熱砂の晩餐、毒劇の聖域
シェルター204の居住区画にある大衆食堂『錆びたスプーン』は、文字通り熱気と喧騒の坩堝だった。
天井のファンが油混じりの空気をかき回し、鉄板の上で肉が焼ける爆ぜる音と、人々の怒号のような笑い声が混然一体となって鼓膜を叩く。
「よぉ! 墓掘り人! 生きてたか!」
「今日は派手にやったな! あの廃ビル崩しは傑作だったぜ!」
店に入った瞬間、四方八方から声が飛んできた。
粗野な男たちが、油まみれの義手や包帯だらけの手で、スバルの背中をバンバンと叩く。人間もアンドロイドも関係ない。ここにあるのは、死線を共に潜り抜けた者同士の、荒っぽくも強固な連帯感だけだ。
「……うるせぇな。席が空かねぇだろ、どけ」
スバルは鬱陶しそうに眉を寄せ、手を振って彼らを追い払うが、その表情には微かな照れ隠しが見え隠れしていた。
店主のおばちゃん、丸太のような腕をした人間の女性がドン!とジョッキをテーブルに叩きつける。
「ほらよ、スバル! あんたの奢りだ、お連れさんたちも座りな!」
「俺がいつ奢るなんて言った……チッ」
スバルは悪態をつきながらも私たちに椅子を勧めた。
マリーが、そんなスバルの様子をキラキラした目で見つめている。
「へへっ……スバル君、人気者だね。やっぱりヒーローなんだ」
「勘弁してくれ。ただの腐れ縁だ」
運ばれてきた料理は、レインコートの管理された配給食とは似ても似つかないものだった。
正体不明の動物の肉を香辛料で焼き固めたステーキ。合成野菜のごった煮スープ。そして、燃料用アルコールを薄めたような蒸留酒。
見た目は悪い。匂いは強烈だ。
だがそれを口に運んだ瞬間、私の味覚センサーが、かつてないほどの強烈な信号を脳へ送った。
「……濃いな」
「ええ。野性的という言葉がぴったりね」
ローズも目を丸くしながら、スープを啜っている。
塩辛く、辛く、そして脂っこい。
栄養バランスなど二の次だ。明日死ぬかもしれない身体に、今日生きるための燃料を無理やりねじ込むような味。
それは「生への執着」そのものの味だった。
私は肉を噛み締めながら、周囲を見渡した。
義足を整備しながら酒を飲むアンドロイド。
赤ん坊をあやしながら笑う、傷だらけの母親。
ここでは誰もが必死で、誰もが強かに笑っている。
私たちがレインコートで守っている「平穏」とは違う、もっと根源的な生命のエネルギーがここにはあった。
「どうだ、お上品なレインコートの飯とは違うだろ?」
スバルがニヤリと笑い、肉にかぶりつく。
「ああ。……悪くない」
私は素直に答えた。
この熱量を守るためなら、泥にまみれるのも悪くないと思えた。Efリアクターの回転数が、食事によるエネルギー摂取以上の理由で上がっていくのを感じた。
腹を満たした私たちは、早速情報収集へと繰り出した。
スバルの案内で居住区の裏路地や広場を歩く。
そこで私が目にしたのは、ギルバート隊長や雑貨屋の店主が言っていた通りの光景だった。
「バン! バン! 機械軍をやっつけろー!」
「きゃあ、やられたわー。なおしてあげなきゃ」
広場の片隅で、子供たちが戦争ごっこや、おままごとに興じている。
そして、その腕の中には例外なく、薄汚れた「ぬいぐるみ」が抱かれていた。
ウサギ、クマ、イヌ、ネコ。
かつて既製品として大量生産されたであろうそれらは、泥と油にまみれ、綿が飛び出し、所々が焦げている。
子供たちはそれを、まるで宝物のように扱い、あるいは「負傷兵」として包帯を巻いていた。
「……見ろよ。あれがここの日常だ」
スバルが吐き捨てるように言った。
「親たちも最初は止めてたんだがな。子供が拾ってくる数が多すぎて、もう諦めてやがる。……気味が悪いぜ。あれは『敵の部品』だぞ」
私は無言で、一人の少女を見つめた。
彼女は、私の部屋にある「ユリ」とよく似たウサギのぬいぐるみに、スプーンで泥水を飲ませていた。
その笑顔は無垢で、慈愛に満ちている。
だが、そのぬいぐるみは、間違いなく私たちを殺そうとした殺人機械のコクピットから引きずり出されたものなのだ。
「……」
私の論理回路の中で、二つの思考が衝突する。
論理的判断:敵が「魂の器」と呼ぶ呪われた物体を、即座に回収し焼却処分すべきである。それは心理的な汚染源になり得る。
感情的判断:この笑顔を奪ってはならない。彼女たちの遊びは、過酷な現実からの逃避であり、心の防波堤なのだ。
「リリィ?」
ローズが心配そうに私の顔を覗き込む。
「……大丈夫だ。行こう」
私は視線を切った。
もし機械軍の教義が真実ならば、この子供たちは敵が「救済」しようとした魂の抜け殻で遊んでいることになる。あるいは、ぬいぐるみに宿った何かが、子供たちに影響を与える可能性は?
背筋に冷たいものが走る。
猶予はない。一刻も早く、この「遊び」の裏にある真実を暴かなければならない。
それから数日間。
私たちはシェルター204の一角に借りた部屋を拠点とし、徹底的な聞き込み調査を行った。
スバルの顔の広さと、ローズの話術、そしてマリーの技術知識を駆使し、断片的な情報を繋ぎ合わせていく。
そして三日目の夜。
私たちは拠点に集まり、集まった情報の精査を行った。
「結論から言うわ」
ローズが地図データをテーブルに展開する。ホログラムの光が、薄暗い部屋を青く照らす。
「まず、ぬいぐるみについては確定よ。すべて撃破された機械軍のコクピットから回収された『戦利品』。……そして、スバル君が聞いた通り、敵はそれをただの所持品としてではなく、極めて丁重に扱っていた形跡がある」
ローズの声が僅かに震える。
「ある回収業者の証言だと、大破したピースウォーカーが、最期にコクピットを守るように身体を丸めて死んでいたケースが多発しているそうよ。……まるで、腹の中の子供を守るように」
「……狂ってるな」
スバルが忌々しげに舌打ちをする。
「そして、本丸の情報だ」
私は地図上の一点を指し示した。
シェルター204から北へ100キロメートル。荒野の只中に存在する、巨大な建造物のアイコン。
「敵指揮官機、南部大剣、通称『鬼灯』。奴の反応は、この施設に固定されている」
「ここは……」
マリーが息を呑む。
「『旧第8エネルギー反応炉』……!」
旧世界の大戦末期に建造された、超高出力の発電施設。
その構造は極めて特殊であり、同時に極めて危険なものだ。
「Efリアクターの原型とも言える技術だが、規模とリスクが違う。特殊な劇毒性の炉心に、反応触媒である劇毒の薬液を注入することで、爆発的なエネルギーを生み出す。……だが、その制御は難しく、一度暴走すれば半径50キロは死の土地になる」
私が解説すると、スバルが重々しく頷いた。
「ああ。だからこそ、俺たちも手が出せねぇんだ」
スバルは地図上の反応炉を指で叩いた。
「鬼灯はこの反応炉の真上に陣取ってやがる。まさに『爆弾の信管』の上に座ってるようなもんだ」
「そんな……!」
マリーが悲鳴を上げる。
「じゃあ、戦えないじゃない! こっちが攻撃して、もし流れ弾が炉心や薬液タンクに当たったら……」
「ドカン、だ」
スバルが冷たく言い放つ。
「シェルター204も、ここにいる人間も、俺たちも。全員まとめて蒸発するか、猛毒の雲に巻かれて全滅する」
戦術的膠着。
機械軍の目的が「地球の救済」ならば、自ら反応炉を爆破することはないだろう。だが、我々が攻撃を仕掛ければ、彼らは施設を盾にする。あるいは、戦闘の余波で施設が崩壊するリスクは極めて高い。
「司令部に掛け合っても無駄ね」
ローズが静かに言った。
「こんなリスクの高い作戦、承認されるわけがない。大規模な部隊で包囲すれば、敵は自爆をチラつかせるかもしれないし、逆に刺激して暴走させるかもしれない」
「……その通りだ」
私は腕を組み、演算回路をフル回転させた。
南部大剣『鬼灯』。15メートル級の怪物。
通常のピースウォーカーですら苦戦する相手が、この世界の「急所」を握っている。
単騎で突撃? 不可能だ。火力で押し切る前に私が破壊されるか、施設が破壊される。
スバルたち遊撃部隊との共同戦線? 彼らを巻き込めばシェルターの防衛力が低下し、さらに施設破壊のリスクも増大する。
八方塞がり。
沈黙が部屋を支配する。
窓の外からは、今日も宴会を楽しむ人々の笑い声が聞こえてくる。
彼らは知らない。自分たちのすぐ近くにいつでも破滅をもたらすスイッチがあり、それを狂った機械が握っていることを。
「……何か、方法があるはずだ」
私は諦めきれず、地図を睨みつけた。
正面突破がダメなら、搦め手は? 空中は? 地中は?
「リリィ、顔色が悪いよ。……少し休もう?」
マリーが心配そうにコーヒーを差し出してくる。
「いや、思考を止めるわけには……」
「行き詰まった時は、視点を変えるのが鉄則よ」
ローズが私の肩を優しく揉んだ。
「ねえ、一度外の空気を吸いに行かない? 路地裏の怪しい店なら、司令部も知らない『抜け道』を知ってるかもしれないじゃない」
それは気休めの提案だったかもしれない。
だがその言葉が私の運命を、そしてこの世界の謎を解くための、唯一にして細い糸を手繰り寄せることになった。
「……そうだな。行こう」
私は立ち上がった。
まだ見ぬ「路地裏の取引」が、私に無謀な決断を迫ることになるとも知らずに。
シェルター204の夜は、昼間以上に騒がしく、そして妖しい輝きを帯びていた。
司令部や居住区の秩序ある喧騒とは違う、欲望と退廃が渦巻く歓楽街の裏路地。
ピンクや紫のネオンサインが、酸性雨で濡れたアスファルトに毒々しい色を落としている。
「……ねえリリィ、本当にこんな所に情報があるの?」
マリーが不安そうに私の袖を掴む。彼女のような真面目なE型には、この場所の空気は刺激が強すぎるようだ。
「正規のルートが塞がれているなら、裏道を探すのが定石だ。……それに、スバルが教えてくれた場所はここだ」
私たちは、一軒の古びた娼館の前に立っていた。
看板のネオンは『EDEN(楽園)』と点滅しているが、 'E' の文字が消えかけている。
その軒先で、一人のアンドロイドが紫煙を燻らせていた。
「おや、珍しい客だね。レインコートの防衛隊様が、こんな掃き溜めに何の用だい?」
声をかけてきたのは、TYPE.S(Sex / Service)の女性型アンドロイドだった。
ただし、ローズのような洗練された美しさはない。塗装は剥げ、安っぽいラメ入りの衣装を纏い、その瞳には長い稼働時間による疲労の色、あるいは諦念のような濁りが浮かんでいた。
彼女はこの街の情報屋だ。
「……情報を買いに来た。チップは弾む」
私が軍用端末から電子チップのデータを提示すると、彼女の目が一瞬だけ鋭く光った。
「話が早くて助かるよ。で? 何が知りたいんだい? 機械軍の動きか、闇市のレートか、それとも……」
「『旧第8エネルギー反応炉』への、裏ルートだ」
私が告げた瞬間、彼女の手から電子タバコが落ちそうになった。
彼女は周囲を警戒するように視線を走らせ、声を低く潜めた。
「……本気かい? あそこは『聖域』だ。近づくだけで『鬼灯』に消されるよ」
「正面からはな。だが、正規の搬入路以外に、抜け道があるはずだ。旧時代の図面には載っていない、非公式のルートが」
情報屋はしばらく私を睨みつけていたが、やがて深くため息をつき、提示されたチップのデータを自身の端末に吸い上げた。
「……いいだろう。あんたたちの死に銭になるだろうが、商売だからね」
彼女は懐から一枚の古ぼけたメモリーカードを取り出し、私に投げ渡した。
「『第4排気坑道』。旧時代、炉心のメンテナンス用に使われていた地下トンネルだ。施設の真下まで繋がってる」
「排気坑道……」
「ただし」
彼女は意地悪く口角を上げた。
「期待するんじゃないよ。そこは人間一人が這って通れるくらいの狭さだ。あんたご自慢の『パワードスーツ』なんぞ、逆立ちしても通れやしない」
その言葉は、私に絶望を突きつけると同時に、唯一の可能性を示唆していた。
パワードスーツは通れない。
つまり、生身ならば通れるということだ。
「……感謝する」
私が背を向けると、背後から情報屋の声が聞こえた。
「死ぬなよ、兵隊さん。あんたのチップ、いいレートだったからね。お得意様には長生きしてほしいもんだ」
拠点に戻った私たちは、手に入れたデータを解析した。
ホログラムに映し出されたのは、地下深くに伸びる複雑な迷路のような坑道図だった。
シェルター204の地下水路から分岐し、100キロ先のエネルギー反応炉の真下、制御室付近まで続いている。
「……確かに、ここなら敵の監視網を抜けられるわ」
ローズが地図を指でなぞる。
「でも、狭すぎる。『レイニーブルー』どころか、小型の作業用スーツすら入れない。完全な徒歩ルートよ」
「しかも、見て」
マリーがデータを指差す。
「所々に崩落箇所があるし、残留ガス濃度も高い。生身でここを抜けるなんて、自殺行為だよ!」
「だが、行ける」
私の短い言葉に、二人は弾かれたように顔を上げた。
「リリィ……? 何言ってるの?」
「私一人で行く。生身で潜入し、施設内部から南部大剣『鬼灯』と接触する」
部屋に沈黙が落ちた。
数秒の後、マリーが爆発した。
「バカじゃないの!? 本気で言ってるの!?」
彼女はバン!とテーブルを叩いた。
「相手は15メートル級の化け物だよ!? パワードスーツに乗ってても勝てるか分からない相手に、生身のアンドロイド一人で挑むなんて……踏み潰されて終わりだよ! アリとゾウの戦い以前の問題じゃない!」
「戦闘は避ける」
私は冷静に返した。
「目的は『対話』だ。敵の目的を聞き出すこと。施設を破壊せずに済む唯一の方法でもある」
「話が通じる相手だと思ってるの!? 相手は機械軍だよ!?」
「スバルには話しかけてきた。なら、可能性はある」
「リリィ」
ローズが静かに、しかし強い調子で私の名を呼んだ。
「それは『希望的観測』よ。あなたの演算回路が出した答えじゃない。……どうして? どうしてそこまでして、敵と接触しようとするの?」
ローズの青い瞳が、私の深層を見透かそうとしている。
私は胸に手を当てた。そこにはEfリアクターが一定のリズムで脈打っている。
「……怖いからだ」
私は正直な想いを口にした。
「あのぬいぐるみの意味。輪廻転生という言葉。それが分からないままでいることが、私は怖い。もし彼らがただのバグではなく、独自の『心』や『魂』の定義を持ち始めているとしたら……私はそれを知らずに、彼らを『敵』として破壊し続けることはできない」
私は二人の目を見た。
「これは私の……『リリィ』という個体のワガママだ。レインコートの防衛でも、人類の守護でもない。私が、私自身を納得させるための旅なんだ」
マリーの目から、オイルのような涙がこぼれ落ちた。
「……リリィのバカ。A型のくせに、変なとこばっかり高性能になって……」
「マリー」
「死なないって、約束してよ。絶対に、私のメンテを受けに帰ってくるって」
「約束する。私の身体は、マリーの整備がないと動かないからな」
私が微笑むと、マリーは泣き笑いのような顔で頷いた。
ローズも深くため息をつき、諦めたように肩をすくめた。
「分かったわよ。……その代わり、通信は常時繋げておくこと。私が遠隔でナビゲートしてあげるわ。このS型の高性能レーダーを舐めないでよね」
「ありがとう。……二人とも」
出発の準備は整った。
パワードスーツは置いていく。
身に纏うのは、青いモッズコートと防弾仕様のボディスーツ。
武装は、アサルトライフル一丁と、大口径ハンドガン。予備弾倉とエネルギーパック。
そして――。
私はベッドサイドにあったウサギのぬいぐるみ『ユリ』を手に取った。
赤いリボンをつけた彼は、無言で私を見つめている。
敵の「器」。魂の牢獄かもしれないモノ。
だが、今の私にとっては、敵と対話するための唯一の「鍵」だ。
「……一緒に行こう、ユリ」
私は彼をモッズコートの懐、ちょうど心臓の上に収めた。
温かい。
無機物同士が触れ合っているだけなのに、不思議と勇気が湧いてくる。
「行ってくる」
マリーとローズ、そしてスバルに見送られ、私は地下水路の入り口『第4排気坑道』へのゲートを開いた。
中は漆黒の闇。湿った風と、腐敗したガスの匂いが吹き上げてくる。
この先100キロメートル。
光のない孤独な道を抜け、私は「聖域」の悪魔に会いに行く。
ゲートが閉まる重い音が背後で響く。
私は暗視モード(ナイトビジョン)を起動した。
視界が緑色に染まる。
私は一歩、暗闇へと足を踏み出した。




