新生の白百合と見えざる狙撃手
「遅いッ!! 思考と動作がコンマ2秒ズレているぞ!」
鋭い罵声と共に、私の視界が回転した。
背中からマットに叩きつけられる衝撃。
受け身を取ろうとするが、人工筋肉が過剰に反応し、私はバウンドするように無様に転がった。
「ぐぅッ……!」
地下都市レインコート、第3訓練場。
冷たいコンクリートの床に突っ伏したまま、私は荒い呼吸を繰り返していた。
視界にエラーログが流れる。
『右脚部、出力制御不安定』
『ジャイロセンサー、補正遅延』
「立て、リリィ。敵は待ってくれないぞ」
頭上から降ってくるのは、レインコート防衛隊長・レンの冷徹な声だ。
私は歯を食いしばり、床に手をついて身体を起こした。
自身の掌を見る。
かつて黒い手袋に覆われていた手は、今は透き通るような白磁の人工皮膚に覆われている。
マリーが72時間かけて組み上げてくれた、私の新しい身体。
見た目は以前と同じ、142センチメートルの少女型。
だが、その中身は別次元の怪物だった。
旧時代のハイエンド素材を惜しみなく使用した骨格フレーム。
最新鋭の反応速度を誇る神経伝達回路。
そして、通常機の1.5倍の出力を叩き出す調整済みEfリアクター。
最強の器。
だが、今の私にとってそれは、乗りこなせない暴れ馬でしかなかった。
「……くっ!」
私は再び立ち上がり、訓練用ダミー人形へと向かった。
(イメージしろ。卵を掴むように。風を切るように)
右拳を突き出す。
狙いはダミーの胸部装甲のセンサー部分。
ズドォォン!!
「あ……」
乾いた破壊音と共に、ダミー人形が「くの字」に折れ曲がり、部屋の反対側の壁まで吹き飛んで粉砕された。
やりすぎた。
軽く小突くつもりが、戦車砲のような威力を出してしまった。
力加減が利かない。
コップを持とうとすれば握りつぶし、歩こうとすれば床を踏み抜きそうになる。
「バカ者! 誰が全力で殴れと言った!」
レン隊長が私の頭を、丸めた作戦指示書で叩く。
「お前の新しい身体は、人間で言えば超人の領域だ。だが、それを制御する『心』が追いついていない! 出力に振り回されるな! お前が機体を支配しろ!」
「……申し訳、ありません……!」
悔し涙が滲む。
私の左目は、マリーが特別なパーツを使ってくれた蒼色の義眼だ。
右の赤、左の蒼。
オッドアイとなった視界は、以前よりも遥かに多くの情報を処理している。
空気の流れ、温度変化、対象の微細な振動。
情報が多すぎる。身体が強すぎる。
自分のものなのに、自分じゃないみたいだ。
「泣いている暇があるなら動け」
レン隊長は容赦ない。
「お前が寝ている間も、リハビリで転がっている間も、機械軍は待ってはくれない。……昨日もC地区で戦闘があった。お前の穴を埋めるために、他の隊員が泥を啜っているんだ」
その言葉が、私の胸を刺した。
そうだ。私がここで足踏みしている間にも、仲間たちは戦っている。
あの鬼灯の影に怯えながら。
(負けてたまるか……!)
私は涙を拭い、構え直した。
「……もう一本! お願いします!」
レン隊長は、微かに口角を上げ、手招きした。
「いい目だ。……来い!」
それから一ヶ月。
私は地獄を見た。
起きている時間は全て訓練に費やし、眠っている間(スリープモード中)もシミュレーションを繰り返した。
マリーは毎晩、私の身体のミリ単位の調整に付き合ってくれた。
ローズは私の精神状態が崩れないよう、常に傍で支えてくれた。
そして今日。
最終検定の日がやってきた。
訓練場の中央で、私とレン隊長は対峙していた。
武器は持たない。徒手空拳による組手。
レン隊長は歴戦のA型。その近接格闘術(CQC)は、都市最強と謳われている。
以前の私なら、1分も持たずに制圧されていただろう。
「始めッ!」
審判役の整備班長の声と共に、レン隊長が動いた。
速い。
以前と変わらぬ、無駄のない鋭い踏み込み。
だが今の私には、その動きの「軌道」が見えた。
(右、上段回し蹴り。フェイントを入れて、左掌底)
私の蒼い左目が、筋肉の収縮と重心移動を捉え、瞬時に予測演算を完了する。
以前なら「見えていても身体が追いつかない」タイミング。
だが今は違う。
フッ。
私は最小限の動きで上体を逸らし、レン隊長の蹴りを回避した。
風切り音が鼻先を掠める。
そのまま懐に潜り込む。
「ほう」
レン隊長が感嘆の声を漏らすと同時に、彼女の追撃が来る。
掌底、肘打ち、膝蹴り。
怒涛の連撃。
私はそれを、流れる水のように受け流し、弾いた。
ガギッ、ガギッ、ガギッ!
硬質な皮膚同士がぶつかり合い、火花が散る。
(今だ!)
レン隊長の一瞬の隙、呼吸の継ぎ目を私は見逃さなかった。
踏み込み。床がミシリと鳴る。
人工筋肉が唸りを上げ、爆発的な加速を生む。
私はレン隊長の懐深くへ飛び込み、その胸部装甲へ寸勁を放った。
ドンッ!
「くっ……!」
レン隊長が後方へタタラを踏む。
私は追撃の手を緩めない。さらに一歩踏み込み、首元へ手刀を。
ピタリ。
私の手刀は、レン隊長の喉仏の寸前で止まった。
同時に、レン隊長の足払いが私の軸足を刈り取ろうとして止まっていた。
静寂。
荒い冷却ファンの音だけが響く。
「……そこまで!」
班長の声。
私は手刀を引き、直立不動で姿勢を正した。
「……ありがとうございました」
レン隊長は、ゆっくりと息を吐き、自分の胸部装甲をさすった。
そこには、私の拳の跡がくっきりと残っていた。
そして、彼女の頬には攻防の最中にできたであろう微かな切り傷(塗装の剥離)があった。
「……私の防御を抜くとはな」
レン隊長は、頬の傷を親指で拭いニヤリと笑った。
その笑顔は、鬼教官のものではなく、頼れる上官のものだった。
「身体制御、出力調整、戦術判断。……全てにおいて合格点だ」
彼女は私の肩に手を置いた。
「おかえり、リリィ。……貴官の復帰を許可する」
「はッ!!」
私が敬礼すると同時に、観覧席から歓声が上がった。
「やったぁぁぁリリィ!!」
「さすがよリリィちゃん! かっこいい!」
マリーとローズが飛び出してきて、私に抱きついた。
その温かさに、私はようやく、自分が本当に「戻ってきた」のだと実感した。
翌日。
私は防衛隊の制服に袖を通し、任務に就いていた。
復帰初戦は、大規模な戦闘ではなく、都市周辺の哨戒任務と治安維持活動だ。
いわゆる「リハビリ」兼「錆落とし」である。
「こちら第3班、リリィ。C-4区画、異常なし」
『了解。……リリィちゃん、調子はどう?』
通信機からローズの優しい声が聞こえる。
「極めて良好だ。マリーの調整のおかげで、指先の感覚が以前より鋭敏になっている」
私は愛機『レイニーブルー』ではなく、生身で旧市街の廃墟を巡回していた。
白髪にオッドアイという私の新しい姿は、少し目立つ。
すれ違う市民たちが、驚いたように私を見る。
「あれ、あの白いのアンドロイド?」
「ん? あの顔……もしかしてリリィか?」
「へえ、イメチェンか? カッコよくなったじゃねえか!」
顔なじみの八百屋のオヤジが手を振ってくる。
私は少し照れくささを感じながら、軽く手を振り返した。
この何気ない日常。
人々が笑い、商売をし、明日を生きようとする風景。
これを守るために、私は帰ってきたのだ。
その時だった。
『緊急通報! D-2エリアの資材置き場に野盗が侵入! 警備ドロイドが破壊されました!』
「……了解。急行する」
私は地面を蹴った。
その瞬間、景色が後ろへ流れた。
速い。
以前の感覚で走っているのに、速度計の数値は時速80キロメートルを超えている。
風になる感覚。
現場に到着すると、改造バギーに乗ったモヒカン頭の野盗たちが、資材コンテナをこじ開けているところだった。
「ヒャッハー! 金目のモンは全部いただきだァ!」
「おい、なんか来たぞ! 小さい姉ちゃんだ!」
野盗の一人が私に気づき、サブマシンガンを向けた。
「邪魔すんなら死ねぇッ!」
マズルフラッシュ。
(……遅い)
私の視界の中で、世界がスローモーションになった。
発砲炎が膨らむ速度。薬莢が排出される回転。そして、銃口から飛び出す弾丸の軌道。
全てが、手にとるように分かる。
私は一歩、横に動いた。
弾丸が私の残像を貫く。
野盗が「え?」と間抜けな顔をした瞬間、私は既に彼の懐にいた。
「暴力はいけない」
私は彼が持っている銃の銃身を、指先で摘んだ。
そして、軽く力を込める。
グニャリ。
鋼鉄の銃身が、まるで粘土のようにひしゃげた。
「は……?」
野盗が目を丸くする。
私は彼の手首を軽く捻り、銃を取り上げると、それを手の中で鉄塊へと丸めた。
ポイ、と足元に転がす。
「ひ、ひぃぃッ!? ば、化け物ォォッ!!」
「失礼な。最新鋭の防衛用アンドロイドだ」
私は冷静に告げた。
「直ちに投降せよ。さもなくば、そのバギーのエンジンブロックを素手で粉砕する」
結果は明白だった。
残りの野盗たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すか、その場で土下座した。
私は誰一人傷つけることなく、また汗一つかくことなく、事件を解決した。
「すごい……。これが、私の新しい力」
自分の掌を見つめる。
強い。
これなら、あの「鬼灯」とも戦えるかもしれない。
いや、戦わなければならない。
その思考を遮るように、都市全域にけたたましいサイレンが鳴り響いた。
『緊急警報! 緊急警報!』
『レインコート防衛圏内に、高エネルギー反応接近中!』
ローズの緊迫した声が、私の脳内に直接響く。
『リリィ! 本番よ!』
『敵影確認。……機種はピースウォーカーじゃない。遠距離狙撃型【センティニアル】の部隊よ!』
センティニアル。
M-1876。旧大戦時の傑作狙撃機。
視界外からの超長距離射撃を得意とする、見えざる死神。
「……望むところだ」
私は白髪をなびかせ、空を見上げた。
雨が降り始めている。
私の血が、Efリアクターが、熱く脈打つ。
「リリィ、レイニーブルーへ搭乗する。……初陣だ!」
地下都市レインコート、第1発進ゲート。
警報音が鳴り響く中、私は愛機『レイニーブルー』のコクピットへと滑り込んだ。
「ニューラル・コネクト、開始」
プラグを首筋のポートに接続する。
瞬間、視界が広がり、機体のセンサーが捉えた情報が脳内へ直接流れ込んでくる。
以前とは違う。
情報の解像度が段違いだ。
雨粒の一つ一つ、風の揺らぎ、遠くの瓦礫が崩れる音。
それらがノイズではなく、明確な「情報」として処理されていく。
『マリーです! リリィ、同調率120%を超えてる……! 信じられない、まるで機体と神経が融合してるみたい!』
『ローズよ。敵部隊の推測位置データを転送。……気をつけて、相手は姿を見せないわ』
モニターに戦術マップが表示される。
都市から数キロ離れた荒野の廃ビル街。そこに赤い推定エリアが点在している。
敵は『センティニアル』。
旧大戦期に開発された遠距離狙撃用パワードスーツ。
高精度の光学迷彩と、静音性に優れたリニア・ライフル(レールガン)を装備し、こちらの索敵範囲外から一方的に死を送り込んでくる厄介な相手だ。
『作戦を伝える』
通信回線に、レン隊長の凛とした声が響いた。
彼女は自身の専用機、真紅の重装甲機『イグニス』に搭乗し、長距離砲撃用の対物ライフルキャノンを展開していた。
『敵は遮蔽物に隠れ、こちらの出方を窺っている。私が撃つためには、奴らの正確な位置座標が必要だ。……誰かが奴らの射線に入り、発砲させることで位置を特定(逆探知)するしかない』
つまり、囮だ。
見えない狙撃手に対して、自ら的になりに行く自殺行為。
「……私がやります」
私は迷わず名乗り出た。
「今の私の機動力なら、敵の照準を撹乱できます。それに……この新しい身体の性能を試すには、丁度いい相手です」
一瞬の沈黙の後、レン隊長は短く答えた。
『許可する。……死ぬなよ、リリィ』
「了解。行ってきます!」
スラスター点火。
レイニーブルーが青い閃光となって、雨の荒野へと飛び出した。
廃ビル街は、死のような静寂に包まれていた。
倒壊したコンクリートの墓標。錆びついた鉄骨。
雨音だけが、ザアザアと世界を濡らしている。
私はスラスターを吹かし、遮蔽物のない大通りへと躍り出た。
自分自身の存在を誇示するように、堂々と。
(来い……!)
神経を研ぎ澄ます。
私の新しい「蒼い左目」は、機体のセンサーと直結し、可視光線以外のスペクトルも捉えている。
熱源反応なし。磁気反応なし。
敵は完全に熱を遮断し、風景に溶け込んでいる。
ピリッ。
脳髄に、針で刺されたような悪寒が走った。
殺気ではない。
敵の照準レーザーが、私の機体に照射された微細な反応を私の過敏なまでのセンサーが感知したのだ。
(そこッ!)
『警告。高エネルギー反応、接近』
ローズの警告よりも早く、私は操縦桿を左に倒した。
思考と機体の動作に、ラグはゼロ。
レイニーブルーが、物理法則を無視したかのような急加速で横へスライドする。
ヒュンッ!!
一瞬前まで私のコクピットがあった場所を、不可視の弾丸が通り抜けた。
超高速のリニア弾だ。
着弾した背後のビルが、音もなく粉砕される。
「見えたッ! 座標送ります!」
私は弾丸の飛来方向を逆算し、データをリンクシステムへ叩き込む。
「11時の方向、距離2500! 崩れた給水塔の影!」
『捉えた』
後方に控えていたレン隊長の声。
ドォォォォンッ!!
腹に響く重低音と共に、イグニスから放たれた300mm徹甲榴弾が空気を裂いて飛んだ。
正確無比。
給水塔ごと敵の潜伏地点を吹き飛ばす。
爆炎の中に、迷彩を解かれて吹き飛ぶセンティニアルの姿が見えた。
『命中。次だ!』
「了解!」
敵は一機ではない。
仲間がやられたことで、残りの敵が殺気立つ。
ピリッ、ピリッ、ピリッ。
複数の「視線」が私に突き刺さる。
(3機……いや、4機!)
四方八方からの集中砲火。
普通なら蜂の巣だ。
だが、今の私には「見える」。
弾道予測ラインが、視界に赤い線となって浮かび上がる。
私の思考速度は、弾丸よりも速く世界を捉えていた。
「遅いッ!」
私はスラスターを全開にした。
レイニーブルーが踊る。
右へ、左へ、跳躍、急降下。
雨粒の間を縫うように、死の弾幕をギリギリで回避していく。
かすり傷一つつけさせない。
今の私は、雨そのものだ。
「2機目、3時の方向! ビルの4階!」
「3機目、9時の方向! 地下駐車場の入り口!」
私が動くたびに、敵は焦って引き金を引く。
引き金を引けば、位置がバレる。
位置がバレれば――。
ドォン! ドォン!
レン隊長の『聖女の鉄槌』が下される。
神業としか言いようのない狙撃。
私が回避した次の瞬間には、私を狙っていた敵の頭部が消し飛んでいる。
阿吽の呼吸。
言葉はいらない。
私が舞い、レン隊長が撃つ。
それは死の舞踏であり、圧倒的な連携だった。
残る敵は一機。
隊長機と思われる個体だ。
仲間が全滅したことを悟り、奴は遮蔽物を捨てて逃走を図った。
背中のブースターを点火し、高速で廃ビルの谷間を抜けようとする。
『逃がすな。……リリィ、止めろ!』
「させません!」
私はレイニーブルーを最大出力で加速させた。
逃げる敵機よりも、私の機体の方が速い。
マリーが調整してくれたこの機体は、今や私の手足だ。
一瞬で距離を詰める。
敵が振り返りざまにライフルを構える。
だが、その銃口が私に向くより早く、私は抜刀していた。
右腕のマウントから引き抜いた、高周波ブレード。
「ハァッ!!」
すれ違いざまの一閃。
青い光の軌跡が、雨の中に描かれる。
敵機のリニア・ライフルが真っ二つに切断され、宙を舞った。
武器を失い、バランスを崩して倒れ込む敵機。
そのコクピットハッチへ、私はブレードの切っ先を突きつけた。
「……チェックメイトだ」
敵機は観念したように動きを止めた。
その直後、遠方からの正確な一撃が、敵機の動力パイプを撃ち抜いた。
機能停止。
爆発させることなく、無力化完了。
『全敵機沈黙。作戦終了だ』
レン隊長の声が、静かに響いた。
「……任務完了」
私はブレードを収め、深く息を吐いた。
雨が止み始めていた。
雲の切れ間から、薄日が差し込み、濡れた廃墟をキラキラと輝かせている。
レインコートへの帰還路。
私はレイニーブルーのハッチを開け、外の空気を吸った。
オゾンの匂いと、湿った土の匂い。
戦いの後の静寂が心地よい。
『お疲れ様、リリィ! バイタルも機体状況もオールグリーン! 完璧な復帰戦だったよ!』
マリーの弾むような声。
『ええ。あの機動、以前より30%以上向上しているわ。……本当に凄かったわよ、リリィちゃん』
ローズの安堵した声。
私は自分の手を見つめた。
白く、美しい人工皮膚の手。
その下には、鋼鉄の力と、仲間たちが繋いでくれた絆が詰まっている。
(動ける。戦える。……これなら)
脳裏に浮かぶのは、あの漆黒の巨人。
エネルギー反応炉の頂上で、私をゴミのように見下ろした南部大剣『鬼灯』。
あの時の絶望的な無力感は、もうない。
恐怖も消えた。
あるのは、静かで熱い闘志だけだ。
「……待っていろ、鬼灯」
私は拳を握りしめた。
機械軍の歪んだ「救済」から、人間を守るために。
そして、道具として使い潰された同胞たちの魂を解放するために。
「次は、負けない」
私は蒼い瞳で、遠く北の空を睨み据えた。
白百合は再び咲いた。
今度は折れない。鋼鉄の刺と、燃えるような魂を持って。
新たな戦いがここから始まる。




