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錆びた市場と死者からの贈り物


地下都市レインコートの空気は、今日も変わらず重く澱んでいた。

巨大な換気ファンが低い唸り声を上げ、地上から取り込んだ空気をろ過して循環させているが、染み付いたオイルの匂いと生活臭、そして湿ったカビの匂いは消えることがない。

私はTYPE.A-7127、リリィ。

都市の治安維持を担う防衛隊の一員として、今日も居住区画Cエリアの巡回任務パトロールに就いていた。

Cエリアは都市の下層に位置し、比較的貧しい層の人間が暮らす区画だ。迷路のように入り組んだ路地、頭上を這う配管から滴る水滴、そして薄暗いナトリウムランプの点滅。

そんな灰色の風景の中を、私は一定のペースで歩く。

軍用ブーツが濡れたコンクリートを叩く音が、規則正しく響く。

「……あ、ちょうちょ」

ふと、幼い声が聴覚センサーに引っかかった。

私は足を止め、視線を路地裏の奥へと向ける。

そこには、配管の隙間で遊ぶ一人の人間の少女がいた。年齢は5、6歳だろうか。継ぎ接ぎだらけの服を着て、泥で汚れた裸足でしゃがみ込んでいる。

彼女の手には、泥だらけのウサギのぬいぐるみが抱かれていた。

元は白かったであろうそのぬいぐるみは、今は薄汚れ、片耳が千切れかけている。

少女は、そのボロボロの綿の塊に向かって、愛おしそうに話しかけていた。

「よしよし、いいこね。いたくないよ。ママがなおしてあげるからね」

少女は泥水で濡らした布切れで、ぬいぐるみの顔を拭いている。

その手つきは驚くほど優しく、まるで本物の生き物を扱っているかのように慎重だった。

さらに少女は、足元の泥を練って作った歪な塊を、ぬいぐるみの口元へ差し出した。

「はい、ごはんですよ。おいしいケーキだからね。たべてね」

非効率だ。

私の論理演算回路が、即座にそう判定する。

ぬいぐるみは無機物であり、食事を必要としない。痛みも感じないし、汚れた布で拭ったところで衛生状態が改善するわけでもない。

生存競争の激しいこの地下都市において、カロリーと時間の無駄遣い。

だが。

私はその光景から目を離すことができなかった。

私の脳裏に、自身の部屋のベッドサイドにある「ユリ」の姿が重なる。

毎朝、意味もなく挨拶をし、ただそこに在るだけの綿の塊に安らぎを感じている自分。

私は、この幼い子供と同じだ。

『愛着』。あるいは『庇護欲』。

人間が持つ、対象に見返りを求めない一方的な愛情のベクトル。

それは生物としての生存本能には直結しないかもしれない。だが、この少女の表情を見れば分かる。その行為そのものが、彼女の小さな心を慰め、この過酷な世界で正気を保つための支えになっているのだ。

「……優しいな」

思わず、私の口から独り言が漏れた。

非効率で、無意味で、けれど何よりも温かい機能。

人間は弱い。すぐに傷つき、死んでしまう。

だが、泥で作ったケーキをぬいぐるみに食べさせるその心の働きこそが、彼らを人間たらしめている「強さ」なのかもしれない。

少女がふと顔を上げ、私と目が合った。

彼女は一瞬ビクリと身体を震わせ、ぬいぐるみを隠すように強く抱きしめた。

赤い目をした軍用アンドロイドへの恐怖。

私は務めて穏やかに、小さく頷いて見せた。

「……邪魔をした。続けてくれ」

私が背を向けて歩き出した時、背後で少女が小さく「ばいばい」と手を振る気配がした。

胸の奥のEfリアクターが、ポワリと温かい熱を帯びる。

悪くない感覚だ。

そう思った瞬間だった。

緊急警報エマージェンシー緊急警報エマージェンシー

脳内通信に、無機質な合成音声が割り込んだ。

同時に、都市全域にけたたましいサイレンが鳴り響く。

空気が一変した。

先ほどまでの温かな余韻は瞬時に霧散し、私の思考は冷徹な「戦闘モード」へと切り替わる。

『総員、第一種戦闘配置。防衛隊各員は直ちに所定の機体へ搭乗せよ。繰り返す――』

私は即座に踵を返し、中央タワーのハンガーへ向けて全速力で疾走した。

少女がいた路地裏を一瞬だけ振り返る。

彼女はもうそこにはいなかった。きっと母親が連れてシェルターへ走ったのだろう。

守らなければならない。あの小さな「優しさ」を、鋼鉄の暴力から。


地下都市深部、モビル・ハンガー。

そこは既に、整備員たちの怒号と金属音が飛び交う戦場となっていた。

「リリィ! こっちだよ!」

私の専用ハンガーの前で、マリーが大きく手を振っていた。

彼女の顔は油と煤で汚れているが、その表情は自信に満ちている。

背後には、私の愛機【SAA-1873 "Peace Walker" Custom Rainy Blue】が、静かに佇んでいた。

前回の戦闘で失った左腕は完全に修復され、焼失した装甲も新品に換装されている。再塗装されたブルーグレーの機体は、薄暗いハンガーの中で冷たく輝いていた。

「ありがとう、マリー。状態は?」

「完璧以上! アクチュエーターの応答速度をさらに0.05秒短縮したよ。左腕のサブ・マニピュレーターも強化済み。今のリリィなら雨粒だって斬れるはず!」

「頼もしいな」

私は短く礼を言いタラップを駆け上がった。

コクピットに滑り込み、神経接続ニューラル・コネクトを開始する。

視界が拡張され、巨大な機体が私の新たな肉体となる感覚。

指先一本一本まで力が満ちる。

マリーの丁寧な仕事ぶりが、機体の挙動の滑らかさから伝わってくる。

『リリィ、準備はいいか?』

通信回線に、凛とした、しかし低く落ち着いた声が響いた。

モニターのウインドウが開く。

そこに映し出されたのは、私と同じTYPE.A(Assault)のアンドロイドだ。

ただし、彼女の外見は私よりも数年分ほど「年上」に設定されている。

濡れたような黒髪をショートカットにし、右目には戦術用の眼帯型バイザーを装着している。

レインコート防衛隊・隊長、個体名称『レン』。

多くの戦場を潜り抜けてきた、歴戦の指揮官だ。

「こちらリリィ、搭乗完了。レイニーブルー、オールグリーン」

『よろしい。状況を説明する』

レン隊長の声と共に、戦術マップデータが転送されてくる。

ローズが司令部から送ってくれているリアルタイム情報だ。

『現在、都市の北東20キロ地点に機械軍の反応あり。規模はピースウォーカー2個小隊。約16機だ』

「偵察部隊にしては数が多いですね」

『ああ。だが奇妙なことに、奴らは都市への侵攻ルートを取っていない。東から西へ、荒野を横断するように移動している』

地図上の赤い点(敵影)は、確かに都市を無視して移動していた。

そして、その先頭には、青い点(友軍識別信号)が一つ、逃げるように走っている。

『先ほど、救難信号を受信した。近隣の集落「シェルター204」所属の交易キャラバン隊だ。奴らはキャラバンを追っている』

「交易キャラバン……!」

『物資を満載したトラックだ。あれを失えば、都市の経済にも打撃となる。何より、同胞である人間を見殺しにはできない』

レン隊長の機体、指揮官用重装甲カスタム機【SAA-1873 Ignisイグニス】が、重厚な駆動音と共にカタパルトへ移動した。

全身を真紅に塗装されたその機体は、通常のピースウォーカーよりも一回り大きく、右肩には長大な対物ライフルキャノンを、左腕にはタワーシールドを装備している。

「火の神」の名を冠する通り、圧倒的な火力と防御力を誇る要塞のような機体だ。

『我々の任務はキャラバン隊の救助、および敵部隊の殲滅だ。リリィ、貴官は遊撃を担当しろ。私の火力で敵を釘付けにする隙に、貴官のスピードで攪乱・各個撃破を行え』

了解ラジャー。……隊長の背中は守ります」

『ふっ……頼りにしているぞ、リリィ』

轟音。

リニアカタパルトが唸りを上げる。

背中にかかる強烈なG。

私はレイニーブルーと共に、光の射す出口へと撃ち出された。


地上へ出た瞬間、視界は鉛色の雨に覆われた。

廃墟と化した旧時代の高速道路、崩れたビル群、そして見渡す限りの荒野。

酸性雨が装甲を叩き、センサーの感度をわずかに鈍らせる。

『目標視認。距離8000。交戦開始まで30秒』

ローズのナビゲートが脳内に響く。

カメラアイのズーム機能が、前方の光景を捉えた。

荒れた大地を、3台の大型装甲トラックが砂煙を上げて走っている。

車体はボロボロで、装甲板には無数の弾痕が刻まれている。

その後方からオリーブドラブ色の機械の群れ、機械軍のピースウォーカー部隊が、執拗に追いすがっていた。

「逃がすかッ!」

キャラバン隊の護衛車両だろうか、改造されたジープに乗った人間が荷台の機銃で応戦しているのが見える。

だが、豆鉄砲のような機銃弾は、ピースウォーカーの装甲にいとも容易く弾かれる。

敵機の一体が、30mmアサルトライフルを構えた。

マズルフラッシュ。

護衛のジープが爆発し火だるまになって横転する。

「ッ……!」

私の回路内で、怒りのパラメータが跳ね上がる。

『リリィ、突出するな! 合わせろ!』

レン隊長の鋭い声が私を制する。

彼女のイグニスが、私の横で膝をつき、右肩の長大な対物ライフルキャノンを展開していた。

砲身が固定され、アンカーが地面に突き刺さる。

『距離6500。風速、補正よし。……穿て』

ドォォォォォンッ!!

大気を震わせる轟音。

イグニスから放たれた超高速の徹甲弾は、雨粒を蒸発させながら一直線に飛び、敵部隊の先頭の胸部を正確に貫いた。

一撃必殺。

敵機の上半身が消し飛び、その背後にいたもう一機すら巻き込んで爆散する。

『敵陣形、崩れた! リリィ、今だ!』

「了解、エンゲージ!」

私はスラスターを全開にした。

レイニーブルーが青い稲妻となって荒野を駆ける。

レン隊長の一撃で混乱した敵部隊の懐へ、一気に肉薄する。

「速い……!」

マリーの調整のおかげだ。機体が軽い。思考と動作にタイムラグが全くない。

私は右手の高周波ブレードを抜き放ち、すれ違いざまに敵機の脚部を斬り飛ばした。

バランスを崩して倒れる敵機のコクピットへ、間髪入れずに左腕のパイルバンカーを打ち込む。

『敵、散開! 2時の方向から来るわよ!』

ローズの警告。

右側面から、3機のピースウォーカーが私を狙ってライフルを乱射してくる。

私はジグザグ機動で弾幕を回避するが、数が多い。

「させないと言ったはずだ」

ドォンッ! ドォンッ!

後方からの援護射撃。

レン隊長の精密砲撃が、私を狙う敵機を次々と粉砕していく。

ただ撃つだけではない。私が回避するルートを予測し、その邪魔になる敵だけを正確に排除しているのだ。

これが歴戦のA型の指揮能力。

背中を預けられる安心感が、私の刃をさらに鋭くする。

「残り7機!」

私は瓦礫を蹴って跳躍した。

空中から、キャラバン隊のトラックににじり寄る敵機の頭上を取る。

「そこだぁッ!」

落下の運動エネルギーを乗せた一撃。

ブレードが敵の頭頂部から股下までを一刀両断にする。

左右に分かれた敵の残骸が倒れる中、私はトラックの運転席を見た。

ガラス越しに、怯えた表情の運転手の男と目が合う。

私は外部スピーカーを開いた。

「レインコート防衛隊だ。安心しろ、護衛する」

「あ、あんたたち……! 助かった、もうダメかと……!」

その時、生き残った敵の残党が、無謀にもトラックへ向かって特攻を仕掛けてきた。

自爆するつもりか!?

私が反応するより早く、赤い巨体が私の前に割って入った。

ぬるい!』

レン隊長のイグニスだ。

彼女は左腕の巨大なタワーシールドで敵のタックルを受け止めると、そのままシールドの先端にあるスパイクを敵の胸部へ叩き込んだ。

さらに、ゼロ距離でキャノンの砲口を敵の腹部に押し当てる。

『消えろ』

ゼロ距離射撃。

敵機は内側から破裂し、鉄屑へと変わった。

「……敵部隊、全滅を確認」

私は周囲を索敵し、ローズへ報告を送った。

雨音だけが残る荒野に、黒煙が立ち上っていた。


戦闘終了後、私たちはキャラバン隊を護衛しながら地下都市レインコートへと帰還した。

巨大な防爆ゲートが開き、傷ついたトラックと、泥まみれの2機のパワードスーツが入港する。

「おお……! 生きて帰れたぞ!」

「防衛隊の旦那たち、ありがとうよぉ!」

トラックから降りてきたキャラバン隊の人間たちが、私たちに向かって手を振り、歓声を上げる。

彼らの顔は安堵と感謝に満ちていた。

その中から、一人の小柄な男が進み出てきた。

日に焼けた肌に、ゴーグルを首から下げた初老の男。交易キャラバン隊の隊長だ。

「いやぁ、助かりました。本当に危ないところだった。私はキャラバン隊長のギルバートです」

ギルバートは、パワードスーツから降りたレン隊長と私に駆け寄り、その汚れた手で私たちの鋼鉄の手を固く握りしめた。

「礼には及びません。同胞を守るのは我々の任務ですから」

レン隊長はヘルメットを小脇に抱え、毅然とした態度で答える。

その横顔はクールだが、握り返す手には確かな力が込められているのを私は感じた。

「しかし、見事な腕前でしたな! 特にそちらの青いお嬢さん、あの動きは凄かった。ウチの集落の若い衆にも見習わせたいくらいだ」

ギルバートが私を見てウィンクする。

私は少し戸惑いながらも、軽く頭を下げた。

「……リリィだ。無事で何よりだ」

「へへっ。命拾いしたついでだ、今回はいい品をたくさん持ってきたよ! シェルター204特産の缶詰に、上等な機械部品、それに……へへへ、娯楽品もたっぷりな」

ギルバートは商人の顔に戻り、ニヤリと笑った。


地下都市の中央広場はキャラバン隊の到着によって瞬く間にお祭り騒ぎとなった。

トラックの荷台が開き、即席のマーケットが設営される。

色とりどりの商品が並び、普段は静まり返っている地下空間に、人間とアンドロイドたちの活気ある声が響き渡る。

「おい、本物の桃の缶詰があるぞ!」

「こっちには旧時代の雑誌がある!」

「おーい、誰かこの高出力バッテリー買わないか? 掘り出し物だぞ!」

久しぶりの「外の世界」からの物資。

それは単なるモノのやり取り以上に、閉塞した地下都市に「希望」と「変化」をもたらす風だった。

私はその光景を少し離れた場所から眺めていた。

守ってよかった。

あの少女がぬいぐるみに泥のケーキを食べさせていたように、こうして人々が笑い合い、明日の糧を手に入れる姿は、やはり何物にも代えがたい価値がある。

「何ぼーっとしてるのよ、リリィ!」

突然、背後から腕を引かれた。

振り返ると、私服に着替えたローズが、目をキラキラさせて立っていた。

「え? ローズ?」

「非番なんでしょ? 行くわよ、マーケット! 私ね、どうしても欲しい香油があるの。リリィも付き合いなさい!」

「いや、私は別に……」

「いいから! たまには女の子らしくショッピングよ!」

強引なS型の怪力(?)に引きずられ、私は喧騒の渦中へと連れて行かれることになった。

だが、その時の私はまだ知らなかった。

この賑やかな市場の片隅に、世界を揺るがす不気味な「真実」が潜んでいることを。



広場は、私の知る限り最も鮮やかな色彩に満ちていた。

普段は灰色のコンクリートと錆びた鉄の色しか存在しないこの地下都市に、極彩色のテントが並び、色とりどりの商品が溢れている。

「見てリリィ! この香油、ジャスミンの成分が配合されてるんですって! こっちのリップカラーも素敵じゃない?」

ローズは完全に「買い物モード」に入っていた。

彼女は愛玩用S型のボディに似合う鮮やかなスカーフを首に巻き、露店から露店へと蝶のように舞い回っている。

「機能維持に必要な物資には見えないが」

「もう、野暮なこと言わないの! 心の栄養よ、栄養!」

ローズは私の抗議など意に介さず、小瓶に入った香油を購入し、うっとりとした表情で手首に馴染ませている。

その笑顔を見ていると、私の論理回路も「これも必要なコストだ」と認めざるを得なくなる。彼女の明るさが、私たちチームの精神的安定メンタル・ヘルスを支えているのは事実だからだ。

「リリィも何か買いなさいよ。せっかくの非番なんだから」

「私に必要なものなど……」

言いかけて、私はふと足を止めた。

一軒の小さな雑貨屋の店先に、それが吊るされていたからだ。

それは、鮮やかな緋色スカーレットのサテンリボンだった。

旧時代の遺物だろうか、あるいは地下工場で再生されたものか。薄暗い照明の中でも、その赤色は血のように、あるいは炎のように私の視覚センサーを惹きつけた。

脳裏に浮かんだのは、私の部屋のベッドサイドにいる、白く煤けたウサギのぬいぐるみ「ユリ」だった。

あの無機質な白い身体に、この赤いリボンを結んだらどうなるだろうか。

首元に飾れば、少しは「飼い主」がいるように見えるだろうか。

まるで、今朝路地裏で見かけたあの少女が、泥のケーキでぬいぐるみを祝っていたように。

非効率だ。

再び、私の理性が警告する。

だが、私の手は無意識のうちにそのリボンへと伸びていた。

硬質な指先が、滑らかな布地に触れる。

「おや、お嬢さん。お目が高いね」

声をかけてきたのは、雑貨屋の店主だった。

シェルター204のキャラバン隊と共にやってきた、初老の男だ。深く刻まれた皺と、油の染み込んだ作業服が、過酷な地上での生活を物語っている。

「それは旧時代のデッドストックだ。保存状態もいい。……お嬢さんの綺麗な髪に結ぶのかい?」

「……いや」

私は首を振った。

「私自身に装飾は不要だ。これは……その、ぬいぐるみに」

「ぬいぐるみ?」

店主の眉がピクリと動いた。

私は少し気恥ずかしさを感じながら、言葉を継ぐ。

「部屋に……ウサギのぬいぐるみが、あるんだ。それに付けようかと」

私の言葉を聞いた瞬間、店主の顔から商売人の笑みが消えた。

彼は周囲を憚るように声を潜め、じっと私の赤い瞳を覗き込んだ。

「……なぁ、お嬢さん。あんた、アンドロイドだろ? しかも軍用の」

「ああ、そうだが」

「そのぬいぐるみ……まさかとは思うが、『拾った』んじゃないだろうな?」

心臓リアクターが、ドクリと大きく脈打った気がした。

なぜ、それを?

「……戦場で、手に入れた。敵の残骸からだ」

私が正直に答えると、店主は「やっぱりか」とでも言うように、深く、重い吐息を漏らした。

その表情に浮かんでいたのは、嫌悪感と、隠しきれない恐怖だった。

「やめときな、お嬢さん。そのリボンを売るのは構わんが……気味が悪いとは思わんか?」

横で聞いていたローズが、怪訝な顔で割って入る。

「ちょっと、どういうこと? リリィが何を持っていようと勝手でしょう? それに気味が悪いって何よ」

「あんたたち、ここの防衛隊だから知らないのか」

店主は声をさらに潜め、まるで亡霊の話でもするように語り始めた。

「俺たちの住むシェルター204周辺じゃな、もう『常識』なんだよ。……最近の機械軍はどいつもこいつも『ぬいぐるみ』を持ってるんだ」

「え……?」

ローズが息を呑む。私も言葉を失った。

「一体や二体じゃねえ。撃破したピースウォーカーのコクピットをこじ開けると、必ずと言っていいほど出てくるんだ。ウサギ、クマ、犬……泥だらけの、子供のオモチャがな」

店主は自身の腕をさすった。鳥肌が立っているのが分かった。

「あいつらは感情のない殺戮兵器だろ? 人間を見れば虫ケラみたいに殺しに来る。そんな鉄屑どもが、なんで大事そうに人間の子供のオモチャを抱えて操縦席に座ってるんだ? 想像してみろよ。自分を殺そうとしてくる化け物が、死んだ子供の形見みたいなもんを懐に入れてる姿を」

想像した。

無機質なモノアイ。冷徹な銃撃。

その鋼鉄の胸の内で、柔らかいぬいぐるみが押しつぶされている光景を。

「俺たち人間を真似てるのか、馬鹿にしてるのか……あるいは、狂っちまったのか。とにかく、204の連中はみんな気味悪がってる。子供たちが真似して死骸からそれを拾ってくるのが流行っちまっててな……親たちは必死で止めさせてるんだが」

店主はそこで言葉を切り、私を見つめた。

「あんたもだ、お嬢さん。悪いことは言わねえ。そんな『呪物』みたいなもん、早めに捨てちまった方がいい」

私は店主に代金を支払い、リボンを受け取った。

だが、その鮮やかな赤色は、もはや炎のようには見えなかった。

それは、正体の分からない不吉な「警告色」のように、私の掌で重く輝いていた。


部屋に戻った後も、あの店主の言葉が頭から離れなかった。

リリィ、ローズ、そして任務を終えて帰宅したマリー。

私たちはいつものようにちゃぶ台を囲んでいたが、そこにはいつもの穏やかな空気はなかった。

中央には、白いウサギのぬいぐるみ「ユリ」が置かれ、その首には私が買ってきた赤いリボンが結ばれている。

可愛らしいはずのその姿が、今は底知れぬ深淵の入り口に見える。

「……機械軍全体に広がる現象、か」

マリーが難しそうな顔で腕を組んだ。

「論理的に説明がつかないよ。AIの学習エラーが集団感染した? でも、機械軍のネットワークは強固なファイアウォールで守られてるし、そんなバグがあれば自己診断プログラムが削除するはずだよ」

「そうね」

ローズが不安げにユリを見つめる。

「それに、どうして『ぬいぐるみ』なの? 武器でも、情報端末でもなく。……まるで、彼らが『何か』を愛そうとしているみたいじゃない」

愛。

感情を持たないはずの彼らが、愛を模倣している?

「私は……知りたい」

沈黙を破り、私は言った。

二人の視線が集まる。

「このユリが、ただのバグなのか。それとも、機械軍に起きている『進化』の証なのか。もし彼らが変わり始めているのなら……私たちの戦う意味も、変わってくるかもしれない」

敵がただの鉄屑なら、破壊することに躊躇いはない。

だが、もし彼らが心を持ち始めているとしたら?

私たちが日々行っている破壊活動は、『殺人』と同義になるのではないか?

その問いに対する答えを知らなければ、私はもう、以前のように引き金を引けないかもしれない。

「調べる方法は一つだ。情報の震源地、シェルター204へ行く」

私の決意に、マリーがパチンと指を鳴らした。

「それなら、適任がいるよ! 204の遊撃部隊に、私の友達がいるの!」

「友達?」

「うん。『スバル』っていうんだけどね。TYPE.B(Battle)の男性型。すっごく愛想ないけど、腕は超一流だし現場のことは誰よりも詳しいはずだよ。彼なら機械軍の『中身』についても何か知ってるかも」

マリーの提案は渡りに船だった。

「……マリー、紹介してくれるか?」

「もちろん! ……っていうか、私も行くよ!」

マリーは身を乗り出した。

「久しぶりにスバル君に会いたいし、技術者としてこの謎は見過ごせないもん!」

「私も行くわよ」

ローズも優雅に紅茶を飲み干し、微笑んだ。

「リリィとマリーちゃんだけじゃ、向こうの男たちに騙されそうだしね。お姉さんがついててあげないと」

三人の意思は固まった。

私は立ち上がり窓の外、岩盤に覆われた天井を見上げた。

「よし。防衛隊司令部に申請を出す。シェルター204へ帰還する交易キャラバン隊の護衛任務に我々は志願する」

「了解!」

「ふふ、新しい旅の始まりね」

私はもう一度、テーブルの上のユリを見た。

赤いリボンをつけた彼は、何も語らない。

だが、その黒い瞳の奥には、私たちがまだ知らない世界の真実が映っている気がした。

錆びついた扉が開く音がする。

それは破滅への入り口か、それとも再生への道か。

私たちは鋼鉄の靴紐を結び直し、未知なる荒野へと踏み出す準備を始めた。


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