第36話・空前絶後のコラプス
僕が時雨さんを殺した。
いや、僕だった者が僕の皮を被って暴れている。
(……たす、けて)
絶望の海に漬かっているだけじゃない。
僕の体に入ってくる、それで混ざって、希釈されて消えそうになっている。
そこに、無無先輩が現れた。
「少年、なぜ……いや、お前は誰だ」
「……」
彼女は目の前に広がる惨状に一瞬気が取られていたが、すぐに目の前の男が僕ではないと気づいた。
(逃げて!逃げてぇぇぇ!!)
薄れた意識を必死に繋ぎ止めながら叫ぶ。
嫌な予感、いや確信があった。
こいつは、本気で彼女も手にかけかねない。
「あなたは明時 廻博士の縁者の者ですか」
だが、こいつが取った行動は予想に反したものだった。
始めて命令口調以外の行動を奴は取った。
「何を言っている?」
「答えなさい」
「私は孫だ。祖父は5年前に既に死んでいる」
彼女の祖父と言えば時光さんも名前を出したタイムマシンの発明者だ。
なぜ、こいつがそれを尋ねたのか不思議だった。
「……」
数秒沈黙が流れた。
こいつは何か考えるように彼女の足元から頭の先まで観察している。
(やめろ、本当に……やめろよ!!)
そんな願いが届いたのかこいつは先ほどのような凶行に移る様子はない。
「判断しなさい」
「は?」
「……アナタが博士の縁者であることを判断しました。命令をしてください」
何と、こいつは彼女に危害を加えるどころか命令を求めたのだ。
「命令って……急に何を言っているんだ」
「命令をしてください。しなければ、ログの内容から博士が最後に私に命令した内容を実行します」
彼女の疑問には何一つ答える様子もなく淡々と命令を求める。
一応、話が通じていないわけではないらしい。
「……なら、まずお前は誰か教えて」
「私は明時 廻博士によって作り出された【強化人間プログラム】の一部である。仮想人格です」
「お爺様が作り出した。仮想人格……?それが、何で槃の体にあるんだ!?」
(はぁぁあ!?何言ってんのこいつ!?)
僕も完全に寝耳に水の話だった。
当然だが、僕は彼女の祖父と接点なんてない。
「話せません。話せば、私の肉体は直ちに生命活動を終了してしまいます。それでは、私の最重要ミッションである宿主の生存が達成できなくなります」
(それって、僕が死ぬってこと……?)
話せば死ぬなんて一体どんな秘密が眠っているというのか。
と言うか、強化人間プログラムが僕が死にそうになると現れたのはちゃんと理由があったらしい。
「っ!ならいい……宿主、と言うことは体の主は生きているんだな」
「……個体名、無涅 槃を参照するならば正しいです」
(え?)
それでは、まるで僕以外に体の主がいるような言い方ではないか。
何故か意識だけの存在のはずなのに足元が揺れる音が聞こえた。
「……どういう意味だ。説明しろ」
「無涅 槃とは肉体の生存を目的に生まれた仮想人格であり、本来の主人格は既に完全消滅しています」
足元が崩れて、体が浮遊感に包まれる。
(何言ってるの?僕が、仮想人格?)
ありえない、あってはいけないと叫びたい。
だが、そうではないと断言する理由がない。
逆に、そうであった時はいくらでも納得できてしまう。
「それゆえに、無涅 槃には過去の記憶はなく。幼馴染の仮想人格と併用して使うことで安定した日常生活を送らせています」
幼馴染の仮想人格とはきっと勿美のことだろう。
僕にこれまでの記憶がないのも、勿美の幻覚が見えていた理由も全てわかる。
「あり、えない……!あり得るはずないだろ、少年が仮想人格だと!作られた存在だとでも言うのかっ!!」
その時、僕が言いたかったことを彼女が代わりに言ってくれた。
「はい」
だが、こいつは一切の躊躇いなく回答した。
「っ!そもそも、人格と言うのはそう簡単に生まれる物じゃない!お前が人間性を……人間性を?」
彼女の言葉が詰まる。
思い出してしまった、たどり着いてしまった。
怪しいドリンクがきっかけになった時の会話がフラッシュバックした。
「はい、その通りです。人格を構成するのは簡単なものではありません。ですが、ある一点に特化させればしばらくの間、生存するには十分です」
「ある一点……まさか!?」
「無涅 槃は”救世主になる”と言う一点のみに特化し作られた人格です」
(……そう、だったのか)
最初からおかしかったんだ。
誰しも、何かを成し遂げようとするためには必ず理由がいる。
僕は救世主になりたいから救世主になる。
(こんなの初めから破綻してるじゃないか……)
最初から人間として成立していなかったんだ。
その上、皮肉なことにそれゆえにここまで生きてこれた。
「なぜ、救世主になろうとしたんだ」
「……それが、元の主人格に残った最後の願いだったからです。それを元に行動パターン、性格、価値観などを設定して無涅 槃は生み出されました」
ばらばらと自分の体から音がする。
パズルのピースがはまったはずなのに、はまった途端に崩れていく。
自分が、作られたものだと知ると何だかこれまでの人生が酷くチープなものに見えた。
「……お前の体を槃に戻すことは可能か?」
「はい」
「戻せ!!」
叫んだ。
それは、自身の好奇心で槃の正体を聞いてしまった罪悪感と後悔が深く籠ったものだった。
そして、彼女の想定外とは一部始終を彼が聞いていたことだった。
「あ、あぁぁ」
「少年、少年!!戻ったんだな……」
「せんぱい、僕……僕は、あぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!!」
絶叫と共に涙がボロボロ溢れてくる。
体を取り戻すことは心から望んでいたはずなのに後悔が止まらない。
そのまま、先輩にしがみつきながら意識が糸が切れたように落ちた。
***
世界が明るいのに真っ黒に見える。
足が底なし沼に取り込まれたみたいに重くて動けない。
手も鎖で繋がれている気分だった。
『たす、けて……ください。ころして、てててください』
そう、呟いていた。
視界の先に移るのは、鹿児島にある僕の部屋だった。
鏡に誰かが写る。
『ころしてください』
一瞬、誰が写っていたのか気づけなかった。
髪は抜け、歯はボロボロ、目には深いクマが刻まれ、見える皮膚の上には発疹が溢れている。
手と足を鎖で繋がれ、顔には生気がなく、目は虚ろのまま、救いを求め続けている。
『ころしてください』
そして、一定のリズムで死を求めている。
(僕だ)
アイツは言っていた。
僕が体を生存させるために作られた人格だということを
だとすれば、鏡に写るボロボロの男の正体は――
(主人格なのか……これが、僕の……)
呆然と理解を拒否していると、扉が開く音がする。
だが、主人格はそちらに首を動かしもしないまま、同じ方向を見続けている。
「おはよう、私の救世主。今日も、空は青くて小鳥の声が聞こえるよ……なんて、聞こえてないよね」
(母さん?)
入って来たのは僕を引き取って育ててくれた義理の母親であり、現学園長の無涅 彼岸だった。
『ころしてください』
「あっ、何だかいつもより声が高い気がするね。もしかして、何かいいことでもあったかな?」
(……!?)
彼女は手慣れたように僕の世話を始めた。
『ころしてください』や『たすけてください』しか言わない僕を前にしても嫌な顔一つせずこなしていく。
「よしっ、それじゃあ少し外に出ようか。今日は、大事な日だしね」
そう言って、彼女は慣れた手つきで僕を車いすに乗せてどこかに連れて行く。
この景色は覚えている、僕の家の周りだ。
そして、優しい風が吹く丘の上にたどり着いた。
「今年から本当なら中学生になったのにね」
『たすけてください』
「ごめんね。通わせてはあげられないの……いつか、いつか救世主が元に戻ったら私の学校に通わせてあげるから」
それはそうだ、こんな状態になった人間を通わせられる学校なんてあるはずもない。
それどころか一日でも介護されなければすぐに死んでしまう。
「大丈夫、大丈夫だよ。いつか、きっと私が……」
『ああ、あぁぁいあぃあえうぇぁあ!!』
彼女が僕の頬に触れたその瞬間だった。
子供の癇癪のような叫びが辺りを木霊する。
『ごめんなさい。ごめんなさい。なみ、ごめん。ごめんなさい。わるいこでごめんなさい。かみさま。ゆるして、ころして……!!』
『槃!……大丈夫。大丈夫だから、きっといつか……メサイアさえ完成すればよくなるから』
(母さん……)
その時の母親の瞳は少しの絶望を感じさせたが、ずっと空っぽなこいつを抱きしめ続けていた。
主人格は神に助けを願っていた。
だが、第1話の物語の始まりは『神は死んだ』である。




