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涙の彼方


地下都市レインコート、第1整備ドック。

そこには、耳鳴りがするほどの「静寂」があった。

いや、物理的には音はあった。

インパクトレンチの回転音、クレーンの駆動音、溶接のスパーク音。

整備班のアンドロイドたちは忙しなく動き回っている。

けれど、そこには以前のような活気ある怒号も、希望に満ちた笑い声も一切なかった。

空気そのものが鉛のように重く、冷たく澱んでいる。

その中心に、彼女はいた。

「よし、アクチュエーターの交換完了。……次はセンサーの感度調整ね。スバルってば、すぐに無茶して照準ズラしちゃうんだから」

マリーは、ボロボロになって帰還したトラックの荷台で回収された、わずかなスバルの機体の残骸、破片となった装甲の一部を作業台の上で磨いていた。

それはもう修理などできる状態ではない。ただの焼け焦げた鉄屑だ。

だというのに、マリーはそれをまるで生きている患者を扱うように、丁寧に、慈しむようにケアしていた。

「あ、そうだ。予備の弾薬も用意しておかないと。あいつ、トリガーハッピーだからすぐに撃ち尽くしちゃうし……ふふっ、世話が焼けるなぁ」

独り言。

ずっと、独り言だ。

マリーの碧眼は、焦点が定まっていなかった。

口元には薄らとした、貼り付けたような笑みが浮かんでいる。

その姿は、壊れて同じ旋律しか奏でられなくなったオルゴールのようだった。

「……マリーちゃん」

ドックの入り口で、ローズが口元を押さえて立ち尽くしていた。

彼女の美しい瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。

ローズには耐えられなかった。

マリーが現実を拒絶し、妄想の中に逃げ込んでいる姿を見るのが。

スバルはもういない。

あんなに頼もしかった「共犯者」は、もう二度と帰ってこないのに。

「……う、うぅ……ッ」

ローズは嗚咽を漏らし、逃げるようにドックから走り去っていった。

マリーはそれに気づかない。

気づこうとしない。

ただひたすらに、存在しない友人のための整備を続けている。

私は、その様子をキャットウォークから見下ろしていた。

胸の奥が、焼けつくように痛い。

スバルの死も辛い。だが、それ以上に、私の大切な親友が壊れていく様を見るのは、身を裂かれるような苦しみだった。

かつて、私は自分の存在意義を見失いただの兵器として朽ち果てようとしていた。

そんな私を「リリィは優しいね」と言って、泥の中から引き上げてくれたのはマリーだ。

彼女がいたから、私は「心」を取り戻せた。

彼女がいたから、私は「人間を守る」という誇りを持てた。

(……今度は、私の番だ)

私は手すりを強く握りしめた。

マリーをこのままにしておけば、彼女の精神回路マインド・コアは本当に焼き切れてしまうだろう。

悲しみというウイルスに侵され、修復不可能なエラーを起こす前に。

私が、彼女を現実へと引き戻さなければならない。

たとえそれが、彼女にとってどれほど残酷なことであっても。

私は深呼吸をし、階段を降りた。

一歩踏み出すごとに、鉄の床が重い音を立てる。

それは、死刑執行場へと向かう足音にも似ていた。


「マリー」

作業台の横に立ち、私は努めて冷静な声で名を呼んだ。

マリーは手を止めず、顔だけをこちらに向けた。

「あ、リリィ! お疲れ様! ……ねえ見て、この装甲板、磨いたらこんなに綺麗になったよ。これならスバルも喜ぶかな?」

彼女の手にあるのは、熱で歪み、原形を留めていない金属片だ。

それを見て「綺麗になった」と笑う彼女の精神状態は、限界を超えていた。

「……マリー。その作業に意味はない」

「え? 何言ってるの? 意味ならあるよ、スバルが帰ってきた時にすぐに使えるように……」

「スバルは帰ってこない」

私は言葉のナイフを突き立てた。

マリーの手がピタリと止まる。

「……何、言ってるの? 帰ってくるよ。だって、新品の機体だよ? あんなに強かったんだもん、負けるわけないじゃん」

「負けたんだ。……全滅したんだよ、マリー」

私は一歩踏み出し、彼女の肩を掴んだ。

華奢な肩が、小刻みに震えている。

「やめてよ……変な冗談、言わないで……」

マリーは私の手を振り払おうとした。だが、私は離さない。

「冗談ではない。事実だ」

「やだ……聞きたくない……! 離して! 作業しなきゃ、スバルが待ってるの!」

マリーが暴れだす。

「あいつは怒りん坊なんだから! 早く直さないと怒鳴り込んでくるんだよ! 『おいマリー、遅ぇぞ!』って! だから……だから……ッ!」

「マリーッ!!」

私は彼女の両肩を強く掴み、無理やり私の方を向かせた。

彼女の瞳が揺れている。

その奥にある、必死に隠そうとしている「絶望」を、私は見逃さなかった。

彼女だって分かっているのだ。

分かっていて、認めたくないだけなのだ。

「現実を見ろ、マリー! スバルは死んだ! 鬼灯に殺されたんだ! あの金属片が、彼の全てなんだよ!!」

「ちがうッ!!」

マリーが叫んだ。

「違う違う違うッ!! スバルは死んでない! 約束したもん! 『また会おう』って! 『死ぬな』って! あいつは嘘つきじゃない! 生きてる! 生きてるのぉぉぉッ!!」

彼女は私の胸を拳で叩いた。

ポカポカと、力の入っていない拳。

整備で鍛えたはずの彼女の腕力は、今は赤子のように弱々しかった。

「リリィの嘘つき……! バカ……! なんでそんな酷いこと言うの……!?」

「事実だからだ。……彼がもういないことを認めなければ、君は前に進めない」

「進みたくない! スバルがいない未来なんて行きたくないよぉッ!」

マリーの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

否定の言葉は、やがて意味のない悲鳴へと変わっていく。

「うあぁぁぁぁぁぁッ!! スバルぅぅぅ……! なんでぇ……なんで置いてくのよぉぉぉッ!!」

マリーはその場に崩れ落ちそうになった。

私は彼女を抱き留めた。

私の腕の中で、マリーは泣き叫んだ。

子供のように。迷子のように。

張り詰めていた糸が切れ、抑え込んでいた感情がすべて決壊したのだ。

「……泣け、マリー」

私は彼女の背中を強く抱きしめ、頭を撫でた。

「好きなだけ泣けばいい。私が支えている。……君が泣き疲れて眠るまで、私がずっと抱きしめているから」

「うぐっ、ひっ、うわぁぁぁぁぁぁん!!」

ドックに響き渡る慟哭。

それはあまりにも悲痛で、聞いていた他の整備班員たちも顔を覆い、静かに涙を流していた。

私は何も言わず、ただ震える親友の体温を感じていた。

ごめんな、マリー。

こんな役回りしかできなくて。

でも、これが君を救う唯一の方法だったんだ。


翌日。

マリーは、まるで熱病が引いたかのように、憑き物が落ちた顔をしていた。

目は真っ赤に腫れ上がり、声は枯れていたが、その瞳には理性の光が戻っていた。

「……リリィ。今日、お休みもらえるかな?」

朝、ベッドの中で彼女は小さく呟いた。

「ああ。レン隊長には話を通してある。……今日は一日、何もするな」

私はローズを呼び、三人で街へ出た。

地下都市レインコートの居住区画。

人工太陽の光が降り注ぐ公園や、配給食料を売るマーケット。

私たちは当てもなく歩いた。

ローズは、マリーの右手をずっと握っていた。私も、左側を歩きながら彼女のペースに合わせていた。

街の空気は重かった。

シェルター204の壊滅は、一般市民にも知れ渡っていた。

すれ違う人々の顔には、隠しきれない不安と恐怖が張り付いている。

「次はここが襲われるんじゃないか?」

「あの鬼灯とかいう化け物が来たら、おしまいだ」

そんな囁き声が、風に乗って聞こえてくる。

私たちは、都市を一望できる展望公園のベンチに座った。

マリーは、眼下に広がる街並みを見つめていた。

そこには、貧しいながらも懸命に生きる人々の営みがあった。

子供たちが走り回り、大人たちが洗濯物を干している。

私たちが守ってきた、そしてスバルたちが守ろうとした「日常」。

「……怖いな」

マリーがポツリと言った。

「鬼灯が怖い。機械軍が怖い。……スバルがあっという間に消されちゃったことが、信じられないくらい怖い」

彼女は自身の胸元をギュッと握りしめた。

「でもね、それ以上に怖いの。……私の中に、黒いドロドロした気持ちがあることが」

「ドロドロした気持ち?」

ローズが優しく問う。

「うん。……復讐したいって思っちゃうの。あいつらを、鬼灯を、バラバラにしてやりたい。スバルと同じように、苦しめて、壊してやりたいって……。そんな風に思う自分が、自分じゃないみたいで……怖いよ」

マリーの目から、また涙が零れた。

「私、やっぱり泣き虫だね。……強くなりたいのに、すぐに泣いちゃう」

彼女は、自分を責めていた。

優しい彼女にとって、憎悪や殺意といった感情は、異物でしかないのだろう。

私はマリーの頭に手を置いた。

「それでいい」

「え……?」

「泣き虫のままでいい。復讐したいと思ってもいい。……それは君が、スバルをそれだけ大切に思っていた証拠だ」

私は彼女の涙を指で拭った。

「感情を否定するな。恐怖も、憎しみも、悲しみも、すべて君の一部だ。……大切なのは、その感情をどう使うかだ」

マリーは鼻をすすり、私を見た。

そして、隣にいるローズを見た。

ローズもまた、涙目で頷いている。

「……そうだね」

マリーは深く息を吸い込んだ。

「私には、リリィがいる。ローズがいる。……この街の人たちがいる」

彼女の碧眼から、揺らぎが消えていく。

そこに残ったのは、冷たく燃える「決意」の炎だった。

「私、もう逃げない。……スバルの分まで、私が戦う」

マリーは立ち上がった。

小さな身体のどこにそんな力が残っていたのかと思うほど、力強い立ち姿だった。

「リリィ、ローズ。……私、この涙を燃料ガソリンにするよ」

「燃料?」

「うん。悲しみも怒りも、全部燃やして力に変える。……私の技術うでで、あの化け物を倒すための『牙』を作る」

彼女は拳を握りしめた。

「ただ泣いてるだけのマリーは、もうおしまい。……見ててね、スバル。あんたの仇は、私が取らせてやるんだから」

その瞬間、マリーは整備士エンジニアの顔に戻っていた。

友を想う優しさと、敵を討つ冷徹さを併せ持った、最強の裏方へ。

「頼もしいな」

私はフッと笑った。

「ああ。君が牙を研いでくれるなら、私はそれを振るう狼になろう」

私たちは拳を突き合わせた。

涙は乾いた。

ここからは、反撃の時間だ。


休日が明け、私たちは防衛隊司令部へと戻った。

そこでは、レン隊長と都市統括管理者が、深刻な表情でホログラムマップを囲んでいた。

「状況は最悪だ」

レン隊長が、マップ上の一点を指差した。

かつてシェルター204があった場所。現在は赤いバツ印がつけられ、『敵性勢力支配下』と表示されている。

「シェルター204の消滅により、レインコートの南部防衛ラインに巨大な穴が開いた。……機械軍はここを橋頭堡とし、いつでもレインコートへ進軍できる」

都市統括管理者が淡々とした口調で補足する。

「早急にこのエリアを奪還し、防衛拠点を再建する必要がある。放置すれば、一週間以内にレインコートは包囲され、干上がることになるだろう」

「ですが……」

私は地図上の、禍々しい反応を示しているポイントを見た。

エネルギー反応炉。

「そこには奴がいます。南部大剣『鬼灯』が」

「そうだ。……奴を排除しない限り、拠点の再建など画餅に過ぎない」

レン隊長が苦々しく言った。

「だが、どうやって倒す? スバルたちの例を見れば明らかだ。……正面から挑めば、たとえ100機のピースウォーカーを投入しても、奴の餌食になるだけだ」

室内に重い沈黙が流れる。

鬼灯の戦闘能力は未知数だ。

反応炉直結による無限のエネルギー供給。

そして、視認することさえ不可能な神速の居合。

近づけば斬られる。囲んでも斬られる。

まさに無敵の要塞だ。

「……勝ち目は、ないのでしょうか」

ローズが不安げに呟く。

「いいえ」

声を上げたのは、マリーだった。

彼女は一歩前へ出て、キッとした目で地図を見据えた。

「勝ち目はあります。……いえ、作るんです」


マリーは、自身の端末をホログラムテーブルに接続した。

そこに表示されたのは、スバルの部隊が全滅した際の戦闘ログ解析データだった。

「スバルたちが負けた原因は、単純な力不足じゃない。……『相性』が悪すぎたの」

マリーは冷静に分析を始めた。

「鬼灯の能力は、反応炉からのエネルギーを『速度』に変換すること。その速さは音速を超えてる。……近距離~中距離で戦う限り、人間の反射神経でも、私たちアンドロイドのセンサーでも、奴の刃を捉えることは物理的に不可能」

「つまり、近づいた時点で『死』が確定するということか」

レン隊長が唸る。

「そう。だから……近づかなければいい」

マリーは地図の縮尺を変更し、レインコートとエネルギー反応炉の間にある広大な荒野を指差した。

「リリィ。……奴の剣が届かない場所、奴のセンサーが反応して動き出すよりも遥か遠くから攻撃できたら、どうなる?」

私はハッとした。

「射程外からの攻撃アウトレンジ・アタック……?」

「そう。一方的に、奴が気づく間もなく撃ち抜く」

「超長距離狙撃か」

レン隊長が腕を組む。

「だが、距離にして約15キロはあるぞ。通常のライフルの有効射程を遥かに超えているし、何より威力が減衰する。……南部大剣の装甲を貫くには、至近距離でのパイルバンカー並みの運動エネルギーが必要だ」

「火薬式の銃じゃ無理です」

マリーは首を振った。

「でも……火薬を使わなければ?」

彼女は新しい設計図をモニターに投影した。

それは、あまりにも巨大で、あまりにも異様な形状をした「砲」の設計図だった。

「これは……?」

超大型電磁投射砲レールガン

マリーが告げた。

「電気エネルギーと磁力を使って、弾丸を亜光速まで加速させて撃ち出す。……これなら、15キロ先からでも、鬼灯の装甲ごと反応炉をぶち抜ける」

「レールガン……理論は分かるが、そんなものを建造する素材がどこにある? 莫大な電力と、発射の衝撃に耐えうる砲身が必要だぞ」

管理者が指摘する。

マリーは不敵に笑った。

その笑みは、どこか亡きスバルに似ていた。

「あるよ。……敵が置いていってくれた、最高のプレゼントがね」


マリーは、別のウィンドウを開いた。

そこに映し出されたのは、ドックに横たわる南部大剣『鉄仙』の解体データだった。

「鉄仙が持っていた巨大な戦斧。……あれのシャフトに使われていた金属は、超高剛性のレアメタルだった。あれを加工すれば、レールガンの砲身レールが作れる」

さらに、彼女は鉄仙の心臓部を示した。

「そして、鉄仙の動力炉と、重力制御ユニットに使われていた高出力コンデンサ。……これを直列に繋げば、一撃だけなら反応炉にも匹敵するエネルギーを生み出せる」

「鉄仙の遺骸を使って、鬼灯を殺す武器を作るというのか」

私は戦慄した。

なんと皮肉で、なんと合理的な発想だろう。

かつての強敵が、今の最強の敵を倒すための礎となる。

まさに「泥水を啜ってでも勝つ」というスバルの遺志を体現したような作戦だ。

「私が作る」

マリーは断言した。

「リリィにはこれを撃ってもらう。……あいつの神速なんて関係ない。奴が『斬る』動作に入るよりも速く、奴の認識外から、全てを終わらせる『見えざる矢』を撃ち込むの」

彼女の瞳には、もはや迷いはなかった。

「理論上、射程は20キロ。弾速はマッハ7。……回避不能の即死攻撃だよ」

レン隊長は、しばらくマリーの顔を見つめていたが、やがて深く頷いた。

「……採用だ。資材も人員も、すべて優先的に回そう。……やれるか、マリー?」

「やります。……スバルがあの世で笑って見てられるように、最高に派手な花火を上げてやるんです」

作戦は決まった。

名付けて『神殺しのゴッドスレイヤー』作戦。

これは、ただの狙撃ではない。

友を奪われた私たちの、魂を込めた一撃だ。

「リリィ、調整は私が完璧にやる。……あんたは、引き金を引くことだけ考えて」

「ああ。……任せろ」

私はマリーの肩に手を置いた。

その手を通して、彼女の熱い決意が伝わってくるようだった。

泣き虫のマリーはもういない。

ここにいるのは、レインコート最強の武器職人ガンスミスだ。



レインコート、第3整備ドック。

そこは今、ひとつの巨大な「武器」を生み出すための炉となっていた。

「電圧安定! コンデンサ直列接続、第1から第8までオールグリーン!」

「冷却液循環、正常! 砲身温度、臨界まであと200度余裕あり!」

整備班員たちの声が飛び交う中、ドックの中央に鎮座していたのは、もはや携帯火器の域を超えた代物だった。

全長12メートル。

漆黒の艶消し塗装が施された、長大な砲身。

その素材は、あの南部大剣『鉄仙』が振るっていた戦斧のシャフト超高剛性レアメタルを削り出し、再加工したものだ。

そして、砲尾には鉄仙の動力炉と、重力制御ユニットから取り出した高出力コンデンサが、無骨なパイプとケーブルで繋がれている。

作超長距離電磁投射砲レールガン『ブリューナク』。

「……できた」

マリーが、溶接マスクを跳ね上げて呟いた。

顔は煤だらけ、目は充血しているが、その表情には鬼気迫る執念が宿っていた。

彼女は、完成したばかりの砲身を愛おしそうに撫でた。

「鉄仙の素材があったからこそ作れた。……皮肉だよね。私たちを殺そうとした武器が、今度は私たちが生き残るための牙になるなんて」

私はその傍らで、自分の愛機『レイニーブルー』の火器管制システム(FCS)をアップデートしていた。

「マリー。照準補正のラグは?」

「ゼロだよ。リリィの視覚センサーと直結させた。……リリィが見た場所に、光の速さで飛んでいく」

マリーは私を見上げた。

「リリィ。……こいつは一発勝負だよ」

「ああ」

「鉄仙のコンデンサを使っても、フルチャージで撃てるのは一発だけ。撃てば砲身は融解して、回路も焼き切れる。……次弾装填はない」

一撃必殺。

外せば、こちらの位置がバレて、神速の鬼灯に距離を詰められる。

そうなれば終わりだ。

「外さないさ」

私は静かに言った。

「君が作った牙だ。……私が必ず、奴の心臓に届かせる」

「うん。……頼んだよ、相棒」


作戦決行の朝。

レインコートから北西へ18キロ地点。

荒野を見下ろす岩山の頂上に、私たちは布陣していた。

『設置完了。アンカー固定』

『冷却システム起動。……いつでもイケます』

複数の装甲トラックによって運搬された『ブリューナク』が、岩盤に固定される。

私の『レイニーブルー』が砲尾に接続ドッキングし、巨大な砲身を支える体勢をとる。

まるで機体そのものが、巨大な狙撃銃の一部になったかのようだ。

「ローズ、環境データは?」

『風速、西北西へ2.5メートル。湿度42%。気圧変動なし。……クリアよ』

司令部のローズから、極めて冷静なオペレーション音声が届く。

私はメインカメラの倍率を最大まで上げた。

遥か彼方。

陽炎の向こうに天を突く巨大な塔、エネルギー反応炉が見える。

そして、その中腹にあるテラスのような足場に、豆粒のような黒い影があった。

南部大剣『鬼灯ホオズキ』。

奴は動いていない。

腕を組み、仁王立ちでエリアを見下ろしている。

あの余裕。あの傲慢さ。

自分に届く攻撃などこの世に存在しないと信じ切っている、王の如き佇まい。

(……見えた)

私のオッドアイが、奴のコアの位置を正確に捕捉する。

距離18,500メートル。

通常兵器なら、豆鉄砲にもならない距離だ。

だが、今の私には奴の心臓の鼓動さえ聞こえる気がした。

「マリー、エネルギー充填開始」

「了解。……いくよ、スバル。あんたの無念、ここで晴らすからね」

ヒュゥゥゥゥン……。

低周波の唸り音が響き始める。

鉄仙の遺産であるコンデンサ群が、爆発的な電力を蓄えていく。

砲身のレールに沿って、青白い放電スパークが散り始めた。

『充填率、80%……90%……』

マリーの声が震えている。恐怖ではない。武者震いだ。

私はスコープの中の鬼灯を凝視し続けた。

スバルの最期を思い出す。

一瞬で両断された友の機体。

その絶望を、恐怖を、無念を。

全てをこの指先に込める。

(お前は速い。誰よりも速いだろう)

私は心の中で奴に語りかけた。

(だが、認識できなければ回避もできない。……音よりも、思考よりも速く、私はお前を貫く)

『充填率、100%! 臨界点突破クリティカル・ポイント!』

『砲身電圧、最大! ……撃てます!』

マリーの叫びが響く。

「……照準ロック、固定」

私の視界に表示されたレティクル(十字線)が、赤く変色し、鬼灯の胸部装甲の中心で静止する。

風が止んだ。

世界から音が消えた。

私の指が、トリガーにかかる。

「さようなら、鬼灯」

私は、静かに、そして強く、引き金を引いた。

「墜ちろ」

ズガァァァァァァンッ!!!!!!

轟音と共に、岩山全体が震動した。

砲口から放たれたのは、マッハ7を超える超高速の金属弾メタル・ジャケット

それは大気を切り裂き、プラズマの尾を引きながら、一直線に「死」へと向かって飛翔した。

放たれた矢は、もはや誰にも止められない。

神殺しの一撃が、今、鬼灯へと到達する。


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