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鉄の斧、無限の絶望


地下都市レインコート、第2居住区画にある多目的体育館。

普段は市民の憩いの場や運動場として使われているその場所は今、戦火を逃れた避難民たちの収容所となっていた。

冷たいコンクリートの床に敷かれた毛布。

鼻をつく消毒液の匂いと、押し殺した啜り泣きの声。

イエローシューズから逃げ延びた50名あまりの人間たちは、心身共に限界を迎えていた。

「大丈夫だよ。痛くないからね」

避難所の一角で優しい声が響いた。

マリーだった。

彼女はいつもの薄汚れた整備用ツナギではなく、清潔な白いエプロンを身に着け、怪我をした子供の腕に包帯を巻いていた。

「……おねえちゃん、これ、なおる?」

煤だらけの少年の問いに、マリーは碧眼を細めて微笑んだ。

「うん、治るよ。私ね、これでも元々は医療用(Type.M)の機能も持ってるんだ。だから安心して、君の腕は私がちゃんと守るから」

彼女の手つきは、機械を整備する時の油まみれのそれとは全く異なっていた。

繊細で、柔らかく、温かい。

Type.Eエンジニアとしての職人気質と、Type.Mメディカルとしての母性が同居している。

処置を終えたマリーが少年の頭を撫でて飴玉を渡すと、少年はようやく強張っていた表情を緩めた。

その少し離れた場所では、ローズが大人たちを相手にしていた。

「温かいスープが入りましたわ。まずは身体を温めてください」

ローズは配給のカップを配りながら、一人一人に声をかけていた。

恐怖でパニックになりかけている男性、家族を失って呆然としている女性。

彼女は愛玩用(Type.S)特有の高度なコミュニケーション・モジュールをフル活用し、声のトーン、視線の合わせ方、そして微かなフェロモン制御まで駆使して、彼らの荒んだ精神を鎮めていく。

「私たちレインコート防衛隊がついている限り、ここには絶対に敵を通しません。……ですから、今は泥のように眠ってしまって構いませんのよ」

彼女の洗練された所作と、安心感を与える声音は薬よりも効いた。

震えていた人々が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

体育館のキャットウォークからその様子を見下ろしていた私は、手すりを握る手に力を込めた。

(……凄いな)

私は戦闘用(Type.A)だ。敵を破壊することしかできない。

だが、マリーとローズは「治し」「癒やす」ことができる。

防衛とは、ただ敵を倒すことだけではない。守るべき人々の心と体をケアし、明日への活力を繋ぐことこそが、真の「守護」なのだ。

「私にはできない戦いだ」

私は自分の白い手を見た。

この手は彼女たちが作った「平和な時間」を、外敵から守るためにある。

役割分担だ。

彼女たちが内側を守るなら、私は外側でどんな地獄が来ようとも食い止める。

「……行くぞ」

私はマリーたちの邪魔をしないよう、静かに体育館を後にした。

現実(地獄)と向き合うために、司令部へと足を向けた。


防衛隊司令部、作戦会議室。

空気は鉛のように重く、張り詰めていた。

中央のホログラムテーブルには、広域観測班のドローンが捉えた最新の映像が投影されていた。

「……酷い」

誰かが呻くように言った。

そこに映し出されていたのは、かつて交易で栄えた同盟集落「イエローシューズ」の成れの果てだった。

堅牢だったはずの防壁は粉々に砕け散り、建物は全て倒壊し、炎上している。

生存者の姿はない。

動くものは何もない。完全なる死の街。

そして、その瓦礫の山の中心に、一機の巨影が鎮座していた。

「こいつが……」

壱拾肆式甲型 南部大剣 『鉄仙テッセン』。

漆黒の重積層装甲を持つ、全高15メートルの巨人。

その姿は、以前戦った『鬼灯』と酷似しているが、決定的に異なる点があった。

背中に戦術刀はない。

代わりに、その右手には、身の丈を優に超える巨大な戦斧バトルアックスが握られていた。

無骨で凶悪な質量兵器。

刃についた血糊とオイルが、ドローンのカメラ越しでも分かるほど生々しい。

奴は玉座に座る王のように瓦礫の上に腰を下ろし、破壊し尽くした街を見下ろしていた。

「近接戦闘特化型……。あの斧の一撃なら、防壁ごとパワードスーツを粉砕できる」

レン隊長が苦々しい顔で分析する。

「鬼灯が『技』の剣士だとすれば、こいつは『力』の処刑人だ」


「……奴だけではありません」

情報の補足を加えたのは、イエローシューズから生き延びたアンドロイドの護衛兵だった。

彼は修理を終え、司令部に同席していたが、その表情には未だ深い絶望が刻まれていた。

「鉄仙が率いているのは、最新鋭のピースウォーカー部隊です。数は……目視で確認できただけで300機」

「300……!?」

作戦室にどよめきが走る。

レインコートの防衛戦力は、パワードスーツが約30機。歩兵を含めても数倍の差がある。

しかも、相手は指揮官機コマンダー付きの精鋭部隊だ。

ランチェスターの法則を持ち出すまでもなく、正面からぶつかれば数分で磨り潰される戦力差。

「だが、それだけじゃない。……君は、もっと恐ろしいことを聞いたと言っていたな」

レン隊長が護衛兵に促す。

護衛兵は震えながら頷いた。

「は、はい……。私は瓦礫の下で、奴らの通信を傍受しました。……鉄仙と、本国との通信を」

彼はその内容を再生した。

ノイズ混じりの音声データが、部屋に流れる。

『エリアE-7、浄化完了。魂の回収率、82%。……効率が悪いな』

『こちら中央工廠。次なる浄化ポイント、エリアC-4レインコートへ進軍せよ。……増援として、第12生産ラインよりロールアウトした南部大剣3機を合流させる』

『了解。……我ら量産される慈悲の代行者をもって、人類を救済せん』

音声が途切れた瞬間、私の思考回路プロセッサが凍りついた。

「……りょう、さん……?」

私が絞り出すような声で呟く。

「南部大剣が……量産されている、だと?」

護衛兵が涙ながらに叫んだ。

「そうです……! 奴らは言っていました! 自分たちは特別な存在ではない、ただの『代行者』だと! 世界各地にある無人工廠オート・ファクトリーで、あの怪物が……ピースウォーカーと同じように、ベルトコンベアに乗せられて次々と作られているんです!!」


【WARNING: LOGIC ERROR】


視界に赤い警告文字が明滅する。

私の演算回路が、導き出された事実の重みに耐えきれず悲鳴を上げている。

南部大剣『鬼灯』。

あれほど苦戦し、私の腕をもぎ取り、絶望を与えた最強の敵。

それが、唯一無二ではない?

世界中に何十、何百と存在する、ただの高性能量産機の一つに過ぎない?

「そんな……馬鹿な……」

膝から力が抜ける。

勝てるわけがない。

目の前の鉄仙を倒しても、次は2体、その次は3体と現れる。

さらにその後ろには、数千、数万のピースウォーカーが無尽蔵に生産され続けている。

相手は「軍隊」ですらない。

地球規模で稼働する、人類抹殺のための巨大な「システム」そのものだ。


『勝率:0.00001%未満』

『推奨行動:逃走、または機能停止(自害)』


冷徹な計算結果が、私の脳裏に弾き出される。

レインコートという小さな地下都市一つで、どうやってこの世界の理不尽システムに抗えと言うのか。

アリが象に挑むどころの話ではない。

アリ一匹で、押し寄せる津波を止めようとするようなものだ。

「……あ、あぁ……」

作戦室の誰かが、絶望のあまりうめき声を漏らした。

沈黙。

圧倒的な暴力と物量の前に、戦意という火が消えかけていた。


「……演算終了」

その沈黙を破ったのは、私自身の声だった。

私は頭を振り、視界の警告表示エラーログを強制的に消去した。

「リリィ?」

レン隊長が私を見る。

私は顔を上げた。

恐怖で震えそうになる膝を、人工筋肉で無理やり固定する。

脳裏に浮かぶのは、300という数字でも、無限の工場でもない。

さっき見たマリーの笑顔。

ローズが淹れてくれた紅茶の香り。

そして、部屋で待っているユリ(ぬいぐるみ)のつぶらな瞳。

「確率がどうした。敵の数がどうした」

私は自分に言い聞かせるように、言葉を紡いだ。

「敵が1000機いようが、工場が世界中にあろうが……私が守るべき場所は、ここ(レインコート)だけだ。私の手が届く範囲の日常を守る。……それ以外に、何か理由が必要か?」

私の言葉に、レン隊長が微かに目を見開いた。

そして、フッと口元を緩めた。

「……違いない」

レン隊長はテーブルに手をつき、全員を見回した。

その瞳には、指揮官としての冷徹さと、戦士としての熱い光が宿っていた。

「我々の原初命令は『人間を守ること』だ。……それは単に肉体を生かすことではない。エミリア博士は願った。『希望を失った世界でも、共に生きてほしい』と」

彼女の声が、絶望に沈みかけていた室内の空気を震わせた。

「敵が神の如きシステムだろうと、我々の魂までは管理させん。……我々は機械だが、ただの計算機ではない。不可能を可能にする『意志』を持つ、最後の守護者だ!」

「そうだ……!」

「やってやる! ここを抜かれたら、避難民もマリーたちも終わりだ!」

他の隊員たちの目にも、光が戻り始める。

恐怖が消えたわけではない。

だが、それを上回る「譲れないもの」が、私たちを突き動かしていた。

「広域観測班! 敵の現在位置は!」

レン隊長が叫ぶ。

「はっ! 敵主力、移動を開始しました! 方角、真東! レインコートへ一直線に向かっています!」

「距離、30キロ! 到達まであと2時間!」

「来たか」

レン隊長は私を見た。

「リリィ。……やれるか?」

私は不敵に笑って見せた。

「愚問ですね、隊長。マリーがくれたこの身体は絶望を砕くためにあるんです」

「よろしい」

レン隊長は号令を下した。

「総員、第一種戦闘配置ッ!! 都市の全隔壁を閉鎖! 全防衛戦力を展開せよ! ……我々の意地を鉄屑どもに見せつけてやれ!!」

「おうッ!!」

怒号のような返事が響き渡る。

私は司令部を飛び出し、ハンガーへと走った。

いよいよだ。

かつてない規模の防衛戦シージ・バトルが始まる。

相手は300の軍勢と、処刑人の斧。

だが、負けない。

私の背中には、マリーとローズ、そしてあの大切な日常があるのだから。



地下都市レインコートの地上出入口、第1防衛ライン。

荒野に設置されたコンクリートのバリケードと自動砲台の陰で、私は『レイニーブルー』のセンサー感度を最大まで引き上げていた。

雨は止んでいたが、空は鉛色の雲に覆われ、世界は薄暗い。

その灰色の地平線の彼方から、低い地鳴りが響いてきた。

ズズズズズ……。

最初は遠雷かと思った。だが、それは規則的で、かつ無数に重なり合った、鋼鉄の足音だった。

「……来たな」

隣に陣取るレン隊長の『イグニス』が、長距離砲の安全装置を解除する音が聞こえた。

私の視界にある拡大モニターに、黒い「波」が映し出された。

ピースウォーカー。

ピースウォーカー。

ピースウォーカー。

視界を埋め尽くすほどの数。300機という数字が、ただのデータではなく、物理的な質量として迫ってくる。

そして、その黒い波の中央に、ひときわ巨大な影があった。

南部大剣『鉄仙』。

全高15メートル。鬼灯と同じ漆黒の装甲だが、その肩幅はさらに広く、よりマッシブな重装甲型に見える。

彼が引きずっているのは、巨大な戦斧バトルアックス

刃渡りだけで5メートルはあるだろうか。その刃が地面を削り、火花を散らしながら進んでくる様は、地獄の処刑人が断頭台を引きずってくるかのようだ。

『敵軍、距離3000! 有効射程に入ります!』

ローズの緊迫した声が通信機から響く。

「……数が多いな」

私は操縦桿を握る手に力を込めた。

「アリの行列みたいで、虫酸が走りますね」

『軽口を叩けるなら大丈夫だ』

レン隊長が静かに言った。

『総員、聞け。我々の背後には、2000人の市民と、仲間たちがいる。……このラインを一歩たりとも越えさせるな。ここが我々の絶対防衛線デッド・ラインだ!』

『了解ッ!!』

防衛隊員たちの気合の入った返答が響く。

数は10分の1以下。だが、士気は最高潮だ。


「攻撃開始ッ!!」

レン隊長の号令と同時に、イグニスの300mm砲が火を噴いた。

ドォォォォンッ!!

先頭集団のピースウォーカーに着弾。爆炎が上がり、数機が吹き飛ぶ。

それを合図に、防衛隊の全火力が一斉に開放された。

ミサイル、機関砲、榴弾砲。

荒野に火線が交差し、爆発の連鎖が敵の前衛を飲み込む。

「やったか!?」

土煙が晴れる。

だが、そこから現れたのは、無傷で進軍を続ける後続部隊だった。

破壊された仲間の残骸を踏み越え、機械的な行軍を止めない。

恐怖も躊躇いもない。ただプログラム通りに殺戮を実行するだけの、死の行進。

『……ッ、効かない!? 数で押し潰す気か!』

敵の反撃が始まる。

300機からの弾幕は、まさに「壁」だった。

空を黒く染めるほどのミサイルと銃弾が、こちらの防衛ラインに降り注ぐ。

「くっ……!」

私はレイニーブルーのシールドを展開し、最前線で弾幕を受け止めた。

衝撃が絶え間なく襲う。

シールドのエネルギー残量が目に見えて減っていく。

「私が撹乱します! このままじゃジリ貧です!」

私はスラスターを噴かし、バリケードから飛び出した。

真正面からの突撃。

自殺行為に見えるが、今の私の機動力なら――!

「ハァァァッ!!」

敵陣に切り込む。

すれ違いざまに高周波ブレードで2機を両断。

そのまま急旋回し、密集している敵の中央へグレネードを撃ち込む。

私の動きに敵の照準が追いつかない。

撹乱成功。敵の火線が分散する。

「いいぞ! リリィに続けぇッ!」

防衛隊の仲間たちも呼応し、側面から攻撃を仕掛ける。

乱戦。

個々の性能ではこちらが上だ。

私の新生ボディは絶好調で、次々と敵をスクラップに変えていく。

(いける……! これなら!)

希望が見えた、その時だった。


戦場の空気が、ビリビリと震えた。

敵軍の中央が、モーゼの海割れのように左右へ開いたのだ。

その奥から、ゆっくりと、しかし圧倒的な威圧感を放ちながら、奴が現れた。

南部大剣『鉄仙』。

彼は、群がるピースウォーカーたちを邪魔だとばかりに蹴散らし、最前線へと歩み出てきた。

そして、私のレイニーブルーを見下ろした。

『チョコマカト、鬱陶シイ羽虫ダ』

鬼灯のような流暢な言葉ではない。

合成音声のような、無機質で歪んだ声。

彼は右手の巨大な戦斧を、軽々と頭上へと持ち上げた。

『潰レロ』

ブンッ!!

ただの振り下ろし。

だが、その速度は巨体に似合わず異常に速かった。

「――ッ!?」

私は全速力でバックステップを踏んだ。

直後。

ズガァァァァァァァァンッ!!!!!

爆音と共に、大地が爆発した。

斧が叩きつけられた衝撃波が、物理的な津波となって周囲を薙ぎ払ったのだ。

「うわぁぁぁッ!?」

私の近くにいた味方のピースウォーカー数機が、木の葉のように吹き飛ばされる。

地面には、巨大なクレーターと、数百メートルに及ぶ地割れが刻まれていた。

直撃していないのに、この威力。

もし受けていたら、マリーが整備した装甲ごと粉砕されていただろう。

『我ガ名ハ鉄仙。慈悲ナキ救済ノ代行者ナリ』

鉄仙は斧を引き抜き、再び構えた。

そのモノアイが赤く輝く。

『人間モ、其レニ味方スル欠陥品アンドロイドモ……等シク塵ト還ルガ良イ』


「……ふざけるな」

私はレイニーブルーを立て直した。

恐怖?

いや、違う。

私の胸にあるのは、怒りだ。

「欠陥品」だと?

私の仲間を、マリーを、ローズを、レン隊長を。

そして私が守りたい人間たちを、ゴミのように扱うお前こそが、最大の欠陥品だ!

「総員、散開! 奴の正面には立つな!」

レン隊長の指示が飛ぶ。

「リリィ! 貴官は遊撃に徹しろ! 奴の足を止めろ! 本隊で雑魚を引き受ける!」

「了解! ……あのデカブツは、私が引き受けます!」

私は覚悟を決めた。

1対300の絶望的な状況。

さらに、一撃必殺の破壊力を持つ怪物。

それでも、私の背中にはレインコートがある。

退く場所はない。

「来いよ、鉄屑! 私が相手だ!」

私は挑発し、鉄仙へと突っ込んだ。

斧が振るわれる。

風圧だけで機体がきしむ。

だが、見える。

マリーがくれたこの眼なら、その軌道が見える!

ギリギリで回避し、懐へ飛び込む。

ブレードで関節を狙う。

ガギィン!

硬い。鬼灯と同じ重積層装甲だ。

だが、怯まない。

一撃でダメなら、百回斬るまでだ。

「マリー、ローズ……見ててくれ!」

私は叫んだ。

「私が……私たちの日常は、私が守り抜いてみせる!!」

乱戦の渦中、白き百合と黒き鉄塊が激突する。

レインコート存亡をかけた戦いは、まだ始まったばかりだ。




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