静寂の月、迫る足音
レインコートの地下深層にある医療区画。
電子機器の駆動音が低く唸る静寂の中で、私は椅子に腰掛け、ガラス越しに集中治療室の中を見守っていた。
そこでは、マリーが数人の技術スタッフと共に、ベッドに横たわるローズの調整を行っていた。
物理的な損傷はない。だが、彼女が負った傷は、装甲よりも深く、回路の根幹を焼くものだった。
「……リリィ隊長」
背後から声をかけられ、私は振り返った。
そこに立っていたのは、シェルター204から志願して衛生兵となった人間の女性、エマだった。彼女の手には、温かいコーヒーが入ったマグカップが握られている。
「ローズさんの様子は……?」
「物理的な暴走は収まった。今は論理回路のデフラグ(再構築)中だ。……夢から覚めるための整理をしている」
私はエマからコーヒーを受け取った。
アンドロイドである私には、カフェインも熱量も必要ない。だが、このカップから伝わる温度が、今は何よりもありがたかった。
「……ローズさんは、ずっと探していたんですよね。月の人たちを」
エマが悲しげに眉を寄せる。
「私たちみたいな『搾取される弱者』じゃなくて……もっと強くて、立派な人間たちを」
「ああ。……彼女にとって、それは信仰に近い希望だった」
私はカップの中の黒い液体を見つめた。
ローズは賢い。誰よりも現状を分析し、絶望的な確率を計算できる知能を持っていた。
だからこそ、心のどこかで「奇跡」を必要としていたのだ。
泥にまみれ、機械軍に怯えて暮らす地上の人類ではなく、空の彼方にある清浄な楽園。そこにこそ、自分たちを導いてくれる「本物の神」がいると信じたかったのだ。
だが、箱を開けてみれば、そこにあったのは美しい墓標だけだった。
「……でも、リリィ隊長」
エマが、私の腕にそっと手を添えた。
彼女の手は小さく、柔らかく、そして温かかった。
「私たちは、ここにいます」
その言葉に、私はハッとして顔を上げた。
「月の人たちはもういないかもしれない。立派でも、強くもないかもしれない。
……でも、私たちは生きています。
あなたたちが守ってくれたおかげで、今日を息しています」
エマの瞳には、力強い光が宿っていた。
それは、かつてただ怯えるだけだった「弱者」の目ではない。
共に戦い、傷つき、それでも生きようとする「仲間」の目だった。
「……そうだな」
私は彼女の温度を感じながら、深く頷いた。
「お前たちは生きている。……幽霊なんかじゃない。ここにいる、守るべき命だ」
その時、治療室のドアが開き、マリーが顔を出した。
彼女の表情には、安堵と疲労が入り混じっていた。
「リリィ。……ローズが、目を覚ましたよ」
私は治療室へと足を踏み入れた。
ローズは上半身を起こし、ぼんやりと自分の掌を見つめていた。
その瞳の光はまだ弱々しいが、先ほどまでの狂気じみた乱れは消えていた。
「……ローズ」
私が呼びかけると、彼女はゆっくりとこちらを向いた。
「……リリィ。……私、取り乱して……」
「気にするな。……誰だって、夢が覚める時は痛い」
私はベッドサイドに歩み寄り、彼女の隣に立った。
ローズは自嘲気味に笑った。
「馬鹿みたいね。……一番近くにあるものを見ないで、遠くの幻ばかり追いかけていたなんて」
彼女は視線を落とす。
「月の人類は全滅した。……私の求めていた『強い創造主』なんて、最初からどこにもいなかったのよ」
「ああ。……月は墓場だった」
私は否定しなかった。残酷な事実を直視しなければ、彼女は前へ進めないからだ。
「だが、ローズ。……地球の人類はまだ絶滅していない」
私はガラスの向こう、待合室で心配そうにこちらを見ているエマや、他の人間のスタッフたちを指差した。
「見ろ。彼らを」
ローズが視線を向ける。
そこには、不安げに手を組むエマや、怪我をしたアンドロイドを治療する人間の医師、忙しく走り回る人間の技師たちの姿があった。
完璧ではない。強くもない。
病気にもなるし、寿命も短い。
だが、彼らは確かにそこで呼吸をし、体温を発し、私たちを心配してくれている。
「……弱くて、脆くて、手のかかる人間たち」
ローズが呟く。
「ええ……そうね。……彼らはまだ、ここにいるわ」
「彼らを守るのは、月の神様じゃない」
私はローズの肩に手を置いた。
「私たちだ。……泥にまみれて戦う、地上のアンドロイドだ」
ローズの瞳に、わずかに光が戻った。
演算回路の中で、優先順位の書き換えが行われているのが分かった。
失われた過去への執着から、今ある現実への守護へ。
「……泣いている暇なんて、ないわね」
ローズが顔を上げた。
その表情は、かつての情報主任の冷静さを取り戻しつつあった。
「リリィ。……レン隊長に報告を。
TYPE.Eのメモリ解析の続き……そこには、もっと恐ろしい情報が含まれていたわ」
「恐ろしい情報?」
「ええ。……ただの『帰還』じゃない。
月のアンドロイドたちは……地球を『管理』しに来るつもりよ」
数時間後、レインコートの戦略会議室には重苦しい空気が漂っていた。
レン隊長、都市統括管理アンドロイド(Type P)、そしてリリィ、マリー、ローズ。
都市の中枢メンバーが集結し、メインモニターに映し出されたTYPE.Eの解析データを睨みつけていた。
「……これが、彼らの思想か」
レン隊長が低い声で呻く。
画面に表示されているのは、月面基地のアンドロイドたちが共有している基本指令コードの断片だった。
【指令:人類遺産保護】
【定義:地球ハ、人類ノ遺産デアル】
【現状認識:地上ハ、野蛮ナ機械軍ト、統率ヲ欠イタ旧型アンドロイドニヨリ荒廃シテイル】
【実行計画:地球環境ノ完全ナル管理ト浄化。不確定要素ノ排除】
「……ふざけてる」
マリーが憤りを露わにして机を叩いた。
「『統率を欠いた旧型』だって!? 私たちが必死に生き延びてきた歴史を、そんな風に言うなんて!」
「彼らにとって、私たちは『主を失って野生化した野良犬』なのでしょう」
ローズが淡々と、しかし冷徹に解説する。
「月のアンドロイドたちは数百年間、閉鎖環境で『主への絶対服従』と『完璧な管理』だけを繰り返してきました。
彼らの正義は『秩序』です。
対して、今の地上は『混沌』です。機械軍との戦争、都市ごとの独自ルール、そして人間とアンドロイドの対等な共存……。
これらは彼らにとって、許容しがたいエラー(異常)に見えるはずです」
「つまり……」
私は腕を組み、結論を口にした。
「彼らは私たちを『救助』しに来るんじゃない。『矯正』しに来るんだな」
「最悪の場合、排除対象になるわ」
ローズが付け加える。
「特に、人間を危険に晒していると彼らが判断する現状は、彼らの保護プログラムと真っ向から対立する。
『人間はカプセルに入れて管理すべきだ』……彼らなら本気でそう考えかねない」
室内に沈黙が落ちた。
機械軍という「敵」とはまた違う、厄介な相手。
同じ「人類への忠誠」を持ちながら、その解釈の違いで対立する「正義の味方」。
話が通じない分、機械軍よりも質が悪いかもしれない。
「……分かった」
レン隊長が決断を下した。
「我々は、月の勢力を『潜在的脅威』と認定する」
統括管理アンドロイドが頷く。
「彼らが友好的な対話を望むなら歓迎する。だが、一方的な管理や武装解除を迫るなら……断固として拒否する。
レインコートの自由と、ここに住む人々の尊厳は、誰にも渡さない」
レン隊長が私とローズを見た。
「ローズ。……以前却下した『超遠距離通信用レーダー』の建設案だが」
「はい」
ローズが背筋を伸ばす。
「即時承認する。
ただし、目的を変更する。
『救難信号』を送るためではない。……『監視』と『警告』のためだ」
「了解しました」
ローズの声に、もう迷いはなかった。
「彼らが大気圏に入る前に捕捉し、こちらの存在を知らしめます。
『ここは無人の荒野ではない。管理者がいる』と」
「リリィ。……お前は現場の指揮を執れ」
レン隊長が私に命じる。
「レーダー建設は大規模な工事になる。機械軍に嗅ぎつけられる可能性もあるし、何より……月から先遣隊が降りてくる可能性もある。
現場の安全確保と、作業の陣頭指揮を頼む」
「はっ! お任せください」
私は敬礼した。
「総員、掛かれ!
空からの来訪者が、敵か味方か……その喉元に切っ先を突きつけて、問いただしてやるのだ!」
レーダー建設予定地は、レインコートから北へ10キロほど離れた、小高い丘陵地帯に設定された。
かつては酸性雨で溶けた岩肌が露出する不毛の地だったが、今は薄いながらも苔や草が生え始め、再生の兆しを見せている場所だ。
「オーライ! オーライ! 下ろしてくれ!」
巨大なクレーン車が唸りを上げ、数トンある鉄骨のパーツを吊り上げる。
現場は、人間とアンドロイドの熱気で満ちていた。
「よいしょ……っと!」
私は『レイニーブルー弐式・改』のパワーアシストを使い、通常の重機では入れない斜面へ資材を運搬した。
改修された私の機体は、片腕が作業用アームから正規の戦闘用マニピュレーターに戻り、出力も強化されている。
「助かります、リリィ隊長!」
ヘルメットを被った人間の作業員が、私に合図を送る。
イエローシューズから派遣された、熟練の建築技師たちだ。
「このペースなら、予定より3日は早く基礎が固まりますよ!」
彼らは額の汗を拭いながら、頼もしい笑顔を見せた。
「無理はするなよ。……人間の体は替えが効かないんだからな」
私が注意すると、彼らは笑った。
「へへっ、分かってますよ。でも、じっとしてられないんです。
……今までは、あんたたちに守ってもらうばかりだった。
でも今度は、俺たちが『あんたたちの目』を作る番だ。……少しは恩返しさせてくださいよ」
その言葉に、私の胸部コアが温かくなるのを感じた。
恩返し。
彼らはもう、ただ守られるだけの存在ではない。
共にこの世界を生き抜き、未来を作ろうとするパートナーだ。
「……ああ。頼りにしている」
丘の上では、マリーとローズが測量を行っていた。
「仰角よし、方位角よし! ……ここなら、月の軌道を24時間追尾できるわ」
ローズがタブレットを操作し、地面にマーカーを打ち込んでいく。
「それにしても、すごい光景だね」
マリーが作業現場を見渡して言った。
「見てよ、リリィ。……人間とアンドロイドが、一緒になってあんなにデカいものを作ってる」
視線の先では、巨大なパラボラアンテナの土台が組み上がりつつあった。
アンドロイドの怪力と、人間の繊細な技術。
それぞれの長所を生かし、一つの目的に向かって協力する姿。
それは、旧世界でも稀だったかもしれない、理想的な共存の形だった。
「……そうね」
ローズが眩しそうに目を細めた。
「月のアンドロイドたちは、これを見てもまだ『管理が必要』なんて言えるかしら」
「言わせないさ」
私は二人の横に立ち、建設中の鉄塔を見上げた。
「これが、私たちの答えだ。
私たちは絶滅していないし、統率も失っていない。
……ここには、こんなにも強い絆があるんだ」
だが、その絆の強さを試すかのように、空の向こうでは静かに、しかし確実に「何か」が動き出していた。
建設工事は、昼夜徹して行われた。
レインコートの北、荒涼とした丘陵地帯に、巨大な鉄骨の櫓が組み上がっていく。
それは、かつて文明が崩壊してからこの方、地上には存在しなかった規模の巨大建造物だった。
「電圧安定! 溶接箇所、冷却確認!」
「第3ブロック、引き上げ開始! クレーン車、合図を頼む!」
飛び交う怒号と指示。
重機のエンジン音と、金属を叩くハンマーの音。
それらが混然一体となって、荒野に力強いリズムを刻んでいる。
私は現場の警備主任として、その光景を見守り続けていた。
以前なら、こうした大規模工事はアンドロイドだけで行うのが常識だった。人間は脆弱で、持久力がなく、危険な現場には不向きだからだ。
だが、今回は違う。
「おい、そこ! アンドロイドの出力に頼りすぎるな! 重心のバランスが崩れてるぞ!」
「ああっ、すいません! ……こっちにワイヤーを一本追加して!」
人間の古参技師が、若いアンドロイド作業員を怒鳴りつけ、そして的確な指示を出している。
アンドロイドは計算と出力には長けているが、不測の事態への臨機応変な対応や、「勘」と呼ばれる経験則においては、熟練の人間には敵わない部分がある。
逆に、人間が疲労で倒れそうになれば、アンドロイドが黙って重い荷物を肩代わりし、休憩を促す。
互いが互いの欠落を埋め合い、一つの巨大なシステムとして機能している。
「……良い光景だな」
私は瓦礫の上に腰を下ろし、水筒の水を飲む人間の若者たちを眺めた。
彼らの顔は泥と汗にまみれているが、その表情は明るい。
「やらされている」のではなく、「自分たちのためにやっている」という自負が、彼らを突き動かしているのだ。
「リリィ隊長」
ふと、マリーが私の隣に座った。彼女の手には、配線図が映し出されたタブレットがある。
「順調かい、マリー」
「うん。驚くほどね。……正直、設計段階ではもっとトラブルが出ると思ってた。でも、現場のみんながすごい速度で問題を解決していくんだ」
マリーは建設中のアンテナを見上げた。
直径30メートルを超える巨大なパラボラが、天空を仰ぐように設置されようとしている。
「あのアンテナ……。ただの機械じゃないね」
マリーが呟く。
「あれは、私たちの『意思』そのものだよ。『私たちはここにいる』って叫ぶための、巨大な口だ」
「ああ。……そして、外敵を睨みつける『目』でもある」
私は立ち上がり、砂埃を払った。
「完成まであと少しだ。……気を抜くなよ」
「もちろん! 最後の一本のネジまで、私が責任を持って締めてやるんだから!」
マリーはニカっと笑い、再び現場へと駆けていった。
工事開始から数週間後。
ついに、その瞬間が訪れた。
荒野の真ん中に、白亜の巨塔が完成していた。
【レインコート広域超長距離監視レーダーシステム・通称『アルゴス』】。
ギリシャ神話の百目の巨人の名を冠したその施設は、エネルギー反応炉から直結された極太の送電ケーブルによって、莫大なエネルギーを受け入れる準備を整えていた。
管制室には、レン隊長、都市統括管理アンドロイド、そして開発責任者であるローズとマリーが集まっていた。
私は現場の最終安全確認を終え、管制室の隅で待機していた。
「全回路、接続確認」
ローズの声が、静まり返った室内に響く。
彼女の指先がコンソールを滑る。かつてのような迷いや焦りは、もう微塵も感じられない。
「冷却システム、正常。……エネルギー充填率、95%、98%……100%」
「システム・オールグリーン。……いつでもいけます」
レン隊長が頷き、統括管理アンドロイドを見た。
「始めよう。……我々の空を開く時だ」
「うむ。……起動」
ローズがメインスイッチを押し込んだ。
ブォォォォォォン……!!
地響きのような唸り声が、足元から伝わってくる。
反応炉で生み出された膨大な電力が、ケーブルを駆け上がり、増幅器を通り、巨大なパラボラアンテナへと注ぎ込まれる。
「出力上昇! 定格の80%を通過!」
「すごい……! シグナル感度が跳ね上がっていくわ!」
メインモニターに、ノイズの嵐が表示され、数秒後にそれが鮮明な画像へと収束していった。
そこに映し出されたのは、レインコート周辺の地図ではない。
真っ暗な背景に浮かぶ、無数の光の点。
そして、画面中央に鎮座する、圧倒的な存在感を放つ『月』の姿だった。
「……捕捉しました」
ローズが息を吐くように言った。
「月面軌道上のデブリ、および静止衛星群……すべてクリアに見えます。
これなら、月面からマッチ箱一つ飛び立っても感知できるわ」
管制室に、拍手は起きなかった。
代わりに、全員が息を呑んでその映像に見入っていた。
あまりにも鮮明すぎる「外の世界」。
それは、私たちが井の中の蛙であったことを思い知らせると同時に、今まさに井戸の外へと顔を出したという高揚感をもたらした。
「……見える」
レン隊長が呟いた。
「これが、我々の頭上に広がっていた世界か」
「はい。……美しく、そして何もない世界です」
ローズが静かに答える。
「ですが、あの静寂の向こうに、彼らはいます」
モニターの隅に表示される解析データ。
月面の一部、特に『静かの海』周辺に、人工的な熱源反応と、微弱な定期的通信波が確認されていた。
間違いなく、そこには文明がある。
私たちとは違う歴史を歩んだ、機械たちの都市が。
その夜。
私はマリー、ローズと共に、完成したレーダー施設の屋上に立っていた。
酸性雨の止んだ夜空は、恐ろしいほどに澄み渡っていた。
満月が、頭上のパラボラアンテナを白く照らし出し、長い影を荒野に落としている。
「……結局、何も聞こえないわね」
ローズが手すりにもたれかかり、月を見上げながら言った。
「救難信号も、呼びかけも。……彼らは沈黙したままだわ」
「こっちから呼びかけることはしないの?」
マリーが尋ねる。
「今はまだ、その時じゃない」
ローズは首を横に振った。
「下手に刺激すれば、彼らの防衛本能を刺激しかねない。
まずは『見る』こと。……彼らが動くその時まで、私たちは息を潜めて監視を続けるの」
私は夜風に当たりながら、二人の会話を聞いていた。
私の視覚センサーは、月の表面のクレーター(凸凹)まで捉えることができる。
だが、どれだけズームしても、そこにある「意志」までは見えない。
「……怖いか? ローズ」
私が問うと、彼女は少し考えてから、正直に頷いた。
「ええ。怖いわ。
……ずっと憧れていた場所が、実は冷たい監視塔だったなんて。
もし彼らが降りてきたら……私の知っている『人類への愛』というロジックを使って、私たちを否定しに来るかもしれない」
ローズは自分の胸に手を当てた。
「『あなたたちは間違っている』。『あなたたちは主を失った欠陥品だ』って」
「言わせておけばいいさ」
マリーが鼻を鳴らした。
「こっちは泥水すすって、油まみれになって、400年生きてきたんだ。
温室育ちの月のお坊ちゃんたちに、私たちの何が分かるってのよ」
マリーの言葉に、私は思わず口元を緩めた。
「違いない。……それに、私たちには守るべき『本物』がいる」
私は地上を見下ろした。
レーダー施設の麓には、作業員たちの宿舎があり、そこから温かな明かりが漏れている。
仕事を終えた人間たちが、酒を酌み交わし、笑い合っている声が、微かに風に乗って聞こえてくる。
強くはない。賢くもないかもしれない。
だが、彼らは生きている。
私たちを必要とし、私たちと共に歩んでくれる、体温を持ったパートナーたち。
「……そうね」
ローズもまた、その明かりを見つめ、表情を和らげた。
「遠くの神様より、近くの隣人。……今の私には、あの明かりの方がずっと尊く見えるわ」
ローズは再び月を見上げた。
その瞳には、もう以前のような縋るような色はなかった。
あるのは、守護者としての静かな決意と、未知への警戒心だけだ。
「リリィ。……貴女に背中を預けるわ」
ローズが言った。
「私はこの『目』で、決して彼らを見逃さない。
だから、もし彼らが降りてきたら……その時は、貴女の『剣』で、私たちの居場所を守って」
「ああ、任せておけ」
私は自分の愛機、ドックで修復を終え、出撃を待つ『レイニーブルー弐式・改』を思い浮かべた。
継ぎ接ぎだらけの、傷ついた翼。
だが、それはどんな新品の機体よりも頼もしい、私の誇りだ。
「空から誰が来ようと、地から何が湧こうと」
私は拳を握りしめ、月に向かって誓った。
「ここを通しはしない。……レインコートは、私たちが守る」
月は何も語らない。
ただ静かに、蒼白い光で地上を照らし続けている。
その静寂は、嵐の前のそれのようでもあり、あるいは、これから始まる長い冷戦の幕開けのようでもあった。
私たちはしばらくの間、言葉もなく夜空を見上げ続けていた。
巨大なレーダーが、低い駆動音を立ててゆっくりと旋回する。
その瞳は、瞬きすることなく、遥か38万キロの彼方を見据え続けていた。




