第2話: 荒野の住人たちと失われた魔法
目覚めの瞬間、リアンの体はまだ空の風を覚えていた。落ちる感覚――結界の裂け目を抜け、重力が体を引き裂くような痛み。それが夢じゃなかった証拠に、周囲の景色は空島のそれとはまるで違っていた。乾いた土の地面が足裏をざらつき、熱い風が頰を撫でる。空は広く、青いが、雲海の下に広がるこの大地は、荒涼とした美しさを持っていた。遠くの地平線では、岩山が牙のように連なり、点在する枯れた木々が風に揺れる。毒の霧の話は嘘だった。魔族の影も、即座に襲ってくるような脅威もない。ただ、静かな荒野が広がるだけだ。
「動けるか、よそ者?」
声の主は、先ほどモンスターを倒した男だった。三十代半ばの屈強な体躯で、肩に弓を担ぎ、腰に短剣を差している。服は粗末な革製で、埃にまみれているが、目は鋭く、生き抜く者の眼光だ。彼の後ろには三人――二人の男と一人の女性。皆、似たような装いだ。
「俺はカイル。この村の狩猟隊長だ。お前、空から落ちてきたな。珍しい客だ」
リアンはゆっくり立ち上がり、体を確かめた。骨折はないが、打撲の痛みが走る。「リアンだ。空島の……物流ギルドの見習い。ウィンドは? グリフォンは一緒に落ちたはず……」
カイルは肩をすくめた。「獣の影は見なかったが、生きてりゃ近くにいるだろ。まずは村へ。モンスターが群れで来る前に」
一行は荒野を歩き始めた。足元は砂利混じりの土で、時折小さな棘のある植物が絡まる。空島の柔らかな芝とは違い、歩くごとに疲労が積もる。道中、カイルが説明した。「この大地――グラウンドと呼んでる――は、昔の伝説通り魔族の支配地だった。だが、今は違う。長い年月で、彼らは衰退した。内紛で互いを殺し合い、資源が尽きて少数しか残ってない。俺たち落ち人は、そんな隙間に村を作ったんだ」
「落ち人? どれくらいの数が?」
「村は五十人くらいだ。たまに裂け目から落ちてくるヤツが加わる。ほとんどは死ぬけどな。モンスターの餌食か、飢えで」
モンスターの話が出ると、リアンの背筋が凍った。先ほどの狼のような獣――それは「シャドウウルフ」と呼ばれる種で、群れで狩りをするらしい。空島の配達モンスターとは違い、野生の本能が強く、予測不能だ。「空飛ぶモンスターは結界に弾かれるから、地上にはいない。代わりに、地を這うヤツらがいる。毒蛇、巨獣、時には魔族の遺産が蘇ったような化け物も」
村に近づくと、景色が変わった。荒野の窪みに、廃墟を活用した集落が現れる。古い石造りの壁が囲み、内部に木製の小屋やテントが並ぶ。壁は高さ三メートルほどで、上部に棘付きの柵。入口の門は鉄製で、番兵が立っている。村の中は意外に活気があり、子供の笑い声が聞こえ、畑で働く人影が見える。作物は空島のものとは違う――根菜のような塊茎や、棘のある果実。
「村長のところへ連れてく。ルールは守れよ。ここは空島じゃねえ」
村長の住処は中央の大きなテント。内部は簡素で、地図や古い書物が散らばる。村長は六十代の老人で、白髪混じりの髭を蓄え、穏やかな目をしている。名をエルドと名乗り、水と干し肉をくれた。「ようこそ、リアン。空島の民が生きてここに来るのは珍しい。結界の裂け目が増えてる証拠だな」
リアンは喉を潤し、質問を浴びせた。「地上の真実は? 魔族は本当に衰退したのか? 空島では、落ちたら即死だって……」
エルドはゆっくり頷いた。「長い年月だ。魔族の全盛期は数百年、いや千年以上前。強大な魔法で大地を支配し、空島の祖先を追いやった。だが、自然の流れで衰えた。魔法の源――大地の魔脈が枯渇し、内部分裂が起きた。資源争いで戦争を繰り返し、今は隠れ里に少数が暮らすだけ。俺たちはその隙間で生きてる。危険なモンスターはいるが、適応した。狩猟、農耕、時には魔族の遺跡から技術を拾う」
村の生活を聞くうち、リアンの常識が崩れた。空島の「死の大地」は、ただの恐怖話だった。村人たちは二派に分かれていた。「帰還派」――空島に戻る方法を探す者たち。そして「定住派」――地上で新生活を築く者たち。エルドは帰還派のリーダーだ。「結界を破る鍵は、魔族の魔法だ。あの青い膜は、空島の祖先が作ったものだが、魔族の力でしか解けない。習得するには、魔族の隠れ里へ行くしかない」
「隠れ里? どこに?」
「東の遺跡群だ。危険だが、道はある。だが、お前一人じゃ無理だ。村で休め、訓練を受けろ」
その日から、リアンの地上生活が始まった。村は厳しいが、温かかった。朝は狩猟隊に同行し、シャドウウルフの狩りを学んだ。弓の使い方、罠の仕掛け方。空島のモンスター使いの経験が活き、素早く適応した。昼は畑仕事。土を耕し、種を植える。空島の魔法農業とは違い、手作業が中心だが、達成感があった。夜は村の集会。焚き火を囲み、落ち人の物語を聞く。一人は裂け目で家族を失い、もう一人は空島の貴族だったが事故で落ちた。皆、喪失を抱えつつ、地上で希望を見出していた。
ある日、奇跡が起きた。村の外で、ウィンドの鳴き声が聞こえた。探しに行くと、グリフォンがいた! 裂け目で一緒に落ち、傷ついていたが生き延びていた。地上の空気に適応し、翼が少し萎縮したが、まだ飛べる。「ウィンド! お前もここに……」リアンは抱きつき、涙を堪えた。ウィンドは地上のモンスターを味方化する鍵になった。村人たちは驚き、リアンを「獣使い」と呼ぶようになった。
訓練の合間、エルドから魔族の歴史を学んだ。「魔族は人間に似てるが、角や翼を持つ者もいる。魔法は影や大地を操る。衰退の原因は、自然だ。魔脈の枯渇――空島の結界が大地のエネルギーを吸い取ってるせいかも知れん。長い年月でバランスが崩れた」
リアンは疑問を溜め込んだ。空島の魔法が地上を蝕んでいた? 真実を伝えるため、帰らねばならない。村の定住派――リーダーの女性、ミラ――は反対した。「地上は豊かだ。空島の停滞した社会に戻る必要ないわ。新天地を築きましょう」ミラは三十代で、強い意志の持ち主。彼女の派閥は村の半分を占め、内紛の火種だ。
一週間後、リアンは決意した。「隠れ里へ行く。魔族の魔法を学び、結界を破る」エルドは地図を渡し、カイルを同行者に。ウィンドを連れ、旅の準備。村の門を出る時、皆が見送った。「生きて帰れ、リアン。真実を空島に」
荒野を東へ。岩山を越え、森の端を目指す。道中、モンスターの群れに襲われた。シャドウウルフの群れ――十匹以上。カイルの矢が一匹を倒すが、囲まれる。リアンはウィンドに乗り、空中から攻撃。グリフォンの爪が獣を裂く。地上の重力で飛ぶのは重いが、訓練の成果だ。戦いの末、勝利。だが、カイルの腕に傷。「これくらい、地上じゃ日常だ」
森に入ると、景色が変わった。木々が密集し、蔦が絡まる。魔族の遺跡の気配――崩れた石柱に古い文字。夜営中、リアンは夢を見た。空島のギルド長が、落ちた自分を嘲笑う。「お前は死んだはずだ」目覚め、決意を新たにした。
隠れ里は森の奥、谷間にあった。霧に包まれ、入口に魔法の結界。リアンが触れると、影が蠢く。「誰だ、人間ども」声が響き、老いた魔族が現れた。角が一本、翼が萎縮した姿。衰退の象徴だ。「空島の民か……魔法を求めに来たか」
魔導師の名はザルド。隠れ里は彼一人。かつての仲間は死に、孤独だ。「長い年月で、我々は滅びゆく。だが、魔法は教える。お前が、真実を伝えるなら」
試練が始まった。影の術――闇を操り、結界を解析する。体に負担がかかり、痛みが走る。カイルは見守り、ウィンドは守護。数日後、リアンは基本を掴んだ。「これで、裂け目を逆利用できる。帰れる」
だが、ザルドの言葉が重い。「結界は呪いだ。お前たちの祖先が作ったが、大地のバランスを崩した。破れば、変化が起きるぞ」
リアンは頷いた。変化こそ、必要だ。真実を空島に持ち帰り、地上の希望を伝える。旅は続くが、復興の種は芽吹いた。
(第2話 終わり)




