蒼き海原、巨砲の街
レインコートを出発してから、5日が経過していた。
私たちリリィブロッサム部隊は、地図にも載っていない未踏の荒野を、西へ向かってひた走っていた。
「隊長、エンジンの調子はどうですか? ……新型の『プラズマ安定式高出力動力炉』、熱ダレの兆候はありませんか?」
後方支援車両に乗るマリーから、定期チェックの通信が入る。
「快調だ、マリー。……驚くほどにな」
私は『レイニーブルー弐式』のコクピットで、モニターに表示される計器類を確認しながら答えた。
外気温は35度を超えている。
荒れ狂う砂嵐と、直射日光が照りつける過酷な環境。
以前の旧式ジェネレーターを積んだ機体なら、オーバーヒートを起こして冷却休憩を挟まなければならない距離だ。
だが、レインコート工廠で生産・換装された新型動力炉は、不気味なほど安定していた。
唸りを上げることもなく、静かに、しかし力強く、数トンの巨体を軽々と前進させている。
「すごいな……。これが、私たち自身の手で作った『力』か」
部下の一人が、通信機越しに感嘆の声を漏らす。
「前の遠征じゃ、ここまで来るのに倍の時間はかかってましたよ。……まるで遠足に来た気分だ」
「油断するなよ」
私は釘を刺したが、口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「だが、確かに順調だ。……このペースなら、予定より早く探索部隊と合流できる」
私たちの行軍速度は、かつてのメビウス303遠征時とは比較にならなかった。
道なき道を踏破するサスペンション、障害物を粉砕して進むパワー。
リリィブロッサム部隊は、今やレインコート周辺で最強の機動力を持つ集団へと進化していた。
6日目。
風景が変わり始めた。
乾いた赤土の荒野が終わり、ゴツゴツとした岩山が連なる山岳地帯へと入った。
標高が上がるにつれ、空気は冷たく澄んでいく。
「……匂いが、変わった?」
ローズが、高感度センサーを鼻先でヒクつかせた。
「湿気を含んでいるわ。……それに、微量だけど塩化ナトリウムの成分が含まれている」
「塩……?」
「ええ。……近いわよ、リリィ。この山を越えれば」
私たちはスロットルを吹かし、最後の峠越えに挑んだ。
急勾配の坂道を、弐式の強靭な脚部が食らいつき、駆け上がっていく。
「頂上だ! ……全機、そのまま突っ切れ!」
私たちは岩山の尾根を一気に駆け抜けた。
そして、視界を遮っていた岩盤が途切れ、世界が開けた瞬間。
全員の動きが、止まった。
「……あ……」
私の視覚センサーが、処理しきれないほどの色彩情報を受け取り、一瞬ホワイトアウトした。
そこに広がっていたのは、空よりも濃く、大地よりも深い、圧倒的な「蒼」だった。
水平線。
視界の端から端までを埋め尽くす、揺らめく水面。
白い波頭が、遠くから寄せては返し、岩肌に砕けて白い飛沫を上げている。
海。
旧時代のデータアーカイブでしか見たことのなかった、地球上の生命の源。
それが今、圧倒的な質量と実在感を持って、私の目の前に広がっている。
「これが……海……」
誰かが震える声で呟いた。
「うっそ……でっか……!」
マリーが絶句している。
「全機、停止。……少し、休憩にしよう」
私はそう命じると、真っ先に弐式のハッチを開けた。
こればかりは、モニター越しではなく、自分の目で見なければならない気がしたのだ。
機体から降り、崖の端に立つ。
風が強い。
その風には、独特の磯の香りが混じっていた。
波の音が、絶え間なく響いてくる。ザザァ……ザザァ……という、地球の呼吸のような音。
「……すごい」
ローズが隣に並んだ。彼女の長い髪が海風になびいている。
「データでは知っていたけれど……本物は、こんなにも美しいのね」
「ああ。……世界は残酷だと思っていたけれど」
私は水平線の彼方を見つめた。
「こんなにも綺麗な場所が、まだ残されていたんだな」
「リリィ! ローズ! 見て見て!」
崖の下、砂浜へと続く斜面を、マリーが転がるように駆け下りていった。
彼女はブーツのまま波打ち際へ飛び込み、バシャバシャと海水を蹴り上げている。
「しょっぱい! ほんとにしょっぱいよこれ! ……あ! 魚! 魚がいる!」
マリーが子供のようにはしゃぎ、手のひらサイズの小魚をすくい上げようとして転んでいる。
整備服はずぶ濡れだが、彼女は満面の笑顔だった。
「……ふふっ」
部下たちも、それを見て笑い合い、次々と浜辺へ降りていく。
鉄と油にまみれた日々を送る私たちにとって、この光景はあまりにも眩しく、そして救いだった。
機械軍による汚染が進んだ世界で、海はまだ死んでいなかった。
青く、力強く、生命を育んでいた。
私たちが守るべき世界は、地下の暗がりだけじゃない。
この広大で美しい星そのものなのだと、教えられた気がした。
ひとしきり海を堪能した後、私たちは探索部隊からの誘導信号に従い、海岸線沿いの断崖絶壁へと向かった。
そこには、自然の洞窟を装った巨大な搬入口が隠されていた。
『リリィブロッサム部隊、応答願います。……ようこそ、レンゲルへ』
通信機から、落ち着いた女性の声が響く。
「こちらリリィ。……誘導に感謝する」
ゲートが開くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
地下港湾都市レンゲル。
レインコートと同じく地下に建設された都市だが、その構造は根本的に異なっていた。
巨大な地底湖。いや、海と繋がった入り江をそのままドーム状の岩盤で覆ったような構造だ。
天井には無数のライトが星空のように輝き、水面を照らしている。
水上には幾つもの人工島が浮かび、それらが橋やパイプラインで結ばれている。
そして、岸壁には大小様々な船舶が係留され、潜水艦のようなシルエットも見える。
「水の上に都市が……」
「湿度がすごいな。……錆び止めをしっかり塗らないと」
マリーが整備士としての目線で呟くが、その目も輝いている。
都市の規模はレインコートと同等か、それ以上だろう。
行き交う人々も多い。
人間とアンドロイドが混在し、漁業や水質浄化プラントの作業に従事している様子が見える。
彼らの表情は明るく、ここもまた、機械軍の魔手から生き延びた力強い生存者たちの街であることが分かった。
私たちは案内されたドックにピースウォーカーを駐機させた。
レインコートにはない「船」の整備ドックだ。
珍しそうにキョロキョロする部下たちを制し、私はマリーとローズを連れて、出迎えの使節団の元へと向かった。
「遠路はるばる、よく来てくれました。レインコートの英雄たちよ」
使節団の中央から進み出てきたのは、白髪の初老の男性だった。
背筋がピンと伸び、海軍の制服のような白いジャケットを羽織っている。
彼の横には、補佐官らしき女性型アンドロイドが控えていた。
「私はレンゲル都市司令官、カーティスだ。……君たちの噂は探索部隊から聞いている。機械軍の工廠を奪い、新たな『剣』を作り出した勇敢な戦士たちだと」
「初めまして、カーティス司令官。リリィブロッサム部隊長のリリィです」
私は敬礼し、握手に応じた。
彼の手は大きく、分厚いタコがあった。長年、海と戦ってきた男の手だ。
「新たな同胞との出会いに感謝します。……レインコートは、貴都市との友好と、対機械軍の共闘を望んでいます」
「もちろん、我々もだ」
カーティス司令官は力強く頷いた。
「我々はずっと孤立していた。海は恵みを与えてくれるが、同時に逃げ場のない檻でもある。……背中を預けられる陸の友ができることは、願ってもないことだ」
周囲のレンゲル兵士たちからも、歓迎の拍手が巻き起こる。
暖かい空気。
メビウス303の時と同じだ。
人間とアンドロイドは、まだ手を取り合える。
だが、カーティス司令官の表情には、歓迎の笑みの裏に、隠しきれない憂いと緊張の色が見え隠れしていた。
彼は一通り挨拶を終えると、声を潜めて私に告げた。
「……積もる話もあるが、まずは現状を見てもらいたい。我々が抱えている『喉元の刃』を」
「……機械軍の拠点、ですね」
「ああ。……案内しよう。我々の切り札と、どうしようもないジレンマを」
私たちは司令官の案内で、都市の最上層、海に面した断崖の内部に作られた特別区画へと移動した。
厳重なセキュリティゲートをいくつもくぐり抜ける。
「ここだ」
扉が開いた瞬間、私たちは息を呑んだ。
そこは、海に向かって大きく開かれた巨大な砲台スペースだった。
そして、部屋の中央に鎮座していたのは、常識外れの大きさを持つ「砲」だった。
全長、優に100メートル以上。
二本の巨大な伝導レールが並行に走り、その周囲には太い冷却パイプと高電圧ケーブルが血管のように張り巡らされている。
砲身というよりは、建造物だ。
超巨大質量兵器【ビッグレールガン】。
「で、でっか……!」
マリーが口をあんぐりと開けて見上げている。
「これ、戦艦の主砲……いや、それ以上だよ! 何を撃つの!? 月!?」
「これは、旧時代に沿岸防衛用として極秘裏に建造された試作兵器だ」
カーティス司令官が、愛おしそうに、しかし忌々しそうにその巨砲を見上げた。
「電磁力によって数トンの弾体を極超音速で射出する。……威力は戦術核並みだ。直撃すれば、山一つ吹き飛ばせる」
「とんでもない代物ですね……」
私は戦慄した。こんなものが稼働状態で残っているとは。
「これがあれば、機械軍の拠点など一撃ではないのですか?」
「……見てくれ」
司令官が砲口が向いている先、海上のモニターを指し示した。
そこには、レンゲルから海を挟んで対岸にある、入り組んだ湾岸地帯が映し出されていた。
赤外線カメラには、おびただしい数の熱源反応と、中央にそびえ立つ巨大なタワーのような施設が映っている。
「あれが、機械軍の拠点だ。……距離にして20キロ」
「目と鼻の先じゃないですか」
「そうだ。奴らはあそこに居座り、海への進出を虎視眈々と狙っている。……だが、我々はこの『ビッグレールガン』を撃てない」
「なぜです?」
司令官はモニターを操作し、敵拠点の中央部分を拡大した。
そこには、青白く発光するドーム状の施設があった。
「あれは……大型エネルギー反応炉?」
ローズが即座に分析する。
「その通りだ。……奴らの拠点は、旧時代のエネルギー反応発電所跡地に作られている。そして、あの反応炉は現在、臨界ギリギリの高出力で稼働している」
カーティス司令官が苦渋の表情で告げる。
「もしビッグレールガンを撃ち込めば、拠点は消滅するだろう。だが、同時に反応炉も誘爆する。……その爆発規模は、レンゲルを含むこの湾岸一帯を消し飛ばし、さらにその後数百年は誰も住めない死の土地に変えるほどの汚染を撒き散らす」
「なっ……!?」
私たちは言葉を失った。
つまり、人質を取られているのと同じだ。
最強の武器を持っているのに、それを使えば自分たちも死ぬ。
「奴らもそれを分かっている。……だからこそ、あそこに陣取り、堂々と戦力を蓄えているのだ」
「卑劣な……」
「そして、問題はそれだけではない」
司令官はさらに画像を切り替えた。
反応炉のドームの前。そこに仁王立ちする、異様なシルエットが映し出された。
「……こいつだ。この拠点の支配者であり、我々が手出しできない最大の理由」
モニターに映し出されたのは、パワードスーツだった。
だが、そのサイズがおかしい。
周囲の量産型ピースウォーカーが子供に見えるほどの巨体。
全高、推定15メートル級。
その姿は、日本の鎧武者を模したような重厚な装甲に覆われている。
背中には巨大な旗指物のような放熱板。
右手には、身の丈ほどもある超大型軍刀。
そして左手には、六本の砲身を束ねた連発式プラズマライフル(ガトリング)。
その威圧感は、かつて私たちを絶望させた「南部大剣」を遥かに凌駕していた。
「識別コード、弐拾弐式・村田連発」
司令官がその名を告げる。
「南部大剣の……後継機」
私は思わず拳を握りしめた。
スバルを殺した、あの悪夢の進化系。
「奴は、あの反応炉を守る番犬だ。……そして、その装甲はビッグレールガン以外のあらゆる攻撃を弾く。過去に何度か攻撃部隊を送ったが、傷一つ付けられずに全滅した」
巨大な盾で守られ、巨大な矛を持ち、さらに自爆スイッチ(反応炉)の上に座っている怪物。
まさに、難攻不落。
「……詰み、ですか」
ローズが冷静に、しかし絶望的な響きを含んで呟いた。
「いや」
カーティス司令官が、強い眼差しで私を見た。
「希望はある。……だからこそ、君たちを呼んだのだ」
司令官は私に歩み寄り、深く頭を下げた。
「リリィブロッサム部隊に頼みたい。
君たちの力で、あの拠点に潜入し、反応炉を傷つけることなく……あの化け物、『村田連発』のみをピンポイントで排除してほしい」
「……反応炉を傷つけずに、あの化け物だけを排除する。それが依頼ですか」
私はモニターに映る、不気味に輝くドーム状の施設と、その前に鎮座する『村田連発』を見据えて問い返した。
「そうだ。……君たちなら、あの施設の正体がわかるだろう?」
カーティス司令官が、モニターの解析データを切り替える。そこに表示された化学式の羅列を見て、マリーが即座に反応した。
「これ……『劇毒エネルギー反応炉』だね。レインコートやシェルター204で稼働させているのと同型の」
「その通りだ」
司令官が頷く。
「炉心に高密度の『劇毒塊』を収め、そこに『特殊薬液』を注入して反応熱を取り出す。……我々人類が生きていくために不可欠な、高効率の発電施設だ」
「ええ。私たちも、これのおかげで生活できています」
私は肯定しつつ、モニターの脅威を見上げた。
「ですが、取扱注意の代物でもあります。……もし制御を失えば、どうなるか」
「君たちの想像通りだ」
司令官の表情が険しくなる。
「もしビッグレールガンで施設ごと吹き飛ばせば、制御系が破壊され、大量の薬液が一気に炉心へ流れ込む。……待っているのは、制御不能の連鎖反応だ」
「そして、『劇毒の雲』が撒き散らされる……」
ローズが静かに、最悪の結末を口にした。
「そうだ。それは空気より重く、地表を這うように広がる。このレンゲルの地下都市も、海も、全てが毒に飲み込まれ、人間はおろか魚一匹残らず死滅する。……数百年は誰も近づけない死の大地になるだろう」
マリーが悔しそうに拳を震わせた。
「自分たちのエネルギー源を、自爆装置代わりの人質にするなんて……」
機械軍にとっては、自分たちが活動するエネルギーさえ確保できれば、周囲が毒にまみれようと関係ない。
奴らは、我々が「汚染」を恐れて手出しできないことを計算に入れているのだ。
「奴らは我々がビッグレールガンを撃てないことを知った上で、あそこで戦力を増強している。……だが、座して待てばジリ貧だ。奴らが海を渡る準備を整えれば、レンゲルは終わる」
司令官は私の肩に手を置いた。
「だからこそ、外科手術が必要なのだ。……都市を破壊せず、癌細胞(村田連発)だけを切除する、精密かつ大胆な作戦が」
「……少し、時間をください。本部に指示を仰ぎます」
私は即答を避け、通信室を借りてレインコート司令部への緊急回線を開いた。
スクリーンに、レン隊長と都市統括管理アンドロイドの姿が映る。
ノイズ混じりの映像だが、二人の表情が真剣そのものであることは伝わってきた。
『……状況は理解した』
報告を聞き終えた統括管理アンドロイドが、沈痛な面持ちで頷いた。
『敵も我々と同じ反応炉を利用しているとはな。……だが、それを盾に使われるとは厄介だ』
『破壊はできん。……だが』
レン隊長が鋭い眼光で私を見据えた。
『放置すれば、いずれその「村田連発」とやらは海を渡り、勢力圏を広げるだろう。……南部大剣の後継機、放置して勝てる相手ではない』
「はい。……私の『弐式』なら、あるいは」
『リリィ』
レン隊長の声が、厳しく響く。
『レインコート防衛隊司令として命ず。……レンゲルと協力し、その脅威を排除せよ。そして反応炉を無傷で確保するのだ。ただし、貴官らの生還を最優先とする。……無茶はするなよ?』
「……了解しました! 任務を受諾します」
通信を切り、私は司令室へと戻った。
カーティス司令官と、レンゲルの幕僚たちが、祈るような目で見守っていた。
「司令官」
私は静かに告げた。
「レインコート司令部は、作戦を承認しました。……リリィブロッサム部隊は、貴都市に協力します」
「おお……!」
司令官の顔に、安堵と希望の色が差した。
「感謝する! 君たちは、我々の希望だ!」
「ただし、相手は南部大剣を超える怪物です。……作戦の立案には、綿密な打ち合わせが必要になります」
「もちろんだ。我々の持てる情報、そして戦力も惜しみなく提供しよう」
私は窓の外に広がる、夜の海を見つめた。
その向こうには、不気味に輝く敵拠点の光が見える。
「やりましょう、司令官。……あの美しい海を、毒になんてさせない」
私は固く拳を握りしめ、来るべき決戦への決意を固めた。




