第1話: 風の翼と青い膜
空に浮かぶ島々は、まるで神々が散らばらせた宝石のようだった。無数の島が青空に点在し、それぞれが独自の形と命を持っている。アエリアル――それが私たちの世界の名だ。島々は魔法の力で浮遊し、互いを繋ぐのは風の道と、モンスターたちの翼。地上は遥か下、雲海の彼方に沈む禁断の領域。そこは魔族の支配地、毒の霧と凶暴な獣が跋扈する死の大地。落ちたら、生きて帰れない。それが、誰もが知る鉄の掟だ。
私の名前はリアン・ヴェントス。二十歳の若者で、空島連合の物流ギルドに所属するモンスター使いの見習いだ。ギルドの本部は中央島のハヴェンシティにあり、街は白い石造りの建物が連なり、噴水の水音が絶えない。朝の陽光が島の縁を金色に染め、遠くの島影がぼんやりと浮かぶ景色は、毎日のように心を奪う。だが、今日も仕事だ。
「リアン、今日の配達は東のフロート島だ。荷物は魔法石と薬草の束。グリフォンを連れて行けよ」
ギルド長のガルドは、髭を撫でながら言った。彼は五十代のベテランで、左目に古い傷跡がある。モンスター使いの証だ。ギルドの倉庫は賑やかで、様々なモンスターが檻や柵の中で待機している。ワイバーンは翼を広げて鳴き、フェニックス型の小型モンスターは炎の尾を揺らす。ここではモンスターは敵じゃない。配達のパートナーだ。訓練すれば、島間を素早く飛び、荷物を運ぶ忠実な存在になる。
私はグリフォンを選んだ。名をウィンドと呼ぶ、灰色の毛並みに金色の瞳を持つ雄。体長は五メートルほどで、鷲の頭と獅子の体が融合した姿は威圧的だが、馴染めば優しい。鞍を付け、荷物を背負わせる。魔法石は島の浮遊を維持する重要な資源で、薬草は病を癒すもの。島々間の貿易が命綱だ。もし物流が止まれば、アエリアルは崩壊する。
「よし、ウィンド。今日は穏やかに行こうぜ」
ウィンドの背に飛び乗り、島の縁から飛び立つ。風が頰を叩き、髪をなびかせる。島の下は雲海、無限の白い綿が広がる。時折、雲の隙間から地上の影が見える――暗い森や山脈の輪郭。でも、すぐに目を逸らす。子供の頃から聞かされた話だ。「地上に落ちたら、魔族に食われる。毒の霧で体が溶ける。絶対に近づくな」。
空全体を覆う青い膜――結界術式が、私たちを守っている。島の周囲に張り巡らされた魔法の障壁で、外部の脅威を弾く。術士ギルドが維持し、青く輝くそれは夜になると星のように瞬く。だが、最近噂がある。結界に裂け目が増えている、と。魔力の乱れか、天候のせいか。ギルド長は「迷信だ」と笑うが、心のどこかで不安がよぎる。
東のフロート島へ向かう途中、他の配達モンスターとすれ違う。ドラゴンライクな大型種が重い荷物を運び、鳥型のスウィフトが小包をくわえる。島間は橋がないから、すべてモンスター頼み。経済の動脈だ。フロート島は緑豊かで、果樹園が広がる。着陸し、荷物を渡す。島の長老が礼を言い、代わりに新鮮な果物をくれる。
「最近、結界の揺れが気になるな。君たち物流屋は気をつけろよ」
長老の言葉に頷きながら、再び空へ。帰路は穏やかだった――はずだった。突然、黒い雲が湧き上がり、嵐が襲ってきた。雷鳴が響き、風が乱れる。ウィンドが暴れ、荷物が傾く。「落ち着け、ウィンド!」必死に手綱を握るが、島の端に近づきすぎた。青い結界が揺らぎ――小さな裂け目が開いた。
それは一瞬の隙間。青い膜に亀裂が入り、虚空が覗く。足元が崩れ、ウィンドの悲鳴が聞こえた。私は落ちた。体が宙を舞い、重力が引きずる。結界を抜けると、冷たい風が体を包む。「助けて……!」叫びは虚空に吸い込まれ、雲海を突き抜け、地上へ。視界が暗くなり、意識が遠のく。
――落ちたら死ぬ。魔族の大地で。
目が覚めたのは、灼熱の土の上だった。体中が痛むが、息はしている。毒の霧? ない。代わりに、乾いた空気と土の匂い。空を見上げると、ぼんやりとした青い膜が遠くに輝く。あれが結界。あそこに戻れない。パニックが襲う。「ここは……地上?」
周囲は荒野。岩が散らばり、遠くに森の影。子供の頃の恐怖話が蘇る。魔族の影が迫る、モンスターの咆哮。でも、静かだ。立ち上がり、よろよろと歩く。喉が渇く。ウィンドは? 落ちた荷物は? 何もない。
数時間後、影が近づいた。巨大な狼のようなモンスター――牙を剥き、赤い目が光る。逃げようとしたが、足が絡まる。絶体絶命。「終わりか……」
その時、矢が飛んできた。モンスターの首に刺さり、獣が倒れる。声が響く。「よそ者か? 空から落ちてきたな」
現れたのは、数人の人間。ぼろぼろの服を着た男がリーダーだ。「俺たちは落ちた者たちの集団だ。生き延びたいなら、ついてこい」
村は荒野の奥、廃墟を囲んだ小さな集落だった。石壁で守られ、内側にテントと畑。落ちた人間たちが築いたものだ。村長の老人が、水をくれながら説明した。「お前のような落ち人は、たまにいる。結界の裂け目からな。魔族? ああ、昔は支配者だったが、今は衰退してる。長い年月で、自然にね。内紛と資源の枯渇で、少数しか残ってない。地上は危険だが、生きられるんだ」
真実の衝撃。地上は死の地じゃない。魔族は弱く、人間は適応した。空島の常識が崩れる。「帰る方法は?」
老人は首を振った。「結界を破るには、魔族の魔法を学ぶしかない。空飛ぶモンスターさえ弾かれるんだ。お前、覚悟はあるか?」
私は頷いた。帰って、真実を伝える。空島に、地上の希望を。
(第1話 終わり)




