いたはずだから」



 男性がいくら穏やかに接しようが、たちばなスズは反応が薄いままだった。



(私の荷物、昨日、こっちに届いたんだ……)



 男性は苦笑しながら、そのまま話を続ける。



「手紙の差出人である彼も、君のことは聞いているはずだ」



(手紙を見た限り、男の人だったよね? この場所もトシヤさんが教えてくれたけど……)



 最後に、その男性——春風はるかぜトシヤは、スズに別れを告げた。



「じゃあ、元気で」



 スズはうなずいた。まるで罰が悪そうに、だが。



「はい」



 彼女はこの優しい親戚の家を飛び出して、この都市にやってきた。だが、彼女が罰が悪そうにする行為は、文章が違うと思われる。



 スズは、長野県諏訪市に呼ばれたのだ。正確に言えば、ある人物から手紙をもらい、この都市に招集された。



 彼女は、その手紙のぬしは、おそらく若い青年だろう、と勝手に検討をつけた。

 男性はスズを送り届けると、また例の黒い自動車に乗り込んだ。

 スズは車を振り返ることなく、どこがに歩き始めた。スズがこれから向かうどこか、というのは、彼女の目的地である。その場所は、この都市内でも有名だ。その場所から、手紙もやってきたのだ。

 男性は、車中でスズを振り返って、彼女の遠ざかる背を見たが、ため息をつき、車を発進させた。

 トシヤは、これからのスズの日常をうれいていたのだ。



 その手紙には、破格の報酬ほうしゅうと引き替えに、スズが世界を救済しなくてはならないことを示していた。

 つまり、彼女があやまった選択をしてしまえば、死まっしぐら、ということだ。





 突然、せみの声をかき消すような警報アナウンスが、都市全体に鳴り響く。



『現在、警告レベル・レッドの非常事態避難勧告を発令中です。住民の方々は、お近くの指定シェルターまで避難ひなんをしてください』



 先程まで、JR長野駅構内で各駅停車を告げていた看板が、非常事態宣言が発令されたことを告げる。



 スズは近くの、この駅で立ち止まり、持っていた携帯電話で、どこかに電話をかけようとした。だが、自動的に鳴る合成音声アナウンスが、彼女の耳に響くばかりだった。

 再び、警報アナウンスが、途切れ途切れに、街中に鳴らされる。



『繰り返します。現在、警告レベル・レッドの非常事態避難勧告を発令中です。住民の方々は——』



 スズは、ここに来る前に、ノヴァ日本支部関係者からもらったパンフレットを見る。



「絶対、電子より紙のほうが見やすいよね……? こういうパンフレットとか、特に。私が紙派だから?」



 スズはB5サイズのパンフレットを、にんまりとほこらしげな顔でながめる。



「ふふっ……」



 思わず、彼女の口から笑みの声が漏れ出た。

 彼女の手には、全部で百五十ページある、見た目は深緑色の本のような、パンフレットが持たされている。

 彼女は周りを見渡した。彼女が感じたことは、太陽光に照らされた陽の光を反射する、まばゆい銀色の柵に囲まれているみたいだった。

 ため息ともとれない小さく吐いた息のまま、彼女はつぶやいた。



「でも、人住んでないのに、ビル街ばっかりだよねー……」



 パンフレットの冒頭解説は、こう記述されている。



 『長野県諏訪市の諏訪すわ湖地下に新設された「ノヴァ日本支部」は地上一階から地下三十階の階層まで存在する。

 首都移転ののち、市民の安全対策のため、内閣総理大臣の菅原すがわらは、地下三十階までに同数の層および、住居指定区域を増設を閣議かくぎで決定した』





 とある少年に、スズは話しかけられた。



「ねえ、お嬢さん。君は逃げないの?」



 彼は、黄色のウインドブレーカーを着ていた。彼の分けられていない前髪と襟足の短い黒髪が、周囲の突風になびいている。

 スズは、戦争のただ中だというのに落ち着き払っている彼に対し、きょとんとする。



(え? 誰?)


「君こそ、逃げないの?」



 少年は、黒と赤が混じった色の目を丸くさせた。



「それもそうだね。じゃあ、君を安全なところに案内しようか」


「はい……?」



 彼は、目尻にシワを作って笑った。



「初めまして。僕は一色いっしきアオ。アオって呼んでよ。スズさん」



 彼は、自分自身を左手の人差し指でさしたが、スズはもろ手を振って断ろうとした。



「え、いや。そんな急には……」



 しかし、スズには、目の前の少年が〝僕の名前、呼んでくれないの?〟という、なんだか期待のまなざしで自分を見ている気がした。彼は、首をかしげている。

 なので、スズは初対面ながらも、眼前の少年を名前で呼ぶことにした。



「うん。よろしく、アオくん。ていうか、どうして私の名前を知ってるの?」



「ごめん。少し君のことを調べたんだ」



「じゃあ、これからどこに行くの?」



「支部だよ」



 スズはまた、首をかしげた。



「支部?」



「ちょっと待ってて。でも、電話切られちゃうかもな」



 そういいながら、彼はスズに姿勢を低くするように指示した。



「ねえ、僕の後ろに隠れてて」



「う、うん……。ありがとう、アオくん」



 彼はスマートフォン型の携帯電話を黒い袖が広いズボンから取り出すと、耳に当てる。



「僕だよ、山田やまだ室長。一色アオ、1号機(改2)パイロット。それとも——〝アダム〟のほうがわかりやすいかな?」



 彼は、優しい声色のままで電話の相手に問いかけたが、その声音は真面目になった。



「時間がないから、手短に言うよ。最重要保護対象が一名いる。うん、僕と今一緒にいるよ。え? 僕?」



 彼はくすりと笑う。



「ウーゼには乗りたいなあ。その点では〝おおかみの子〟と、僕は同じだね」



 スズはアオの、幅が広い黒いズボンをつかむ。



「ん? ちょっと待って——スズ。大丈夫。大丈夫だよ」



 彼は優しく微笑むが、スズは首を横に何度も振る。



「時間がないから、僕の言うとおりにしてくれる?」



「うん。わかった」



 スズを先導するアオは、黒と赤が混じった色の瞳を細め、唇を噛みしめる。



「街を壊す気なのか? エンジェル」



 そして、彼は、卑下ひげするようにつぶやく。



「それは、昔の僕と同じか……」



 それはまるで、彼自身が体験したことがあるような言葉遣いだった。



 スズには、アオが体験したことがまだ何も理解できていなかった。そして、これから出会う人々にも、スズと同じような過去があるとも、彼女は何も知らずに。



 スズは言葉に詰まり、ただミサイルを見ていた。

 どこかから発射されているであろうミサイルは、空を切って、何筋もの線上の雲を作っているのだ。

 アオは、スズに向かって、ニコリとした。



「気になる?」



「う、ううん」



 スズは首を横に振る。



「いいよ、気にしなくて。僕、昔、やらかしちゃってね。それこそ、人類から非難されるほどの」



 そして、残骸ざんがいとなったVTOLブイトールは、爆煙と炎を轟々(ごうごう)と上げた。

 アオは、苦々しくつぶやいた。



「まるで燃える赤だな……」



 次々に兵装ビルから発射される五メートルのミサイルが、駅の出口付近にいたスズの頭上を飛び、轟音ごうおんが周囲を埋める。

 スズとアオの二人は戦闘に巻き込まれ、ミサイルは次々と容赦ようしゃなく、敵に発射されていた。

 スズは、そのミサイルの轟音に、耳をふさぐことしかできなかった。



「大丈夫? スズ?」



「う、うん。大丈夫。ありがとう。ねえ、その支部ってどんな場所なの?」



「言うなれば……バベルの塔かな」



 スズは首をかしげる。



「バベルの塔?」



 アオは、うん、と、首肯する。



「正確には、塔じゃなくて街の名前らしいんだけどね。でも、諏訪市このまちにぴったりだ」



 紀元前一九〇〇年頃。

 その昔、人間は天にも届くれんがの塔を街に建設し、有名になろうと考えた。しかし、神は、人間が共通言語で話しているから、天にも届くれんがの塔を建設するまねをしたと危機感を覚え、言語を世界中に散らばらせたのだ。

 そうして、人類は、共通言語を話せなくなり、街の建設計画も頓挫とんざしたのだ。

 その後、その街を混乱——つまり、バベルと呼ぶようになった。



 アオはため息をつく。



「人間が神にすがっても、創造主の怒りに触れれば、それは全て否定される……ホントに愚者ぐしゃだな。創造主ってやつは」



 スズは、アオの言葉に唾を飲み込んだ。



 次々に、機関銃の搭載をしているヘリコプターや、垂直に離着陸ができる戦闘航空機であるVTOLブイトールが、侵攻してくる敵に照準を合わせ、ミサイルを発射させる。

 VTOLの外部がいぶスピーカーから、『ミサイルが目標に命中した』と、報告をする声が聞こえた。一瞬、ミサイルの爆煙でその声が聞こえなくなり、敵も姿が見えなくなる。



 だが、敵は、目の前に、透明な壁のようなもので防がれてしまう。

 高金属音が周囲に響く。

 さらに、息付く暇もなく、人型の敵が、片手の親指と人差し指を伸ばして銃のような形にする。すると、敵は、VTOLにその照準を合わせた。



 案の定、VTOLは、すぐ近くの兵装ビルに墜落した。

 そして、残骸となったVTOLは、爆煙と炎を轟々(ごうごう)と上げた。

 次々に兵装ビルから発射される五メートルのミサイルが、駅の出口付近にいたアオとスズの頭上を飛び、轟音ごうおんが周囲を埋める。

 スズは戦闘に巻き込まれ、ミサイルは次々と容赦ようしゃなく、敵に発射されていた。

 スズは、そのミサイルの轟音に、耳をふさぐことしかできなかった。





 都市部の地上から地下に貫くように造設されている、ノヴァ日本支部。

 その二十四階にある指令室だ。



 目の前の巨大なメインディスプレイに映っているケージに、濃紺色に塗られた双眼の5号機が、発射位置に、肩や腰、両足を固定されている。

 けたたましい警告音がその場所に鳴り響く中、指令室のオペレーターが、せわしない報告をスピーカー越しに、続々としていた。



『A2(エーツー)対空兵器は通用していません!』



『現在、崩落の危険がある地域は、退避勧告を終了。すでに住民は、退避完了との報告があります』



 青年は、背もたれ付きのワーキングチェアに座っている。

 彼がいる場所は、指令室二階の上層デッキだ。

 彼は、メインディスプレイに次々と出てくる、警告を報告するディスプレイを見つめ、報告を聞いていた。

 青年の左側の手の届くところには、ちょうどファイルに隠れるように、何かが置いてある。彼の好物であるココアだ。

 それが入ったマグカップは、指令室の冷風によって、さらに冷やされていた。

 指令室の冷風は、ノヴァ日本支部を支える、一基のスーパーコンピュータ・フェイトの制御不能防止用に役立っている。

 スーパーコンピュータは、膨大な情報を処理するため、内部に高音の熱を持つことがある。それを防止するため、スーパーコンピュータを冷風にさらさなければならないのだ。





 ウーゼ5号機内に挿入されている、およそ全長が五メートルもある円柱型のプログ。

 ウーゼは、全長約二十メートルだ。



『総員戦闘態勢。繰り返す。総員戦闘態勢』



 そのコックピットにも、戦闘態勢の合成音声アナウンスやオペレーターの報告の声が、ディスプレイから聞こえる。

 どこか大人のような顔立ちの少女は、突然、後方を見た。

 彼女は先程まで、まぶたを閉じていたが、コックピットの背もたれに左手を置く少女を見る。彼女にとっては、いつもどおりだが、突然現れた少女の様相は、日本人とはかけ離れていた。

 まず、少女の髪は白髪はくはつだ。長さは、肩と胸まである。頬の上に毛先がかかっており、くるりとなっている。

 彼女は、肩をあらわにした白いワンピースを着ている。

 二対についのリボンは、首から少女の胸元を支えており、彼女が現れたときには、二の腕辺りの袖がふわりとなる。

 上半身以外は、腰に巻かれたベルトから足にかけてすらりとしたスカート部分はすっきりしており、シンプルで装飾そうしょくも何もない。



 大人のような彼女の、美しいすみのような黒いひとみが、目の前をとらえていた。

 彼女は、凛とした声で少女の名をつぶやいた。



「ユキ」



 彼女は、細い体にピッタリと沿わせた暗灰色あんかいしょくのインサートスーツに身を包み、コックピットに足を伸ばして座っている。

 開かれたディスプレイは、『真白ユキ——リリム——』と表示している。

 コックピットに座る彼女は、まるで独白のように、ぽつりとつぶやいた。



「リリムは、あなたの呼称名だったわね」



「あのときのこと、ごめんなさい。カエデ」



「今さらいいわ。それに謝られても……」



 カエデは流し目で、開かれたディスプレイを見る。

 彼女は先程、「それに謝られても……あのとき、私を敵とみなして襲わなければよかったのよ!」と胸のうちにある思いを吐いて、ユキの白いワンピースを強くつかむのをこらえていたのだ。



「今日はウーゼに乗らなくていいの?」



 ユキは首を横に振った。



「ううん。今日、5号機の実験」



「ああ、そういえばそうね……」



 カエデは、あごに左手を当てた。カエデは利き手が左手なのだ。彼女の胸までの黒髪も、少しなびく。



(そうだったわ。今日は、5号機の起動実験ね——でも)



 彼女は首だけで、ユキに振り返った。彼女も自分と思っていることは同じだろう、と、彼女は考えたからだ。

 ユキの長い髪の襟足が、はらりとなる。そこには、日が暮れるときを一人で見てしまったときのような、そんな情景も含まれているような気がした。



「また来たの? エンジェルは」



 彼女は無表情で、眼前がんぜん凝視ぎょうしする。

 高低差がある5号機のコックピットでは、前方の斜め下にケージが見えるような構造になっていて、両端には、渡り廊下もほんの一部だけだが見えている。

そのユキを見上げている彼女は、ふと、自分の中に湧き上がってきた気持ちを言葉して紡ぐ。



「そう。また、ね。あなた、私のこと嫌いじゃないの?」



 ユキは、一瞬、何かを言おうとして言いよどんだが、すぐに、その顔は無表情に戻った。



「嫌いじゃない」



 カエデは不思議そうに、ユキの顔を見る。

 彼女がそこまで人間を好んだのか、と、多少なりとも、彼女の中に驚きを覚えたからだ。



 だが一方のユキは、まるでオペレーターが報告を伝達するように、淡々と言葉を告げる。



「私はただの、交換が効く人形」



 カエデは、ユキの話を静かに聞いていた。



「……そう。人形、ね」



 カエデがユキから顔をそらし、また、まぶたを閉じてから少し息を吐く。と、その小さな口から、こぽりと、泡がひとつ吐き出される。



 息を吸い、また吐き出す。そのような動作を、彼女は繰り返す。



 カエデはふいに、瞳を開けた。



「あ……ねえ、彼は? ユキ?」



 ユキはカエデの眼前で、ふわふわとただよっていた。まるで、くらげのように。



「アダム? 彼は……多分、遊びに出かけたと思う。さっき、正面玄関に行ってたから」



「あのお気楽人間……でも、いつも笑顔なのに、自分の立ち位置をわかっているのは悔しいわね」



 カエデは厚さの薄い唇を噛み、はあ、と、ため息をつき、ガチャガチャと、金属音を鳴らしながら、緩慢かんまんな動きで腕を組む。



「私たちがその気になれば、日本支部のみならず、人類の存亡に関わるって、わかってるのかしら」



 後方で、コンピュータ制御をされているCPOシーピーオー循環器と呼称されている機械から、酸素ガスが循環をしている。

 自分の肺まで入り、呼吸をサポートしてくれる酸素ガスのCPOを彼女は感じていた。



(私のひとつ。この肉体も、この能力も……)



 ぼんやりと考えていた彼女は、自分の右手を見つめたが、それは、どこか遠くを見つめる黒い瞳だ。



(〝カオル〟。あのいまいましいエンジェル——)



 ふと、形の整った眉をひそめた彼女は、誰かがいる気がすると思考で呼びかける。



『誰……? あなた、ナギサ主任なの?』



 彼女は以前、したっていた女性の名を、思わず呼んでしまった。

 彼女にとって、ナギサという女性は、彼女の人生に違和感なく入り込んできた、優しい人間なのだ。

 そう、ナギサは優しすぎたのだ。

思わず、そう考えた彼女がつぶやいた名に、相手は反応したが、その声はCPOで響き、否定をする。



「違うわ。アナタはワタシ。ワタシは、アナタの言うナギサではないわ」



 彼女はコックピットの背もたれ付近にいる、ユキを見つめる。

 今はユキの姿を借りた〝彼女〟は、確かめるように尋ねた。



「アナタ、誰なの? ユキとは違うわね——まさか、あなた、〝カオル〟なの?」



 カエデはますます口を歪め、唇を噛んだ。



 〝カオル〟は、カエデがよく知っているエンジェル——つまり、〝敵〟だ。だがしかし、〝カオル〟は、ユキには似ていない。



 では、一体、〝彼女〟は誰なのだろうか。



 〝彼女〟は体をかがめ、カエデに耳打ちをする。



「ええ。そうよ。ワタシは、あの子とは違う、ワタシ。アナタが言う〝カオル〟とやらでもないわ」



 彼女は言いよどんだが、決して、ユキのほうを見なかった。

 今のユキは、彼女が知っているユキではないからだ。

 ユキは、ふぅ、と嘆息たんそくをついた。

 エンジェルが襲来している最中さなかでのこんな問答などは、不必要だ。

 彼女は、ユキに再び思考で問われて微笑んだ。



「それに、ワタシはナギサではないわ。こんな見た目じゃないでしょう? 彼女は」



 ユキは、コックピットに座っている彼女の太ももに馬乗りになる。

 カエデは眉をひそめた。〝彼女〟にナギサのことを言われて、少し腹立たしかったのだ。



「んん……」



「思い出して」



 そのとき、ユキの胸の谷間がちらりと見えたが、彼女は気にせず、現れた存在に無表情で顔を向ける。



「誘惑なんて、ばかね」



 ユキは、首を振らずに否定した。



「いいえ、違うわ。思い出すのよ。アナタにとって、とても大切な彼女のことを……」



 彼女は自身の両手を、若い女性のほおにひたりとて、冷たい声でささやく。



「ほら」



 彼女の脳裏のうりには、次々と断片的に映像が流れ始めたが、徐々に鮮明せんめいになると、あることを思いだした。



 幼い顔立ちの女の子が、こちらを泣きじゃくりながら見る。

 その彼女の目の前にたたずむ、インサートスーツ姿のカエデは、彼女を見つめた。カエデが着用しているのは、暗灰色だった。

 幼い彼女の目の前には、白いワンピース姿の少女がいる。カエデは一目で、ユキだとわかった。

 そしてカエデはユキを見て、そして、周囲に目配せをするとすぐに察した。



 この場面は、橘スズが幼い頃に起きた〝実験〟だ、と。



 周囲には、鉄のような濃厚な匂いがただよっている。カエデは、その匂いに鼻を塞がなかった。彼女は気味が悪いが、きちんと見届けなければと考えていた。



 なぜなら、この凄惨な〝事故〟現場で、スズは多くを失ったからだ。



 彼女が春風トシヤ夫妻に引き取られたのも、この諏訪市に招集されたことも、全てスズに関係することは、この情景に詰まっているのだ。

 カエデは床に瞳を落とした。それはいまだ、赤黒い血が液体となったまま、一面に存在していた。

 インサートスーツ姿のカエデの混乱する思考は、その後方へと情景が移った。

 多分だが、自分は振り返ったらしい。



 巨大な螺旋らせん状の一本のやりが、深々と〝それ〟に突き刺さっていた。

 それは、両手をだらりと背中に下げている。

 すらりと伸びた螺旋状の槍。



 彼女はそれを見た途端、心がとても暗くなったが、同時に目が離せなかった。

 彼女の中にある、何かをきつけるような、彼女の瞳を離させない、強い力が、そこにはあった。



——それは、神の処刑のような儀式。



インサートスーツの彼女は、その黒い瞳を、それよりも、はるか遠くに向けているだけのようだった。





 指令室のパーソナルコンピュータが、ビィー! ビィー! と、すさまじい警告音を鳴らす。

 青年が、周囲に呼びかけた。



「何が起きている?」



 同指令室のウーゼ開発研究主任は、そつなく言う。彼女は、普段は明るい声で友人と話すが、今は真剣な声になっている。



「室長。信号逆流、回路も切断できません。次々に、断線していきます」



 彼女は今は、肩までの茶髪を邪魔にならないように縛っている。

 彼女は、指令室でもウーゼのケージでも、上下着脱可能な紺色のつなぎ服を着用しており、名前のとおり、桜色のジャンパーを羽織っている。

 青年は、彼女に尋ねた。



「止められるか? はやし主任。2号機パイロットはどうだ?」



 それから彼は、他の職員に尋ねた。

 林主任は、座っているワーキングチェアごと、指示をあおぐ青年に体を向ける。

 黒髪とIDカードケースが、激しく揺れ動いた。



「心理グラフに多少の乱れがあります」



サクラはパーソナルコンピュータを凝視しながら、少し焦りを感じていた自分を落ち着ける。



「プログの射出信号を5号機に送ってくれ」



指令室の巨大なメインディスプレイから、5号機のディスプレイが開かれ、凛とした声が指令室全体に響く。カエデの声だ。



『行きます。平気です』



 その言葉に、指令室一同はざわついた。

 その中でも、室長の青年は、一人冷静さを保っていた。彼は、彼女の申し出を、言下げんか退しりぞけた。



「むちゃだ」



 そして、サクラに再び問う。



「林主任。インサートスーツの麻酔薬は?」



 サクラは、彼に顔を向けた。



「投与していません」



 だが、その顔は、彼への報告の途中で少しくもった表情になる。



「ですが、投与をすると、パイロットが昏睡こんすいする危険性が高まります」



「量を減らして——」



 彼は顎に左手を当てた。彼もまた、カエデと同じ左利きなのだ。



 本来、このノヴァ日本支部での麻酔薬の投与の意味は、パイロットが危険におちいり、指令室でも行動することができない場合に、投与するものである。

 彼は、それは性急すぎると考えたのだ。



「いや、鎮静剤を注入してくれ。麻酔は、カエデが危険域に突入したら投与。頼んだ」



唐突とうとつに鳴り響く固定電話を、桜色のジャンパーを羽織る女性がとろうとしたが、青年が代わりにとると、彼は十六歳とは思えない言葉遣いで、よどみなく相手に説明をし始める。



「はい、ノヴァ日本支部・指令室です。私が室長の山田やまだです」



 彼は、相手の話を理解したと示すようにうなずく。



「はい、そちらはすでに了承しております。ええ、ですからその件に関しては、現時刻から戦闘指揮形態はわたくしども、ノヴァ日本支部に移行しました」



 彼は、横幅が十メートルある、メインディスプレイをちらりと見た。指令室に欠かせない通信連絡用の機器だ。

 しかし、それを見ても、こちらの戦況はいまだ劣勢だった。



 彼は、電話越しの相手の怒りをなだめにかかる。



「しかし、エンジェル殲滅せんめつ遂行すいこうせねば、日本国だけではなく、世界中がインフラ等の機能不全におちいります」



 電話の相手は、渋々といった風に、彼に応じた。

 彼は、感謝の言葉を述べる。



「ご協力、感謝いたします。概要がいようとしては、5号機を起動ののち、エンジェル殲滅せんめつ遂行すいこういたします。ええ。では、失礼します」



 彼は固定電話を切ったが、その顔はけわしい顔のままだった。

 桜色のジャンパーを着た女性は、きっと上層部か、もしくは、ノヴァ日本支部よりも立場が上位の方が電話の相手だろうか、と感じた。

 彼女は、彼に問いかける。



「室長。どなたですか?」



「ああ、菅原すがわら大臣からだよ。林主任」



「すがっ……」



 サクラは思わず、語尾を失った。


 菅原大臣——そんな人物は一人しか思い当たらない。



 そして、桜色のジャンパーを羽織っている彼女は、室長の青年に目配せをした。



「え!? 菅原内閣総理大臣からの厳命げんめいですか?」



 ウーゼ開発研究主任のはやしサクラは、やはり驚いて、両手で口を覆った。



「本当に、内閣総理大臣から直接なんですか?」



 この日本国をになう、国家のピラミッド、そのの頂点の椅子に座る男性——それが菅原大臣だ。

 人当たりがよい人物として、たびたびニュースで報道されている。



 だがしかし、国家の安全のためには、大臣はノヴァ日本支部の青年に権力を行使しなければならないときがあるのだ。



 ハルトは、肩までのボサボサとした黒髪を搔く。ボサボサというよりも、ふわふわしている印象が、彼の黒髪に近しい。

 彼は菅原大臣から要求されたことを、簡潔にまとめる。



「そうだ。林主任。ウーゼでエンジェルのせん滅を行うようにかされた」



 すると、それにサクラは反論した。



「マスコミへの情報規制は行われているはずです。なのに、なぜですか?」



「情報は筒抜けなんだよ。ったく……」



 ハルトからすれば、マスコミは、情報を得るためなら裏工作も行なう集団だと認知していた。ただし、それは、一部の新聞や週刊雑誌の記者にすぎない。

 どこの組織にも、厄介やっかいな人間はいるのだ。



 サクラが少し懸念けねんした表情で、ハルトに話しかけた。



「室長。5号機の熱エネルギー反応が、二から三に——」



 だが、彼女は続けて報告した。



「いえ、消失、消えました」



 彼女は、自分よりも年下である青年をちらりと見る。



「心配ない。それより、今聞かされたことを伝達する」



 青年の前髪は、眉上で切られている。

 灰色の瞳で、今は警告が止められており、ユキのパルスと適合率が映っているメインディスプレイを凝視している。

 青年は、いつもどおりワイシャツの一番上のボタンを開け、黒色の制服を着ている。



 胸ポケットには、サクラと同じIDホルダーがつけられているが、彼の首元には、銀の襟章が鈍く光っていた。

 指令室をたばねている青年は、左足を上に組んでいたが、足を下ろして背筋を正す。



 ハルトは立ち上がりざま、続けて一同に呼びかける。



「日本政府からウーゼ出撃要請だ。2号機パイロットを動かせるか?」



 若い男性オペレーターが応答をする。



『了解。2号機の起動準備、開始します』



報告を終えた途端、ハルトは、またいつものか、とでも言いたげに眉をひそめ、呆れた表情になる。



「どうせ、こっちに任せるのに……。言われなくても、こっちから出撃させてやるよ」



 ハルトはため息をつきながら、髪を乱暴にく。彼の脳裏に浮かんだのは、あの三名の軍人だった。

 彼らが属しているのは、ノヴァ日本支部の上層部組織。

 なので、逆らうことは許されなかった。しかし、逆に彼らが許可したことは、作戦立案でも、一個人の考えでも、それを実現できる権力があり、そのためには、ノヴァ日本支部への資金や、ウーゼ専用武器を惜しみなく用意してくれるのだ。



 ハルトは、なんとも言えない瞳でメインディスプレイを見上げる。



「理由をつけては呼びつけるんだよな、あの軍人ども……。でも、結局は、失敗したら俺らの責任、てことだよな?」



 サクラは、直属の上司であるハルトを少し心配そうな顔で見ている。 彼女たちには、今の彼の思考は読み取れなかった。



 というのも、実は二・三日前、ハルトは渋々だが——査問さもん委員会に強制的に招集をされた。そもそも査問委員会とは、なんなのか。



 査問委員会。それは、特定の問題や議案などを、公正かつ詳細に、調査や審査などを行うため、設置される専門委員会のことだ。



 彼は、その二名の軍人たちに質問攻めをされる間、軟禁状態にならざるを得なかった。

 ハルトは、影に隠していたマグカップの取っ手をつかむと、そこに入れてある冷たいココアを飲みきった。



「林主任。民間人および非戦闘員の避難は?」



「三分前に、全て完了しています」



 ハルトは、彼女にすぐに答える。



「わかった。それと、酸素システムはどうだ?」



 室長に再び呼ばれた彼女は、今度はさまざまな気体の名称と、その数値が表示されているパーソナルコンピュータの画面を見つめる。



「酸素システムは、現在、六十八パーセント。正常に稼働しています。ですが、2号機パイロットは……」



 サクラが、ハルトを茶色の目で見ると、彼はあごに手を当てる。



「でも、カエデは——2号機パイロットも問題ないのか? 昨日も、エンジェルを倒せはしたが…………」



 彼は、自身の後方にある部屋の扉を一瞥いちべつするが、まだ、その扉は開いていないようだった。



 その場所は、ノヴァ日本支部のかなめである女性の執務しつむ室だが、そのあるじである彼女は、なかなか部屋から出てこないことが多い。

 主な内容は、支部内で立てられる作戦要項の有無や、ノヴァ日本支部の上層組織との電話会談だ。



 ハルトは懸念を振り払って、サクラに尋ねた。



「林主任、2号機パイロットの様子を確認してくれ」



「はい。室長」



 続けて、メインディスプレイから、ウーゼ開発研究主任の音声が対応をする。



「室長。2号機パイロットは、問題ありません。プログ内にCPOを注入開始します」



『ファースト・コネクトを開始』



『続けて、セカンド・コネクトを開始』



 次々に飛んでくる報告の指示を、主任のサクラが受ける。



『ファースト・コネクトおよび、セカンド・コネクトも完了しました』



『破壊再生は、ありません』



『パイロットとウーゼのシナプス、接続完了』



 再び、凛とした静かな声が、ディスプレイから指令室全体に響く。



『5号機の思考言語を、日本語に設定』



 男性オペレーターが、『了解』と、応える。



『5号機、射出ターミナルに移動完了』



 ウーゼ開発研究主任が、オペレーターに応答する。



「5号機の射出は、五番ルートに変更してください」



 また続けて、サクラが応える。



「5号機、適合率を再計算中、終了しました。5号機の適合率は、三十五パーセントを維持。誤差は〇・〇五です。  

 2号機パイロットのシナプス汚染は、基準値内です。パイロットの呼吸、および、心拍数は安定しました」



今度は、指令室につながっている5号機のディスプレイから、凛とした声が聞こえる。



『ウーゼ5号機、起動』



ヴヴンッと、鈍い起動音がケージ内に響き、固定された5号機は、バチバチと、激しく列車が急ブレーキをかけたときのように、火花を散らしながら射出をされる。

打ち上げをされたロケットより、凄まじい速度で加速をし続け、地上へと向かって行った。







 国連軍会議室は、窓ガラスが一面に覆われている、見晴らしのいい場所だ。

 この場所はノヴァ日本支部からは遠い。ヘリコプターで向かうと、一時間ほどで着く北海道だ。



 そこでは、二名の軍人たちが、互いに顔を見合わせていた。

軍人の彼は、机にひじをつき頭を悩ませている。そして、軍人の彼女は、静かにため息をついていた。



なぜなら先程、ノヴァ日本支部・山田ハルト室長の判断で、ウーゼを出撃させるという報告を受けた。



「我々では、あの化け物どもに勝てないとでも言いたいんですか?」



 青年らしき軍人の一人が、机をこぶしで強く叩いた。

 それから、彼は皮肉げに、遠くに広がる第四長野都市の方向を見つめる。

 ある部屋で、固定電話越しの女性は、はっきりとした声で答えた。



『いいえ。室長の決断は適切です。蒼龍そうりゅう少尉しょうい



 名を呼ばれた軍服の青年は、無言で、いかめしい顔をするだけだった。

 軍服の女性は、ティーカップを机の上に置く。



「わかりました。今回の予算のことは一考します。再び、会議の場を設けることにしましょう」



『貴重な機会をいただき、ありがとうございます。日代ひしろ大尉たいい



 軍服に身を包む女性は、ティーカップをソーサーから持ち上げかけたが、彼女は、またそれを机に置いた。



汐波しおなみ司令。ところで、あの計画はどうなっていますか?」



 アカネは、あまり間を置かずに話す。



『彼女は〝二番目の少女〟と接触をします』



 女性は続けて、重要な資料に目を通してたが、再び発言をする。



「しかし、彼女は、〝あの実験〟の生き残りです」



 軍人の青年は驚き、肩をすくめた。



「そんなばかだろ。あの実験に生き残りが? まさか、例外ってわけじゃあないですよね?」



 彼は念を押すように言ったとき、目を細めた。

 彼女は、彼をなだめようとする。今日も軍人の女性と彼しか、この広い会議室にいないからだ。



「まあ、幸い、ほかのパイロットの資料もここにそろっていますし。ちょうどいいでしょう」



 しかし、彼は、女性に顔を向け、拳を机上に乗せた。



「は? 情報も過去の経歴も抹消まっしょうされてる、信用ならないパイロットばかりですよね?」



 彼に淡々と返事を返したのは、電話越しのアカネだった。



情報漏洩ろうえい防止のためです。ほかに何か?』



「ふん。本当はこんなことで、時間を潰してるひまはないんですがね」



『では、役に立たない攻撃武器の改良にせいを注いではいかがでしょう?』



 だが、彼は言い返せずに、椅子にさらに深く座る。

 軍人の女性は、ティーカップを、ソーサーから音もたてずに持ち上げて上品に口をつけた。そのあと、彼女は話を続ける。



「ですが、彼女は、極秘中の極秘の事件に関わった、まだ十三歳の中学生です。それに……」



 軍人の青年は、ところどころ黒塗りで引かれた重要資料を、長机の上に、乱雑にバサッと投げ出した。

 しかし、軍服の女性は、柳眉りゅうびを鼻の付け根に寄せた。



「少尉。態度がよろしくありませんよ。せっかくの会議なんですから、ご自身の行動は重々留意りゅういしてください」



 彼女は、それを目で追う。

 青年は、大げさに肩をすくめて反応した。どうやら彼は、面倒事に巻き込まれたくないようだ。



「申し訳ありません。日代大尉。でも、俺は、山田室長より賢くないんですから」



「いえ。そのようなことは」



 女性は緩やかに首を横に振ると、青年が先程、机上に投げ出した資料に右手の人差し指を置く。

 彼女は、紅玉こうぎょく色の口紅が塗られた唇を、三日月にする。



「では、彼女たちも〝例外〟と言えるのでしょうか?」



 彼女が指を動かして、資料を前にずらす。その仕草しぐさは、整えられたきれいな爪から少し優雅ゆうがに見える。

 軍人の青年は嘆息する。



「厄介者の寄せ集めが……。あんなのが国をまもるだと?」



 彼は腕を組み、また不快そうにした。



「ばかだろ」



 カチャリ、と、静かに、ティーカップがソーサーから離される。

 女性は、ティーカップに入れてある紅茶をたしなんでいた。

 机上に、三名のパイロットの氏名が書かれた資料とともに、ある資料も続けて置かれる。

 軍服の女性は、固定電話越しのアカネに真剣に尋ねた。



「〝真白ましろユキ〟それに〝一色アオ〟そして、〝久遠くおんカエデ〟。あなたには必要なんですよね?」



 電話越しのアカネの声は、すぐに聞こえる。



『ええ。そうです』



 女性はまた続けて、一葉の報告書を机上に置く。





 『コアへのダイレクトダイブの報告書』



——なお、当事者(橘スズ・十)は、精神が大変不安定なため、正式な調書はおこなわなかった——





 アカネのほうから、固定電話は切られることになった。



『では、計画の概要がいようは、また追って連絡します』



ぶつり、と、固定電話の音声は切れる。





 同時刻、ノヴァ日本支部のメインディスプレイに、5号機の姿が映る。

 ウーゼ開発研究主任が、メインディスプレイを瞳に捉えながら、スピーカーで報告する。



『5号機、地上に射出されました!』



5号機の肩と腰を固定していた装置が、バシュッと、ミサイル発射のような短い音をたて解除をされる。

 続けてまた、主任が報告する。



『最終安全装置、解除!』



5号機は装置が解除されるやいなや、ナイフを装備をすると、その巨躯きょくの両足を動かして走り始めた。

その背にある電源ケーブルの線も激しく揺れ動き、5号機が走るたびに地をって、伸びていく。





 人型の敵である〝エンジェル〟。

 制服姿の彼女は、目を細めて片手をひたいに当てると、遠くを見る仕草をする。



「あれが、私たちを殺すための兵器……まったく、人間は面白いことを考えるのね。ウーゼ、ということはそこにいるのよね?」



 5号機の巨躯が、車や兵装ビルを蹴りあげ、粉々に破壊をするのもいとわずに、両手で握ったナイフを大きく上に振り上げる。

 だが、金属音をたて、ナイフが透明な防壁に阻まれると、エンジェルが付けている、緑色のストライプが入ったネクタイが突風でなびいた。

 ネクタイをほどいたエンジェルは、鬱陶うっとうしそうに舌打ちをする。ネクタイはその突風に巻き上げられ、すぐに目に見えなくなった。



「効かないのに……君はわかってるよね?」



 あきれているようなのか、まるで侮蔑ぶべつをするような声を込め、不敵ふてきな笑みを浮かべた。



「ところで……あの力を使わないの?」



 5号機コックピットに着座するカエデは、意識のほぼ全てを、エンジェルの急所とされるコアの破壊に集中させていた。



 エンジェルが、5号機に照準をさだめるまねをすると、矢を放つ弓の音に似たような、ヒュウッという音が鳴った。そして、遅れて、ビームの攻撃が来る。



 5号機は右に避けたあと、足元の黒い影のようなものを伸ばす。

だが、細長いの赤い槍を地面に突き立てられた。



 突き立てられた槍の先にあった影は、海からアスファルトに投げ出された魚のようにびちびちと激しく動いている。



 その隙を突かれ、5号機は後方に転がった。それは轟音ごうおんをたててビルを破壊し、コックピットの彼女を、より負傷させるだけだった。



 操縦桿をつか(つか)んでいる彼女の負傷した両腕から、ごぼこぼと、薄赤く泡が立つ。

苦痛に顔をゆがめた彼女は、一瞬、まぶたを閉じた。



「くっ……! 影だけではダメだったのね」





 地上に射出された濃紺色の〝それ〟を見つめたアオは、突然走り出した。

 逃げる間もなく、それは、こちらに向かってくる。

 だが、スズは、盛大せいだいに足をもつらせて転ぶ。



「わっ!?」



 二人とも地面にいつくばるような格好になる。



「!? いってて……」



 スズの紺色のセーラー服と同色のスカート、空色の三角タイ、黒いスニーカーにも土砂がつく。まだ幼さが残る彼女の顔にも、かすり傷がついた。

 短い前髪に、襟足は少し長く髪ゴムで一本に縛られている。横髪は縛っているので、耳にかかっていない。

 少し長いまつげを持つ黒い瞳は、今はうつむいてる。

 アオは心配そうに、スズに問う。



「怪我は?」



 スズはまだ、黒い瞳をうつむかせていた。



「痛いけど……まあ大丈夫」



 アオが手を差し伸べ、スズがその手をとって立ち上がろうとしたそのとき——ドガァアンッ!! と、轟音が響いた。

 スズとアオはそろって、自分の顔を両腕で覆う。

 周囲に舞った土ぼこりとともに、巨大な左手が、スズのすぐ近くに押し付けられた。



「うう……くっ——」



 横倒しになったスズは、なんとか体を起き上がらせ、不思議さと驚きが入り交じった表情で、現れた巨大なそれを振り返る。

 彼女は、スカートの土ぼこりを鬱陶うっとうしそうに払い、頬を手のひらで拭った。



(何、あれ?)



 彼女は首をかしげる。

 アオは、ハッと目を見開く。



「カエデ! まさか、彼女がやられてるのか……?」



 アオは考え込むように、右手を顎に当てる。その彼の視線は、突然現れた紺色の巨大な人型を凝視していた。

 彼は、鼻の付け根にシワを寄せているが、彼の手をとり、立ち上がったスズは彼に不安そうに問う。



「ねえ、負けちゃうの? 大丈夫?」



 そのとき、グラリと、崩れてくる看板の巨大な影が、スズの眼前がんぜんに現れる。



「え? うわあ!?」



「危ない! スズ。身をかがめろ!」



 スズが驚き、アオがスズの頭を体を張って護ろうとした、そのとき——。

 巨大な左手が急に持ち上げられ、スズよりも巨大な看板は、その手の甲で細かく砕かれた。



(あれ? 痛くない? なんだろう? この大きな影……)



 スズはおそるおそる両手をほどき、その影を目で追う。



(あ……)



 スズは、それとともに出てきた巨大な手のひらを見つめた。



(護って……くれたのかな?)



「あ、ありがとう……」



 アオは不敵に笑う。



「グッドラック。僕もあとで向かうよ、カエデ」





 メインディスプレイから、すさまじい警告音が鳴る。

 ウーゼ開発研究主任は驚くと、すぐに、指令室一同に報告をした。



「熱エネルギー反応を感知! 現在、5号機の付近にいます」



 ヒュインッ、と、彼女のパーソナルコンピュータの全画面や、メインディスプレイの端に映し出された。

 ハルトは、彼女に指示を仰ぐ。



「すぐ確認しろ」



 彼女がパーソナルコンピュータの液晶画面を確認すると、それに、人の姿が映し出される。



「5号機の近くに、人? 人を感知しました!」



 ハルトの脳裏に、次々と疑問符が浮かび上がってきていた。



「5号機に護られている? どういうことだ?」



 ズームをされ、より鮮明化されたメインディスプレイに映った少女とアオを見たとき、その疑問は完全に消え去る。

 今は彼女の顔がよく見えないが、ハルトには見覚えがあった。



 サクラは驚き、彼女は、ハルトに体を向けた。



「室長」



 ハルトは心当たりがあるようで、それを見つめた。



「ああ。でも、なぜあんな危険区域に」



 そのとき、ようやく、汐波しおなみアカネが指令室背後の扉から現れる。彼女が歩くと、黒色のヒールの音が鳴り響く。

 彼女は、支部の制服の第一ボタンを外しているが、ネクタイは締めている。

 ノヴァ日本支部の司令らしからぬ服装だが、本人は気にしていない。

 焦げ茶色の髪を緩いポニーテールにしており、彼女が歩くたびに、少しふわりとなる。

 細い茶色い革ベルトの腕時計を着けた左手首を、右腕のひじに重ねて尋ねる。



「エンジェルは?」



 メインディスプレイに、可視化されたプロテクトと、さまざまな戦闘データが映し出される。

 プロテクトは、透明な壁のようなものだが、その詳細は不明なものだ。

 彼女は、つやのある茶色の瞳でそれを見つめた。

 主任が、アカネに声で応じる。



「現在、可視化ができるほど、強力なプロテクトが展開されています」



 ハルトが、ウーゼ開発研究主任を補って続けた。



「それに、ビームや物理攻撃も持ち合わせているので、たちばなさんが近くにいると、かなり危険です」



 アカネは、左腕を下に腕を組みながら問い続ける。



「そう。5号機は?」



 サクラは首肯してから、正常な心理グラフと各パイロットの呼吸や脈拍を計測できるパルスを見つめる。



「はい。損傷は深くありませんが、このままだと、パイロットの負担がかかり過ぎます。

 ですが、しかし、いい知らせもあります。2号機パイロット心理グラフは、先程より落ち着きました。現在、ゼロコンマ六です」



 アカネは、ハルトに艶のある茶色い瞳を流す。



「ところで、山田室長? カエデは何をしているの? まるで、彼女を護っているようだけど」



「はい。頭上から落下した看板から、彼女と一色パイロットを護っています」



「なるほど。林主任、フェイトの判断は?」



 サクラが、自身のパーソナルコンピュータに映っている一基だけのビックデータコンピューター、フェイトの統計を一瞥いちべつする。



「橘スズさんと、一色パイロットが危険区域に存在していると判断しています」



「そう。まずは、彼女の保護を最優先に行って」



「承知しました。しかし、司令。一色パイロットの対応はどうされますか?」



「それは、カエデ——」



 アカネは、ワインレッド色の口紅を塗った唇を噛んで歪めた。彼女自身、カエデを名前で呼び捨てたことに、悔しかったのだ。

 そして、彼女は言い直すと、左腕を下にして腕組みをする。



「いえ、2号機パイロットとともに三人とも回収。一色パイロットは回収後、担当ウーゼに搭乗させて」



「承知しました」



 ウーゼ開発研究主任は、スピーカーを通した声で答える。



『1号機(改2)は、準備万端です』



 再び、2号機の内部スピーカーから、凛とした声が聞こえる。



『彼の出番はないわ。彼自身がそう言っているのよ』



 このときのスピーカーは、ウーゼ外からでも聞こえる外部スピーカーではない、指令室専用回線のスピーカー、つまり、指令室に直接通じる専用の電話機器に似ている。



『では、頼んだわよ。室長さん』



 ハルトは少し眉をひそめると、メインディスプレイを凝視する。



(どうせ、橘スズが目的なんだろうな。汐波司令は何考えてんだか……)





 濃紺色のそれは、スズに手を差し出す。

 だが、しかし、スズは目を見開いて、体を強ばらせる。



(…………)



 彼女は、左側に両足を寄せたまま、奥歯を噛みしめていた。喉がカラカラに乾いて、唾も満足に飲み込めなかった。



 濃紺色のそれから、スピーカーで通したような声が聞こえる。



『平気よ。あなたに危害は加えないわ。私は、あなたを最優先に保護するから』



 その声は、自分と同じ年頃の少女の声に聞こえた。



 凛としているが、どこかで聞いたことあるような声だった。



 ようやく、スズは、乾いた喉から声を出すことができた。



「だ……誰?」



 少しの間があってから、また凛とした声が応える。



『ごめんなさい。今はあまり時間がないの』



 スズは、ハッと、濃紺色のそれを見た。

 巨大な左手は、看板から自分を護ってくれたので、とどまったままだ。

 しかし、あれは、右手を差し出し、まるで、自分を助けようとしてくれるのではないか。

 外部スピーカーを通じた、凛とする声は言葉を継ぐ。



『乗りたくなければ、降りてもいいわ。私が、全てせん滅するだけだから』



 スズは、握った拳を胸に当て、自分の心臓の鼓動を無意識に確かめていた。

 だが、深く息を吸って吐くと、彼女は、濃紺色の巨大な右手に乗った。

 ググッと、浮遊感が襲ってくると、スズは、その手のひらにへたり込んだ。アオは慣れている様子で、右足を一歩踏み出す形で、そこに重心をかけていた。

 また、彼女が、握った拳を胸に当てると、いつもより少し早くなっている鼓動が感じられた。

 自分の視界が、こんなに目まぐるしく動くなんて怖い、と、彼女は感じた。



(大丈夫、大丈夫……)



 濃紺色の頂上にたどり着くと、棒のようなものの上部が開け放たれていた。

 スズは、決意して乗り込むと、つかの間、何も考えられなくなった。

 中に入ると、自分の足がしびれたからだ。



「大丈夫よ」



 凛とする声をかけられた。

 続けて、アオの声もかけられる。



「大丈夫。大丈夫だよ、スズ」



 スズは肩で息をする。アオが貸してくれた肩に彼女は手をつかむ。



「ありがとう、アオくん。あの、君は? ……もしかして、さっきの女の子?」



 バシュウウッ、と、機械音がすると、スズは上を見上げた。

 上部のふたらしきものが閉まったらしい。

 そのとき、スズは、やっと、座っている黒髪の少女を見ることができた。



(黒髪?)



 スズは、コックピットの背もたれに自らの手をつかませる。



(あの子? なぜ、ここにいるの?)



 途端に、頭痛とめまいが、彼女を襲ってきた。



(どうして……?)



 彼女は、たった今、頭をよぎった考えを振り払おうと、かぶりを振るが、健康的な肌はみるみる蒼白になり、呼吸もまた荒くなった。



「ねえ」



 戦闘服を着用している黒髪の少女に、スズは話しかけられる。



「ん? どうしたの?」



 スズが彼女に聞こうとする間に、カエデが深呼吸をする。

 すると、二人の目の前に、透明なディスプレイが開き、〈5号機パイロット・橘スズ〉という文字が現れる。



「え? 何? 5号機?」



 スズは、5号機パイロット、という文言に目を見開く。



「パイロット? 私が?」



 彼女がコックピットに目をやると、灰色の戦闘服をまとった少女がいる。



「ねえ? 大丈夫? どこか痛いの? 怪我けがした?」



 彼女は、額に左手を当てていた。

 その声は静かだったが、かすれていた。



「大、丈夫。今、助けを呼ぶわ」



 彼女は、コックピットに手を置きながら、よろよろと、後方よりの内壁によりかかる。そのまま、眼前にディスプレイを出すと、〈CPO循環器システム〉を表示させる。

 スズは、ディスプレイを指さす。



「これは?」



 こぽこぽと、彼女たちの口元から、薄赤く、小さな泡が吐き出される。

 これにはカエデではなく、アオが答えた。



「CPO。僕たちを護るものだよ」



 彼女はディスプレイに触れ、CPOの調整を開始したが、すぐに、警告音が鳴った。

 スズは首を回す。



「何? あっ……5号機パイロットの搭乗者の変更?」



 彼女は、玉のような汗をかいた顔でスズを見る。



「あなたになっているわ。ここの〈変更〉ってボタンに触れてくれる?」



 スズは彼女の黒い瞳を避けるように顔をうつむかせたが、そっと、ディスプレイに触れた。

 スズは、口の中で小さく自分の名をつぶやくと、〈変更〉に触れる。

 ピコンッ、と電子音が鳴ると、〈5号機パイロット更新・・・橘スズ〉と再表示された。

 内壁に体を預け、寄りかかっているカエデは、再び、〈CPO循環器システム〉を再表示させると、口の中でスラスラと噛まずにつぶやく。



「CPO循環器システム、約七十パーセント。酸素濃度は——」



 彼女は、そこで言葉を途切れさせると、ひとつ息を吸った。



「酸素濃度は、約六パーセント」



 アオが目を細め、ディスプレイに触れると、カエデは呆れるように反論する。



「ねえ、あなた、勝手に何して……」



「君は休んでてくれないかな? 万全を期してない君は似合わないよ。ほら、酸素濃度を八パーセントに調整したから。大丈夫だよ」



 スズにとっては、異国の言葉のようだったが、この自分たちを覆っている液体の酸素を、彼が調整してくれていることはわかった。





 眼前から、何かが光ったと、スズが気づいた瞬間、轟音とともに、三人は、さらに後方に転がった。

 スズは背中を強打すると、背をえびのように丸めてせき込んだ。



「いったー……たたた……」



 彼女は背をさすろうとするが、指が何かに当たると、振り返る。

 ヒュウウウウン、ガシャンッ、と、それは、音をたてて停止した。



「ねえ、なんか止まっちゃったんだけど……」



 彼女は背をさすろうとするが、指が何かに当たると、振り返る。



「スズ、大丈夫かい?」



 アオは痛みに顔を歪めていた。きっと、アオがとっさに、スズを護ったのだろうか。



「うん……大丈夫。ねえ、君は怪我してない? 背中とか痛くない?」



 右側にいる彼女は、背をさすりもせずに、二人の後方を見た。



 スズとアオの後ろと彼女の後ろには、各四枚の羽が付いている換気扇があるのだ。細かい網目のカバーが付いている。カバーが付いているのは、パイロットの髪の毛が巻き込まれないようにするためなのだ。



「ああ……循環器が止まったのね」



 スズは思わず、その黒髪の少女に尋ねる。



「何それ?」



「CPOは、私たちを護ってくれるものだけど、酸素だから循環をしなければならないわ。でも、多分、一次的なものだから……」



 彼女は言葉を切ると、額を押えた。

 スズは、彼女の顔を覗き込むようにする。



「頭、痛いの?」



 彼女は、ゆっくりと首を横に振った。



「いえ、大丈夫よ。これは、平気……」



 スズは、意味が無いと思いながら、彼女の背中をさする。

 そのとき、ディスプレイが開いた。

 助けを呼べる、と、スズは一瞬思った。



 だが、スズに背をさすられている彼女は、ぐらりと、体勢を崩した。



「大丈夫? ねえ、君? 大丈夫?」



 スズが肩を揺すり、彼女に何度呼びかけても、彼女は横向きの体勢のまま、肩で息をしていて、返事を返せない状態におちいった。

 スズも、喉が痛い、と思い始めた。

 彼女は、せき払いをするが、CPOが喉に入るだけだった。

 開いたディスプレイを閉じかけたまぶたで見つめると、〈VOICEボイスONLYオンリー〉と表示されていた。

 そこからは、青年の声が聞こえる。



『平気か? 今、酸素濃度の表示を変える。CPO酸素チューブをくわえられるか?』



 スズは、青年の声に尋ね返す。



「何? なんて言ったの?」



 スズは、早速、先程の戦闘服を着た少女が座っていたコックピットにゆっくりと立ち上がって向かい始める。

 すると、青年は、言葉をゆっくりと区切りながら、応えた。



『前方に車のダッシュボードみたいなやつがある。それを手前に引くと、透明なチューブがあるから、それをくわえてくれ』



 アオは、ある方向に指をさす。



「スズ。その灰色のやつだ」



 スズはうなずく。



「うん。わかった」



 ガチャッと、スズが、灰色のダッシュボードのふちを手前に引くと、透明なチューブが円をえがいて折りたたまさっていた。

 彼女は、それをくわえると、コックピットの背もたれに背中を預けた。

 しかし、先程、CPO循環器に自分の背中を強打したせいで、彼女は苦痛に顔を歪め、背をさする羽目になった。



「どうすればいいんだろう? あっ、さっきの人! でも、そういえば名前聞いていないや。とりあえず呼ぶか……」



 スズは、ディスプレイに向かって呼びかける。



「あの、すみません?」



 アオも呼びかける。



「1号機(改2)パイロットの一色アオだ。指令室応答してくれ。指令室? 山田室長?

 1号機(改2)パイロットの一色アオだ。指令室、応答願う」



 ディスプレイが、シャコンッ、と、機械音をたてて開いた。



『どうした?』



「えっと、その、CPO循環器が止まっちゃったみたいなんですけど……」


『本当か? わかった。なるべく早く——いや、六十秒で回復させる』



 そこにアオが、話に割って入る。



「さすが室長」



「ホントですか? あと、乗ってた人が——」



 室長の青年は、スズが全てを言わなくてもわかったようだった。



『カエデか?』



 スズとアオは、そろって首肯する。

 スズはアオを横目で見てから、話す。



「あっ、はい。多分。そのカエデさんが苦しそうで……」



『退却できるか?』



「そんな……彼女のこと置いていけませんよ」



 しかし、アオは、彼に同意する。



「そうだよ、スズ。退却したほうがいい」



 スズの眼前に、ごぼごぼと大きな泡が立った。



『戦え』



 スズは首をかしげる。



「え?」



「ハルト! さっきは退却しろって言ってたくせに、なんですぐに手のひら返しするのさ?」



『戦うんだ。残念ながら、パイロットは橘さんしかいない。実はもう一人いるが、出撃させられない。アオ。おまえは別としてな』



 アオは、不満げに眉をひそめる。

 その口調は、スズに話しかけたときとは違う、年頃の少年らしい不満そうな口調だった。



「だから、なんでなの?」



『おまえ、さっき言ってただろ? 僕は出番ない、って』



「あー、そうだったね……」



 アオは、しまった、というように、右頬を掻く。

 スズは、ディスプレイ越しの青年に追及する。



「なんでなんですか? そのパイロットではダメなんですか?」



『無理だ。その橘さんと一緒にいるアオだしな。——あっ、出てくるぞ』



 そのとき、地面が一瞬揺れた。



「この揺れは?」



 スズがコックピットのへりにつかまると、アオが彼女の左側に立ち、その肩を支える。



「これは——地震なの? 室長?」



 アオが呼びかけると、室長の青年はディスプレイから応える。



『ああ、地震だ。現在、震度三を観測』



 スズも疑問を口にする。



「え? 地震?」



『それも、この第5管区だけだ』



 ウーゼ開発研究主任が、無機質に経過報告を告げる。



『5号機・CPO循環器システム、再起動。再循環を開始。先程の揺れの影響はありません』



『現在、CPOの酸素濃度・二十パーセント、酸素飽和度・九十六パーセントを維持しています』



 ウーゼ開発研究主任が『了解』と、再び応える。

 男性オペレーターが、彼に報告する。



『室長。5号機内に、巨大な熱エネルギー反応を感知』


『わかった。それは放っておけ』



 室長に指示をされた男性オペレーターは、承諾できないように一瞬黙り込んだ。しかし、彼は了承した。



『——承知しました』



 スズの目の前で衣擦れのような音が聞こえたと思うと、先程まで肩で息をしていたカエデがずるずるといつくばって進み、いつの間にか左手で操縦桿をつかんでいる。

 彼女の声は、いまだかすれていた。



「どいて……」



 スズは瞬間的に、カエデの左手に自分の手を添える。そして、彼女は首を振った。



「ダメだよ。そんな……——君、カエデさんだっけ? とにかく助けないと」



 カエデはスズが口を挟む前に、話した。



「私のことはどうでもいいわ。けど、エンジェルは絶対に倒さないと。そうしないと……」



 カエデは唇を噛んだ。



 きっと、最悪な事態になることは、スズもなんとなく理解していた。



 スズは目を見開く。彼女のような覚悟が、自分にはなかったからだ。



「ああ……」



 再び、ディスプレイが開くと、いつの間にかカエデにパイロットが変更されていることに、スズは気づいた。



「……なんで? 勝手に変わらないでよ!」



 スズは先程のように再び〈変更〉の場所を押すが、命令を拒否され受けつけてくれなかった。



「…………倒すしかない、か」



 スズは奥歯を噛んだ。



「ねえ、作戦とかって——」



 カエデがスズをコックピットの背もたれに押し付けるようにすると、すぐに衝撃が来た。5号機が走る衝撃は、コックピットを縦に揺らしているらしい。



「え、何何!? え? そういうのない感じなの? 嘘でしょ?」



 アオは、ごめん、と、カエデの代わりに謝る。



「カエデ……急に動くのは危ないと思うな」



 カエデはアオのぼやきにはこたえず、ひたすら目の前を見据えていた。



「入るわよ。スズ」



「あ、うん」



 スズは反射的にうなずいたが、カエデに身を乗り出す。



「でも無理無理! ぜーったい、無理! ホントにできないって!?」



 5号機は、腰の後ろ辺りから左手ででナイフのをつかむと、エンジェルに向かって、思い切り両手で大きく振り上げる。

 スズは驚きながら、カエデを見る。



「うわあっ!? ちょ、待って! 待って、カエデさん! ストーップ!」



 スズは叫びながら、両腕で顔を覆った。

 だが、聞いたこともないような高金属音が、周囲に響き渡りながら、その都市一帯を巻き込む。



 5号機はエンジェルに突撃して、無様ぶざまに地面に転がったが、すぐに体勢を立て直した。そして、黒い影にずぶずぶと沈んでいき、完全に巨躯を消した。



 スズは肩で、息を荒くしていた。カエデも、彼女と同様に、短い呼吸を繰り返す。

 カエデは息が切れており、彼女はその息の切れ間に、訥々(とつとつ)とつぶやいた。



「今の、プロテクトね」



 アオはうなずく。



「うん。そうだね、カエデ」



 しかし、アオの顔は、眉をひそめる顔つきになっていた。何か、彼の中で矛盾でも生じたのだろうか。

 カエデは、突如、現れた少女に問いかける。



「それに、あなた今何かした?」



 カエデが彼女を見れば、スズは首をひねっていた。



「いや、したって言っても……私は、カエデさんを止めようとしただけだし……」



 スズはうなって、また、うなじに片手を当てる。

 アオは、右手を顎に当てていた。

 その間、カエデは周りを見渡し、最適なルートを探る。



「そう……地上うえの右ルート、108(ヒトマルハチ)は閉じられてるわね。なぜ?」



 彼女がまた周りを見渡すと、再び、小さな電子音が鳴り響く。



「ここ、何?」



「影よ」



「え? ああ……そうなんだ」



 ピピピッ、ピピッ、と、ズームを終了させたディスプレイに映し出されたのは、どこかの施設のようだった。

 アオは、ハッと気づく。



「この場所……支部のケージ?」



 アオがディスプレイに触れ、そのケージを上下に滑らせて見れば、細長い通路状のものがずっと地上まで続いているみたいらしい。



 カエデは目を見開くと、スズに振り向く。



「あっ……どこかにつかまって」



 スズは唇を引き結び、うなずく。



「うん。わかった——」



 ズズンッと、衝撃がコックピットにも響く。



「おわっ……おお……」



 スズは急いで、コックピットの背もたれに背中を預ける。カエデが振動に耐えていると、アオはカエデの細い、しなやかな肩を支える。

 下方から再び、金属音が聞こえた。

 ディスプレイからは、砂嵐の音がノイズに混じってくる。

 そのノイズ混じりの声は、先程の室長の青年の声だった。



『カエデ……頼むから、カタパルト、あまり壊さないでくれよ』


「わかってるわ」



 コックピットのCPOが抜けると、コックピットが再び揺れる感覚が伝わり、上部の扉が開いた。

 スズは心の中で安堵した。やっと息ができると、思ったからだ。

 CPOの中でも彼女は呼吸がなんとかできたが、CPO循環器が一時的に停止したせいで、呼吸が苦しかったのだ。

 ディスプレイからは、青年の声が響いている。



『2号機プログの射出を確認』



 ウーゼ開発研究主任が明るい声で、『了解』と、室長に返答する。

 また、室長が、一同に呼びかける。



『医療班、治療急いでくれ』



 室長が言い終わると同時に、カエデは言う。



「それより、痛み止めを飲むわ」



 カエデは足をもつらせながら後方に向かうと、小さなハッチを開けて、藤色の巾着の中から、市販の痛み止めを口に含んで飲み込んだ。

 ディスプレイから、再び、声が聞こえる。



『医療班、到着』



 室長は『了解』と答えた。



『悪いが、心配だから言ってるんだ。頼むから、林主任と彼らの指示に従ってくれ』



 プログの外から、さまざまな声が聞こえる。



「2号機パイロットはこちらへ。主任。こっちです」



「ありがとうございます」



 桜色のジャンパーを着た女性がすそをはためかせて、ケージの渡り廊下を急いで駆け抜けてくる。

 女性は早速、移動式ベッドの上にいるカエデに近寄った。



「各バイタルは安定しているな……呼吸数は正常。大丈夫そう。どこが一番痛いですか? カエデさん」



「軽い頭痛よ。だから平気」



 女性は彼女に、重ねて尋ねた。



「鋭い痛み? ズキズキします?」



「ハンマーで叩かれる気分。たまにあるのよ、でも平気。きちんと薬は飲んだわ」



「では、痛みを抑える注射だけしておきますね」



 サクラは、シリンダーを一、二度、人差し指で弾くと、首筋に注射針を刺した。



「速効性はありますが、五分だけ安静にしていてください」



 カエデは首肯した。



「ええ。わかったわ」



 桜色のジャンパーを着た女性は、スズを不思議そうに見る。



「そちらの方は?」



 スズは鉄骨で組まれたケージに背を預け、両足を左側に寄せて座っていた。そして、彼女は、女性に上目遣いをする。



「え、あの……」



 スズはせき込んだ。

 サクラは、彼女の肩にそっと触れる。



「大丈夫?」



 スズが肩を震わせると、サクラは素早く、その手を離した。

 サクラは、ケージに片膝をついたまま、医療班の職員に答える。



「さっきのCPO循環器が止まった影響ですね。バイタルは安定」



 そして再び、彼女は、スズに問いかける。



「せき以外に、どこか痛いところはありますか?」



 スズは小さく口を開け、あ、とも、えっと、とも言えない声を上げる。

 そして、彼女は、右側に視線を向ける。



「背中を強く打ったんですけど、動けるので、多分大丈夫です」



 目線が合わないスズに対し、白衣の女性は優しく微笑んだ。まるで、少女の不安をほどこうとするように。



「わかりました、橘さん。この薬は痛みを抑えるものなので、飲んでも安全ですよ」



 スズは唾を小さく飲み込んだ。なぜ、この優しそうな女性が、カエデさんと同じように自分の名を知っているのか、とっさにわからなかったからだ。



「あ、はい……。ありがとうございます」



 スズは鉄骨で組まれたケージに座り込み、彼女に会釈すると、手渡された錠剤を水で飲み込んだ。

 彼女は、黒髪を掻き上げたカエデを、今度は上目遣いで見た。彼女は体育座りをし、落ち込んでいる様子だった。

 スズは立ち上がると、彼女のベッドに近づいた。そして、遠慮がちに、彼女に問いかける。



「あの……カエデさん」



 カエデはその体勢のまま深呼吸をすると、凛々(りり)しい瞳でスズを一瞥した。



「来て」



「へ?」



 スズは不思議そうな顔で、きょとんとした。見る人が見れば、彼女の顔は少し間抜けな顔に見えたかもしれない。



 彼女たちとは別に、アオはケージに屹立きつりつしながら、それを黙認していた。彼は、黄色いウインドブレーカーのポケットに両手を入れていた。



 スズは、カエデに問いかける。



「動いて大丈夫なの?」



 カエデは、左手の人差し指を口元に当てた。そして、シッと、短く息を吐く。



 つまり、カエデは、先程の桃色のジャンパーを着た、主任と呼ばれた女性の指示に従っておらず、勝手な行動をしているらしい。



「ええ?」



 スズは一瞬だけ、たかのような彼女の瞳ににらまれると、もろ手を慌てて口元に当てた。



「あ、ごめん……頭痛するんだよね? 大声出してごめんね。カエデさん」



 そして、スズは、罰が悪いように唇を引き締めると、カエデに黙って着いていった。

 白衣姿の女性は、携帯電話を白衣から取り出すと片耳に当てた。だが、彼女は、空いている片手を伸ばす。



「あっ、待ってよ。カエデさん、スズさん!」



 それには、カエデが、彼女に答える。



「ごめんなさい、サクラ」



「いや、ごめんとかじゃなくて!」



 二人で走り始めたとき、カエデは、スズをちらりと見た。



「走れる? スズ?」



 スズは切れ切れの息の間に、うなずいた。そして、スズが、カエデに呼ばれたサクラを首を回して見ると、彼女はどこかに電話をしているようだった。あの青年に、連絡をとるつもりだろうか。



 カエデは先頭になり、スズを誘導しているが、その脚力きゃくりょくがスズよりも早いのだ。



「うん。私は大丈夫。カエデさんは?」



「まだふらつくけど、平気よ」



 すでに前を向いた彼女の瞳は、濃紺色のウーゼに定められていた。



「ねえ、さっきのサクラさんと知り合いなの? 名前呼んでたよね?」



 スズの予想に反して、カエデは二重の瞳を大きく見開かせた。



「え? 本当?」



「うん。本当。サクラ、って呼んでた」



「そうね。私、彼女にお世話になってるわ。あなたもこれからは、たくさん彼女とお話しする機会があるかもしれないわね」



 スズは、唾を飲んだ。

 自分に、これから、という言葉が、似つかわしくなかったからだ。





 二人が勝手に5号機に乗り込み、地上に出撃する。

 しかし、その5号機は動かなかった。

 カエデが開いているプログのハッチから立ち上がり、勾配差があるプログの頂点に、左足を重心にして、歩く足を止める。



 彼女がそこから見下ろすように見ている人物が、軽やかに手を振った。



「ダメだよ。無理しちゃ。カエデさん」



 アオだ。彼は、黄色いウインドブレーカーのポケットに手を入れている。そして、にこやかに笑っている。

 カエデは、そうね、とうなずき、彼を見下ろすしたまま、話を続ける。



「あなたの言うことも一理あるわ。でもだからって、5号機を行動不能におちいらせないでくれるかしら?」



「ああ……ごめん。まあ、昔みたいに粉々にするよりはマシでしょ? こうして、力制御できてるんだし」



 彼女は、金属音を鳴らし、ケージに舞い降りる。

 アオは、ケージに降りたカエデを見ている。彼は、ケージの手すりに黄色いウインドブレーカーの袖を縛りつけた。

 上着を脱いだのは動きやすさを重視したこともあるが、ケージの手すりに縛り付けたのは、5号機が起動したとき、風圧で吹き飛ばされないようにするためだ。



「でも、君は、その力を僕に使おうっていうんだ? 復讐のための相手ではなく。それって筋違いじゃない?」



 アオはケージの手すりに、もろ手を後ろ手にされ、縛られる。黒い紐状のものは、影——カエデの能力だ。



「残念だよ、カエデさん」



 カエデにはその影が彼を縛った途端、霧散したように見えた。



「僕を縛りたいなら、室長のあの手錠がなきゃ」



 アオは痛そうに、手首を振る。



「それに乗るなら、スズを降ろしてくれないかな? あとさ、影がないと無理そうだよね? この能力?」



「いいえ」



 カエデはアオから離れて、手すりに背をつけるが、カエデに似ている少女はアオの手首をつかんでいた。

 そのカエデに似た少女を見つめるアオは、不敵に笑う。



「お出ましか。僕と会ったことあったかな? 〝カオル〟? その手を離してよ。痛いから」



 カオルは、カエデと同じ、凛とした声を発する。



「カエデを、彼女を傷つけないと約束して」



「うん。わかってるよ、彼女を傷つけない」



「傷つけたら、ワタシ……あなたを突き落とすわよ。深淵しんえんに」



 カオルは、紫色の瞳を細めた。カエデとは違い、彼女は紫色の瞳が特徴だ。

 紺色セーラー服の彼女は、厚さの薄い唇だけを動かす。



「ねえ? 何かあった?」



 スズが、彼女たちにプログから呼びかけると、アオは誰かを探すように、ケージに視線を見回していた。



「何かあった?」



「いや…………ないよ」



 いつの間にか、カオルはいなくなっていた。スズがプログから呼びかける前に霧となって消えたのだ。

 カエデは、はあ、と息を吐き、ケージの手すり付近に座り込んだ。カオルとの接続は彼女を疲弊させるらしい。



 その瞬間、ドゴンッ、と、大きな縦揺れが起こった。



 5号機のディスプレイに、エンジェルの姿が映る。彼女の周りの、アスファルト舗装道路が放射線状にひび割れていた。

 スズは、プログから身を出して叫ぶ。



「ねえ! 大変だよ!」



 そのとき、妙齢の女性の声が、ディスプレイを通して聞こえる。スズにとってその女性の声は、彼女が従わなければならない、命令のような声に聞こえた。



『5号機パイロットはそのまま待機、2号機パイロットは、今すぐ5号機に搭乗して』



 カエデは唾を飲んでから、その声に答える。



「了解」



 外界から金属音が聞こえると、アオがプログのハッチのへりに手をかけて、中に叫ぶ。



「アカネ! 彼女は……」



『一色パイロットは待機。後の護送ヘリに搭乗して』



「は……? 何か言ってるのさ?」



『そんなに彼女が心配なら、彼女をあとででも迎えにでも行けば?』



 そのあとの5号機のディスプレイは、すぐに不通音になった。

 スズは、女性の突き放したような言い方に、唖然あぜんとしているだけだった。



「ええ……もしかして、苦手なのかな? アオくんのこと」



「苦手どころじゃないよ、スズ。彼女はユキさんを嫌いなのさ。だから、同じ穴のむじなの僕ことも嫌い——面倒くさいね。人間は」



 そこに、カエデが、慣れた様子でプログに潜り込んできた。

 その代わりというように、アオは手を振って去っていく。



「じゃあね、スズ」



「あっ、待って……」



 スズがカエデを横目にアオの姿を追うと、アオは慣れた様子で5号機から降りていくところだった。

 そして、アオはまた手を振る。スズも彼に手を振り返したが、その顔は曇っていた。

 カエデは終始無言で、スズが横目で彼女を見ても、彼女からの反応は何もなかった。



「ねえ、あの人って、アオくんのこと苦手なの?」



 カエデは、スズを横目に、ディスプレイを左手で操作している。



「はっきり言うと、二番目に嫌いよ」



 いったん、カエデは、ディスプレイ操作の手を置くと、顎に左手の曲げた人差し指の節を添える。



「むしろ、手駒てごまになりそうなのに……」



「え? 手駒? ひどくない?」



 カエデは首を振って、凛とした声で答える。



「いいえ。私たちは過去にそのくらいのことをしたのよ。自分の片は自分でつけないと……」



 カエデは、厚さの薄い唇を真一文字に引き結ぶ。



「示しがつかないわ。私自身にもね」



 カエデに言われたスズは、ぼんやり考えていた。



(この子以外に示しがつかない人がほかにもいるのかな? まさか、私? いやいや、そんなわけないよね……)

 



 5号機が再び地上に出ると、エンジェルは、手を銃の形にし、その照準を5号機に定めていた。

 高い金属音が鳴り響いたあと、エンジェルのビームの攻撃が繰り出される。だが、5号機の目の前に、再び透明な壁のようなものが張り出される。

 カエデは、心配そうにスズを見る。



「あなた、怪我は?」



「うん……私は大丈夫。でも、カエデさんは? つらくない? やっぱり、戻ったほうがいいんじゃない?」



「でも、放ってはおけないわ」



 その黒い瞳は、スズを凝視している。

 エンジェルは、またため息混じりの声で答えた。



「だから人間は嫌いなのよ。おとなしく黙って殺されればいいのに」



 エンジェルは、紺色のスカートに手を入れたまま、動かずにいる。

 カエデは、エンジェルの独り言に答えずに眉をひそめた。

 エンジェルは、ある一点を人差し指でさすようにすると、5号機が、とてつもない轟音ともにビームの攻撃を浴びる。

 ウーゼ開発研究主任が、パーソナルコンピュータの画面を見つめながら答えると、その声は、5号機のコックピットに響いた。



『5号機、腹部ふくぶに損傷! 損傷は、六十五パーセントです!』



 スズは、眉をしかめ、感じたことのない痛みに体を前屈かがみにする。



「う——!?」



「きゃあっ!?」



 彼女は、左手で腹部を強く押さえた。



「……ううっ……くっ……」



「いっててて……」



 スズもその痛みに耐えたつかの間、彼女は、自身に湧いた怒りとともに5号機を動かす。



「このっ……!」



 再び、5号機がナイフを手に取り、エンジェルに向かい、突っ込んで行く。

 スズは思わず、身を乗り出した体勢になった。



「ねえ、カエデさん!? 何するの?」



(止めないと! 今、カエデさんは怪我してるのに!)



 すると急に、カエデとスズが乗っている5号機が、グググッ、と、大きく上半身を乗り出し、ズズンッ、と、左手を地面に着きながら右手を伸ばす体勢になる。



「うわあ!?」



 スズは上半身が前に倒れるような格好となったが、混乱しながらも体を起こす。



(う、動いたっ? なんで?)



「どうして? コントロールが上手く動かない……」



 カエデはスズを見上げる。



「あなた、また何かした?」



「な、何かって……カエデさんがさっきから危ないことしようとするから、それを止めようとしただけだよ」



「あっ……」



 カエデは目を見開いた。遠くから、何かがやってくるのだ。

 それは白く光っている。

 スズはまたもや何もわからずに、彼女に問う。



「ねえ。あれ、まずい?」



 カエデは珍しく焦り、叫んだ。



「避けないと……! 間に合わない!」



 エンジェルは、2号機に侮蔑ぶべつを込めて一瞥をしてから、少し眉をひそめる。



「君、諦めが悪いのね? でも残念。これじゃあ、楽しめそうにないわね?」



 エンジェルは、また手を伸ばすと、5号機があっという間にビームで吹き飛ばされる。

 スズはとっさにまぶたを閉じた。だが、彼女は強烈な揺れと、後ろに転がる衝撃をもろに受け、叫んでいた。



「うわあっ!?」



 カエデは顔をゆがめて、痛みに耐える。



「ゔ……くっ……」



 5号機は、兵装ビルに背中から勢いよく倒れると、そのビルは、南東に二十メートルも大きく移動した。

 だが、カエデは深呼吸をすると、ナイフの刃にプロテクトをまとわせる。

 プログの電子時刻が一分を過ぎ、電子時刻を表示しているディスプレイも長い警告音をたてた。



 5号機は、エンジェルに突撃して行くが、しかし、プロテクトをまとわせて突き出したナイフは急に止まる。

 高い金属音とともに、5号機の目の前に透明な壁が現れ、スズは、思わず目を見開いて驚いた。



「な!? これって……さっきの壁?」

「ん……」



 カエデは首肯する。すると、彼女はまた、さらに前に身を乗り出した。



「ぐっ……このっ!!」



 スズもカエデにならい、両手で、目の前にあった操縦桿みたいなものをつかみながら必死になる。彼女は、自分の代わりに戦ってくれているカエデの助けになりたかったのだ。

 5号機がナイフで壁を破壊しようと試みると、エンジェルのプロテクトを割る。

 それは、ガラスが割れるような音から、ビニール袋を破るような音に変化した。

 再び、足元から黒い影がエンジェルに襲いかかる。

 スズはカエデに勢いよく、顔を向ける。



「何これ!? また、影?」



 カエデは狩りをする獣のように、一重の黒い瞳をエンジェルに定め続けていた。



「黙って、影に飲み込まれなさい!」



 エンジェルは自身を護っていたプロテクトが割れると、濃紺色の巨躯が現れたことを、当然とばかりに、恐怖を感じないような視線を向ける。



「何。割れたのね……」



 それはむしろ、冷ややかな目でもあった。

 スズは、エンジェルのプロテクトが割れたことに安堵して、少し気が楽になる。



(よし!)



「このまま——」



 だが、エンジェルが、5号機の頭をガシッ、と、強くつかむ仕草をする。

 スズはその光景にただ圧倒され、目を丸くする。



「えっ?」



 エンジェルは片手を銃の形にして、その照準を5号機の頭部へと定める。

 再び、凛とした叫び声が、5号機のコックピットに響く。

 カエデだ。



「離しなさいッ!」



 同じく、上からナイフが振り下ろされるが、右腕を失ったエンジェルは、5号機をつかんでいた左手を、そのまま照準を合わせる。

 スズとカエデの二人は、目の前がまばゆい光で包まれ、ハッと気がついたが、逃げることもできなかった。

 5号機の頭部装甲とうぶそうこうに、亀裂が入る。

 カエデは、声にならない声とともに、ひどく痛むひたいを左手で強く押さえた。

 エンジェルの凄まじいビームの攻撃が、5号機の頭部に繰り出される。

 頭部装甲が、ビシシッ、と、轟音をたてて壊されていく。

 すると、そこから、赤い体液が勢いよく流出する。





 指令室では警報が、ビィー、ビィー、と、けたたましく鳴らされ、オペレーターが慌ただしく、パイロットの報告を伝達する。



『5号機、頭蓋前部ずがいぜんぶの損傷、八十パーセント!』



 サクラが、ハルトに報告を続ける。



「もうこれ以上は、パイロットが危険です」



 ハルトが、指令室一同に指示を出す。



「パイロット保護を優先! アンチシステムの発動を急げ!」



 ウーゼ開発研究主任はすぐに承諾するが、すぐに報告を続ける。



『5号機内に、再び、巨大な熱エネルギー反応を感知!』



 すぐに、フェイトの無機質な合成音声が館内中に告げる。



真白ましろユキの所在不明。捕捉不可能。繰り返す。真白ユキの所在——』



 職員全員は、その館内放送に耳を疑った。

 アカネは独り言をつぶやいた。



「そう……出てきたのね。サクラ、5号機内の反応を確認して」



 サクラのパーソナルコンピュータには、各パイロットのマークが表示されている。第四長野都市周辺の地図とともに、パイロットたちは赤い小さな丸でマークされているのだ。

 橘スズと久遠カエデは5号機内にいるとメインディスプレイが告げているが、またもうひとつ、別な反応がある。

 地図には、『真白ユキ』と表示されていた。



「あっ……彼女は、地下の〝クロス〟に隔離かくりされているはずですよね? なぜ裏口に?」



 サクラは、信じられないという風に左手を顎に当てる。彼女は、すぐに原因と思われる考えに思い当たった。



「まさか」



 すぐさま、女性オペレーターが、うなずいて答える。



『はい。現時点での破壊再生の可能性は、とても高いと思われます。Nコードは現在も、いまだ異常なし。

 また、ウーゼ5号機に搭乗しているパイロットの、適合率の高さからみても、可能性が大いにあります』



 そのとき、女性オペレーターが、何かの発動の報告をする。



『アンチシステム、発動しました!』



 システムは二種類ある。

 アンチシステムは、ウーゼの起動を指令室から制御する基幹システムの役割となっている。

 緊急停止システムは、ウーゼの起動を完全停止させるもので、たとえ、パイロット側に動かす思考があったとしても、ウーゼが起動できないシステムだ。

 そして、再び、女性オペレーターが報告を続ける。



『プログの強制射出を開始します!』



 だが、それは、アカネによって止められる。



「いえ、やめなさい」



『え? ですが……!』



 彼女が反論しようとしたとき、サクラが、アカネに進言をする。



「5号機パイロットは、腹部と頭蓋骨の損傷が激しく、すぐに治療をしないと危険な状態です」



「では、インサートスーツの生命維持モードを発動して」



「はい」



 サクラはうなずいたが、すぐに報告を続ける。



「インサートスーツの表示が、5号機パイロットではありません。表示が識別不能です」



「それは放っておいて。現時点では別問題よ」



 アカネは、何を思っているかわからない、茶色の艶のある瞳でウーゼ開発研究主任に言う。



「林主任。もし、パイロットが存在しないと、ウーゼはどうなるの?」



 彼女は少し唇を結び、メインディスプレイを見つめた。

 一方、アカネは、けたたましく鳴らされる指令室の警報を聞きながら、主任の背を見る。



「そう。だから今、彼女を出すわけにはいかないの。それに今、5号機のプログの強制解除は不可能よ」



 彼女は納得できないと思いながらも、これ以上、何も反論しないことにした。



『はい。プログの強制射出を解除します』





 カエデは苦しそうに、両手で額を押さえていた。

 5号機の電力が急に落ち始め、キュウウウンッ、と、コックピットが薄暗くなり、すぐに、ヴヴンッ、と、コックピットを鈍い音が包み込んだ。



 5号機は、ナイフをエンジェルに振り下ろすが、右腕をつかまれ、折られる。

 スズは反射的に叫ぶと、カエデの代わりに操縦桿をつかんだ。



「ダメッ! カエデはやらせないんだから!! 早く、パイロットを〈変更〉してよ!」



 スズは再び出現したディスプレイに向かって叫ぶと、迷わず〈変更〉のボタンを押そうとしたが、自動的に切り替わった。彼女は振り上げかけた握り拳を、すんでのところで止めると、目と口を開いた。



「えっ?」



『行けるのか?』



 ディスプレイの〈VOICEボイスONLYオンリー〉からは、青年の声が聞こえた。先程、室長と呼ばれていた青年だ。

 スズは彼に噛みつくように、尋ねた。



「これ、私がやるしかないよね?」



 室長も、スズの心意気同意したようで、首肯する。



『わかった。バックアップは任せてくれ』



「助かる! ていうか、武器どこ!?」



『腰の辺りに、何かないか?』



 スズは、自身の左手を腰の辺りに当てる。すると、何か硬いものに、触れたような感覚がした。

 きっと、ナイフの装備らしいものだ。



「これだよね? あったよ!」



 5号機は残った左手で新しいナイフを装備し、横殴りに刺そうとする。



「当たれ!」



 エンジェルのプロテクトを、それは破壊したが、エンジェルの上半身が分かれる前に、エンジェルの左腕に止められ、ナイフの切っ先を変えられた。

 そのとき、大きく上にそれたナイフの隙間から、5号機の左腕も吹き飛ばされる寸前、5号機は兵装ビルに蹴りを食らわせた。

 しかし、五メートルほどある、ミサイルが弾倉だんそうから崩れ落ち、連鎖爆発を起こすか、エンジェルに向かい、あえなく誤爆するだけだった。

 スズが操縦している5号機は、逆にエンジェルを吹き飛ばしてやるが、コックピットがまた薄暗くなるだけだった。



「また切れたの!?」



 どうやら、この5号機を操縦するためには、電力が必要らしいが、それが途切れたらしい。

 スズは、深呼吸を繰り返した。



「……こうなったら、徹底的にやるしかないよね?」



 彼女は、今までの自分の人生で感じたことのない、奇妙な高揚感に包まれていた。



 5号機のバイザーが、ヴヴンッ、と、起動音とともに開く。

 黒の双眼が鋭く光り、肉食獣のように口を大きく開いた。

 バギィッ、と、金属片が外れる。



——ヴオォオオオオッ!!



 5号機は、エンジェルに凄まじい突撃を開始する。それと同時に、背後の空から、巨大な灰色の扉がおごそかに開いた。





 女性オペレーターが、スピーカーから引き続き報告を続ける。



『ウーゼ5号機、再起動』



 続けざまに、彼女からも報告が入る。



「それに、あの謎の扉も姿を現しました、室長。腹部の損傷、頭蓋骨の亀裂もひどい状態です。このままだと、2号機、および5号機パイロットは……」



「呼びかけられるか?」



 だが、サクラは、頭を左右に振った。



「ダメです、室長。パイロット側から信号が拒絶されています。先程、連絡できたのですが……」



 メインディスプレイと彼女のパーソナルコンピュータには、〈2号機パイロット・久遠カエデおよび、5号機パイロット・橘スズと連絡不能〉というディスプレイが次々に開かれる。



 サクラは少し唇を噛む。



「それに、パイロットは、まだ生死不明の状態です。応答できるかどうか……」



 いまだにスズのパルスは、一定の音をたてて反応をしない。ハルトは唇を噛みしめ、思考をめぐらせる。



「——もう一度、アンチシステムの接続をしろ! それと、緊急停止システムを作動!」



 だが、そのあとすぐに、サクラが驚いた。



「——え!?」



 彼女のパーソナルコンピュータから、再び、ピピ——ッ、と、凄まじい音が鳴り響く。

 パーソナルコンピュータには、各パイロットのパルスの横に、ウーゼとの同調を可視化できる、適合率などのパイロット全般に関わる表示がされている。

 彼女はハルトに向かって言う。



「適合率、六十五・二パーセントです!」



「どういうことだ!? まさか、フェイトの異常か?」



 サクラはフェイトのコードソースにたどり着き、キーボードでコードを打ち込むが、何も異常はないと液晶画面に表示されるばかりだった。



「い、いえ。誤差は範囲内で、フェイトにも異常はみられません!」



 ハルトは素早い対応で指示を出し、最後は怒鳴り声に変化した。



「5号機パイロットとウーゼの接続を切れ! 早く!」





 5号機のナイフの攻撃は、プロテクトによって防がれる。

 エンジェルは不敵に微笑むと、5号機に手を伸ばす。



「やはり愚かね? 効かないってわかってるのに」



 だが、その攻撃が5号機のプロテクトで防がれようとしたそのとき、ガラスが割れたような音が響き、ビームが5号機の首をめがけて一直線に向かってくる。

 5号機が手を伸ばすと、再び割られたプロテクトが張られた。

 その跳ね返った攻撃が、次々と街を破壊する。

 火柱がビル街を包みこみ、5号機の手がエンジェルを強くつかむと、エンジェルはコアごと破壊され、霧となって消失した。



 指令室一同は、メインディスプレイを見つめていたが、5号機がエンジェルをせん滅させたとわかると、各々《おのおの》、深い安堵のため息をつく。

 だが、ハルトは、顎に手を当てていた。

 そんな中、アカネだけは、艶のある茶色い瞳で、メインディスプレイを凝視していた。



「あれは、おとりよ。でも、来るわ」



 ハルトが驚きながら、アカネに聞く。



「来るって——司令? まさか、リリムですか? ですが、また、彼女が出てくることは——」



 アカネは、そのリリムに対して、侮蔑を込めた。



「すぐにわかるわ」



 ハルトは、唇を真一文字に引き結ぶ。



「それは……」



 メインディスプレイから、凄まじい警告音が響き渡ると、ハルトは素早く指示を出した。



「5号機パイロットに麻酔薬の投与を開始!」



 サクラが反応をする。



「は、はい」





 先程のエンジェルは、沈黙したかに思えたが、再び、5号機の首をめがけてビームを繰り出そうとする。

 エンジェルは戦いの最中で勝利を確信していた。しかし、彼女は、思わぬ所から何かを感じ取った。何かはわからないが、とても脅威きょうい的な感情だった。



 一方、指令室のメインディスプレイでは、真白ユキを捕捉していた。

 ハルトが、そのディスプレイのある一点に指をさす。



「いた。あそこだ。裏口にいるぞ」



 白髪を持つ彼女がいる場所は、支部の裏口だ。彼女は、憂うような表情で、支部の壁に手をつけている。

 彼女は、我が子を見る母のように、5号機の中にいる二人に何か声をかけたようだが、その顔は無表情のままだった。

 ユキを、メインディスプレイと、オペレーターのパーソナルコンピュータに映し出した途端、彼女が何かを話した。

 ハルトは、そのオペレーターに向かって問いかける。



「今、0号機パイロットが何か言ったか?」



 しかし、若い女性オペレーターは、声で否定した。



『いえ。わかりません……』



 そして、ユキは、罪人を無言で見下ろすように、厳しい目つきをエンジェルに流す。

 次に発せられたユキの声は、平常の優しい声ではなく、冷静な声だった。



『消えなさい。愚かな神の子よ。あなたに原罪を』



 指令室にいたハルトは、すぐにユキの能力だと察すると、エンジェルと5号機のあいだを、十メートルの金属の壁でへだてた。



 空が一瞬、キラッとまたたいて光る。

 エンジェルは振り返ったが、プロテクトを自分の体にまとうにも遅かった。

 ヒュウッ、と、巨大な螺旋状の赤い槍が、エンジェルに向かって降ってきた。5号機が咆哮したあのとき、背後の空の、巨大な灰色の扉から出現したのだ。

 ユキの〝原罪の力〟の赤い槍によって、エンジェルはコアが破壊されると、白い十字架となって沈黙をした。



 突風と爆発音が、諏訪市の街中を襲う。



 指令室のメインディスプレイが砂嵐で見えなくなり、ハルトの発言は、他のオペレーターよってやむなく中断をさせられた。



 薄暗い5号機のコックピットでも、オペレーターの報告が聞こえていた。

 若い女性オペレーターが報告する。



『通信、途絶えました。約六十秒後には回復』



『麻酔薬の投与は続行不可能。投与を中断します』



 続けて、ウーゼ開発研究主任の声が、ディスプレイから聞こえる。



『5号機の回収を開始』



 ユキは5号機にいとも簡単にのぼる。

 彼女が思考をすると、ガゴンッ、と、プログが後方へと稼働されて勝手に射出をされる。



「また会えた……スズ」



 そして、彼女は、コックピットをよく観察した。

 スズを見ると、彼女は体をコックピットに深くもたれこんで、まぶたを閉じていた。

 その中には、黒髪の少女が意識を失い、ぐったりと体をもたれていた。



「カエデ。あなたも、スズを護ってくれたのね」



 ユキは、ぐったりとしたスズを背負い、カエデの腕を自分の肩に回した。彼女は少女たちを背負い、または肩を組んだまま、少し急ぎ足になる。

 二人分の人間の重さなので、彼女は、急ぎ足といっても、途中で下手をすれば、転びそうになるくらいだった。

 バシュウウッ、と、開かれたプログのハッチから、なびいている自身の白髪を気にも止めずに、ユキはプログの外へと立ち上がった。

 ユキが頭上の音に気づいて上空を見上げると、支部の護送ヘリコプターがそこに来ていた。

 だが、彼女は思考で、誰かに呼ばれた気がした。

 その誰かの声は、そよ風のようにふわっと優しい穏やかな声だった。



『ユキ』



 ユキは、ふっと首だけで後ろを見るが、その視線の先には誰もいなかった。



「……」



(今の声、ナギサなの?)



「ああ……」



 ユキは5号機を見る。

 だが、5号機は腹部に大きな穴が開き、頭部にも損傷を負っていた。

 ユキは、呆れと冷静な怒気どきを込めて、口の中でつぶやく。



「エンジェル……5号機に破壊再生を起こさせた。私なら——私は、そんなことさせない」



 だが、そのあとは、寂しげな表情をする。

 その声には、いつもの冷静さに加えて、独りにされたような寂しさもあった。



「でも……一番愚かなのは、この〝原罪げんざいちから〟を使った私……」



 だが、ユキは、いつもより穏やかに語りかけるような口調で、どこかを見つめた。



「この力は、世界を滅ぼした危険な力なのに……」



 ユキは唇を噛む。



「カエデの力もそう」



 ユキは、ため息をつきそうな瞳で、疲れ果てたカエデを見た。



(彼女は私のせいで、エンジェルと融合してしまった。体はカエデなのに、その力は、カエデじゃない)



 ヘリコプターから、少年が降りてきた。それはハルトではなく、アオだった。



「なんで、あの力なんか使っちゃったのさ?」



 彼が肩をすくめると、ユキは一言答えた。



「スズとカエデが危険だから」



 アオは、赤色が混じった黒い瞳を見開くが、そのあとは笑った。



「そうだね。君はそういう性格だったよ。帰ろうか。みんなが待ってる」



 アオは、ユキに手を差し伸べる。ユキにはまるで、ダンスを申し込むように見えた。



「……私と踊ったことある?」



 アオは、ん? と、首をかしげたが、彼女の言葉の意味に気がつくと、今度は、ふっと笑う。



「今度踊ろうか? 楽しいよ」



 彼女の素足すあしが、冷たいヘリコプターのふちに降り立った。

 アオはそれに密かに眉をひそめるが、ユキはそれに気づかずに淡々と答える。



「誘ってくれてありがとう。今度ね」



「はだしって……冷たくないかい?」



 彼女はストンと座席に座ると、シートベルトを締めた。



「ちょっとだけだから、平気」



「怪我は? ガラスとか踏んでない?」



 ユキは両足をそろえてから膝頭ひざがしらを右に傾けて、ちらっとはだしを見る。特に、怪我も何もしていないように見えた。



「ううん、平気」



「そう……よかった。ユキさんに怪我がなくて」



 アオは安堵していたが、へなへなと力なく、うなだれた。



「僕、これから、室長たちに叱られなきゃならないの、すごく憂鬱ゆううつなんだよな……」



「大丈夫」



 アオは抱えていた頭を離すと、妙に輝いたような瞳で、白いワンピース姿の彼女を見る。今の彼女の言葉で、もしかしたら自分は怒られないかも、という期待感も混じっていたからだろうか。



「え?」



 ユキはサムズアップをしていた。



「大丈夫。私も一緒」



 ユキは真面目な顔だが、その顔と手の動きが、アオの中でぴったり一致しないらしい。だから、彼は、顔をほころばせた。



「なんだ。てっきり怒られないと思ったのに……ユキさんも一緒か」



「うん。無断で〝クロス〟を抜け出したから、私も一緒に怒られる」



 アオはまた力が抜けたようにへなへなとなったが、そのまま笑った。いつものにこやかな笑いとは違う、少年らしい笑った顔だった。







 支部の一同は、5号機のディスプレイから聞こえた声に、ざわつき、顔を見合わせたりしている。

 アカネは、少し彼女を嘲笑ちょうしょうしながら、メインディスプレイをじっと凝視する。

 若干、困惑した表情のハルトは、ため息をつき、独り言をつぶやく。



「というか、無理し過ぎだよな。あいつ」



 サクラが目を釘付けにする視線の先には、ディスプレイが映る。



「今の声は……」



 アカネは、納得しながら言う。



「やはり、彼女ね」



 サクラも、はい、と賛同した。

 しかし、何かに気づいた彼女は、誰にでもなく驚きながら、続けて問いかける。



「ということは、先程の5号機の再起動はどういうことですか? しかし、アンチシステムは正常に発動をしていました。ですよね? 室長?」



「そうだな。しかし、あれは……」



 だが、思考を巡らせていたハルトが、続けざまに答える。



「エネルギー切れからの再起動、プロテクトの攻撃……あれは、破壊再生だ」



「ですが、あんな戦い方は……」



 その後方から、アカネの声が響く。



「可能よ」



 その場にいた一同、特にハルトは、眉をひそめながら、後ろで腕を組んでいるアカネに問いただす。

 ハルトは、アカネをあまり信用してはいなかった。



「それは、橘スズ——」



 口を開いたが、ハルトはすぐに言い直した。



「いえ、5号機パイロットと関係があるのですか? 汐波司令」



 指令室では、砂嵐になったメインディスプレイを見続けていたオペレーターが、報告をする。



『メインディスプレイ、回復します』



 画面には、後方に白き十字架がそびえ立ち、前方には大破した2号機と5号機が映っていた。

 ウーゼ開発研究主任が、報告をする。



『誰かが、5号機のプログから出てきます! あ……!』



 白いワンピース姿の少女が制服姿の人間を背負い、暗灰色のインサートスーツ姿の人間と肩を組ながら、5号機のプログから出てくる映像が、メインディスプレイに流れる。

 アカネがつぶやく。



「やはり、彼女だったのね」



 目を細めたアカネは、メインディスプレイを見据えたまま、一同に指示をする。



「怪我人の保護を最優先に。ユキは病院での検査ののち、〝クロス〟へと隔離して」



 司令の指示に続いて、室長も指示を飛ばす。



「林主任。少し所用がある。あと頼んだ」



 サクラは、ハルトのことを心配する。室長が指令室を離れることはあるのだが、きっとユキと接触をするのだろう、と考えたからだ。



「はい、了解しました。室長。気をつけてください」



 サクラは、引き続き、メインディスプレイを見ていた。

 熱エネルギー反応は、フェイトによって、第四長野都市の周辺地図とともに、小さな赤い丸が動くように自動操作をされる。

 今のスズとユキとカエデの三人は、微妙に重なり合っていて、少しわかりづらい。

 その三人は5号機の付近にいるらしく、そこに、小さな赤い丸があった。



「何も熱エネルギー反応の増加もない……住居指定区域にも、異常はないみたい」



 今は避難をしている住民が住む、住居指定区域は、都市部中心から離れた地下にある。

 その地上には、おとりのミサイルなどを発射する武装ビルや、ウーゼを射出させるためのビルに偽装をしている射出ポイントルートが、いくつも取り囲んでいる。



「さっき、カエデさんが拒絶反応を起こしたとき——熱エネルギー反応が三になった」



 カタタッ、と、サクラはパーソナルコンピュータのキーボードを叩いて、データベースを画面に映し出す。

 確かに、カエデの心理パルスが不安定なときに、熱エネルギー反応が増えているみたいだった。

 サクラは、またキーボードを叩くが、そこには何もなかった。



「そのときのプログの映像は?」



 多分データはない、と言いたげに、サクラは首を小さく振る。

 それから、彼女は顔を上げた。



「……誰か、5号機プログの映像を、メインディスプレイに出せますか?」



 若い男性オペレーターが、すぐさま応じた。



『了解』



 オペレーターは、キーボードを叩き、〈ウーゼ5号機・プログ〉を画面に出す。



「ありがとう。……これ——」



 サクラは、身を乗り出しそうになりながら、パーソナルコンピュータの画面を凝視する。

 そこに映ったのは、ユキがカエデに馬乗りになり、ユキが自分の両手を、カエデの頬に当てている映像だった。

 サクラも、その場にいた全員も、その映像から目が離せなかった。







 スズは、ベッドの上で目を覚ます。



「——ここは」



 部屋のカーテンは開けられた窓によって、なびいていた。

 すぐに、スズの記憶は戻ってきた。

 あの黒髪の女の子——カエデが、肩で必死に呼吸をしながら苦しんでいる姿。

 轟音とともに、自分の頭がひどく痛くなったこと。



——そして、あのとき以来、初めて死を感じたこと。



 スズは勢いよく、ベッドから起き上がった。

 どこか遠くに聞こえる午後のニュースが、彼女の耳に徐々(じょじょ)に聞こえ始める。



『先程、日本政府と国連軍との合同会議の結果、第5管区の事件は、爆発事故だと、正式に発表され——』



 ぼんやりと、電光がついていない電灯を、スズはあお向けで見る。



「なんでカエデさんは、あの子に似てたんだろ……」



 スズは、嫌な記憶の一部をふっと思い出すと、背筋がぞわりとした。

 膝を抱え、まぶたをぎゅっと強く閉じ、自分の肩を抱きしめる。

 病室の扉からノックの音が聞こえると、青年の姿と、一瞬だけ長い黒髪を持つ少女の後ろ姿が見えた。



「あっ……」



 スズはベッドから降りると、彼女に駆け寄ろうとしたが、足がもつれた。

 少女はそれに気がつくと、スズに体を向け、手を差し伸べた。



「大丈夫?」



「うん……ありがとう。えっと……」



「久遠カエデよ。よろしく、橘さん」



「やっぱり、久遠さんだ。さっきはありがとう」



「いえ。カエデでいいわ。あなた、私のこと、カエデさんって呼んでたじゃない」



「いや。そんな……」



 スズは胸の前で、もろ手を振った。

 カエデの後ろから来た青年は、スズに心配そうに駆け寄る。



「——って、どうした? なんかあったのか?」



「大丈夫よ。彼女、少しよろめいたみたい」



 彼は安堵の表情を、その顔に浮かべる。



「そうか……よかった。大丈夫か?」



 青年は、カエデに顔を向けた。



「先に戻っていてくれ」



「ええ」



 病室の開き戸が、静かに閉まった。



 スズは、青年が自分の背中に触れた手を認識していたが、振り払うこともできなかった。

 彼女はビクッと、体を震わせると、まだ肺が痛くなるほどに呼吸を繰り返す。

 スズの呼吸がようやく落ち着いた頃、躊躇ちゅうちょしながら彼女の背中をさすっていた青年は問いかけた。



「平気か?」



 スズはうなずいた。

 青年は、スズを覗き込むようにしながら、自己紹介をする。



「俺は山田ハルト。呼び捨てでいい。橘スズだよな。うなずけるか? 無理しなくていい」



「えっと」



(さっきの人? 酸素チューブが——って)



 スズは目をぱちくりさせる。ハルトは安堵していたが、彼は、スズに驚かれたことに不思議に思っていた。



「ん? どうした?」



 スズは首を振り、その問いかけに遠慮がちに返す。



「もしかして、手紙をくれた人ですか?」



 ハルトは口を開き、何かを言おうとしてやめた。

 スズをまっすぐに——だが、なぜだか拳を少し強く握り、悔しそうな悲しそうな表情で彼を見ていた。



(え? どうして、そんな顔……)



 それから、その表情を消すように、彼は、ふっと肩を落とした。



「ああ。でも、なんで、あの場所にいたんだ? 警報が発令されてたのに」



 何か、感情を押し殺してるような声を、彼は出した。

 スズは、斜め下に顔を向ける。



「えっと、なんとなく行かないと、って思ったんです。ここに山田さんに招集されたので」



 スズは、うなじに触れる。



(なんでかわからないけど、あの白い髪の女の子に助けられたな)



 ハルトは、パイプ椅子の影に隠れるようになっていたものを、術衣姿のスズに差し出す。



「あ、そうだ。これ、支部から持ってきた」



 スズは、ハルトに白色の紙袋を手渡される。



「ありがとうございます」



 袋には英語で、NOVA、と書かれていた。



(ん? 何、これ?)



「あの二人は………エンジェルっていう、敵と戦ってるんですか? あれは、人みたいな感じ、だったんですけど……」



 ハルトは、寂しそうな表情をしながら彼に言う。



「なんのために俺たちを襲うか……なぜ襲ってくるのかもわからない」



 スズは不安な表情をしながら、ハルトに言った。



「あの二人の怪我は? 大丈夫なんですか?」



「他の病室にいるよ。とはいっても、一人はそこにいるけどな?」



 ハルトは、顔を後方の扉に向けた。



「そうなんだ。よかった」



 ハルトは、その顔をスズに戻す。



「ノヴァ日本支部って、知っているか?」



「ノヴァ日本支部? 知ってますけど、けとそれが、なんですか?」



 ハルトは、左手の人差し指で紙袋をさす。

 スズはハルトが意味がわからない行為をしたので、少し訝しげに尋ねてしまった。



「あの……これが、何か?」



「ノヴァ日本支部は、エンジェルを倒すためにつくられた組織なんだ」



(ノヴァ。組織の名前だったんだ……)



「じゃあ、さっき助けた二人もなんですか?」



 ハルトはうなずいた。



「ああ。二人も所属してる」


 スズは、唇を噛み締める。



(それって、あの敵と戦うんだよね? こんなこと……できるのかな?)



 彼女の視線は、かけられた布団に落ちていた。



「俺は、おまえらに託したい」



 スズはうつむいた顔を、ハルトに向ける。



(何を……?)



 スズが見たハルトの瞳は、真剣な瞳で自わを見ている。その瞳は先程と同じ、どこか悲しそうに見てとれた。



「俺らと一緒に人類を救ってほしい。人類の未来を……」



 だが、ハルトは、自嘲的に言い直した。



「って、こんなの、すごく勝手だけどな……」



 ハルトは、スズに軽く手を振る。



「じゃあ、ゆっくり休めよ」



 ハルトが病室の扉から出ていくと、彼女は膝を抱える。



「無理だよ。そんなの……」



 スズは、紙袋に入っていた制服のスカートのチャックを閉めながら、先程まで起こっていたことを思い出していた。



(大体、そんなことできないよ……)



 セーラー服の上着を着用したスズは、空の紙袋を机に置いた。それを少し、ぼんやりと眺める。



(ノヴァ、か……。あの子……確か、違う病室にいるって……)



 スズが病室の扉を開け、廊下に出る。

 すると、キャスター付きの移動ベッドに白髪の少女が乗せられて運ばれていく。



「あっ……」



(あの子、誰——?)



 スズはユキを一瞬だけ見ると、彼女の長いまつげに包まれた赤い瞳が——だが、どこか遠くを見ているような瞳が、スズを見つめ返した。

 スズの脳裏に、何か嫌な記憶のノイズが走ったような気がした。

 扉のすぐ近くにいたハルトは、読んでいた文庫本を閉じて彼に尋ねる。



「スズ? 制服似合ってるな」



「あ……ありがとうございます」



 だが、彼女のその顔はあまり嬉しそうではなかった。



「何かあったか?」



「いえ。なんでもないんです。あの、聞いてもいいですか? さっきの、白い髪の女の子のこと……」



 白い髪の女の子、と、言ったとき、スズは目を床に落とした。

 唇を少し結んで噛みしめ、顔をうつむかせる。

 スズの脳裏には、静かだが、異様な気配がある声が回帰かいきされる。



「ねえ、あなた……どうかしたの?」



 窓際のスズとハルトを、夕暮れの陽が柔らかに照らしている。

 スズには一瞬だけ、何も聞こえないように思えた。

 だが、また、せみの声がうるさく、スズの耳に聞こえてきた。



「いえ。やっぱり、なんでもないです」



 否定をしたが、スズは、自分の心臓が嫌に大きな音を鳴らすのを感じた。

 ハルトは、スズに気づかれないように左手の拳を握って離した。







 支部の廊下の壁には、さまざまな施設名の看板が書かれている。

 スズが支部に着いたときには医療班の指示により身ぐるみを剥がされ、薄緑色の術衣の格好かっこうとなった。

 そのまま大量の身体しんたい検査に加えて、いくつかの質問に答えたスズは、ドッと、疲れ果てていた。

 スズは、案内された更衣室で制服に着替え直すと、先を行くハルトに着いていく。



(なんていうか、静かな女の子だったな。さっきの……)



 スズは少しうつむいた。



(あの白い髪の女の子に少し似てたけど、気のせいだよね?)



 ハルトが、スズのほうを振り向く。



「何かあるなら言ってくれ。いつでも相談に乗るよ」



 スズはうなずいた。

 ハルトと話していると、段々と自分のすさんだ心が少しずつ晴れるような気がした。



「あのさ、ハルト。さっきのことなんだけど……」



 スズは当初、ハルトが言っていたように、彼を呼び捨てで呼ぶことにした。彼の許可を取って、敬語も外すようにしたが、しかし、スズのほうが、彼よりも年下だ。



「まあ、言いたくなったら言えばいいんじゃないか?」



 スズはまたうなずき、唇を少し噛みしめる。



「うん……わかった」



 ハルトは、前方に扉が見えてくると話を切り替えた。



「ここが、射出ターミナル。今から、この奥のケージに向かう」



 スズが作業の声に見上げると、渡り廊下に作業中の職員がいた。

 ハルトもケージを見上げながら、彼女に説明を続ける。



「ここからウーゼが射出される。場所は決まってないから、専用のルートを使ってルート変更もできるんだ」



(作業している人もたくさんいるなあ……)



 スズは作業員よりも巨大な、灰色と黒色の人型のものを見上げる。

 腹部には、まだ巨大な穴が空いているようだったが、巨大な包帯で応急処置をされ、今から、灰色の板状のものが腹部に付けられるようだ。



(あ、あれも、さっきのと同じなのかな?)



 スズはその人型が遠くて見えづらかったので、少し目をこらした。



(灰色と、黒色が混ざってる? ホントにここって組織なんだ……)



 スズの目の前のハルトは、受付の女性に話しかける。



「林主任はいるのか?」



 彼女は気がつくと、パーソナルコンピュータの記録をさらい、出入りの確認をする。



「はい。林主任ですか? 五時間前から、2号機と5号機の修復作業に入っていますが——」



 彼女は、ハルトからパーソナルコンピュータにまた目線を戻しかけた。

 だが、ハルトの後ろにいるスズに気づくと、目の前のワーキングチェアから彼女が立ち上がり、微笑んでお辞儀をした。



「お話はうかがっています。これから、よろしくお願いしますね」



 スズは少し緊張していた。



「あ、はい。よろしくお願いします」



 彼女はハルトに話しかける。



「ところで、ケージは案内できますが、林主任はまだ取り込み中なので、もう少し待っていただかないと……それで、室長は何をなさろうとしていたんですか?」



 スズは彼女の発言に、少しだけ首をかしげた。



(ん? 室長?)



 ハルトは特段それを気にもしない風で、彼女に応えている。



「5号機の修復作業中のところをすまないが、見せてくれないか」



 受付担当の女性職員はケージを振り返り、まだ作業をしている職員たちを見る。かすかに、物資や工具を求める作業員の声も聞こえる。



「ですが、林主任は、5号機の頭部、腹部、右腕うわんの修復作業に追われています」



 ハルトは、少し唇を引き締める。



「無理を言ってるのはわかってる」



 スズをちらりと見て、また彼女に顔を戻す。



「見せてほしいんだ」



 彼女は少し考えていたようだったが、何かを決めたようだった。



「わかりました。着いてきてください。では、こちらへ」



「あー、待って待って。ダメじゃない? 特に室長は、ウーゼに近づいちゃダメ——そうでしょ?」



 微笑むアオは、黄色いウインドブレーカーを羽織っている。



「それに、僕も興味あるね。その5号機」



 そして、また彼は笑った。






 スズを含めた三人は、その女性職員に着いていく。



 ハルトはアオの言うとおり、ケージには事情があって行けないらしい。



 案内を終えた女性職員は、スズとアオに一礼すると、仕事に戻っていった。

 すると、濃紺色の人型のものは、ケージに固定されていた。〝それ〟は、酸素ガスで上半身がミストされているらしい。

 スズはそれを見上げながら、ふと問いかける。



「あれって、ロボット?」



 スズの問いかけに、アオはうなずく。



「広く言えばそうだね」



 スズは驚いていた。しかし、彼女はケージで作業する人影に気づくと、指さす。



「ねえ、アオくん。あの人は?」



 どうやら、その小柄な人影は、安全ヘルメットを頭に被る、薄い桃色の人間だった。



「あの人は林サクラ主任。このロボットーーウーゼの開発や研究をする部署の主任なんだ」



 アオは、その人影に向かって呼びかける。



「主任。紹介したい方がいるから、降りてきてくれないかい? きっと、気にいるよ?」



 スズたちの耳に聞こえてきたのは、女性の声だ。



「はいはい! 今行きまーす!」



 明るい声の彼女は、薄い桃色の姿のまま、鉄で造られた階段を金属音を鳴らして、カンコンと足音をたてて降りてくる。

 女性は顎に通していた、安全ヘルメットのベルトを外し、安全ヘルメットを後頭部にずらす。

 スズが薄桃色だと思っていたものは、桜色のジャンパーで、彼女は紺色の、上下着脱可能なつなぎ服の上に着ていた。



 スズはちょっと驚いた。彼女が茶髪だったこともあるが、彼女の顔を見たことがある気がしたのだ。



 サクラはとびっきりの笑顔で、特別仕様の機械メンテナンス手袋を外すと、つなぎ服のポケットにそれを突っ込む。その特別仕様の手袋は、桃色と黒色がバランスよく混じっていた。



「わあ、スズちゃんだ! 初めましてじゃないね、お久しぶりです。橘さん。林サクラです」



「え、ああ、お久しぶりです、林さん。さっきも会いましたよね? なんとなく覚えています」



「ホント? 私、橘さんと昔会ったことあるんだよ。赤ちゃんのときのスズちゃんもかわいかったけど、今も美人さんだね」



 スズは、はにかむ。



「あ、ありがとうございます」



 そして、彼女は、目の前の濃紺色のロボットを見て、嬉しそうにする。



「すごい。これが、さっき、私を助けてくれたロボット……」



 スズの脳裏に、警告する叫び声が、何かが獣のように凄まじく本能に従っているさまの雄叫びが思い出された。

 彼女は甲高い耳鳴りに、思わず耳をふさぐ。

 サクラは、スズの異変に気がついたのか心配をする。



「スズちゃん、大丈夫?」



 その心配をするサクラの声は、今のスズには少し遠くに聞こえた。



「いつか、再び、私はスズに会う」



 スズがおぼえていた、記憶の中にいるリリムは、赤い瞳を、再びスズに向ける。



 そこで、スズの記憶は途切れた。

 次々と聞こえてきたその声に、スズの頭は混乱をする。



(え? なんで、今さら思い出したんだろ?)



「え?」



 スズが無意識に疑問を投げかけたサクラの声は、だんだんと聞こえてきた。



「ねえ、スズちゃん? スズちゃん、大丈夫?」



「あ、はい……大丈夫です。林さん」



「よかったー……びっくりしちゃったよ」



 サクラは彼女の肩を撫でたが、すぐにその手を離した。



「あ、ごめんね。スズちゃんの制服、汚しちゃったかも」



「いえ。すみません。ありがとうございます」



 アオは無言で、彼女の背を支える。スズが体を震わせて、青ざめた顔で彼に顔を向けると、彼は首を横に振った。彼は、何も言わなくていい、と言っているみたいだった。

 サクラは、目の前の人型のものに目を向ける。



「私たちは、人型戦闘兵器ウーゼと呼んでいます。これはその5号機」



「5号機……」



「そう。スズちゃんと同じ、五番目の機体だよ」



 サクラは持っていた、桃色と黒色の手袋を少し強くつかむ。

 スズはそれを見たあと、同情と悔しい気持ちで彼女を見つめた。

 サクラは、そんなスズを横目で見る。



「先程は、ウーゼが再起動するなんて信じられなかったな」



 彼女は思い出すようにつぶやく。

 スズは、少しの間を置く。



「とにかく、やらないとって、思ったんです」



 スズがまたうつむくと、サクラは疑問に思った。

 彼女には、目の前の少女が何か思い詰めているように見てとれたのだ。



「どうかしたの?」



 サクラはスズに気にかけて、少し小首をかしげてから微笑む。



「あなたはウーゼに乗ることができる、五人目のパイロットなんですよ」



「ウーゼに?」



 サクラは、こくっとうなずくと、サムズアップをした。



「うん。このかっこいいロボットにね」



 スズは、その決定を迷っていて、また、ふいっと、表情を見えなくさせた。

 アオは、彼女に笑顔で話しかける。



「スズ。僕も同じだよ」



 スズはうなずいたが、彼女は、今度はすがるようにサクラに問う。



「私に……みんなを救えるんですかね?」



 サクラは、また少しスズを見ていた。



「でも、私たちは、スズちゃんたちに頼らないといけないんだ。不甲斐ないけど、私たち大人は、子どもたちに護ってもらわなきゃいけない」



 スズは唇を少し引きめる。



「……カエデさんに、助けるって約束したからなんです」



(ただ、それだけなのに……)



 スズは、また言葉を付け加えそうになった。だが、彼女は、口を閉じてそれ以上は言わなかった。



 〝でも、なんだか、彼女のことを護らなくちゃって……〟



 その言葉を、スズはなぜか飲み込む。ここで言わなくてもいいのかもしれない、と、彼女が考えたからだ。



(なんで、私のこと、知ってたんだろう? なぜ、私はリリムに生かされてるの?)



 スズはうつむいたままだが、何か決意をしたような表情になる。拳をぎゅっと握り、唇を結んで顔を上げた。

 アオは、そんな彼女の背を優しく撫でようとしたが、それをすぐにやめる。スズが、人に触れられることが苦手だとわかっていたからだ。先程、スズが体を震わせて青ざめた顔でアオを見たことが、触れられることが苦手だと示す行動だろう。



 スズは、5号機をまっすぐに見つめた。






 スズはウーゼパイロットの登録準備をサクラとともに確認したり、自分の身体しんたい検査の記録の確認を、またサクラとして、慌ただしい準備などに追われていた。



 だが、それらが無事に終わると、今度は外に連れ出され、サクラが運転していた銀色のハイブリッド車から、後部座席の扉を開けて降りる。

 この車は、ノヴァ日本支部の社用車らしい。基本色の黒色だけではなく、さまざまな色があるらしい。

 スズが、サクラ本人から聞いたのは、彼女のこの車が、愛車だということだ。

 彼女は、室長のハルトとともに、ある場所へと来ていた。

 銀色のハイブリッド車が日本支部専用の通路に進むと、ガタタンッ、ガタタンッ、と微振動が、時々、車内にまで響く。その車は、レールに乗っていた。



 やがて、レールを抜けて公道に出ると、銀色のハイブリッド車は、学校の正門についた。



「あの、ありがとうございます。サクラさん」



「ううん。気にしないでよ。到着したね。ここが、これからみんなが通う学校だよ」



 サクラがスズに言うと、彼女は驚きながら学校を見る。



「ここが……」



 正門に『諏訪すわ中学校』と学校名が書かれた看板がかかげられてある。

 サクラは、片手でバインダーを持った。



「スズちゃん。すぐに慣れるよ。えへへっ」



「はい。しかし、すごいですね。学校も地下にあるなんて……」



「でしょ? ホントにすごいんだ」



 人工的に造られた太陽が、スズの手触りのいい肌を焼く。スズは太陽光から逃げるように、双眸そうぼうを片手を覆った。

 兵装ビルの中には、攻撃兵器が収納されているだけではなく、地上からの太陽光を集める集光ビルもある。



「ホントに、別世界に来ちゃったなあ」



 スズは歯を見せずに、口角だけ上げる。笑い慣れていない彼女の顔は、少しぎこちなかった。



 サクラは先程の穏やかな笑みより、真剣な表情になる。



「スズさん。何か問題が発生したときは、すぐに報告が入りますので、あしからず」



 スズは、何かよくわからないまま、それを繰り返して尋ねる。



「問題って、たとえば、どんな問題なんですか?」



「たとえば、クラスメイトとのいさかいから、退学などです」



 スズは、目を丸くした。



「た、退学、ですか?」



「スズさんは真面目だとうかがいました。なので、ありえないと思います」



「あ、そこまで調べてるんですね」



 スズは、右下に視線を向けた。



「知ってたんですか」



 ハルトは、ああ、と、答えると言う。



「スズ。今まで頑張ってきたよな。これからは少しでいいから、肩の力抜いてくれ」



 そして、青年は、左手をげた。



「気をつけて帰れよ」



「ありがとう、ハルト。サクラさん。あ、他の皆さんにも、よろしくお伝えください」



 スズがそう言って会釈すると、サクラは微笑んだ。ハルトも手を振って、彼女に応える。



「はーい、気をつけて、スズちゃん! 授業楽しんで!」



 サクラは、ハルトが乗り込んだ銀色のハイブリッド車を走らせた。



 スズは他の生徒たちに混じって、生徒玄関に向かって行った。

 ハルトに言われた先程の言葉が、まだ耳に残っているのだ。



(頑張ったな——なんて、トシヤさんたちにも言われたことはあるけど……なんでだろう? さっきの言葉で、心がちょっとだけ軽くなった気がする……)



「あの子、迷ってない?」



 スズには、他の生徒に混じり、白髪の少女が目に付いた。

 だが、彼女は、一瞬だけ立ち止まるが、また歩き出す。



「でも、あの子……なんか空気が張り詰めている、っていうか——」



 彼女が再び歩きだしたので、スズは、ふいに口を閉じる。

 スズが四階の廊下を歩くと、履いている新しい上履きが生徒のざわめきとともに響く。

 校舎は四階まであり、窓ガラスに自分の姿が映る。

 だが、スズは、ふいっと目をそらす。

 嫌な思い出……。



 大きな窓ガラスに手をつける、小学生の頃の自分————。



 スズは、少しけわしい表情で唇を結ぶ。

 そのとき、教室の引き戸が開けられ、スズは横を見る。

 肩と胸まである白い髪に、制服姿の少女が、スズの瞳に映る。

 他の人よりほんの少し白い肌がに照らされ、前髪は、真ん中と横髪に分けられている。



「どうしてここに?」



 スズは、もう一人の少女を驚きながら見つめる。



(あ……ハルトから聞いてるのかな?)



 その少女の両側、横に分けられた前髪から見える、少し長いまつげの赤い瞳は、スズをきつける。

 少女は、怪我をしているのか、腕には固定器具をしており、頭にも包帯を巻いていた。

 スズは、先程の驚きよりも、心配する気持ちが口をついて出た。



「真白さん、怪我は大丈夫? 平気なの?」



 彼女は、こくりとうなずき、それから、抑揚のない声で応える。



「平気」



「ていうか、学校来られるんだね。よかった」



「学校は行っていいって、許可が出ているから平気」





 二人が、一年二組の教室に入ると、教師のひいらぎアヤは、出席簿を教卓に置いて話し始める。

 彼女は、肩までの黒髪を小さくまとめている。

 今日はグレーのパンツスーツ姿だが、大人らしくてそこが凛々(りり)しいと、一部の生徒たちから好評を受けている。

 授業の教え方や解説もわかりやすく、さらに、男女問わずして生徒たちから人気の教師らしい。



「では、早速、皆さんに自己紹介してもらいます。まずは真白さんから、よろしくお願いします」



 彼女に名前を呼ばれたユキは、制服のスカートの横に手を下げて、ぼうっと静かに教室を見回していた。

 彼女は、深紅しんく色の細長いネクタイがワイシャツの襟首を彩り、薄灰うすはい色のスカートが白髪にえている。



「真白ユキ」



 よろしく、とも、何も挨拶を言わず、彼女はひと言そう答えた。



(でも、どこかで見たことあるような?)



 アヤが、また司会進行を続けた。

 スズは、ぼんやりとしていて、彼女の指示を半分聞いていなかった。



(どこでなんだろう……?)



 スズはユキに、こっそりと言われた。



「——スズ」



(真白さん、だっけ? また、名前で呼ばれた……)



 スズはユキに、もう一度言われる。



「スズ。呼ばれてる」



「えっ?」



 スズは、いつの間にかクラス一同が自分を見ているので、ユキに言われたことを実感したと同時に、少し緊張した。



「えっと……」



 彼女は、うなじを触る。



「橘スズです。これからよろしくお願いします」



 クラスメイトたちは、紺色のセーラー服に身をまとった会釈をする〝彼女〟にどよめきを隠せなかった。

 「転校生」という彼女のレッテルに追加されて、スズのはにかんだ笑顔がかわいらしいからだ。

 クラス一同は大げさに、再び、どよめいた。

 アヤは皆を静かにさせる指示を出したあと、スズとユキに着席の指示を出す。



「では、真白さんは窓側の席、橘さんは、そこの席が空いてるので座ってくださいね」



 アヤは、彼女たちに微笑みながら話し続けた。

 教室内は、二人の転校生に興味津々の生徒たちで、まだざわついている。

 スズは席に座るが、彼女は、窓側で頬杖をついて、ぼうっとしているユキを見つめる。



(真白ユキさんか……)



 彼女は、早速、生徒たちに囲まれていて、質疑応答をしている。

 たとえば、生まれはどこなのか、年齢は何歳なのか。そして、ミーハーな彼らにされたのは、彼氏はいるのか、恋人にならないか、という質問だ。

 最後の質問は、勇気ある男子生徒からだったが、彼は、ユキにじっと見つめられ、それから、彼女は、スズを見た。

 すると、スズはきょとんとする。



「ん?」



「私が護るのは、スズだから」



 ユキがそう言うと、クラスメイトたちは、どっといた。



「ねえねえ? スズさんは? どこの出身なの?」



 スズもまた、女子生徒たちに囲まれていた。



「北海道の釧路くしろってとこなんだけど……」

「あー! そこって、私たちの都市があった場所だよね?」

「ねえ! あったあった! ねえ、どうして、諏訪市ここに来たの?」



 スズは色めきたつ女子生徒たちに、少し苦手を感じていたが、彼女自身、無視は嫌なので、クラスメイトたちに答える。



「引っ越ししたんだよ。家の事情なんだ」



「ふうん。あ、そうそう。ねえ、昨日のニュース見た? あの地上うえの第5管区の?」



「ねえ。見た見た! あれさー、ホントにただの事故なのかなー?」



 スズは、話に盛り上がる彼女たちをよそに、窓際のユキに視線をやった。

 その後も、ユキは黙って首肯するか、首を横に振るか、または、言葉で肯定するか、もしくは否定をするという行為を続けた。

 だが、アヤが、クラス全体に呼びかけたことより、それは中断させられた。



「はい。では早速、授業を始めますよ。教科書の最初のページを開いてください」





 しばらくして、授業終わりのチャイムが鳴る。



(そういえば、さっき、真白さんに言われたな……)



 スズは席から立ち上がり、窓際のユキのところへ少しだけ近寄る。



「あの、真白さん」



 ユキはスズが呼びかけると、読んでいた本から目を離す。



「あ、ごめん。読書の邪魔しちゃって」



(ダメだったかな?)



「平気」



「あの、自己紹介のとき、私、全然気づかなくて。真白さんがいてくれてよかった」



 ユキから出た言葉は何か抽象的だった。



「心が暖かい。嬉しい」



 だが、補われた言葉により、スズにもなんとなく伝わった気がする。



 スズは不思議な表情をしたが、うなずく。



「あ、うん。それに、あのとき——」



 突然、携帯電話の着信が鳴る。

 クラスメイトの何人かは、二人を見つめたが、友だちとの会話にまた戻った。



「携帯? なんだろ……」



 スズとユキは、各々の携帯電話を取り出し、メーセージのアプリケーションを開く。送り主はハルトだ。



 三分前に、未確認物体の侵攻が確認されたことと、おそらくエンジェルだということで、スズを含めた三人に非常招集がかけられた。



「えっ? 行かないと……」



 スズは窓ガラスを見た。その奥には、この地下で一番高い建物があり、それは鈍い銀色に光っている。ノヴァ日本支部だ。それが彼女の黒い瞳に映った。



 ユキはすぐに席から立ち上がり、廊下へ出て行った。



「待ってよ、真白さん。あの、私も——」



 スズは黒のリュックサックを机の横にあるフックから取る。



 教室の外から、都市内に警報アナウンスが流れ始めると、生徒たちは指定シェルターに避難をし始めた。



『現在、警告レベル・レッドの非常事態避難勧告を発令中です。住民の方々は、お近くの指定シェルターまで避難をしてください。繰り返します。現在、警告レベル・レッド——』



 スズはユキに追いつくため、廊下を走り始めた。彼女は息も切れ切れに先頭を行く白髪の少女に叫んだ。



「待って、真白さん! 迎え……迎え、来てないって!」



 そのとき、ユキの携帯電話から着信がなる。

 彼女はそれを小さな耳に当てた。



「ハルト。はい。わかった。スズも一緒。すぐ向かう」



 彼女は携帯電話を切った。



「グラウンドに来てるって、ハルトたち」



「うん」



 うなずいたスズは彼女とともに、生徒玄関に向かったが、目に飛び込んできたその光景に驚いた。



「ねえ!」



 スズは乱れる横髪を押さえながら、ユキに声を張って話す。



「これ、ヘリ?」



 ユキは、こくりとうなずく。

 校庭では、一機のヘリコプターがホバリングをしていた。回転翼が、校庭の砂塵さじんを巻き上げる。

 黒スーツに身を包んだ青年は、ヘリコプターのドアを勢いよく開けた。



「乗れ。二人とも。緊急招集だ!」



 スズとユキは、縄ばしごをつかんで上ると、ハルトに手を引き上げられる。



「ありがとう」



 アオは後頭部に組んだもろ手を当てる。そして、彼は眉をひそめた。



「ちぇっ。その役、僕がやりたかったのに……」



 彼は、ハルトが二人の手を引き上げる様子が面白くないらしい。まるで、ハルトが、童話の王子様のようだからだ。



「じっとしてろ。アオ。あまり動くと危ないからな」



 ハルトに忠告されたアオは、おとなしく首肯した。



「うん」



 スズは奥の椅子に座ると、シードベルトを閉めた。ユキの代わりにアオが縄ばしごを回収する。それから、ユキは、スズの隣の席に座り、シートベルトを閉めた。

 ハルトは、ヘリコプターの扉を閉めてから、パイロットに言う。



「最大全速で出してください」



 ヘリコプターのパイロットは、了解、と、意気揚々と応えた。

 スズは黒いリュックサックの中から、B5サイズの深緑色の本を取り出すと、ハルトは思わず声を上げる。



「あ。それ……」



「ハルト。知ってるの? このパンフレット」



 スズは、パンフレットを彼に見せながら問いかけた。



「知ってるけど……面白いのか?」



 彼の灰色の瞳は、左を向いた。

 スズはまた口角を上げて、首肯した。



「うん。このパンフレット面白いんだよ。ノヴァ日本支部の歴史とか、ウーゼに乗るパイロットの実績とか、いろいろなことが書いてあるの。結構詳しく載ってて、好きなんだよねえ」



 航空機用ヘッドセットのスピーカーを通した、静かな声が聞こえた。



「スズ。それ読んでるの?」



 彼女の隣席にいるユキは、赤い瞳を少し丸くした。

 スズも、ヘッドホン型の航空機用ヘッドセットで話す。



「真白さん、これ知ってるの?」



 ユキは丸窓を眺めている黒スーツの若い男性を、目だけで一瞥した。



「ううん。知らない。スズ。それ、パンフレットなの?」



「うん。私、知らないこと好きなんだ」



 ユキは赤い瞳で、彼女を一瞥した。



「知らないことがいいこともある。それだけで、そのときはまだ、幸せに浸っていられるから」



 名を呼ばれた彼女は途端に、呼吸がしずらいと感じた。それは、なぜかわからなかった。

 彼女はユキから逃げるように、目を泳がせた。



「私……私は幸せなんてわからない。だから、〝今は〟知らない。そんなのは、奪われたらもう、おしまいで——」



 スズは息を整えた。彼女は唇を湿らせ、それから、深呼吸をする。

 また、彼女の脳裏に、ジジッ、と、ノイズが走った。



「少しでも思い出しでもしたら、ずっと苦しい思い出として、次から次にずるずると引きずり込まれていくんだよ」



 沈黙は、ヘリコプターの回転翼が埋めるかと思われた。だが、その沈黙を破ったのは、アオだった。



「おしまいじゃないよ、スズ」



 アオは、スズが見たことがない顔になっていた。彼は笑ってはいるが、何やらそのすごみのある笑みを抑えようとしており、片手で口を覆っている。



 彼は、獲物を狙うような目つきで、眼前の席にいるユキを見ている。



「たとえ、絶望でおしまいでも、奪われたなら、奪い返せばいい」



 しかし、アオは、はあ、と、ため息をつく。先程の凄みのある笑みを消すかのようだった。



「でも、その分、天秤てんびんは傾き、罪は重くなる。それは人間のごう——大罪にさえなる」



 銀色の建物が、スズの目に入った。すると、ヘッドホンのような形の航空機ヘッドセットを着けたアオが、銀色の建物に指さした。



「ほらほら、あれだよ、あれ。あれがノヴァ日本支部。スズ——君がこれから、僕たちと一緒に働く場所だよ」



 ノヴァ日本支部は、初めて会ったとき、アオが言っていたように、バベルの塔のようにそびえ立っていた。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました! いかがだったでしょうか……?


 スズちゃんは、みんなのことを知りたいと思いながら、ほかのみんなは、他人にあまり話せない秘密を持っていたりするので、新米のスズちゃんに話すべきなのどうなのか、そこの調整が難しいんです……。

 一方、スズちゃんも、他人には話せない過去がありますので、本人も悩んでおります。

 一見、優秀な登場人物でも、実はとても悩んでいたり……など、人間関係の難しさを表せられたらいいな、と思っております。

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