第6話:辺境のフレグランス・ライフ始動
ラインハルト様から「何をしててもいい」というお言葉をいただき、さらに専用の工房まで与えられた私は、まるで夢の中にいるような気分だった。
これまでは「副作用のない100点満点のポーション」しか作れず、いつもビクビクしていた。 少しでもミスをすれば、勇者アレクに怒鳴られる日々。 自分の作りたいものなんて、何一つ作れなかった。
けれど、ここは違う。 失敗してもいい。 屋敷を爆破してもいい(それはさすがにダメだと思うけど)。
「……本当に、作ってみてもいいのかな?」
私は震える手で、ずっと温めていたレシピ帳を開いた。 そこには、「効果は凄まじいが、副作用も強烈」なため、封印していた試作品の数々が記されている。
「うぅ……でも、もし誰かが怪我をしたら……」
まだ、怖い。 長年染みついた「失敗恐怖症」は、そう簡単には消えてくれない。
「ティア様、何かお困りですか?」
声をかけてきたのは、この屋敷を取り仕切るメイド長のエマさんだった。 穏やかで優しそうな初老の女性だが、目には鋭い光が宿っている。
「あ、あの……実は、新しい試作品を作ってみようかと思っているんですが……その、副作用が少し心配で……」
私は正直に打ち明けた。 するとエマさんは、ニッコリと微笑んだ。
「まあ、素敵なご趣味ですこと。それならば、私どもが実験台になりましょう」
「ええっ!? そ、そんな! 使用人の皆さんに何かあったら……!」
「ご心配には及びません。閣下から『ティア様の実験に協力せよ』と仰せつかっておりますので」
そう言うとエマさんは、手際よく他の使用人たちを集めてしまった。 みんな、「公爵様の命令なら喜んで」という顔をしている。
……ラインハルト様の影響力、恐るべし。
「では、まずは私から参りましょうか」
エマさんが名乗りを上げた。
私は恐る恐る、一晩かけて調合したピンク色の小瓶を取り出した。
『若返りのローズ』。
肌の細胞を活性化させ、若々しいハリを取り戻す美容フレグランスだ。 ただし、副作用として「幸福中枢が過剰に刺激され、笑いが止まらなくなる」というリスクがある。
「こ、これは、お肌がツヤツヤになる美容フレグランスなんですけど……その、ちょっと笑い上戸になっちゃうかも……」
「あら、幸福になれる? 『憂鬱になりがちな雨の日でもハッピーになれる』ということですわね? 素晴らしい副作用ですわ!」
(ええっ!? そっちの解釈!?)」
エマさんは躊躇なく小瓶の香りを一気に吸い込む。
カッ!
その瞬間、エマさんの顔が輝いた。 文字通り、発光したのだ。
そして光が収まると――そこには、どう見ても20代にしか見えない、ピチピチのエマさんが立っていた。
「ま、まあ……! お肌が水を弾きますわ!」
エマさんは鏡を見て、頬を紅潮させた。 周囲のメイドたちから「キャーッ!」「エマ様すごーい!」と黄色い悲鳴が上がる。
大成功だ。 効果は抜群。 でも、ここからが本番だ。
「ふふ……ふふふ……あははははは!」
突然、エマさんが高笑いを始めた。
「あーっはっはっは! なんだか楽しくて仕方がありませんわ! あはははは!」
「エ、エマさん!?」
「ごめんなさいティア様、笑いが……あはは! 止まらないのですわ! げらげらげら!」
上品なメイド長が、腹を抱えて大爆笑している。 それにつられて、他のメイドたちも笑い出してしまった。 屋敷中に、楽しげな(そして少し狂気じみた)笑い声が響き渡る。
「あわわ……ど、どうしよう……!」
私がオロオロしていると、今度は騎士団長のガルドさんがやってきた。 筋骨隆々の大男で、顔には古傷があり、いかにも「歴戦の猛者」といった風貌だ。
「なんだこの騒ぎは。……む? エマ殿、ずいぶんと若返られたな」
「あらガルド様、あははは! ティア様のお薬のおかげですのよ! げらげら!」
「ほう……それは興味深い。ティア殿、俺にも何か強くなれる香りはないか?」
ガルドさんは期待に満ちた目で私を見た。 強くなる香り……あるにはある。
『剛力のムスク』。 筋繊維を一時的に超強化し、岩をも砕く怪力を得るドーピング剤だ。 ただし、副作用として「声帯が収縮し、声が極端に高くなる(裏返る)」という欠点がある。
「あ、あの……これなんですけど……力がすごく強くなります。でも、声がちょっと……」
「構わん! 閣下の命の恩人であるティア殿の香りだ。例え死ぬと分かっていても喜んで嗅ごう!」
(いや死なないでください!?)
ガルドさんは男らしく小瓶に鼻をつけ、一気に吸いこんだ。
ゴクリ。
ムキッ!!
ガルドさんの筋肉が、服を突き破らんばかりに膨張した。 全身から湯気が立ち上り、凄まじいオーラが漂っている。
「おお……! みなぎる! 力がみなぎるぞ!」
ガルドさんは手近にあった訓練用の岩を、片手で軽々と持ち上げた。
そして――。
「ふんぬっ!!」
ベキィッ!!
岩を素手で握りつぶし、粉々にしてしまった。 すごい威力だ。 これなら魔獣とも素手で渡り合えるかもしれない。
「見たかティア殿! 俺は最強だァ――ッ!!」
「「「ブフッ!!」」」
その場にいた全員が吹き出した。 ガルドさんの声が、まるでヘリウムガスを吸ったように甲高く、裏返っていたからだ。
あの厳つい顔から、「キュルルンッ☆」みたいな小動物ボイスが出ている。
「な、なんだ!? なぜ笑う!?」
「ガ、ガルド様……声が……あははは!」
笑い上戸になっているエマさんが、涙を流しながら指差した。 ガルドさんは慌てて口を押さえたが、時すでに遅し。
「な、なんじゃこりゃあぁぁぁ~~っ!?」
甲高い悲鳴が響き渡り、屋敷中が爆笑の渦に包まれた。
「あわわわ……ご、ごめんなさい! すぐに元に戻る薬を……!」
私がパニックになって調香室へ走ろうとした時、背後から誰かに抱きしめられた。
「……最高だ」
耳元で、甘く低い声が囁いた。 ラインハルト様だ。
「ラ、ラインハルト様……!?」
「君は天才だよ、ティア。……見てごらん。君の香りが、彼らに『若さ』と『笑顔』を与えたんだ」
「えっ? いや、これ単に副作用で笑ってるだけじゃ……」
「いいや、違う。これは『祝福』だ。君がいるだけで、死にかけていたこの屋敷が、こんなにも鮮やかに色づいていく」
ラインハルト様は、笑い転げるエマさんと、変な声で慌てふためくガルドさんを見て、心底楽しそうに微笑んでいた。
「し、失敗しても……怒られないんですか……?」
私は恐る恐る尋ねた。 いつもの私なら、こんな大騒ぎを起こしたら、即刻追放されてもおかしくない。
けれど、ラインハルト様は私の頭を優しく撫でてくれた。
「怒る? なぜだ。君のおかげで、この冷え切った屋敷に活気が戻った。みんな楽しそうじゃないか」
「楽しそう……?」
改めて周囲を見渡すと、確かにみんな笑顔だった。 エマさんは若返って嬉しそうだし、ガルドさんも変な声をネタにされて満更でもなさそうだ。 何より、あんなに怖かった「副作用」が、ここでは「愛すべき個性」として受け入れられている。
「……私、ここにいていいんですね……」
「ああ。ずっといてくれ」
ラインハルト様の言葉に、私は思わず涙ぐんでしまった。 初めて、自分の調香が――そして私自身が、肯定された気がした。
「ありがとうございます……!」
私はラインハルト様の胸に顔を埋め、嬉し涙を流した。 その間も、屋敷には甲高い騎士団長の悲鳴と、メイド長の豪快な笑い声が響き続けていた。
こうして、私の辺境でのフレグランス・ライフは、カオスと笑いに満ちた幕開けを迎えたのだった。




