第14話:低レベルな争い
翌日。
私は公爵邸のリビングで、優雅なティータイムを過ごしていた。 ……いや、「優雅」と言うには、少し状況が特殊すぎるかもしれない。
「わんっ!(ママ、撫でて!)」
私の膝の上には、黒い子犬が乗っていた。 つやつやとした漆黒の毛並み。クリクリとした赤い瞳。 どこからどう見ても、愛らしい子犬だ。
でも、その正体は昨夜私たちが倒した(手懐けた)災厄級魔獣、『深淵の魔狼』改め「ポチ」だ。
「よしよし、ポチは甘えん坊だねぇ」
私が頭を撫でると、ポチは尻尾をブンブン振って喜ぶ。 魔力を抑えて小型化しているらしいけど、中身はあの巨大な狼のままだ。 テレパシーの声も、昨夜の「我は王ぞ」という威厳はどこへやら、完全に甘えた子供のような声になっている。
「……チッ」
不機嫌そうな舌打ちが聞こえた。 向かいのソファに座っているラインハルト様だ。 彼は眉間に深い皺を寄せ、ポチを睨みつけている。
「ティア。その犬は危険だ。離れなさい」
「え? でも、もう全然怖くないですよ? ほら、こんなに大人しいですし」
私はポチの前足を握って、「お手」をさせて見せる。 ポチは「わんっ!(おやつ!)」と元気よく応じる。
「……危険なのは牙ではない。距離感だ」
ラインハルト様は立ち上がり、私の隣に座った。 そして、ぐいっと顔を寄せる。
「そこは私の場所だ」
「へ?」
「ティアの膝の上も、隣も、その笑顔を向ける先も。すべて私の特等席だと言っている」
真顔で言われた。 しかも、ポチに向かって本気で敵意を向けている。 公爵様が、子犬(中身は災厄級)相手に嫉妬しているのだ。
「グルル……(ケッ、人間風情が。ママの膝は我の聖域だ)」
ポチも負けじと唸り声を上げる。 赤い瞳がギラリと光り、一瞬だけ禍々しいオーラが漏れ出した。
「ほう? 躾がなっていないようだな。ミンチにしてやろうか」
「やれるものならやってみろ。貴様の剣など爪楊枝にもならぬわ」
バチバチバチッ!!
二人の間に火花が見える気がする。 低レベルすぎる。 片や最強の騎士、片や災厄の魔獣。 それがティアの膝の上を巡って、小学生みたいな喧嘩をしているのだ。
「あ、あの……二人とも、仲良くしてください……」
私がオロオロしていると、ポチがふと耳をピクリと動かした。
「……わんっ!(誰か来たぞ)」
「え?」
次の瞬間、リビングの扉が開かれた。 入ってきたのは、メイドのエマさんだ。
「失礼いたします。ティア様に面会を希望される方がいらっしゃっております」
「私に? 誰ですか?」
「それが……名乗りもせずに『調香師を出せ』と騒いでおりまして」
エマさんの後ろから、薄汚れた身なりの男が無理やり入ってきた。 見るからに柄が悪い。 腰には剣を下げている。
「おい! お前がティアか!」
男は私を見るなり、大声で怒鳴った。
「ひぃっ!?」
私はビクリと肩を震わせる。 怖い。 反射的にラインハルト様の背中に隠れようとする。
「貴様……誰の許しを得てこの部屋に入った?」
ラインハルト様の声が、氷点下まで下がる。 空気が凍りつくような殺気。 しかし、男はそれに気づかない鈍感さを持っていたらしい。
「俺は冒険者だ! お前が作ったポーションのせいで、俺の仲間が腹を下したんだよ! 慰謝料を払え!」
「えっ? 私のポーションで……?」
そんなはずはない。 私が市場に卸しているのは、副作用のない安全なものだけだ。 それに、腹を下すような成分は入っていないはず。
「金さえ払えば許してやる。さもなければ――」
男が剣の柄に手をかけた、その時だった。
「――グルァッ!!」
私の膝の上にいたポチが、黒い霧となって膨張した。 一瞬にして、部屋の天井に届くほどの巨大な狼の姿に戻る。
「ひっ!? な、なんだこの化け物は!?」
男が腰を抜かす。
ポチは六つの赤い複眼で男を見下ろし、口からドロリと溶解液を垂らした。
(ご主人様に手を出したら……喰い殺すぞ)
テレパシーの声が、男の脳内に直接響く。 それは底知れぬ殺意と、「捕食者」としての圧倒的な重圧を伴っていた。
「あ……あが……ッ!?」
男は白目を剥き、口から泡を吹いて気絶した。 恐怖のあまり、心臓が止まりかけたようだ。
「ふん。口ほどにもない」
ポチは鼻を鳴らすと、シュルシュルと縮んでいき、元の黒い子犬の姿に戻った。 そして私の膝の上に飛び乗り、「わんっ!(褒めて!)」と尻尾を振る。
「……あ、ありがとう、ポチ……」
私は震える手でポチの頭を撫でた。 助かった。 助かったけど……心臓に悪い。
「……チッ。余計な真似を」
ラインハルト様が不機嫌そうに呟く。 彼の手には、すでに抜かれた剣が握られていた。 ポチが動かなければ、彼が男を細切れにしていたのだろう。
「ティア。やはりこいつは危険だ。屋敷の警備は私の騎士団で十分だ」
「わんっ!(お前らごときじゃママを守れん。我こそが最強の盾だ)」
「なんだと? 表に出ろ駄犬」
「望むところだ人間」
また始まった。 私は大きなため息をつきつつも、少しだけ安堵していた。
最強の騎士と、最強の魔獣。 この二人がいれば、私はもう何も怖くないのかもしれない。
(喧嘩さえしなければ、だけど……)
こうして私は、無自覚に世界最強クラスの戦力を二つも手に入れ、新しい生活をスタートさせたのだった。




