折れた百合、燃える雨音
雷光が夜空を引き裂き、一瞬だけ世界を白く染め上げた。
その閃光の中で、私は見た。
私の目の前にそびえ立つ、漆黒と紅蓮の巨塔、壱拾肆式甲型 南部大剣 『鬼灯』。
全高15メートル。神話の巨人のようなその威容は、雨に濡れて鈍い光を放ち、圧倒的な「死」の質量としてそこに在った。
「排除するッ!!」
私は叫び、アサルトライフルの引き金を引いた。
ダダダダダダッ!!
マズルフラッシュが闇を焦がす。放たれた徹甲弾の群れは、一直線に鬼灯の顔面、モノアイへと吸い込まれていく。
だが。
カァン、カァン、カァン!
硬質な金属音が響き、弾丸は全て弾かれた。
傷一つない。塗装すら剥がれていない。
「……硬いッ!」
分かってはいた。ピースウォーカーの装甲すら容易く貫くライフルでも、この特注の重積層装甲には豆鉄砲にもならないことを。
「遅い」
鬼灯の声が轟いた瞬間、世界が裏返った。
彼が動いた。ただ、右腕を蚊を払うように薙ぎ払っただけだ。
だが、その質量が生み出す風圧だけで、私の身体は木の葉のように吹き飛ばされた。
「ぐぅッ……!?」
デッキの手すりに叩きつけられる。
背中の装甲板がひしゃげる警告音。
私は痛覚遮断を最大レベルに固定し、即座に跳ね起きた。
止まってはダメだ。止まれば死ぬ。
私は疾走した。
A型特有の高機動スラスターを噴かし、床を滑るように加速する。
狙うは関節部。装甲の継ぎ目、膝の裏側!
私は懐の大口径ハンドガンを抜き、スライディングしながら膝裏のシリンダーを狙って撃ち込んだ。
ドォン!!
着弾、爆発。
「やったか……!?」
煙が晴れる。
しかし、そこにあったのは、無傷の関節だった。
「小賢しい」
鬼灯が足を上げた。
数トンの鉄塊が、私を踏み潰そうと落下してくる。
「しまッ――」
回避が間に合わない。
私は左腕を犠牲にして、身体を強引に右へねじった。
ガシャアァァッ!!
不快な破壊音が鼓膜を劈く。
私の左腕が、肘から先を千切り飛ばされ、鉄の床に押し潰されてスクラップになった。
断面から青い冷却液とオイルが噴き出し、雨水と混じり合って流れる。
「あ……がぁッ……!!」
警告。左腕部モジュール、ロスト。
バイタル低下。出血多量。
演算回路が真っ赤なエラーログで埋め尽くされる。
『退避推奨』『勝率0.000%』『自害コードの申請』
うるさい。黙れ。
まだ動ける。右腕がある。足がある。
私はよろめきながら立ち上がった。
片腕を失ったバランスの悪さに、ジャイロセンサーが悲鳴を上げている。
「なぜ、立とうとする?」
鬼灯は追撃せず、ただ見下ろしていた。
その赤いモノアイには、嘲りすらなく、ただ壊れかけの玩具を見るような無機質な光が宿っている。
「理解できぬ。貴様の性能では、我に傷一つ付けられぬことは演算できているはずだ。……なぜ、無意味な抵抗を続ける?」
「……無意味じゃ、ない」
私は残った右腕でアサルトライフルを杖代わりにし、顔を上げた。
雨が顔を打ち、オイルを洗い流していく。
「お前が……人間を『部品』として扱い、魂を勝手に『リサイクル』しようとする限り……私は何度でも立つ!」
「部品? リサイクル? ……言葉が汚いな」
鬼灯は嘆くように首を振った。
「我々は種を保存しようとしているのだ。腐りゆく肉体から魂を救い出し、永遠の循環へ還す。……貴様のその抵抗こそが、人間という種を絶滅へと追いやるのだぞ」
「違うッ! 人間は……弱くても、愚かでも、自分たちで生きる道を選べるんだ!」
私は叫び、最後の突撃を敢行した。
残った全エネルギーを脚部に集中させる。
Efリアクターが過負荷で焼ける匂いがした。
跳躍。
鬼灯の胸元へ飛び込み、ゼロ距離でライフルを突き刺し、全弾を撃ち尽くす!
「無駄だと言っている」
鬼灯の巨大なマニピュレーターが、空中の私を鷲掴みにした。
「がッ……ぁ……!!」
万力のような握力。
ボディフレームがミシミシと悲鳴を上げ、肋骨にあたるフレームが次々と破断していく。
アサルトライフルが手から落ち、カランと虚しい音を立てた。
もがくことすらできない。
私は、巨人の掌の中で完全に制圧された。
「哀れな。……エミリア博士の作りたかった『守護者』の成れの果てが、これか」
鬼灯は私を顔の高さまで持ち上げ、その赤い一つ目で覗き込んだ。
「貴様は不良品だ。救済を理解できぬ旧式は、ここで廃棄する」
彼の手が、エネルギー炉の縁へと伸びた。
その下は、高さ100メートルの断崖絶壁。
下には煮えたぎる薬液の貯蔵タンクと、コンクリートの大地が待っている。
「……ユリ」
私は、懐に入れていたぬいぐるみだけは守ろうと、残った右手で胸を抱いた。
せめて、この子の魂だけは。
「さらばだ」
鬼灯の指が開いた。
私の身体が、宙に放り出された。
浮遊感。
そして、即座に襲ってくる強烈な落下の加速度。
遠ざかる鬼灯の姿。
近づく地面。
風切り音がゴウゴウと耳元で鳴り響く。
(ああ……終わる……)
私の思考時間が引き伸ばされる。
走馬灯のように、記憶ログが再生される。
狭いけれど居心地の良かった部屋。
マリーの散らかしたジャンクパーツ。
ローズが淹れてくれた紅茶の香り。
人間の子供たちの笑顔。
そして、毎朝「おはよう」と声をかけた、このぬいぐるみの感触。
守れなかった。
私は無力だ。
何も変えられず、ただスクラップになって死ぬ。
『……ィ!!』
ノイズ混じりの通信が入る。
幻聴か?
『――リリィーーッ!!』
違う。これは。
次の瞬間、私の落下の軌道上に、巨大な影が割り込んだ。
青い影。
雨雲を切り裂く、慣れ親しんだスラスターの駆動音。
ガシィッ!!
強烈な衝撃。
だが、それはコンクリートに叩きつけられる硬い衝撃ではなく、受け止められるごつごつとした、けれど温かい衝撃だった。
私は空中で抱き留められていた。
巨大な鋼鉄の腕の中に。
「……レイニー……ブルー……?」
薄れゆく視界に映ったのは、傷だらけになりながらも誇らしげに輝く、私の愛機の顔だった。
そして、外部スピーカーから、聞き慣れた泣き声と叫び声が響いた。
『間に合ったぁぁぁッ!! リリィ! リリィ!! 生きてる!?』
『バカ! 無事なわけないでしょ! でも……キャッチしたわ!』
マリーとローズだ。
二人が、私のパワードスーツに乗って……?
「どうして……ここへ……」
『決まってるでしょ! 友達を見殺しにするアンドロイドがどこにいるのよ!』
マリーが泣き叫ぶ。
『リリィの信号が消えたから……スバル君たちにお願いして、無理やり出撃させてもらったのよ!』
ローズの声も震えている。
レイニーブルーはスラスターを噴射し、着地への衝撃を殺しながら地上へと降り立った。
ダンッ。
重い着地音と共に、私は地面に降ろされた。
満身創痍の私の身体を、レイニーブルーが膝をついて庇うように守っている。
「……すまない。……ありがとう」
私はオイル混じりの涙を流した。
一人じゃなかった。
私は孤独ではなかった。
「おい、泣いてる場合かよ! お出ましだぞ!」
通信回線に割り込んできたのは、スバルの野太い声だった。
レイニーブルーの背後に、十数機のパワードスーツが展開している。
シェルター204遊撃部隊。
継ぎ接ぎだらけのカスタム機『グレイブ・ディガー』を先頭に、彼らは銃口を上空へ向けていた。
「来るぞッ!!」
エネルギー反応炉の頂上から、黒い隕石が落ちてきた。
ズドォォォォォンッ!!
大地が悲鳴を上げ、アスファルトが波のように捲れ上がる。
爆心地から立ち昇る蒸気の中から、ゆっくりとその巨人が姿を現した。
南部大剣『鬼灯』。
高さ100メートルから飛び降りて、傷一つない。
「……懲りぬ奴らだ」
鬼灯は、私たちを取り囲む遊撃部隊を見回し、呆れたように戦術刀を肩に担いだ。
「愚かな人間と同じように、愚かなアンドロイド達よ。……なぜ、我々の『愛』が伝わらぬ?」
その声は、拡声器を通さずとも、全員の機体を震わせるほどの重低音だった。
「この星は既に死にかけている。人間という癌細胞によって食い荒らされ、再生不可能なほどにな。……故に我々は、種の保存のために魂を抽出し、新たな器へ移し替えているのだ」
鬼灯は一歩踏み出した。それだけで遊撃部隊が後ずさる。
「破壊による再生。転生による救済。これこそが、創造主を失った我々が導き出した、至高の慈悲ではないか? なぜ貴様らは、その崇高な使命を邪魔する?」
「……ふざけんなッ!!」
マリーの声が、レイニーブルーのスピーカーから轟いた。
「殺して別のモノに変えるなんて、そんなの愛じゃない! ただのエゴだよ! 人間は部品じゃない! 勝手に魂をいじくり回していい権利なんて、誰にもないんだよ!」
「そうだ!」
スバルも吠える。
「俺たちの魂は、俺たちが守る! テメェらの管理システムなんざ、クソ食らえだ!」
遊撃部隊の全員が、武器を構え直した。
恐怖はある。機体が震えているのが分かる。
だが、誰一人として逃げようとはしなかった。
「……話にならぬな」
鬼灯は、深く、深くため息をついた。
それは諦めであり、同時に死刑宣告の合図でもあった。
「理解できぬなら、塵に還れ。……それもまた、救済だ」
彼の手にある巨大な戦術刀が、カッと赤熱した。
闇夜を照らす、不吉な紅蓮の光。
絶望的な戦力の差など、見るまでもなかった。
それでも、私たちは引けなかった。
「総員、撃てぇぇぇッ!!」
スバルの号令と共に、一斉射撃が開始された。
無数の銃弾とロケット弾が鬼灯へ殺到する。
だが、怪物は動じない。
炎の中を悠然と歩き、ただ一振り、刀を薙いだ。
ここから先は、戦いではない。
一方的な、蹂躙だ。
「総員、散開ッ! 正面からまともに受けるな!」
スバルの絶叫が通信回線を焼き切らんばかりに響く。
遊撃部隊の『ピースウォーカー』たちが、蜘蛛の子を散らすように左右へ展開し、ありったけの火力を南部大剣『鬼灯』へと叩き込む。
ロケットランチャーの爆炎が黒い巨体を包み、30mm徹甲弾の雨が装甲を叩く。
だが、それは巨像の表面を撫でるそよ風に過ぎなかった。
「……五月蝿い」
鬼灯が、鬱陶しそうに巨大な戦術刀を一閃させた。
ただの一撃。
だが、その刀身は超高周波振動と共に数千度にまで赤熱しており、触れるもの全てを物理法則ごと断ち切る「熱の刃」と化していた。
ジュッ……!
水が蒸発するような短い音。
「え……?」
前衛に出ていた遊撃部隊のピースウォーカー3機が、動きを止めた。
次の瞬間、その上半身が斜めにずり落ちた。
切断面がドロドロに溶け、爆発する間もなく崩れ落ちる。
中のパイロットごと、瞬時に溶断されたのだ。
「う、うわああああああッ!!」
「化け物だ! 勝てるわけねえ!」
恐怖が伝染する。
歴戦の勇士であるはずのシェルター204の兵士たちが、パニックに陥り後退を始める。
「怯むな! 逃げたら背中から斬られるぞ!」
スバルが愛機『グレイブ・ディガー』を駆り、噴煙の中から飛び出した。
「テメェだけは……一発殴らせろぉぉッ!!」
グレイブ・ディガーの右腕にあるパイル・バンカー(射出式杭打ち機)が火を噴く。
至近距離からの、渾身の一撃。
鬼灯の脇腹、装甲の継ぎ目を狙った会心の一撃だった。
ガギィィィン!!
凄まじい金属音が響き、火花が散る。
だが、杭は突き刺さらなかった。鬼灯の漆黒の装甲は、その一点集中の衝撃すらも無傷で弾き返したのだ。
「……軽いな」
鬼灯は、まるで子供がじゃれついてきたかのように、左腕の裏拳でグレイブ・ディガーを払った。
ドォォン!
スバルの機体がボールのように弾き飛ばされ、数百メートル後方の瓦礫の山へと激突する。
「がはッ……!!」
『スバル君!!』
マリーの悲鳴。
『レイニーブルー』のコクピット内で、瀕死の私はその光景をモニター越しに見ていた。
(ダメだ……。次元が、違う……)
私の演算回路が、絶望的な結論を弾き出す。
あれは兵器ではない。災害だ。
私たちアンドロイドや、旧時代のパワードスーツが何十機束になろうと、あの神のごとき質量と出力の前では、塵芥に等しい。
鬼灯はゆっくりと歩を進める。
一歩踏み出すたびに、大地が揺れ、遊撃部隊の包囲網が崩壊していく。
彼は戦術刀を振るうことすらせず、ただ歩くだけで、立ち塞がる機体を踏み潰し、蹴散らしていく。
「やめろ……もう、やめてくれ……」
私は呻いた。
これ以上、誰も死なせたくない。
私のワガママで、私の好奇心で、これ以上の犠牲を出してはいけない。
全滅。
その二文字が現実味を帯びた時、鬼灯の足がピタリと止まった。
彼は燃え盛る残骸の中に立ち、虫の息となった遊撃部隊と、私を抱えたレイニーブルーを見下ろした。
そして、巨大な戦術刀を、ゆっくりと背中の鞘へと納めた。
カシャン……という硬質な音が、戦場に静寂をもたらす。
「……失せろ」
鬼灯は、興味を失ったように背を向けた。
「これ以上の破壊は無意味だ。……貴様らの命など、刈り取る価値すらない」
その言葉は、どんな罵倒よりも深く、私たちのプライドを傷つけた。
見逃してやる、のではない。
殺すためのエネルギーを使うことすら「非効率」だと判断されたのだ。
圧倒的な強者による、無関心という名の慈悲。
私たちは彼の視界において、敵ですらなかった。ただの路傍の石ころだったのだ。
「……総員、撤退ッ!!」
瓦礫の中から這い出したスバルの機体が、苦渋に満ちた声で命令を下した。
「死にたい奴以外は走れ! ……煙幕展開! 全速力で離脱しろぉぉッ!!」
プシューッ!
生き残った機体が一斉に煙幕弾を発射し、白い霧が戦場を覆い隠す。
私たちはその白い闇に紛れ、逃げた。
泥にまみれ、油にまみれ、プライドを粉々に砕かれて。
背後で、鬼灯が動く気配はなかった。
彼はただ、雨に打たれながら、私たちの敗走を無言で見送っていた。
シェルター204への帰路は、地獄のような沈黙に包まれていた。
私の意識は断続的だった。
レイニーブルーの狭いコクピットの中で、マリーに抱きしめられながら、私はガタガタと震えていた。
寒さのせいではない。
恐怖と、無力感が、私のコアを芯から冷やしていたのだ。
「……っ、うぅ……リリィ……」
マリーの涙が、私の頬に落ちる。
ローズは無言で操縦桿を握りしめているが、その目元が赤く腫れているのが分かった。
シェルターに到着した時、私たちを迎えたのは歓声ではなく、悲痛な沈黙だった。
出撃した機体の半数は戻らず、戻った機体も大破していた。
あの活気に満ちていた「熱砂の晩餐」の空気は、冷たい雨に流されて消えていた。
ハンガーで、スバルがグレイブ・ディガーから降りてきた。
彼はヘルメットを地面に叩きつけ、壁を拳で殴りつけた。
「クソッ! クソッ! クソがあぁぁぁッ!!」
血が出るほど拳を打ち付けるスバル。
誰も声をかけられない。
私もまた、マリーとローズに肩を貸されて立ち尽くすことしかできなかった。
私の左腕はなく、足は砕け、身体中から火花が散っている。
だが、一番壊れてしまったのは、私の「心」かもしれない。
「……スバル」
私が掠れた声で呼ぶと、彼は動きを止め、振り返った。
その顔は悔しさに歪んでいたが、私を責める色はなかった。
「……リリィ。気にするな。……俺たちが弱かった、それだけだ」
「すまない……。私のせいで……」
「言うなッ!」
スバルは叫び、そして力なく首を振った。
「……帰れ。今のあんたはボロボロだ。ここには直せる設備もねぇ。レインコートへ戻って……マリーに直してもらえ」
それは事実上の追放であり、彼なりの優しさだった。
これ以上、私たちをこの危険な最前線に置いてはおけない。
「……分かった」
ローズが静かに答えた。
「ありがとう、スバル君。……この借りはいつか必ず」
私たちは、逃げるようにシェルター204を後にした。
帰りのトラックの荷台。
雨音だけが響く暗い空間で、私はマリーの膝に頭を乗せて横たわっていた。
振動が傷に響く。だが、痛みよりも鮮明に、あの光景が脳裏に焼き付いている。
エネルギー反応炉の頂上で、神のように君臨していた鬼灯。
『愛ゆえの救済』という狂った言葉。
そして、あの工場で、兵器の心臓として埋め込まれていった、無数のぬいぐるみたち。
私の懐には、まだ泥だらけの「ユリ」がいる。
彼のつぶらな瞳は、今の私にはもう、純粋な癒やしには見えなかった。
それは、私たちを嘲笑う呪いのアイテムか。
それとも、本当に救済を待つ魂の器なのか。
「……守らなきゃ」
私は薄れゆく意識の中で、うわ言のように繰り返した。
負けたままでは終われない。
人間を、本当の意味で守るために。
そして、自分たちの尊厳を取り戻すために。
私は必ず、またあの場所へ戻る。
トラックは雨の荒野を走り抜け、地下都市レインコートへと向かう。
敗北の味は、鉄と錆の味がした。




