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泥濘の墓標


「――ッ、硬い!」

私の叫びは、鋼鉄同士が激突する轟音にかき消された。

愛機『レイニーブルー』の高周波ブレードが、敵指揮官機『鉄仙テッセン』の肘関節を捉えた。

理論上、あらゆる装甲を分子レベルで切断するはずのその刃はしかし、黒い重積層装甲の表面に火花を散らすだけで、数ミリたりとも食い込むことはなかった。

『無駄ダ』

鉄仙の無機質な声と共に、巨大な腕が払われる。

ただの「裏拳」。

だが、15メートル級の質量が生み出すそれは、レイニーブルーのような軽量機にとっては破壊的な鉄槌に等しい。

「ぐぅッ……!」

私はスラスターを逆噴射し、バックステップで衝撃を殺す。

それでも、風圧だけで機体の姿勢制御バランサーが悲鳴を上げ、装甲の表面塗装が剥離していく。

圧倒的すぎる。

以前戦った『鬼灯』が洗練された剣士だとすれば、こいつは単純な暴力の塊だ。

対パワードスーツ戦など想定していない。拠点そのものを粉砕するための歩く攻城兵器。

「リリィ! 下がれ! そいつの射程圏内は死地だ!」

後方からレン隊長の警告が飛ぶ。

下がりたいのは山々だ。

だが、視界の端に映る光景がそれを許さない。

荒野を埋め尽くす300機のピースウォーカー部隊。

黒い津波となって、防衛隊のラインをじりじりと侵食している。

ドォン! ドォン! ズダダダダッ!!

味方の悲痛な通信が飛び交う。

『第2防衛ライン、突破されます!』

『弾薬残量低下! もう抑えきれません!』

『うわぁぁぁッ!』

一機、また一機と、レインコートの仲間たちが火だるまになっていく。

マリーやローズがいる都市への侵入を許せば、それは虐殺の始まりを意味する。

私がここで、この化け物を食い止めなければ全てが終わる。

『羽虫ガ。……潰レロ』

鉄仙が、身の丈以上の巨大な戦斧バトルアックスを振り上げた。

その刃渡りは私の機体よりも大きい。

ブンッ!!

回避行動を取る私の数メートル横を、斧が通過する。

それだけで地面が爆ぜ、衝撃波が私を弾き飛ばす。

「きゃぁッ!?」

レイニーブルーが地面を転がる。

受け身を取り、即座に跳ね起きるが、モニターには赤い警告灯が点滅していた。

『右脚部ダンパー、損傷』

『メインカメラ、ノイズ発生』

勝てない。

私の演算回路プロセッサが、冷徹な事実を突きつける。

真正面からの殴り合いでは、万に一つも勝ち目はない。

私の攻撃は通じず、相手の攻撃は掠っただけで致命傷。

このままでは、ジリ貧で潰される。

(どうする……? どうすれば……!)

焦りが思考を鈍らせる。

マリーがくれた最強の身体なのに。

ローズがサポートしてくれているのに。

レン隊長が信じてくれているのに。

私はまた、力及ばず負けるのか?


『警告。勝率0.00%』

『推奨:撤退』

うるさい。黙れ。

私は思考のノイズを振り払う。

撤退などありえない。後ろには守るべき日常があるのだ。

だが、力押しが通用しない以上別の「解」が必要だ。

綺麗に勝つ必要はない。

卑怯でも、無様でも、最後に立っていれば勝ちなのだ。

(……無様でも、勝つ?)

ふと、脳裏にある記憶データが再生された。

それは、シェルター204での日々。

マリーの友人であるTYPE.Bの男性型アンドロイド、スバル。

遊撃部隊の隊長である彼の戦闘ログを、モニター越しに見た時のことだ。

彼は、最新鋭の機体ではなかった。

継ぎ接ぎだらけのカスタム機で、性能では劣る敵の大部隊を相手にしていた。

だが、彼は勝った。

廃ビルの柱を撃ち抜いて敵を生き埋めにし、砂煙の中に身を隠して奇襲し、泥沼に足を取られた敵を一方的に殴り続けた。

『戦場にルールなんてねぇ』

彼の口癖が聞こえた気がした。

『あるのは「生きた」か「死んだ」かだけだ。……泥水を啜ってでも、生き汚く勝った奴が正義なんだよ』

電流が走ったような衝撃。

そうだ。

私は今まで、スペックに頼った「綺麗な戦い」をしようとしていた。

防衛隊のエースとして、正々堂々と敵を倒そうとしていた。

だが、相手は規格外の怪物。

まともに相手をしてやる義理なんてない。

(使え。使えるものは全部)

私のオッドアイが、戦場の解析モードへと切り替わる。

敵の装甲強度、出力、重量。

そしてこのレインコート周辺の地形データ。

鉄仙は重い。

あの重積層装甲と巨大な斧。総重量は通常のピースウォーカーの比ではない。

もし、その「重さ」を逆に利用できたら?


私は即座に通信回線を開いた。

「ローズ! 聞こえるか!」

『聞こえてるわ、リリィ! でもバイタルが乱れてる! 無理しないで!』

ローズの悲鳴に近い声。

「無茶はこれからだ。……ローズ、すぐにこのエリア周辺の地質データと地下水脈図を送ってくれ!」

『えっ? 地質データ?』

「そうだ! 一番地盤が脆くて……地下水が豊富に流れている場所だ! 急いでくれ、コンマ1秒が惜しい!」

私の意図を、ローズは一瞬で理解したようだった。

彼女は優秀なS型オペレーターだ。

『……分かった! 検索開始!』

キーボードを叩く音が高速で響く。

『……あったわ! 現在地から北西へ3キロ、D-9ポイント!』

モニターに地図データが転送される。

『旧石灰岩採掘跡よ! 地下に巨大な空洞があるわ。さらに、先日の雨で地下水脈の水位が上がって、地盤が極限まで緩んでる!』

「深さは?」

『推定60メートル。……落ちたら、ただじゃ済まないわ』

「上等だ」

私はニヤリと笑った。

60メートルの落とし穴。しかも底には高圧の地下水脈。

あんな鉄の塊が落ちれば、自重で沈み、水圧で潰れ、二度と上がってこれない天然の監獄だ。

「レン隊長!」

私は回線を切り替え、叫んだ。

「私が鉄仙を引き剥がします! 奴をD-9ポイントへ誘い込み沈めます!」

『……正気か? 囮になるつもりか』

「奴の足を止められるのは、この戦場で私だけです! ……隊長は、雑魚の相手をお願いします!」

『……許可する』

レン隊長の声には、揺るぎない信頼があった。

『死ぬなよ、リリィ。……必ず戻れ』

了解ラジャー!」

私はスラスターを噴かし、鉄仙の目の前へと踊り出た。

わざと隙を見せるように、ブレードを下げて棒立ちになる。

「おい、図体ばかりの鉄屑!」

外部スピーカーの音量を最大にして、私は叫んだ。

「動きがトロいんだよ。そんな鈍重な身体で、私を捕まえられると思ってるのか?」

『……何ダト?』

鉄仙の赤いモノアイが、私を睨みつける。

私は挑発的に、レイニーブルーの指先で「手招き」をして見せた。

そして、背を向けて走り出した。

「悔しかったらここまで来てみな! 脳みそまで錆びついた旧式!」

『小賢シイ羽虫ガ……! 逃ガサン!!』

轟音。

鉄仙が激昂し、地面を蹴った。

その一歩だけで震度3クラスの揺れが起きる。

奴は他のピースウォーカー部隊を置き去りにして、私だけを追いかけ始めた。

狙い通り。

単純なAIで助かった。


ここからは、命懸けの鬼ごっこだ。

私はレイニーブルーの出力を全開にし、荒野を疾走する。

背後からは、地響きと共に、死そのものが迫ってくる。

『待テェェェッ!!』

ブンッ!!

背後で風切り音がした瞬間、私は反射的に右へサイドステップを踏んだ。

直後、私の左側の地面に巨大な斧が突き刺さり、岩盤を粉砕した。

飛び散る礫が、レイニーブルーの装甲を叩く。

「くっ……! 冗談じゃない威力ね!」

当たれば即死。

掠っても大破。

だが、この緊張感が私の回路を研ぎ澄ませる。

恐怖はない。あるのは獲物を罠へと誘導する狩人の冷静さだけだ。

「こっちだ、ノロマ!」

私は瓦礫の山を駆け上がり、崩れかけた廃ビルの間を縫うように走る。

鉄仙は障害物を避けない。

体当たりでビルを粉砕し、斧で瓦礫をなぎ払い、一直線に突っ込んでくる。

その破壊の嵐が、逆に私の逃走ルートを塞ぐ瓦礫を吹き飛ばしてくれる。

(もっとだ……もっと暴れろ!)

私は心の中で叫んだ。

お前のその圧倒的な「力」と「重さ」が、お前自身の墓穴を掘るんだ。

地面を揺らせ。地盤を緩めろ。

ここが死地だと気づかずに。

『チョコマカト……! 捕マエタラ握リ潰シテヤル!』

鉄仙の咆哮が近づく。

距離、50メートル。

斧の射程圏内ギリギリ。

前方に見えてきた。

D-9ポイント。

一見するとただの平原だが、ローズのデータによれば、その薄皮一枚下には広大な空洞と、荒れ狂う地下水脈が眠っている。

私は速度を緩めない。

罠の直上を通過し、その先の岩場へと着地する。

そして、急停止して振り返った。

「ここまでだ、鉄仙」

私はレイニーブルーの両手を広げ、奴を迎え撃つ構えを見せた。

追い詰められたフリ。

最後の仕上げだ。

『追イ詰メタゾ、羽虫メ』

鉄仙が追いついた。

奴は、私が立っている場所のすぐ手前、まさに「陥没予定地点」の中央で足を止めた。

罠の上だとも気づかずに。

『終ワリダ。……塵ニ還レ』

鉄仙が、その巨躯をのけぞらせ、巨大な戦斧を大上段に振りかぶった。

全ての質量、全てのエネルギーを込めた、必殺の一撃。

それが振り下ろされた瞬間、勝敗は決する。

私か、奴か。

「ああ、終わりだ」

私は冷静に呟いた。

「お前のな」

斧が、振り下ろされた。


『死ネェェェッ!!』

鉄仙の咆哮と共に、巨大な戦斧が振り下ろされる。

空が割れるような風切り音。

私の視界すべてを、黒い鉄の塊が覆い尽くす。

逃げ場はない。左右への回避では、着弾時の衝撃波に巻き込まれる。

後方へ下がっても、その長大なリーチからは逃れられない。

絶体絶命の刹那。

(今だ!)

私は操縦桿を強く引き、フットペダルを限界まで踏み込んだ。

『レイニーブルー』の背部スラスターと、脚部バーニアが一斉に火を噴く。

横でも後ろでもない。

上だ。

「そこぉッ!!」

レイニーブルーが爆発的な推力で垂直上昇する。

鉄仙の斧が、私の機体の足裏数センチを通過する。

空気を切り裂く風圧が、私の機体をさらに上空へと押し上げる。

そして斧は、私が一瞬前まで立っていた地面、D-9ポイントの中央へ、全力で叩きつけられた。

ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!

凄まじい轟音が響き渡り、大地が悲鳴を上げた。

鉄仙の桁外れの腕力と、斧自体の重量、そして遠心力。

それら全てのエネルギーが一点に集中し、既に地下水脈の影響で脆くなっていた石灰岩の地盤へと注がれたのだ。

「かかったな」

空中に逃れた私は、眼下の光景を見下ろして確信した。

ピキキキキッ……!

亀裂が走る。

斧が刺さった地点を中心に、蜘蛛の巣状の割れ目が一瞬で広がる。

それは直径50メートルにも及ぶ範囲で、地面そのものを「蓋」のように切り取った。

『……ヌ?』

鉄仙が動きを止める。

斧を引き抜こうとした瞬間、彼の足元の世界が崩れ去った。

ズガガガガガッ!!

支えを失った岩盤が、一気に崩落する。

落とし穴なんて生易しいものではない。

大規模な地盤沈下だ。

『ナ、何ダ!? 足場ガ……!?』

鉄仙がバランスを崩す。

スラスターを噴かして飛び上がろうとするが、遅い。

彼自身の圧倒的な重量と、手放さなかった巨大な斧が、彼を奈落へと引きずり込む錨となった。

「重すぎるんだよ、お前は!」

私は空中で叫んだ。

「その傲慢な重さが、お前の墓標だ!」


『オ、オノレェェェェッ!! 羽虫ガァァァッ!!』

鉄仙の絶叫が木霊する中、黒い巨体は土砂と共に暗黒の穴へと落下していった。

深さ60メートル。

そして、その底で待ち受けていたものが牙を剥く。

ドッパァァァァァァンッ!!

岩盤が取り除かれたことで、高圧状態で封じ込められていた地下水脈が解放されたのだ。

巨大な穴の底から、茶色く濁った泥水が鉄砲水となって噴き上がった。

それはまるで、大地が敵を飲み込むために開いた大口のようだった。

『グ、ガァァッ……水……!?』

鉄仙の巨体が、激流に揉まれる。

泥水は瞬く間に穴を満たし、巨大な洗濯機のように瓦礫と鉄仙を撹拌する。

重積層装甲は、防御には最強だが、水中ではただの鉄の重りでしかない。

浮力など得られるはずもなく、鉄仙は藻掻けば藻掻くほど、泥濘の深淵へと沈んでいく。

『システム、エラ……! 浸水、冷却系、停止……!』

『馬鹿ナ……我ガ……量産サレシ救済ノ……王ガ……ッ!』

ズブブブ……。

泥水が、鉄仙の頭部までを飲み込む。

最後に残った赤いモノアイが、水面下で断末魔のように明滅し――。

プツン。

消えた。

後には、ボコボコと湧き上がる気泡と、渦巻く泥水だけが残された。

静寂。

荒野に開いた巨大な穴は、瞬く間に地下水で満たされ、一つの「湖」となった。

私はスラスターの残量ギリギリで、湖のへりへと着地した。

足元が少しふらつく。

モニター越しに、静まり返った水面を見つめる。

「……勝った」

心臓コアの鼓動が早い。

スマートな勝利じゃない。泥だらけで、危険な賭けだった。

でも、勝った。

スバル。あなたの言った通りだ。

生き汚くても、立っていた方が勝者なんだ。


『敵指揮官機、信号消失シグナル・ロストを確認!』

『熱源反応、完全に消滅しました!』

ローズの弾むような声が、全回線に響き渡った。

その瞬間、戦場の空気が一変した。

防衛ラインを攻め立てていた300機のピースウォーカーたちが、糸が切れた人形のように一斉に動きを止めたのだ。

指揮系統コマンド・リンクの崩壊。

統率を失った彼らは、ただの烏合の衆と化した。

『見たか、総員! リリィがやったぞ!』

レン隊長の咆哮が通信機を震わせる。

『あの化け物を沈めた! ……次は我々の番だ! 混乱している敵を叩け! 一機たりとも逃がすな!』

『うぉぉぉぉぉッ!!』

防衛隊員たちの鬨の声が上がる。

形勢逆転。

もはや敵に進撃する意志も連携もない。

弾薬の尽きかけた防衛隊が、鬼神の如き勢いで反撃を開始する。

パニックに陥り、我先にと逃げ出すピースウォーカーの背中を、次々と撃ち抜いていく。

それは戦闘ではなく、掃討戦だった。

数分後。

荒野を埋め尽くしていた黒い波は霧散し、レインコートの平穏は守られた。


戦闘終了後。

私はレイニーブルーのコクピットハッチを開け、外の空気を吸った。

雨上がりの湿った風が、熱を持った頬(人工皮膚)を撫でる。

「……リリィ!」

レン隊長の『イグニス』が歩み寄ってきた。

コクピットから降りたレン隊長は、私の元へ駆け寄ると、泥だらけの私の身体を強く抱きしめた。

「よくやった……! 本当によくやった!」

「……隊長、苦しいです」

「黙れ。今は褒めさせろ」

いつも冷静なレン隊長の声が震えている。

それほどまでに、ギリギリの戦いだったのだ。

私たちは並んで、新しくできた「湖」を見下ろした。

直径50メートル。静かな水面。

この底に、あの絶望的な強さを誇った『鉄仙』が眠っている。

「……皮肉なものだな」

レン隊長が呟いた。

「奴は自然を破壊し、更地にするために来た。だが結果として、レインコートに新たな水源を残して逝ったわけだ」

「それに、水源だけじゃありません」

私は水底を見透かすように目を細めた。

「奴は機能停止しましたが、爆発四散したわけじゃありません。水没による回路ショートでしょう。……つまり、機体自体はほぼ無傷で残っています」

レン隊長がハッとして私を見る。

「……そうか。サルベージ(引き上げ)か」

「はい。最新鋭の南部大剣の機体、重積層装甲のサンプル、そしてあの巨大な斧の素材……。解析すれば、こちらの技術を一気に数世代進めることができます」

宝の山だ。

奴は私たちを殺しに来て、逆に最強の武器をプレゼントしてくれたのだ。

「フッ……ハハハッ!」

レン隊長が声を上げて笑った。

「違いない! マリーたちが喜んで飛びつきそうだ。……ありがとうよ、鉄仙。お前の身体は、有効活用させてもらうぞ」

私もつられて笑った。

「ええ。骨の髄まで、私たちの『平和』のために役立ってもらいましょう」

通信機から、ローズとマリーの安堵した声が聞こえてくる。

避難民たちも無事だという。

日常は守られた。

私の泥臭い、意地汚い、けれど誇り高い戦術によって。

私は空を見上げた。

厚い雲の切れ間から、薄日が差し込んでいる。

その光は、まるでエミリア博士が「よくやった」と微笑んでいるように見えた。

でも、まだ終わりじゃない。

鉄仙は量産機の一つに過ぎない。

世界にはまだ、数え切れないほどの脅威が待っている。

けれど、もう絶望はしない。

私たちは知恵と勇気で、どんな巨大な敵も倒せることを知ったのだから。

「帰りましょう、隊長。……マリーが待っています」

「ああ。帰ろう、我々の家へ」

私たちはレイニーブルーとイグニスに乗り込み、勝利の凱旋へと向かった。

背後の湖面が、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。


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