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王子に婚約破棄され、地下牢に送られ、7日後に斬首されるモブキャラに転生したエリスは、前世の記憶を思い出して復讐を誓う!

作者: 山田 バルス
掲載日:2026/03/07

 石の床は冷たく、湿った空気が肌にまとわりつく。


 ◇


 イタリーナ王国の春の祝賀会――それは、わたくし侯爵令嬢で銀髪のエリス18歳にとって、人生最悪の日となった。


「エリス=フィオレンティーナ。お前との婚約は、ここに破棄する!」


 高らかに宣言したのは、第三王子金髪キラキラのアルベルト殿下。腕の中には、涙ぐむ男爵令嬢の桃髪の少女アナ。


「彼女はアナをいじめ、階段から突き落とそうとしたのです!」


 ざわめく貴族たち。向けられる軽蔑の視線。わたくしは否定した。何度も、何度も。


 けれど、聞き入れられることはなかった。


 そして――地下牢。


 ◇◇◇


「……や、やめて、わたくしは何もしておりません」


 薄暗い牢の中、泣き叫ぶわたくしは、力なく石の床に倒れ込む。

 その瞬間、頭が固い床にぶつかり、激痛が走った。

「い、痛い……」

 そして、同時に怒涛のように流れ込む記憶。


 満員電車。パソコンの画面。上司の小言。終電間際のコンビニ弁当。


 わたくしは――三十五歳、営業部主任。数字を追い、部下をまとめ、取引先と渡り合うバリバリのOLだった。


 そして、ある夜。残業帰りにプレイしていた乙女ゲーム。


 タイトルは――『あなたのマリー』。


 そこで、はっきりと思い出した。


「……ここ、ゲームの中じゃないの!」


 エリス=フィオレンティーナ。


 攻略対象・第三王子アルベルトの元婚約者。悪役令嬢ですらない。

 ヒロインをいじめたという冤罪で断罪され、七日後に斬首される――ただの悲劇のモブ。


 画面の向こうで、あっさりと首を刎ねられたキャラクター。


 それが、わたくし。


「冗談じゃないわよ……!」


 七日後に、斬首。


 タイムリミットは、一週間。


 どうする? どう生き残る?


 そのとき、不意に思い出した。


 ゲーム内で、ヒロインが使うコマンド。

 そう、ゲーム定番のあの名セリフだ。


「……ステータス、オープン」


 半信半疑で呟いた瞬間。


 ぱあっと、目の前に透明なウインドウが現れた。


 ――名前:エリス=フィオレンティーナ

 ――残り日数:7

 ――称号:断罪予定者

 ――スキル:本棚


「……本棚?」


 スキル欄に、ぽつんと表示されている。


 恐る恐る意識を向けると、説明が浮かび上がった。


 《本棚:前世の記憶に存在する書籍を、カラーボックス一つ分まで具現化可能。ただし半径5メートル以内》


 沈黙。


 そして、次の瞬間。


「……使える!」


 わたくしは、前世では営業主任だった。知識と情報は、武器だ。


「本棚、展開!」


 ぼん、と軽い音がして、目の前に木製のカラーボックスが現れた。

 中には、見覚えのある背表紙。


 男を落とす50のテクニック……読んだけど実践することがなかったが、牢屋では無意味な本だ。

 交渉術……アメリカのゴールデン=レット博士が考案する10の法則……牢獄で交渉・・・

 経済学……今、牢屋なので、意味なし。

 毒物事典……斬首の前に自らって、ふざけるなーーー

 サバイバル読本……うーん、牢獄でサバイバルって、え? 使えないな。


 お、これはいけるかもと発見したのが――乙女ゲーム攻略本『あなたのマリー完全ガイド』。


「ありがとう、前世のわたくし……これがあれば、いけるかもしれない」


 まず手に取ったのは攻略本。


 ぱらぱらとめくる。


 物語はモブキャラのエリスの斬首され、それを見ていたマリーが、

 この国がおかしいと感じ、学院で本当の平和と平等を広める物語。

 

「ふざけるな!]

 思わず本を石の床に叩きつける!


 とにかく、どうにかして――地下牢から出なければ、冤罪で殺されてしまう。

 肝心の父親である侯爵は、国王と一緒に外遊中だ。

 帰国予定は、10日後なのだ。

 父が帰国した時には、わたくしの頭と胴体はおさらばしている。


「七日後に斬首? なんで、もっと早くに記憶が戻らなかったのよ」


 前世では、営業で何度も修羅場をくぐった。


 契約直前で裏切られたこともある。

 理不尽なクレームも受けた。

 パワハラ上司にも耐えた。


 それでも、数字をもぎ取ってきた。


 斬首なんて、クーリングオフできない契約みたいなもの。


 どうすればいいのだ……


 本棚の中から、最後に一冊を取り出す。


 ――『危機管理マニュアル』。


「状況整理」


 一、敵は王子とその恋人。


 二、裁判から即斬首まで七日。


 三、味方は不明。ただし父侯爵は間に合わない。


 そのとき、足音が近づいた。


「おい、罪人。食事だ」


 粗末なパンが差し出される。


 看守は若い。階級は低い。


「……これが食事なの」


「死ぬやつに食事は勿体ないぐらいだ」

 

 看守は悪態をついてその場から離れていく。

 足音が遠ざかる。


 わたくしはゆっくり息を吐いた。


 どうにかしなくては、ならない。


 看守には本棚は見えないらしい。

 目の前にあったが、気が付かなかった。


 とにかく、今の情報をまとめてみよう。

 武器はない。あるのは本のみ。


「これは七日後、首を刎ねられるかな……」


 わたくしは透明なウインドウをもう一度見つめた。


 残り日数:7。


「これは詰んだのかな?」


 地下牢の闇の中。


 エリス=フィオレンティーナの逆転劇はあるのだろうか?


 ◇


 地下牢の闇は深い。


 看守の足音が完全に遠ざかったのを確認してから、わたしは再び本棚の前に座り込んだ。


 木製のカラーボックス。そこに並ぶ背表紙。


 攻略本『あなたのマリー完全ガイド』をもう一度開く。


 地下牢からの隠しルートとかないかな? 

 何度読んでも、わたくしが助かる道は書いていない。


「……わたくしが死んでから始まる乙女ゲームだものね」


 攻略対象にすらならない存在。


 選択肢も、救済ルートも、用意されていない。


 営業時代、数字が悪いときは必ず打開策を三つは出した。


 だが今は、一つも浮かばない。


 ひとつ、牢屋の柵にみそ汁をかけて錆させて、脱走する。

 はい、7日では無理。


 ふたつ、壁をあたたたたと叩いて壊す。

 はい、そんな力はありません。


 みっつ、奇跡を待つ。

 あ、これしかないのか……。


 どれも決定打に欠ける。


「……くそぅ」


 思わず令嬢らしからぬ言葉が漏れる。


 そのとき。


 ふわり、と空気が揺れた。


 本棚の前に、淡い緑色の光が灯る。


「……え?」


 光は徐々に形を持ち、小さな女性の人影になる。


 手のひらほどの背丈。

 葉のような髪。

 透き通る翡翠色の瞳。


「わぁ……この本、見たことない」


 幼い声が響いた。


 それは――植物の精霊だった。


 わたくしは思わず後ずさる。


「せ、精霊……?」


「うん。ここ、じめじめしてて居心地いいから来ちゃった」


 精霊は本棚に飛びつき、漫画を一冊引き抜いた。


 ――狼陛下の奥様。


「なにこれ? 貴族も魔法も出てこない」


「それは……わたくしの前世の世界の物語ですわ」


「へぇー!」


 精霊は足をぶらぶらさせながら読み始める。


 ぺら、ぺら。


 ページをめくるたび、ほんのり緑の光が強くなる。


 わたくしは呆然と眺める。


 なぜ精霊が?


 スキルの副作用?


 それとも――この世界のバグ?


 やがて、ぐうぅぅ、と情けない音が響いた。


 ……わたくしのお腹だ。


 地下牢の粗末な食事では到底足りない。


 精霊が顔を上げた。


「あ、お腹すいてるの?」


「え、ええ……少々」


「本、面白かったから、お礼あげる」


 ぽん、と緑の光が弾ける。


 精霊の手のひらに、小さな種が三つ現れた。


 赤、青、金。


「これは?」


「力の種。魔力の種。元気の種」


 どくん、と心臓が跳ねる。


 攻略本にあった、超レアアイテム。


 通常は隠しダンジョン最深部でしか手に入らない。


 ステータスを恒久的に上げる貴重品。


「……本当に、くれるの?」


「うん。本、読ませてくれたから」


 精霊はにこっと笑った。


 わたくしは恐る恐る赤い種を口に入れる。


 かり、と噛んだ瞬間、身体の奥から熱が湧き上がる。


 透明なウインドウが現れた。


 ――力:+100


「……!」


 続けて青。


 ――魔力:+100


 最後に金。


 ――HP:+200


 身体が軽い。


 視界が鮮明になる。


 地下牢の冷気すら、さほど辛くない。


「すごい……!」


 これがあれば、単なる非力な令嬢ではない。


 わたくしはウインドウを見つめる。


 ――名前:エリス=フィオレンティーナ


 しばし考え、呟く。


 わたくしは、もう断罪されるだけのモブではない。


「ねえ」


 精霊が首を傾げる。


「明日はどんな本が出るの?」


「……え?」


「この本棚、毎日ちょっと匂いが変わるよ。森みたいに」


 匂い?


 考えてみれば、前世の記憶にある本は無限にある。


 今日出したのは、ほんの一部。


 もし、明日違う本を思い出せば――。


「内容は、変わるかもしれませんわ」


「ほんと?」


「ええ。ですから、また明日いらして?」


 精霊は目を輝かせた。


「うん! また来る!」


 ふわり、と緑の光が溶けるように消える。


 地下牢に、再び静寂。


 けれど、さきほどまでの絶望はない。


 力+100。魔力+100。HP+100。


 この世界はゲーム。


 ならば、わたくしはプレイヤーになればいい。


 本棚は知識を呼び、精霊は報酬をくれる。


 ならば明日は、もっと精霊が喜びそうな本を思い出そう。


 果物のかご。彼氏彼女の二乗。女神様はじめました。


 スキルは半径5メートル以内。


 ならば、この牢そのものを“拠点”にすればいい。


 わたくしは静かに笑う。


「七日後に斬首?」


 ウインドウの残り日数はまだ7のまま。


 だが、未来は変わり始めている。


「悪いけれど、わたくしは死にませんわ」


 エリス=フィオレンティーナ。


 地下牢で精霊と契約した侯爵令嬢。


 逆転劇は、まだ序章にすぎない。


 明日、本棚は何を見せてくれるのか。


 その答えを胸に、わたくしは冷たい石壁にもたれ、静かに目を閉じた。


 ◇


  翌朝。


 石畳を踏み鳴らす複数の足音で、わたくしは目を覚ました。


 ――カツン、カツン。


 いつもの看守より重く、速い。


「おい、罪人。……お前に今日は客だ」


 鉄格子の向こうに現れたのは、見慣れた若い男が二人。


 そして、その中心に立つのは――


「……まさか、本当に地下牢に閉じ込められているとはな」


 低く、抑えた怒りを含んだ声。


 燃えるような赤髪。鍛え抜かれた長身。鋭い金の瞳。


 学院で剣聖と呼ばれた天才。


 エドアルド=ミラノーレ。


 わたくしの二つ上の先輩であり、ミラノーレ公爵家の嫡男。


 その隣には、黒髪をきっちり撫でつけた侍従――ルオーが控えている。


「エドアルド……様?」


 思わず声が震えた。


 彼は鉄格子越しにわたくしを見つめ、眉をひそめる。


「顔色が悪いな。食事は?」


「……見ての通りですわ」


 足元の固いパンを示すと、彼の拳がぎり、と鳴った。


「ふざけるな。侯爵令嬢を罪人扱いだと?」


 看守が肩をすくめる。


「王子殿下の命令です。あっしらは従うだけで」


「鍵を出せ」


「それが……鍵は殿下がお持ちでして。あっしにはどうにも」


 エドアルドの瞳が鋭く光る。


「ならば壊す」


「え?」


 わたくしが息を呑む間に、彼は腰の剣を抜いた。


 学院時代、模擬戦で誰も勝てなかったその一閃。


「エリス、危ない。柵から離れろ」


 反射的に後ずさる。


 ――今のわたくしは、力+100。


 だが、彼の実力はそれ以上。


 ここは彼に期待してお任せしましょう。


 剣聖と呼ばれるほどの腕前を。


 わたくしは彼を信じて解放されるのを、

 祈るように両手を組んで、待つことにした。


 どうか、自由になれますように。


 エドアルドが大きく剣を振り上げる。


 すると、体中にオーラが集まり、彼の身体が光、輝いた。


 次の瞬間、彼は咆哮を放つ。


「ミラノーレ公爵家秘伝、奥義サフランリゾット!」


 ガキンッ!!


 剣が振り下ろされた瞬間、眩い火花が散った。


 激しい衝撃波が地下牢を震わせる。


 しかし。


 ……折れた。


 エドアルドの名剣が、根元から無残に砕け落ちたのだ。


「……なんだと?」


 彼の顔に初めて驚愕が走る。


 ルオーが静かに一歩前へ出た。


「閣下。これは結界です。それも、かなり強力な」


「結界だと? 王城の地下牢に?」


「はい。通常の王宮魔術ではありません。……これは魔族の術式に近いかと」


 地下の空気が、ひやりと冷える。


 魔族。


 ゲームの終盤に出てくる存在。


 攻略本には、確か――。


「やはり、ただの冤罪ではないのか……」


 エドアルドが低く呟く。


 彼は再びわたくしを見た。


「エリス。何があった」


 その真剣な視線に、胸が締めつけられる。


 ゲームでは、彼は攻略対象ではなかった。


 けれど学院では、何度か助言をくれた優しい先輩だった。


「……わたくしは、何もしておりませんわ」


 視線を逸らさずに言う。


「信じていただけますか?」


 一瞬の沈黙。


 そして彼は即答した。


「当たり前だ」


 胸の奥で、何かがほどけた。


「君がくだらぬ嫉妬で人を突き落とすような女性ではない。

 学院で君ほど努力している者を俺はみたことがない」


「……ありがとうございます。わたくしのことをそんなに褒めてくれて」


「当たり前のことを言ったまでだ」


 わたくしは思わず苦笑する。


 エドアルドは、学院で剣の腕もそうだが、人望があり、大人気だった。


 また、いまだに婚約者がいないので、中にはもしかして、女性が嫌いなのかという噂もあったが、

 わたくしには普通に接してくれていたので、多分、女性嫌いではないだろう。


「エドアルド様。この結界、外から破れませんの?」


「今のままでは無理だ。術式の核がどこかにあるはずだが……」


 ルオーが続ける。


「おそらく、鍵と連動しています。王子殿下が持つ鍵が媒介かと」


 ――鍵。


 攻略本に、そんな設定はなかった。


 つまり、これは“想定外。


 ヒロインルート外のバグ。


「エリス」


 エドアルドが鉄格子に手をかける。


「待っていろ。俺が必ず助ける」


 真っ直ぐな言葉。

 彼の熱いまなざしが、わたくしをじっと向けられている。


 けれど――七日。


 残り日数は減っていく。


「……このままでは斬首ですわ」


「知っている。だからこそ急ぐ」


「もし、間に合わなければ?」


 彼の瞳が燃えた。


「そのときは、俺が王子を斬る」


「……物騒ですわね」


「本気だ」


 思わず笑ってしまう。


 剣聖は本当に真っ直ぐだ。


「エドアルド様」


「なんだ」


「わたくしも、諦めておりませんの」


 彼が目を細める。


「ほう?」


「少々、面白い力を得ましたのよ」


 本棚のことは言えない。


 だが、わたくしはその場で、腕立て伏せを十回ほど、披露してみせた。


 以前なら体が震えていたはずの運動量。


 今は、呼吸を乱さずにスイスイとできる。


「……ずいぶんと腕立て伏せが得意なのだな」


「ええ。このように何かあった時に備え、体を鍛えてます」


 エドアルドは半分呆れたような顔をし、そして笑った。


「その顔だ。学院で問題児どもを論破していたときの顔」


「営業主任仕込みですわ」


「……何の主任だ?」


「秘密です」


 短い笑いが地下に響く。


 だが次の瞬間、彼は真顔に戻った。


「時間がない。王子が動く前に、結界の出所を探る」


 ルオーがうなずく。


「まずは、宮廷魔術師団を洗います」


「頼む」


 エドアルドは最後にわたくしを見つめる。


「必ず戻る」


「ええ。お待ちしておりますわ、剣聖様」


「その呼び方はやめろ」


 彼は踵を返した。


 足音が遠ざかる。


 再び静寂。


 そして、いつもの粗末な食事が置かれている。


「……彼が来てくて、嬉しいわ」


 夢ではない。


 婚約者がいる身でありながら、わたくしは、密かに彼に好意を抱いていた。


 決して叶わぬ恋心を胸にしまっていたのだ。


 折れた剣の破片が、まだ床に転がっている。


 わたしは透明なウインドウを開く。


 ――残り日数:6。


「減ってるじゃないの……!」


 思わず天井を仰ぐ。


 だが、胸は不思議と軽い。


 外には味方がいる。


 そして内には、本棚と精霊。


「さて」


 パンをかじりながら呟く。


「内と外、両面作戦ですわね」


 結界があるなら、破る方法もある。


 魔族の術式。


 鍵。


 王子。


 そして――乙女ゲームにない何か。


 わたくしは静かに笑った。


「斬首エンド? ごめんあそばせ」


 地下牢の闇の中。


 逆転劇は、確実に動き始めている。


 ◇


 ◇ エドアルド視点


 地下牢を後にして、王城の廊下を歩きながら、俺は拳を握りしめていた。


 エリス=フィオレンティーナ。


 やせた頬。粗末な食事。冷たい石の床。


 あの光景が、頭から離れない。


「……絶対に許さない」


 思わず低く呟くと、隣を歩くルオーがちらりとこちらを見た。


「閣下?」


「いや、独り言だ」


 俺は視線を前に戻す。


 だが、胸の奥では別の記憶が静かに蘇っていた。


 ――十三年前。


 俺が七歳の誕生日を迎えた日のことだ。


 ◇


 ミラノーレ公爵邸の庭園は、その日いつも以上に華やいでいた。


 俺の誕生祝いのために、王都中の貴族が招かれていたからだ。


 音楽が流れ、料理が並び、大人たちは笑っている。


 だが俺の胸は重かった。


「さすが公爵閣下の御子息ですな」


「将来は父君のような剣豪に」


 そんな言葉のあと、必ず続く言葉があった。


「……もっとも、今はまだ泣き虫のようですが」


 くすくす笑う声。


 胸が締めつけられる。


 父――ミラノーレ公爵は王国最強の剣士だった。


 誰もが父を称賛する。


 そして、その隣に立つ俺を見る。


 ――父のようにはなれない。


 そう言われている気がした。


 気がつくと、俺は大広間を抜け出していた。


 庭園へ向かう。


 噴水の音が聞こえる。


 涼しい風が吹いている。


 けれど胸の重さは消えない。


「……ぼくは、だめなんだ」


 思わず呟いた。


 そのときだった。


 庭の奥の池のほうから、小さな声が聞こえた。


「わぁ……おさかな……」


 幼い声。


 驚いて顔を上げる。


 そこには、小さな女の子がいた。


 銀色の髪。


 淡いドレス。


 年は――五歳くらいだろうか。


 池の縁にしゃがみこみ、水面をのぞき込んでいる。


「きれい……」


 その瞬間。


 つるり、と彼女の足が滑った。


「きゃっ」


 小さな体がぐらりと傾く。


 池は思ったより深い。


 落ちたら危ない。


 俺は反射的に走っていた。


「危ない!」


 手を伸ばす。


 だが距離がある。


 間に合わない――そう思った瞬間。


 体の奥から、熱が湧き上がった。


 視界が一気に鮮明になる。


 足が軽い。


 地面を蹴ると、信じられない速度で体が前に出た。


 ――届く。


 俺は少女の腕をつかみ、強く引いた。


 ばしゃっ。


 水しぶきが上がる。


 だが落ちたのは足先だけだった。


 俺たちはそのまま芝生の上に転がった。


「だ、大丈夫か!?」


 息を切らして尋ねる。


 少女はきょとんとした顔で俺を見た。


「……うん」


 ぱちぱちと瞬きをする。


「おにいちゃん、はやいね」


「え?」


 自分でも分かっていた。


 今の動きはおかしい。


 普段の俺じゃない。


 胸の奥で何かが光っているような感覚。


 頭の中に声が響く。


 ――スキル覚醒。


 ――《剣聖》。


 意味は分からない。


 だが、さっきまでの重たい体が嘘みたいに軽い。


 少女はにこっと笑った。


「ありがとう」


 その笑顔は、太陽みたいだった。


 俺はどきりとする。


「……きみ、だれ?」


「エリス」


 彼女は小さく胸を張った。


「エリス=フィオレンティーナ!」


 その名前を聞いた瞬間、思い出す。


 侯爵家の令嬢だ。


 まだ幼いが、社交界でも有名な家。


「ぼくはエドアルド……」


 言いかけて、ふと口をつぐむ。


 どうせ言われる。


 父と比べられる。


 でもエリスはそんなことを言わなかった。


 俺の顔をじっと見て言った。


「エドアルドおにいちゃん、すごい!」


「……すごい?」


「うん!」


 彼女はうなずく。


「さっき、ぴゅーんってきた!」


 両手を広げて表現する。


「かっこよかった!」


 胸が熱くなる。


 そんなふうに言われたのは、初めてだった。


「ぼく……すごいのかな」


 思わず漏らす。


 エリスは迷いなく答えた。


「すごいよ!」


 そして、小さな手で俺の袖をつかんだ。


「だって、たすけてくれたもん!」


 その瞬間、胸の奥の霧が晴れた気がした。


 父と比べられてもいい。


 周りに何を言われてもいい。


 今、ここで。


 この子を助けられた。


 それだけで十分だった。


「……よかった」


 気づけば笑っていた。


 エリスは嬉しそうに言った。


「おにいちゃん、やさしいね」


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸がどくんと鳴った。


 小さな少女。


 まだ五歳。


 それでも――


 俺はそのとき、確かに思ったのだ。


 この子を守りたい、と。


 ◇


 王城の廊下に、現在の俺は立っている。


 十三年前の記憶は、今も鮮明だった。


 池に落ちそうになった小さな少女。


 あの笑顔。


 そして俺のスキルが目覚めた瞬間。


 あれが、すべての始まりだった。


 俺は静かに拳を握る。


「……待っていろ、エリス」


 地下牢の奥にいる彼女へ。


 心の中で誓う。


 十三年前、助けた小さな少女。


 そして今、冤罪で閉じ込められている女性。


「今度も俺が助ける」


 剣聖の力も。


 公爵家の権力も。


 すべて使う。


「君のためなら、俺は何でもする」


 決意は、揺るがなかった。


 ◇


  ◇ エリス視点


 重たい鉄の扉が閉まる音がした。


 がちゃん。


 地下牢の通路に、再び静寂が戻る。


 ほんの少し前まで、そこには――


 エドアルド様がいた。


「……」


 わたくしはしばらく鉄格子を見つめていた。


 つい先ほどの出来事が、まだ現実味を持って胸に残っている。


 王国最強の剣士と名高い公爵家の跡取り。


 エドアルド=ミラノーレ。


 その人が、わざわざ地下牢まで来て――


 わたくしの手を取り、言ったのだ。


『必ず助ける』


 と。


「……ふぅ」


 わたくしは静かに息を吐いた。


 胸の奥に、じんわりと温かいものが残っている。


 だが同時に、前世の社会人としての感覚が顔を出す。


「……とはいえ」


 ぽつりと呟く。


「王城の牢屋ですもの」


 助けると言われて、はいそうですかと安心するほど、わたくしの前世は甘くなかった。


 会社でもそうだった。


 「大丈夫、なんとかするから」


 と言ってくれる上司はたくさんいた。


 そしてその大半は――


 なんとかならなかった。


「人任せは危険」


 これは営業として叩き込まれた教訓だ。


 だから。


「わたくしも動きますわ」


 そう決めた。


 わたくしは小さく手を掲げる。


「本棚、展開」


 ぽん、と軽い音。


 目の前の空間がゆらりと揺れる。


 そこに現れたのは――


 カラーボックス型の本棚。


 どう見ても庶民の家にありそうな簡素な家具。


 だが、この地下牢では異様なほど場違いな存在だった。


「……ありましたわね」


 昨日、精霊に見せたスキル。


 本棚。


 近づいて中を確認する。


「今日は……」


 背表紙を指でなぞる。


 昨日とは違う本が並んでいた。


 まずは漫画。


 『独眼竜のリベンジ』


 隻眼の武将が裏切り者へ復讐する歴史物語。


「……復讐もの」


 思わず苦笑する。


「今のわたくしにぴったりですわね」


 隣には別の漫画。


 『オタの恋は楽しい』


 社会人オタクたちの恋愛コメディ。


「地下牢で読むには平和すぎますわね……」


 さらに下段。


 ビジネス書が並んでいた。


 『交渉術の心理学』


 『結果を出す会議の進め方』


 『顧客を動かすプレゼンテーション』


「……会議室があれば活躍するのですが」


 ここは地下牢である。


 プレゼンの相手は看守くらいしかいない。


 そのときだった。


 ふわり、と空気が揺れる。


 見覚えのある緑色の光。


「やっほー!」


 昨日の精霊だった。


 葉っぱのような髪を揺らしながら、楽しそうに飛んでいる。


「また来てくれたのね」


「うん!」


 精霊は本棚の前にふわりと降りた。


「昨日の本、すごく面白かった!」


 くるりと振り返る。


「今日は友達も連れてきたよ!」


「お友達?」


 次の瞬間。


 水色の光がふわっと広がった。


 そこから現れたのは、小さな精霊。


 透き通るような水色の髪。


 体の周りに、水滴のような粒が浮かんでいる。


「ぼく、水の精霊」


 小さくぺこりと頭を下げた。


 なんて可愛いのかしら。


 手のひらほどの精霊が二人。


 思わず頬が緩む。


「ようこそ地下牢へ」


 わたくしは優雅にお辞儀した。


「本ならたくさんありますわ」


「やったー!」


 緑の精霊が歓声を上げる。


 すぐに漫画を引き抜いた。


「今日はこれ!」


 『独眼竜のリベンジ』。


 ぺらぺらとページをめくる。


「刀! 戦ってる!」


 隣で水の精霊は『オタの恋は楽しい』を手に取った。


「恋ってなに?」


「……難しい質問ですわね」


 わたくしは少し考える。


「たぶん、誰かを大事に思う気持ちです」


「ふーん」


 精霊たちは夢中で読み始めた。


 地下牢の暗闇の中。


 本を読む小さな精霊たち。


 なんとも不思議な光景だった。


 やがて。


「読み終わった!」


 緑の精霊が元気よく言う。


「今日も面白かった!」


「人間の話、楽しい」


 水の精霊も頷いた。


 そして緑の精霊が、ぽんと手を叩く。


「はい、お礼!」


 光が弾ける。


 現れたのは三つの種。


 赤、青、金。


 わたくしは静かに息を飲む。


「……また」


 昨日と同じだ。


 だが今回は迷わない。


 赤い種を口に入れる。


 かりっ。


 体の奥から熱が広がる。


 透明なウインドウが現れた。


 ――力:+200


「え……?」


 昨日の倍だ。


 続けて青。


 ――魔力:+200


 最後に金。


 ――HP:+200


 ウインドウが更新される。


 ――力:306

 ――魔力:318

 ――HP:321


「すごい……」


 体が軽い。


 全身に力が満ちている。


 そのとき、水の精霊が近づいてきた。


「ぼくもお礼する」


「え?」


「加護あげる」


 水色の光が弾けた。


 光が体に吸い込まれる。


 ウインドウが再び現れる。


 ――水の加護を獲得


 さらに文字が増える。


 ――水魔法:ウォーター生成

 ――水魔法:浄化

 ――水魔法:小回復

 ――水魔法:水球


「……!」


 わたくしは手を伸ばす。


「ウォーター」


 ぽん。


 手のひらに、透明な水の球が現れた。


「できましたわ……!」


 精霊たちが楽しそうに笑う。


「すごい!」


「きれい!」


 水球はふわりと揺れ、静かに光を反射している。


 地下牢の暗闇の中。


 それは小さな宝石のようだった。


 わたくしは静かにステータスを確認する。


 ――名前:エリス=フィオレンティーナ

 ――残り日数:6

 ――スキル:本棚

 ――加護:水の精霊


 昨日とはまるで違う。


 地下牢の中。


 それでも確実に、状況は変わっている。


 わたくしは小さく呟いた。


「エドアルド様」


 きっと、あの人も動いている。


 でも――


「わたくしも、ただ待つだけではありません」


 水球を指先でくるくる回す。


 精霊たちは楽しそうに笑っている。


 地下牢の逆転劇は――


 静かに、しかし確実に動き始めていた。


 ◇


 ◇ エリス視点


 水球が、わたくしの手のひらで静かに揺れている。


 地下牢の薄暗い空間に、透明な光が反射してきらきらと輝いた。


「……綺麗ですわね」


 思わず見とれてしまう。


 昨日までは、ただ斬首を待つだけの囚人だった。


 けれど今は違う。


 精霊の加護。

 本棚のスキル。

 そして、確実に増えているステータス。


 わたくしは静かに拳を握った。


「これは……使えますわね」


 水の精霊が首をかしげる。


「なにするの?」


「少し、実験です」


 わたくしは鉄格子の前に歩み寄った。


 鉄は古い。

 しかし分厚い。

 普通の令嬢ならびくともしない。


 だが――


「力、三百」


 軽く格子を握る。


 ぎし、と音がした。


「……あら?」


 もう一度力を込める。


 ぎぎぎぎぎ。


 鉄が、わずかに歪んだ。


 精霊たちが目を丸くする。


「曲がった!」


「人間すごい!」


 わたくしは慌てて手を離した。


「だめですわ」


 首を振る。


「今ここで壊したら、即処刑コースです」


 脱走するのは簡単だ。


 だが逃げれば、冤罪は確定する。


 それでは意味がない。


 わたくしが欲しいのは――


「名誉の回復」


 堂々と地上を歩く未来だ。


 そのとき、ふと水の精霊が言った。


「ねえ」


「なんでしょう?」


「この牢屋、変な匂いする」


「匂い?」


 精霊は鉄格子の上を指さした。


「ここ。黒い」


 よく見ると、石壁に薄い紋様が浮かんでいた。


 黒い、複雑な魔法陣。


 昨日エドアルドが言っていた。


 ――魔族の術式。


 わたくしは近づいて観察する。


「……なるほど」


 攻略本の知識が頭に浮かぶ。


 魔族の結界は、魔力を循環させて維持する。


 そして多くの場合――


「水属性に弱い」


 わたくしは手をかざした。


「ウォーター」


 小さな水球が現れる。


 それを、そっと紋様に落とす。


 じゅっ。


 黒い線が、わずかに揺らいだ。


「……!」


 消えはしない。


 だが、確かに反応している。


 水の精霊が得意そうに言った。


「ぼくの力」


「助かりますわ」


 つまり――


 この結界。


「外からは壊せない」


 だが。


「内側からなら、削れる」


 七日。


 いや、もう六日。


 わたくしは壁を見つめた。


「少しずつでも削れば」


 結界は弱る。


 そのとき。


 外から破壊できる。


 わたくしは静かに笑った。


「エドアルド様」


 あなたの剣。


 無駄にはしません。


 ◇


 ◇ エドアルド視点


 王城の廊下を、俺は早足で進んでいた。


 隣をルオーが歩く。


「宮廷魔術師団はどうだった」


「調べました」


 ルオーは淡々と答える。


「今回の結界。記録にありません」


「……やはりか」


 俺は舌打ちする。


 王城の地下牢に魔族の結界。


 普通ならありえない。


「王子殿下の動きは?」


「ここ三日、男爵令嬢アナと共に過ごしております」


 あの女。


 エリスを突き落としたと嘘をついた張本人。


 だが問題はそこではない。


「アナに魔力は?」


「微弱です」


 つまり――


「裏に誰かいる」


「はい」


 ルオーは静かに続けた。


「魔族、あるいは魔族と契約した者」


 王城の空気が、重く感じる。


 俺は拳を握った。


「証拠が必要だ」


 冤罪を覆す証拠。


 それがなければ、王子の命令は覆せない。


 そのときだった。


 廊下の向こうから声が響く。


「エドアルド殿」


 振り向く。


 そこに立っていたのは――


 金髪の青年。


 第三王子アルベルト。


「地下牢へ行ったそうだな」


 笑っている。


 だが目が冷たい。


 俺は一歩前に出た。


「侯爵令嬢への扱いとして不当です」


「彼女は罪人だ」


「証拠は?」


「被害者の証言」


 アルベルトは肩をすくめた。


「それで十分だ」


 俺は怒りを押さえながら言う。


「裁判もなしに斬首は」


「王族の判断だ」


 その言葉。


 完全な圧力だった。


 廊下の空気が張り詰める。


 やがて王子はふっと笑った。


「まあいい」


 近づいてくる。


 そして小さく囁いた。


「だが忠告しておく」


「……」


「エリスの件に関わるな」


 金色の瞳が細くなる。


「さもないと」


 その声は、氷のように冷たかった。


「ミラノーレ公爵家でも守れないことになる」


 俺は王子を見下ろした。


 そして、静かに答える。


「それでも構いません」


「ほう?」


「俺は」


 胸の奥に、十三年前の笑顔が浮かぶ。


 池のほとり。


 銀髪の少女。


「彼女を助けると決めました」


 アルベルトは一瞬黙った。


 そして笑った。


「……愚かだな」


 王子は背を向ける。


「好きにしろ」


 去っていく足音。


 廊下に静寂が戻る。


 ルオーが小さく言った。


「閣下」


「ああ」


 俺は拳を握る。


「戦争だな」


「はい」


 王子。


 魔族。


 そして地下牢。


 すべてが繋がり始めている。


 俺は窓の外を見た。


 夕日が王城を赤く染めている。


「待っていろ、エリス」


 小さく呟く。


「必ず助ける」


 その瞬間。


 なぜか胸がざわめいた。


 まるで――


 地下牢の結界が、


 ほんのわずかに揺らいだような気がしたのだ。

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