第37話・裏救世主誕生のトリガー
暗闇より深い闇に落ちている。
だというのに、僕の視線の先には一筋の光明が開いている。
『……あぁ』
思わず、そこに手を伸ばした――
***
鼻を突き刺すような血の匂い。
それに隠れてほのかなラベンダーの香りがそれを優しく包み込んだ。
「おはよう。少年、あまりいい状況ではないがひとまず君が起きてくれたことを喜ばしく思うよ」
「……」
重い瞼を思いっきり持ち上げると優しい表情で僕の顔を覗く無無先輩がいた。
「落ち着いたみたいでよかったよ。君が目覚めた時にまた錯乱されでもしたら困ってしまうからね」
「先輩、これって……」
「ああ、美女の膝枕だぞ。喜べ、贅沢者め」
そう、首元の感覚は堅い地面と言うよりは、少し生暖かいカーペットに首をかけている気分だった。
目元にたまった涙をぬぐいながら思い上体を起こす。
「そう、ですか。ありがとうございます」
だが、どうしても言葉に覇気は戻らない。
自分の正体、人を手にかけ、時雨さんを殺した。
全能感に身を任せて、体の主導権すら自分で取り戻すことが出来ずこの様だ。
「まあ、今の君に何を言ったところで結局は何も変わらない。未来も、過去も、今もだ。だけど、過去を変える方法は知ってるね?」
「メサイア。でも、もう駄目なんじゃ……」
今、メサイアは格納庫にある。
だが、そこまで行くにはテロリストたちの網を潜り抜けなければならず、この大怪我では不可能だ。
「ふっ、安心しろ。あいつらは目的を達成したのか、いなくなった。メサイアも無事だよ」
「目的を達成した。目的って一体?」
「これだろうね」
そう言って彼女はスマホを取り出す。
そこに映されていたのは現防衛副大臣の『西川礼二』であった。
『現防衛大臣の武者小路 時光が何者かによって殺され、国民の皆様は不安に苛まれているでしょう。ですが、この私が亡き大臣の代わりにこの日本を守って見せます!!』
そこでは、西川が意思表明を行い。
その傍らに控えていたのは、僕が道に迷っていた時に出会った”影山”と名乗る男だった。
「まさか、大臣になるために……」
「西川は軍拡派だ。このまま行けば、下手すると他国との戦争だなんてこともありえるね。それどころか、アジア全土を巻き込んだ大戦が引き起こされる可能性がある」
「そん、なの許しちゃいけない」
何とか立ち上がろうとするも、銃弾が何発か体の中にある事は変わりないため力が抜け地面に叩きつけられる。
「今から、私は君にとても残酷なお願いをする。言うまでもないが、メサイアを使って過去に戻ってもらう」
「それは、そうするしかないですから」
「ただ、わかっているだろうけど成功するまで時間を遡り続けて欲しい」
つまり、失敗したらすぐメサイアに乗って過去に戻る。
だけど、それはあの鉄板に押しつぶされる恐怖に耐え死を乗り越える必要があるのだ。
でも、そんなことはどうでもいい。
「行かせてください」
もはや、僕に引く場所はない。
死ぬのは怖いが、それ以上に怖い思いはさっきした。
「ああ、行って来い少年。起動コードは遠隔で入れておく」
「はい!!」
そう元気に返事して、僕は壁伝いに体を預けながら何とか格納庫へ向かった。
***
壁伝いに、かなり遅いペースで進む槃の背を見届けた後、やっと一息つく。
「さて、行ったな」
そう、ぼやきながら首を動かし自身の背を確認する。
相変わらず上から下まで血まみれで、自分がまだ生きていることが不思議なくらいだ。
「少年には、気づかれなかったみたいだけど。はあ、やっぱり痛い」
アドレナリンも切れて来たのか、鋭い痛みが背に走る。
槃が、倒れた後にテロリストたちの襲撃から守るため彼を担いで移動したが、同時に手傷を負ってしまったのだ。
その時、コツコツと廊下を歩くハイヒールの音が響く。
「お疲れ様。無無ちゃん。息子の面倒を見てくれて」
「が、学園長?ご無……どういうつもりですか」
顔を上げると、私を見下げていたのは学園長である無涅 彼岸であった。
この状況で生きていることは奇跡のようなものだが、そんなことは吹っ飛ばすほどの衝撃が目の前で走る。
「こういうつもりよ。この時間は失敗しちゃったけど、ちゃんと後始末もしないといけないから」
突き付けられる黒光りした拳銃。
それは、少し前に過去先生を撃ち殺したものと同じだった。
「放っておいても私は死にますよ」
「そうね、でも私って人の絶望した顔が好きだからこうやって自分で手を下すのが趣味なのよ」
「っ!貴方がそんな醜悪な方だとは初めて知りましたよ。もしかして、これは貴方も手引きなんですか」
「これは?これもよ」
邪悪、加えて無邪気な笑みで彼女はそう告げる。
嫌な想像が頭の中によぎった。
「どこ、から」
「どこから?初めからかしら」
その瞬間、私の全身から冷汗が噴き出すのが肌でわかった。
「まさか、入学式の日に私を呼びだす手紙を送ったのは!」
「私ね」
「初日に迎撃プログラムを無効化したのは!?」
「私ね!」
「今までの事件の原因は……」
「大体、全部私よ!!」
なんてことだ、目の前に全ての黒幕がいるではないか。
その上、直接の実行犯ではないため少年も全く気付くことができない。
「それに、初めって本当にそこからかしら」
「は?」
「なんなら、前日に槃のスマホをハッキングして寝坊させたのも私だし、貴方がメサイアの設計図を見つけるように仕向けたのも私よ」
「それは、だって……私はおじいちゃんの!」
「タイムマシンの設計図が娘とはいえ一般人に渡るわけないでしょ」
ストンと体の奥で腑に落ちる音がした。
大体、タイムマシンが高校生に作れてしまう代物であることも、その設計図が手元に来ることも全てがご都合的だった。
「なら、メサイアは……」
「私が作ったら目立つからね。学園の校舎の地下を貸し出して、名目上は人機兵装の開発って言ったらいいと思わない?」
あの設備すら、手の中だった。
私の何もかもが、目の前の悪魔の手の上で転がされていただけだと思い知る。
「そんな……っ、でも!」
「時間を戻れば問題ないって?ああ、安心して別に槃をどうこうしたいわけじゃないの。ただ、少し……意地悪するだけよ」
「2044年、4月24日の10時?」
スマホに映し出されたのは、今日の日付と時刻、そして下には『設定』と書かれたボタンがあった。
その時間は、ちょうど私が『ソウルシンクロナイズ』のシステムメサイアにダウンロードし終わった頃であり――
襲撃の大体14分前の時間だ。
「バックドア、ダウンロードしてくれてありがとう」
「はっ!やめ、やめろぉ!!」
嫌な予感、同時に手を伸ばすも限界の体はついて来ず。
そのまま、学園長は眼前で『設定』ボタンが押された。
「あ、あぁ」
「これで、メサイアが遡れる最大時間は僅か数時間だけ。ふふっ、ハードモードね」
「何の、何のために!!なぜ、そんなことが出来るんだ!」
「人類の為よ」
興奮して、怒りのまま叫んだ問いかけは、まるで通じていない。
それどころか、全く意味の分からない返答だけが帰って来る。
「私は人の絶望が好き。それに、人類も好き。なら、絶望させながら人類も救うのが一番いいと思わない?」
「意味が、意味が分からない!」
「わからなくたって構わないわ。”今”の貴方はここで終わりだもの」
そう言いながら眉間に拳銃を押し付けてくる。
死ぬ、ついさっきも間近に感じて来たそれが眼前まで迫って来たからか、指先が震えだすのがわかった。
でも――
「っ、私たちは負けない!ここで、”今”の私が死んだとしても、いつか……いつの日か!貴方は倒される!!」
だからこそ、槃に死んでくれと言った私が折れるわけにはいかない。
「へえ、いい目をするじゃない。でも、絶望の方がいいわ」
「絶望なんてしない!」
「そう、ならこんなのとかどうかしら」
見たことのないほど、邪悪な笑み。
吐き気を催すほどの悪意があの笑みには詰まっていた。
「―――」
「は?」
たった一言。
信じられるかと言えば、信じられない。
だが、目の前の邪悪な笑みが『嘘』ではないと物語っていた。
「やっと、いい顔になったわね」
銃声が誰もいない廊下に響く。
次の瞬間、無無はこれまでにないくらいの驚愕と絶望の混じった表情で倒れていた。
「救世主誕生のトリガーを引いたのは貴方じゃない。私の救世主でもない」
クルクルと手元の拳銃で遊びながら胸元にしまう。
その動きは、まるで槃たちを手の上で踊らせているようだった。
「私よ」
笑みはなく、ただ邪悪さだけが詰まった表情で彼女はその場を去った。




