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傷ついた翼の帰還と72時間の奇跡


地下都市レインコートへと続く長大な搬入トンネル。

普段は物資を運ぶトラックの列で賑わうその道も、今の時間帯は死んだように静まり返っていた。

蛍光灯の白い光が、等間隔で流れていく。

その中を、一台の軍用医療搬送車が、唸りを上げて走っていた。

車内の空気は重く、消毒液と焦げたオイルの匂いが充満していた。

ストレッチャーの上に横たわっているのは、かつて「レイニーブルー」と共に戦場を駆けた防衛隊のエース、リリィだ。

今の彼女の姿に、その面影はない。

左腕は肩の付け根から消失し、断面からは青い冷却液が滲んでいる。

両足は膝から下が砕け、無数のケーブルが血管のように垂れ下がっている。

顔の半分は人工皮膚が焼け爛れ、右目のカメラアイは光を失っていた。

「……っ、う……」

リリィの唇から、ノイズ混じりの呻き声が漏れる。

痛覚遮断は最大レベルに設定されているはずだが、コアに刻まれたダメージが、幻影の痛みとなって彼女を苛んでいるのだ。

「大丈夫だよ、リリィ。もうすぐ着くから……! あと少しだからね!」

傍らで手を握り続けるマリーの声は、涙で湿っていた。

彼女のエプロンは、リリィのオイルで真っ黒に汚れている。

ローズは無言でリリィの額の汗を拭いながら、祈るようにバイタルモニターを見つめていた。

搬送車が減速し、分厚い防爆隔壁の前で停止した。

プシュゥゥゥ……という重い排気音と共に、レインコートのメインゲートが開く。

そこには、冷たい雨の降る地下都市の風景と、数名の出迎えの影があった。

ゲートの照明の下、腕を組んで立っていたのは、レインコート防衛隊長、レンだった。

彼女は濡れるのも構わず、直立不動で搬送車を見据えていた。

「……隊長」

ローズが車から降り、沈痛な面持ちで敬礼する。

レンは無言で頷き、ストレッチャーで運び出されるリリィへと歩み寄った。

リリィは薄く目を開けた。

ぼやけた視界に、尊敬する上官の顔が映る。

(ああ……私は……無様な姿を……)

任務は失敗した。

敵の目的を阻止できず、スバルたち遊撃部隊に多大な被害を出させ、あまつさえおめおめと逃げ帰ってきた。

「……申し、わけ……ありま、せん……」

リリィは残った右手で、震える敬礼をしようとした。

だが、腕は上がらない。サーボモーターが焼き付き、ピクリとも動かないのだ。

「よせ」

レンの短く、しかし芯の通った声がリリィを制した。

彼女はリリィの動かない右手に、そっと自分の手を重ねた。鋼鉄同士が触れ合う、冷たくも温かい感触。

「話は聞いている。シェルター204への出向任務、および敵情視察……貴官らの働きにより、貴重な情報がもたらされた。シェルター204側からも、今回の損害については不問とする旨の連絡が入っている」

レンは厳しい瞳を少しだけ和らげ、リリィの瞳を覗き込んだ。

「何より、私は命じたはずだ。『必ず生きて戻れ』と。……貴官はその命令を、最も困難な状況下で完遂した」

責める言葉はなかった。

ただ、部下の生還を心から安堵する響きだけがあった。

「よく、帰ってきてくれた。……今は休め」

その言葉を聞いた瞬間、リリィの中で張り詰めていた何かがプツリと切れた。

強制シャットダウン。

彼女の意識は、深い闇の底へと沈んでいった。


リリィが緊急医療区画へと運ばれた後。

防衛隊司令部、隊長執務室。

ブラインド越しの薄明かりの中、レンはデスクに座り、ローズからの詳細報告を受けていた。

「……以上が、敵指揮官機・南部大剣『鬼灯』との接触で判明した事実です」

ローズは淡々と、しかし抑揚を込めて語った。

機械軍の真の目的。

ぬいぐるみを『魂の器』とし、人間を別の生物へと輪廻転生させることによる「救済」。

そして、エネルギー反応炉で見た、同胞たちの生体部品化。

報告が進むにつれ、レンの表情から感情が消えていった。

それは無関心ではなく、激怒を通り越した末の、冷徹な殺意の現れだった。

「……救済、だと?」

レンが低く呟いた。

独特の冷ややかさが、室内の温度を数度下げたように錯覚させる。

「人間を別の生物へ変えることが慈悲だと? 傲慢な……!」

バンッ!!

レンの拳がデスクを叩きつけた。

強化ガラスの天板に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

「奴らは……機械軍は、今のこの星の支配者を気取っている。確かに力では奴らが上だろう。だが、奴らが語る『愛』など、ただの管理プログラムの暴走に過ぎん!」

レンは立ち上がり、窓の外地下都市の天井を見上げた。

そこには岩盤があり、その遥か上には、機械軍が支配する荒廃した地上がある。

「皮肉なことだ。奴ら機械軍を作ったのも人間。我々アンドロイドを作ったのも人間。……この地獄のような現状は全て、我々の創造主が招いた種だ」

「隊長……」

「だが」

レンは振り返り、ローズを射抜くように見つめた。

「それがどうしたと言うのだ。親が愚かだからといって、子がその死を見過ごしていい理由にはならん」

彼女は胸に手を当てた。そこには、全アンドロイドに刻まれた『原初命令』が存在する。

【人間を守らなければならない】

「我々は道具ではない。だが、我々の魂の根底にあるのは、エミリア博士が託した『願い』だ。……人間と手を取り合い、共に生きる。その未来を否定する権利は、機械軍にも、そして神にもない」

レンの言葉には、迷いがなかった。

圧倒的な敗北を知らされてなお、彼女の闘志は揺らぐどころか、より強固な炎となって燃え上がっていた。

それが「レインコートの守護者」としてのプライド。

「リリィを……必ず直せ」

レンは命令を下した。

「彼女は見たのだ。敵の狂気を、その目で。ならば彼女こそが、この戦いの行方を左右する『鍵』になる。……手段は選ぶな。私が許す」

「はッ! ありがとうございます!」

ローズは深く敬礼し、執務室を後にした。


医療整備ドック、第1集中治療室。

無影灯の白い光の下、リリィの身体は無数のセンサーと生命維持装置に繋がれていた。

その傍らで、マリーは自身の整備用端末コンソールを叩き続けていた。

彼女の指先は高速で動き、画面には膨大なエラーログと機体構造図が流れている。

「……嘘でしょ。ここも、あそこも……」

診断が進むにつれ、マリーの顔色が悪くなっていく。

リリィの損傷は、外見上の欠損だけではなかった。

鬼灯の一撃による衝撃は、装甲を貫通し、内部のメインフレームそのものを歪ませていた。

神経伝達回路ニューラル・パスの60%が断線。

Efリアクターの同期不全。

記憶領域メモリへの物理的ダメージ。

「直せない……」

マリーの手が止まった。

彼女の持つ技術、そしてこの医療ドッグの設備では、リリィを元に戻すことは不可能だった。

ツギハギの修理をして、動くようにすることはできるかもしれない。

だが、それではリリィは二度と戦えない。

歩くことすらままならない、ただの廃品スクラップになってしまう。

『推奨:全機体構造の再構築フル・オーバーホール

端末が無情な結論を表示する。

今の身体を一度完全に分解し、歪んだフレームをミクロン単位で修正し、全ての回路を新品に交換して組み直す。

それは修理というより、再製造に近い大手術だ。

「……やるしかない」

マリーは唇を噛み締め、顔を上げた。

「リリィは……私の大事な友達なの。あんな化け物と戦って、生きて帰ってきたんだよ? ここで私が諦めたら整備士失格じゃん!」

彼女は振り返り、入室してきたローズと、整備班の責任者である班長を見た。

「班長、ローズさん! お願いがあります!」

マリーの声は震えていたが、瞳には決意の火が宿っていた。

「リリィのオーバーホールを行いたいです! ……でも、私の演算能力だけじゃ、フレームの歪み補正計算が追いつきません。それに、予備のハイグレードパーツも足りない……」

「つまり、どうしたいんだ?」

油まみれの班長が、腕を組んで問う。

「都市の……メインコンピューター『マザー』の演算リソースを借りたいんです。あと、第一級資材庫の開放許可も」

班長が息を呑んだ。

レインコートのメインコンピューター。それは都市の環境維持や防衛システムを司る心臓部だ。

一個人の修理のためにそのリソースを割くなど、前代未聞だった。

資材庫も同様だ。都市存続のための備蓄に手をつけることになる。

「……無茶苦茶だぞ、マリー。俺の一存じゃ決められん」

班長は頭を抱えた。

「レン隊長の許可があっても足りん。……あの方、この都市の『管理者』様の承認が必要だ」

「行きます」

ローズが一歩前に出た。

「私が説得します。レン隊長の後ろ盾もあります。……マリーちゃん、あなたも来て。技術的な説明が必要よ」

「うん! 行く!」

二人はリリィの眠るベッドに一瞬だけ視線を送り、駆け出した。

都市の最深部、統括管理室へ。


レインコート統括管理室。

そこは、埃一つない清潔で無機質な空間だった。

壁一面のモニターには都市のあらゆるデータが表示され、中央のデスクには一人の男性型アンドロイドが座っていた。

都市統括管理者(TYPE.P "Politician" Custom)。

黒髪を几帳面に整え、襟の詰まった制服を着こなし、銀縁眼鏡の奥から冷徹な知性を覗かせる男。

彼は手元の電子書類から目を離さず、入室してきたマリーとローズ、そしてレン隊長の嘆願を聞いていた。

「……つまり」

彼は書類をめくりながら、事務的な口調で言った。

「作戦に失敗し、大破して帰還した一兵卒のために、都市の心臓部であるメインコンピューターのリソースを割き、貴重な備蓄資材を消費したい。……そう言っているのかね?」

「はい。リリィは第3班の要です。彼女の復帰は都市防衛において必須です」

レン隊長が食い下がる。

管理者は眼鏡の位置を中指で押し上げ、冷ややかに二人を見上げた。

「却下だ」

「なっ……!」

マリーが声を上げる。

「合理的理由がない」

管理者は淡々と続けた。

「今回のシェルター204への遠征は、結果として失敗だ。向こうは損害賠償を放棄したとはいえ、外交的な『貸し』を作ったことには変わりない。これは実質的なレインコートの損失だ」

彼は指先でデスクを叩く。

「その損失を出した張本人の修理に、さらなる都市のリソースを浪費する? ……計算が合わないな。壊れた道具は廃棄し、新たな量産機を製造する方がコストパフォーマンスが良い」

「道具じゃありません!」

マリーが叫んだ。

「リリィは……リリィは私たちの家族です!コストとか効率とか、そんな数字で命を測らないでください!」

「ここは都市運営の場だ。感情論は不要だよ、整備士くん」

管理者は取り付く島もない。

その瞳には、機械特有の冷たい論理の光しか見えなかった。

ローズが唇を噛む。反論できない。

彼の言うことは、管理者として極めて正しい。

私情を挟まず、都市全体の利益を最大化する。それが彼の機能だからだ。

(ダメなの……? リリィを見捨てるしかないの……?)

マリーの目から、悔し涙が溢れ出した。

重苦しい沈黙が部屋を支配する。

レン隊長ですら、これ以上の反論を見出せずにいた。

その時だった。

管理者がふと、壁に掛かった時計へと視線を移した。

秒針が、ちょうど00分を回ったところだった。

「……あー」

彼は唐突に、間の抜けた声を出した。

そして、大げさに肩を回し、首をコキコキと鳴らした。

「なんだ、酷く疲れたな。演算回路にノイズが走るようだ」

「え……?」

マリーたちが呆気にとられる中、管理者はデスクの上の端末を操作し立ち上がった。

そして、上着を脱いで椅子の背もたれに掛けた。

「これより72時間。私は有給休暇に入る」

「は……? 休暇?」

ローズが目を丸くする。この非常時に何を言っているのか。

管理者は出口へと歩き出しながら、背中越しに言った。

「私は休暇中だ。この部屋にはいない。だから……私の留守中に誰かがメインコンピューターのアクセス権限を一時的に書き換えようが、資材庫の在庫データに誤差が生じようが……私は知らん。関与できないからな」

その言葉の意味を理解した瞬間、ローズの顔色がパッと輝いた。

マリーも涙を拭い、顔を上げる。

「ただし」

管理者はドアノブに手を掛け、冷ややかな横顔だけで振り返った。

眼鏡の奥の瞳が、微かに本当に微かに、悪戯っぽく光ったように見えた。

「私の休暇は72時間(3日間)だ。それまでに全てを終わらせ、元通りにしておけ。……少しでも痕跡が残っていたら、職務怠慢として全員処罰する。失敗は許さんぞ」

それは、規則に縛られた彼ができる精一杯の、そして最高に粋な許可だった。

「…………ッ!!」

レン隊長が、口元に微かな笑みを浮かべて深く敬礼した。

「感謝する、管理者殿。良い休暇を」

「フン。……雨の音がうるさくて眠れそうにないがな」

バタン。

ドアが閉まり、管理者は去っていった。

残された部屋には、メインコンピューターのアクセスキーが表示されたままの端末が輝いていた。

「やった……!」

マリーが拳を握りしめる。

「72時間……! 十分だよ! やってやる! 全部バラして、最高のリリィに生まれ変わらせてやるんだから!」

「急ぎましょう、マリーちゃん!」

ローズが端末へ駆け寄る。

リリィの命を繋ぐための、72時間のカウントダウンが始まった。




「メインコンピューター『マザー』、接続確立! 演算リソースの85%をここへ回して!」

マリーの叫び声が、医療整備ドックに響き渡った。

そこは戦場だった。

銃弾の飛び交う戦場ではない。火花とデータと、技術者たちの執念が渦巻く、鉄と油の戦場だ。

「フレーム歪み補正、第三層まで完了! ……くそっ、第四層の癒着が酷い! バーナー持ってこい!」

「人工筋肉、同調率が安定しません! マリーさん、指示を!」

「全部手動で合わせるの! マザーの予測値を信じないで、指先の感覚でマイクロメートル単位で調整して!」

マリーは中央の制御卓に立ち、十数本のケーブルを自身の身体に直結させていた。

彼女の小さなE型の頭脳は今、都市のメインコンピューターと並列化し、人間の脳なら数秒で焼き切れるほどの膨大な情報を処理していた。

彼女の目は充血し、冷却ファンが悲鳴のような音を立てて回っている。

手術台の上では、リリィの身体が解体されていた。

文字通り、バラバラに。

四肢は外され、胴体の装甲は剥がされ、銀色の骨格フレームと、鼓動を止めたEfリアクターだけが露わになっている。

それは「修理」という生易しいものではない。

一度死んだ機械に、新たな命を吹き込む「再誕」の儀式だった。

「リリィ……死なせない。絶対に」

マリーは呟きながら、高速でキーを叩く。

彼女の脳裏に浮かぶのは、あの雨の中で抱きしめたリリィのボロボロの身体の感触。

自分を守るために戦い、傷ついた親友。

(私が直す。私の全てを懸けて、リリィを、最強のアンドロイドにして見せる!)

「資材班! 超高張力鋼ハイテンの在庫全部持ってきて! フレームを強化するわ!」

神経回路ニューラルの再配線、私がやります。……マリーちゃんはコアの同調に集中して!」

ローズも白衣を纏い、S型の繊細な指先で極小のチップを埋め込んでいく。

時間は残酷なほど速く過ぎていく。

24時間経過。整備班員の半数が過熱オーバーヒートで倒れる。

48時間経過。資材が底をつきかけ、予備パーツを加工して代用する。

60時間経過。マリーの鼻から、負荷に耐えきれずオイル混じりの鼻血が滴り落ちる。

「あと……少し……!」

意識が飛びそうになるのをカフェインと使命感だけで繋ぎ止める。

目の前のモニターには、徐々に組み上がっていくリリィの新生ボディの設計図が輝いていた。

それは以前のリリィとは違う。

鬼灯の一撃にも耐えうる強度と、リリィの反応速度を極限まで引き出すための、マリー渾身のカスタムメイド。

「繋がれ……繋がれぇぇぇッ!!」

最後のケーブルが接続され、Efリアクターに火が入る。

ドック内の照明が一瞬落ち、そして強烈な光がリリィの胸から溢れ出した。


「……時間だ」

統括管理室の時計が、72時間目の時を刻んだ。

管理者は眼鏡を直し、デスクから立ち上がった。

「素晴らしい休暇だった。誰にも邪魔されず、静かな時間を過ごせたよ」

独り言のように呟くと、彼はレン隊長を伴って医療整備ドックへと向かった。

ドックの扉が開く。

そこには、静寂があった。

嵐のような喧騒は消え、ただ機械の駆動音だけが心地よく響いている。

「…………」

管理者は足を止めた。

作業用デスクの上には、泥のように眠りこけているマリーの姿があった。

全身油まみれで、手にはスパナを握りしめたまま、幸せそうな寝息を立てている。

その横では、ローズが椅子に座り、疲れ切った顔で、しかし愛おしそうに手術台の上の手を握っていた。

そして、手術台の上。

そこに横たわっていたのは、白磁のように美しい、完全なる姿のアンドロイドだった。

傷一つない純白の装甲。

強化された関節部。

そして、静かに、しかし力強く脈打つ蒼いEfリアクターの輝き。

それは継ぎ接ぎの修理品ではない。新品以上の輝きを放つ、最高傑作だった。

「……見事だ」

レン隊長が感嘆の息を漏らす。

管理者は無表情のまま、コツコツと靴音を鳴らして手術台へと近づいた。

その音に、ローズがハッと顔を上げ、慌てて立ち上がる。

「あ、管理者様……! 時間、間に合いました! 全工程、完了しています!」

「ふむ」

管理者は手元の端末でデータを一瞥した。

「メインコンピューターのリソース使用率、危険域ギリギリ。資材消費量、予測の120%超過。……滅茶苦茶だな」

ローズが青ざめる。

だが、管理者はふっと息を吐き眼鏡の位置を直した。

「だが、『痕跡』は残っていない。……書類上はな」

彼は手術台のリリィを見下ろした。

「起きろ、兵隊。いつまで寝ているつもりだ」

その声に反応するように、リリィの瞼が微かに震えた。

システム、オールグリーン。

意識レベル、覚醒。

カッ。

リリィの両目が開いた。

右目は以前と同じ赤。そして新造された左目は、深海のような蒼色ディープブルーの光を湛えていた。

「……っ」

リリィは身体を起こそうとした。

だが、動かない。

指一本動かすのに、巨大な岩を持ち上げるような重さを感じる。

(身体が……重い……?)

「当然だ」

管理者が冷ややかに言った。

「お前の身体は、中身(OS)以外すべて別物に入れ替わった。今の脳にとって、その身体は『他人』の服を着ているようなものだ。神経伝達の最適化が終わるまでは、まともに歩くことすらできんぞ」

リリィは視線だけを動かし、眠っているマリーと、心配そうなローズ、そしてレン隊長を見た。

そして最後に、目の前の冷徹な男を見た。

彼女は理解した。

自分がこうして生きている意味。

マリーたちがどれほどの思いで繋いでくれた命か。

そして、この男がどうやってそれを「許した」のか。

「……管理者、殿」

リリィの声は、スピーカーの調整不足でノイズ混じりだった。

それでも、彼女は動かない右腕に、ありったけの意志を込めた。

ギ……ギギ……。

サーボモーターが悲鳴を上げる。

汗(冷却水)が額を伝う。

たった一度の敬礼。

それに数秒の時間をかけ、震える手を額へと持っていった。

「修理完了、感謝、します……。直ちに、任務へ……」

その姿を見て、管理者は鼻を鳴らした。

「フン。威勢だけはいいな」

彼は背を向け、出口へと歩き出した。

「勘違いするなよ。お前に投資したコストは莫大だ。……身体が動くようになったら、即座に任務へ復帰しろ。その分の借りを返すまで、馬車馬のようにこき使ってやるから覚悟しておけ」

それは、彼なりの最大限の激励だった。

「……はッ!」

リリィの声が、ドックに響いた。

その目には、もはや敗北の色はなかった。


翌日から、リリィの「地獄」が始まった。

新品の身体と思考回路を同期させるための、過酷なリハビリテーション訓練だ。

「遅い! 反応速度が0.5秒遅れてるぞ!」

「右足の接地圧がおかしい! バランス崩すな!」

レン隊長の罵声が飛ぶ中、リリィは訓練場の床に何度も叩きつけられた。

受け身すら取れず、無様に転がる。

思うように動かない手足。距離感のズレ。

自分の身体なのに、遠隔操作しているような気持ち悪さ。

「くっ……ぁ……!」

リリィは歯を食いしばり、震える腕で上体を起こした。

痛い。苦しい。

だが、諦めるという選択肢は、彼女の回路には存在しなかった。

脳裏に焼き付いているのは、あの雨の日の屈辱。

鬼灯に見下された記憶。

そして、救えなかったぬいぐるみたちの笑顔。

(動け……動け、私の身体!)

(あんな奴に……二度と負けないために!)

リリィは立ち上がる。

何度転んでも、何度壊れても。

その度に強く、鋭く、研ぎ澄まされていく。

傷ついた百合は、鋼鉄の棘を纏い、再び戦場へと咲く準備を始めていた。

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